=賞=

     同志社グリークラブ


                        村野井徹夫  



 七月二十五日の夜に公会堂に行った。日本一だといわれる同志社大学のグリークラブが来たからである。同志社大学は新島襄が建てた
学校で、創立以来八十年にもなるということだ。また、グリークラブができてからは、五十年以上にもなるという古い歴史をもっている
ということがわかった。                                                 
 普通ならばこういう音楽会には、いくら好きでも少し高くて行けないのであるが、今度のだけは少しばかり話が違う。ということは、
今度の音楽会は、同志社の他に兄がはいっている盛岡一高音楽部が賛助出演するので、母もいっしょに行くことになった。     
 夕方母が帰って来る一足先に公会堂へ出かけた。そしたら公会堂の前には、まだたったひとりだけ、来ていただけだった。しばらくし
てうしろを見ると、案外長い列を作ってならんでいた。                                   
 しばらく待つうちに、ようやく扉が開いたので中にはいっていると、母がうしろの方からはいって来た。開演に間に合うように、御飯
もろくに食べないで急いで来たということだった。                                     
 幕が開きはじめると、下の方から皮ぐつをはいた足と黒いズボンが見えた。そのとき、場内アナウンスで同志社大学校歌と放送した。
幕が全部上へあがると歌い出した。男声三部か四部の、腹の底へ響き渡るようなバス・テナーなどのハーモニーの美しさ。     
  幕が開くときぼくは帽子をまむっていたが、そのときうしろにいた一高の人から、「きみ、こいうときには帽子をぬぐものなんだぞ。」
と注意された。なるほどと思い、だまってすぐぬいだが恥ずかしかった。                           
 校歌が終ると“通りゃんせ、夕やけこやけ、ドングリコロコロ、拳骨節”の編曲ものを歌った。こうした編曲したものは、普通歌って
いるのを早く歌ったり遅くしたり、三拍子にしたり四拍子にしたり調子を変えたりして、なかなか感じが違っておもしろく感じた。この
ときの服装は、まっ白のワイシャツに黒ズボン、それに同じく黒の細いちょうネクタイをしめて、いかにもキリスト教の学校らしく、黒
と白だけで清潔な感じがした。                                              
 そのあとは八重唱や宗教曲、黒人霊歌などを歌ったが、それは全部英語で歌ったが、ことばはわからなくてもその合唱の調子だけで曲
の感じがよく出ているので、少しもあきないでよくわかったような気がする。                         
 曲を一つ歌い終るごとにものすごい拍手が起って、せきばらい一つする人もなかった。そこにひとりだけ、ぼくはのどの奥にたんがつ
まって、それを出したくとも他の人があまり静かにしているので、とてもそんなまねができるものではなかった。         
 最後の曲を歌い終ると、前より一しお強く拍手が鳴りやまなかった。アンコールである。そのアンコールに答えてまたすぐ引返してき
て“からたちの花”の合唱をした。                                            
  そういうことが三回も続くと、聴客はみな立ちあがりはじめた。あとから聞いたが、他の町ならまだアンコールをするところだそうだ。
それが盛岡の客は、三曲アンコールすれば、あとは終りだとひとりぎめして立ちあがるのだそうだ。ほんとうにもう少し聞きたいところ
だった。が、みんな立ちあがったので、仕方がないからうしろに続いて廊下に出た。そして入口へ行きかけたら、急に外で拍手がわき起
った。                                                         
 何だろうと思って急いで出ると、今歌い終ったばかりの人たちが、ネクタイをはずして公会堂に向かってななめに勢ぞろいしていた。
そうしたら、指揮者が前へ出て、音叉をたたいて耳にあて、音をとってから静に指揮をはじめた。中で歌っているときと同じく、よく音
が響き荘厳に見えた。そのとき空を見ると、月のないよく晴れた空に星が何百何千と輝いていた。中でも公会堂の真正面には、まっ白の
ワイシャツを着て歌っているのに対して、W字型のカシオペア座が空に低く輝いているのはとても対照的で美しかった。まわりには今出
て来たばかりの聴客が人垣を作っていた。                                         
 歌い終ると、代表者が一歩前へ進み出てあいさつをした。また次にも必ず来るといっていた。そのあいさつもすむと、人々はみな家路
へと急いで行ってしまった。                                               
 たった三時間たらずの間ではあったが、生まれてはじめてこういう音楽会らしい音楽会の気分にひたることができた。是非また機会が
あったら聞きたいと思う。                                                
                                        (盛岡市上田中学二年 片岡タイ氏指導) 
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作文 石森延男先生・選                                                 

 今月の作文は、みんな中学生らしい、好もしいものばかりであった。中学生らしいということは次の三つのことをさしている。  
  (一) 飾り気なく書く。                                              
  (二) 若々しい焦点をとらえている。                                        
  (三) やさしいことばで書く。                                           
 作文は何もりきんで書くことはいらない。一作ごとにりきんでいたらたまらない。ふだんの出来ごとを、そのまま文章にしてみるとい
ったらくな気持ちで書いてほしい。                                            
 選にはいるとかはいらぬとかいうことに、かかわりなしに書いていくことである。ねらいは、自分の書く力が、だんだんと身について
いけば、それでいいのだから。                                              
 こんど集まった作文の中で、いちばん「中学生らしい」ものは、やはり「同志社グリークラブ」であった。作者の心もちがいかにもす
なおに書かれているではないか。それにその情景が、うまく書かれているではないか。すこしもりきんでもいないし、これでもか、これ
でもかと、攻めてくるような不自然さもない。あなたがたの生活も、ふだん、このように、たしかな眼でとらえていくようにしたい。そ
れには、メモをとることもいいし、そのとき、忘れないように書きつけておくこともいい。文を書くことは、生活を愛することに出発す
るから。