片腎会総会―出席の記録―
今年の総会は、台風22号が接近する中10月9日(土)「
当初、磐梯熱海の富士屋旅館で開く予定でしたが、一週間ほど前に会長さんからの速達で場所の変更が伝えら
れました。実は、出席予定者は10名ほどと見込んで申し込んだところ、申込者が18名になって富士屋旅館
からは引き受けられないとの連絡が直前になって知らされたそうで、会長さんは大分慌ててしまったようです。
幸いに息子さんの知り合いがいたとかキャンセルがあったとか幸運が重なって、立派なホテルで開催すること
ができました。
当日は、台風が接近していて本州直撃の情報も入っていましたが、私自身はJRの三連休パスを有効に使うた
めに、片腎会の後は郷里(盛岡)に行く予定にしていましたので朝は上野に行って東京藝術大学で開かれてい
る『興福寺国宝展』を鑑賞するなど、優雅な旅を計画していました。結果的にはすべてうまく運びました。
JRの三連休パス:JR東日本とIGRいわて銀河鉄道、青い森鉄道の自由席は乗り放題。
指定席も4回まで使える、というトクトク切符です。
私にとって総会は郡山駅のホームに降りた時から始まりました。というのは同じ列車に東京の五十嵐さんが
乗っていたらしく、そのホームでお見かけして岳温泉までまずはご一緒することになりました。
二本松の駅から岳温泉までのバスは40分くらい待たねばならないと覚悟していたのですが、五十嵐さんが
温泉組合の送迎バスを見つけて交渉してくださり、「予約が必要」なところ「台風のため来られない客もいるよ
うなので」うまく乗せてもらうことができました。岳温泉到着の停車場所の第一番目が宝龍荘。というわけで、
会場ホテルの玄関先まで送ってもらうことができました。後から二人のバス代の請求があったかどうかは存じ
ません。
部屋に案内されて挨拶もそこそこに、会長さんや佐藤さん水戸の桧山さんが口をそろえて「いやぁ、良く来
たねぇ」と仰いました。桧山さんは午前中に来たから大丈夫だったけれど、「水郡線は止まってますよ」という
のです。私も水郡線で来ると思っていたようです。東京では傘を差す必要はなかったし、東北新幹線に乗った
ら台風が来る方向とは反対なだけに天気もまずまずの頃でした。お迎えバスの途中から雨はひどくなりはじめ
ました。その後我が家に電話をかけたら、「常磐線の特急は止まってる」とのことで驚きでした。
一風呂浴びてから総会が始まりました。出席者は、会長・佐藤・桧山・佐久間・土信田・五十嵐・石橋夫妻・
村野井の9名でした。「大阪の公文さんから中止でないなら行きますという電話があったけれど、大丈夫かなぁ」
とは会長さんの言葉でした。宴会が始まる間際に「ご到着されました」と宿の方から知らされました。大阪・伊
丹空港から福島空港まできて、郡山までバス、郡山からタクシーと乗り継いでこられたとのことです。飛行機も
大分揺れたそうですが、遠路はるばるありがとうございます。
総会の議題は、「事業報告」「会員の動向」「会計・決算報告」など一応順調に進みましたが、「会員の動向」で
は長い間会長の片腕として会計を務められた下枝安夫さんが9月12日に亡くなられ、葬儀を済ませたばかりで、
会長さんはすっかり気弱になってしまいました。「協議事項」の「今後の運営について」も「下枝さんとは一歳違
い、今度は私の番だ」と後継者の心配をされていました。会の経理のことなど息子さんに分かるようにしてある
とか仰っていましたが、みな同様に高齢になっているから誰が先など考えずに、この一年間も会長さんに全ての
ことをお任せすることをお願いして議事を終了しました。来年の総会の場所も「東京にしてほしい」という要望も
あるけれど、この宝龍荘もなかなかのもの、会長さんの足元だし来年もここで良いですねぇ、ということで大体
まとまりました。
懇親会は夕方6時から始まりました。会食に先立ち皆さんで下枝さんを偲んで1分間の黙祷をささげました。
その後、先に述べたように大阪の公文さんが到着して10名そろって宿の心づくしの料理に舌鼓をうちました。
食べながら、飲みながら話したことなのか食事が終わって部屋に戻って話したことなのかわかりませんが、皆さ
んと打ち解けてお話できたのは幸せでした。ホテルからは8名ものキャンセルをしたにもかかわらずお酒を1本
(1升壜)差し入れていただきました。
私は昭和29年4月22日に腎臓結核により右腎を摘出したので今年でちょうど50年になりました。という
わけで「腎臓は一つでも最低50年は生きられる」ということを日々実証している、ということをホームページ
に書いているんです、と申しましたら、土信田さんが「そうなんです。そういうことを他の人が読んで励ましに
なると思って私も会報に書いているんです」と受けてくださいました。土信田さんは手術してから54年でした
か。私のときはストレプトマイシンは保険で20本しか利かなかったと言いましたら、佐久間さんは「私は保険
なんて利かなかったですよ。結婚したばかりで本当に困りました。実家に言ってお金を工面したものです。あの頃
は農家の嫁なんて惨めなものでした。」と身につまされるお話でした。佐久間さんも50年以上過ぎたのですね。
宴たけなわとなって(風雨が強くなっている頃でした)桧山さんがカラオケを提案されましたが、ホテルでは
どこかから運ばなければならないし、カラオケバーに繰り出すにしても、この雨・風では無理ということでその
楽しみは次回送りとなりました。会長さんは週に何回かカラオケに出かけているそうで、今度は案内しますという
ことです。
部屋に帰ってからも思い思いに話したり飲んだりしていました。私は、ノートパソコン持参で、ロビーで更新
していました。岳温泉は
助かりました。
温泉には何回はいったかなぁ。夜中にも強い風が吹き付ける露天風呂に浸かっていました。その台風は静岡付近
に上陸し、茨城県の南部をかすめて太平洋に抜けたそうで、朝方には曇っているもののすっかり治まっていました。
今回は、奈良総会をお世話いただいた並川さんがお母さんを連れてお出でになるということを聞いておりました
ので、お会いするのを楽しみにしていたのですが、台風のため断念された由、残念でした。新幹線も飛行機も動か
なくなる状況では、公文さんが来られたのがむしろ奇跡みたいなものでした。石橋さんは仙台からご主人の運転で
来られました。いつも仲睦まじいカップルです。佐久間さんは三春から息子さんの車ですか? 佐藤さんは長いこ
と断酒していたのが飲めるようになって良かったですね。
翌朝は朝食を済ませ記念撮影の後は一応、自由解散。公文さんと私は八時前のバスで二本松駅まで、そしてJR福
島駅までご一緒しました。私は、盛岡へ。公文さんは酒田のほうを周って夕方、仙台空港から伊丹へという旅程だっ
たようです。私などはまずは新幹線を考えるのに、「時間のことを考えたら新幹線など乗られへん。飛行機のほうが
ええですわ」ということでした。普段の看護師さんのお仕事に戻られていることでしょう。他の方は佐藤さんと石
橋さんの車で二本松の菊まつりをご覧になってお帰りになったはずです。
来年もまたお会いしたいです。私は現役最後の年、一年先など予定が立ちませんがほんとに出席できればいいです。