多賀工業会会報第49号〔定年退職者挨拶〕

 2006/07発行)

『思い起こせば・・・』

 

村野井 徹夫(学電40)

 

 私は1965年に電気工学科を卒業後、北大大学院に進学し、1967年に工学部電子工学科に赴任しました。その年は、私が工学部卒業の1年前にできた電子工学科の完成年度にあたっていて、研究室に配属された学生は第1期生ということになります。第1期生が卒業すると同時に工学研究科修士課程が設立されましたが、大学院に本格的に進学するようになったのは第2期生からです。

 学生のときの卒業研究はトンネルダイオードを使った発信機に関するものでした。通信法規の非常勤講師で来ていた9年先輩が、「私たちはこれがトランジスタだよと手に持たせてもらっただけだったけれど、最近はトランジスタどころかトンネルダイオードを扱っているのですか」と興味を示していたのを覚えています。赴任した当初は大学院のときのMOSダイオードの1/f雑音の研究を継続しようと準備していましたが、実際にはSiの表面移動度をホール効果とMOSトランジスタの相互コンダクタンスから求めるものと比較する研究にシフトしていきました。今思えば、クリーンルームで行なうべき実験を通常の環境で行なったのですから無謀だったのかもしれませんが、もう少しというところで中止せざるを得ませんでした。思えば、フォトマスクなども手づくりで、印刷製版用のカメラを借りてきて、振動を避けるために真夜中に人がいなくなってから撮影したことを・思い出します。

 先日、実験室の整理をしていたら、当時購入したSiウェハーが出てきました。何と1インチしかありません。最近の超LSIは直径12インチのウェハーを使うのに比べると、隔世の感が致します。思い起こせば、私が研究の道に入ったのはSiテクノロジーの黎明期の頃であったのです。

 話かわって、赴任した頃の多賀工業会の学内幹事は30人位いました。最初は当然二段組の幹事名簿の右下に名を連ねました。それがある年に左の欄に移ったと思ったら、あっという間に左の最上段のところに来てしまいました。今後、母校の発展を外から見守ることに致します。思い起こせば、長いようで短い、短いようで長い39年間でした。皆様、大変お世話になりました。