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村一番

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            『在京白堊会35年の歩み』
                随想     p.110所収
                          『私が推薦した白堊の活躍人』

                                                                村野井徹夫(S35卒)
                                                                             茨城大学工学部メディア通信工学科教授

  在京白堊会のHPに『活躍人たち』が設けられたとき、これは面白い企画だと思った。歴
史に名を残す先輩だけでなく、同窓の誰彼が活躍しているのは誇らしくもあり嬉しいものだ。
ましてや私が情報提供した人物が「採択」されると鑑識眼を認められた気分で嬉しさも増す。
一方、没になると「なぜだ」とどこかの社長交代劇のような気分に陥る。        
 私は、『活躍人たち』がまだ一人しかいないときに二人の後輩を推薦し、同時に採択の悦び
と「なぜだ」の悲哀(?)を味わった。                       
 俳優座の立花一男君(S36卆)は渋い演技派の名脇役である。彼の舞台姿を初めて観たの
は高校の予餞会のときである。後に俳優座養成所に入ったと聞いて「あゝやっぱり」と思った
ものだ。30年を経てプロとしての舞台を観たときは中学高校のころのほっそりした紅顔の美
少年ががっちりした中年男性に変貌していて驚いた。筑波大学教授の高橋三保子さん(S36
卆)は化学部の後輩。猿橋賞という非常に有名な賞を受賞している上、生物学会の理事なども
務める超活躍人である。この賞は50歳未満の女性科学者のうち年に一人しか貰えない。 
  後輩の活躍人はもう一人、高温超伝導の村上雅人君(S48/49卆)(芝浦工業大学教授・
前超電導工学研究所第三部長)は世界をまたにかけて活躍している。500編以上の論文のほ
かに超伝導や数学の啓蒙書を多数著しており、英会話の本まで書いている。       
  我が同期の活躍人は高橋温・住友信託銀行社長と菊池三郎・核燃料サイクル開発機構理<事・
もんじゅ建設所長、藤川智美・元全国市議会議長会会長。高橋君は当時の小渕首相に官邸に呼
ばれて「何しゃべってきた?」と同期会のときに冷やかされた。三郎君は動燃のナトリウム漏
れ事故など損な役回りを負わされているが活躍人には違いない。藤川君は盛岡市議会議長のと
き、次の全国市議会議長会会長は東北地区からというときに仙台市の議長が引退の時期にあっ
て名誉な役回りを引き寄せた。                           
 他にも年功だけではなれない活躍人を発掘しては、これぞという情報を提供しようと思って
いる。発掘手法はまた別の機会に。                         

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旧況・近況・現況・・・・・(会員ひとこと集)
               p.174所収
             村野井 徹夫

 私の親戚には白堊の野球の草分けが二人いる。一人は母方の祖父・村上傳助(M34卒)の名
が明治31年筆の野球部員名簿に載っている。野球部創設メンバーの一人なのだ。もう一人は、
久慈次郎先輩の後をついで野球部の捕手を務めた藤田(永野)重次郎(T8卒)は父方の祖母の
弟である。盛中初めての中等学校野球全国大会に出場している。祖母の葬儀の際に一度だけお会
いした。父も相馬中で野球をやったのは重次郎叔父の影響に違いない。こんな私には野球の血が
流れているはずだが、中学時代に大病を患い野球は応援だけであった。