岩手県立盛岡第一高等学校1960年卒在京同期会
在京白堊三五会・『源氏物語』解説(安達静子)

“ウェイリー源氏”と遊ぶ<<第7回>>
『木槿(mukuge)通信』(盛岡市・三月舎発行)第9号(2007/04/30)掲載


<<連載第七回>>

“ウェイリー源氏”と遊ぶ           安達静子


 七、「若紫」の巻再び―ふたつの「coldness」の前に立ち尽くす源氏



                    おんなぎみ
 第六回では、主に源氏の終生の伴侶となる女君

――紫の君をめぐつて、あれこれお話ししました。ウェイリーが、この、まだ少女でしかない紫の君の
相貌を捉えようとし、また、紫の君と源氏の君の登場するシーンに迫ろうと奮闘して、刀折れ…ぐらい
のところまで行ってしまった状況をお伝えしたわけです。

 また、同じく第六回中で、この巻では、葵の上とのことなども見過ごしにできないと予告しましたし、
藤壺との間に起こつた、世に知れたら大変なできごとについて、ちらとだけ触れました。このほかにも、
実は、未来に出会う女君のことも、源氏と側近の者との間で話題になるという形で語られていたりして、
「若紫」の巻は『源氏物語』全編の要となる巻であると位置づけられています。

 この回では、葵の上とのこと、藤壺とのことについて、ウェイリーがどう捉えていったかを見ていき
たいと思います。


  その一 源氏、葵の上に振り回される


 何度も言うようですが、源氏は十二歳の時、左大臣の姫君で四歳年上の葵の上と結婚するようお膳立
てされて、父帝の女御である藤壺への恋慕の情を胸に秘めたまま、葵の上のもとに通うことになります。
葵の上の父君(左大臣)にはとすても大切にされるのですが、当の葵の上は、母君が内親王でしたし、ゆく
   じゆだい
ゆくは入内してお后となるよう大事に育てられてきましたので、四歳も年下で、臣籍に降下されて皇族
から一貴族の身分扱いとなつた源氏との結婚を、不似合いだと思っていました。左大臣としては、源氏
の将来の栄達を見越して、この君をわが陣営に組み入れることが、右大臣の勢力と張り合っていく上で
強力な布陣となると読んでのことです。弘徽殿の女御から、葵の上を、次の帝となるわが最愛の皇子に
入内させるよう、内々働きかけられていたのを退けて、源氏を婿として迎えたのです。

 葵の上の意志などというものは、はじめから問題にされないとは言え、この源氏との政略結婚は葵の
上の心を閉ざし、また、源氏の君の方も、なんか気づまりなものを覚えさせられ、源氏は、たまにしか
訪れないという状況が続くことになります。そのたまの訪れに対して、葵の上はけっして歓迎ムードを
演出などしませんし、ここに来ると源氏も、全く心が解放されません。

 ある一夜の二人を見てみましょう。この巻の冒頭に語られた「わらはやみ」にかかつて北山に療治に
いくという一件の後、回復してまず帝に報告に行ったところで左大臣につかまり、その晩は、葵の上の
もとに行かざるをえない羽目になるのですが、そのときの葵の上の態度はどうだつたのかといいますと、
以下のよう具合なのです。

   女君、例の、はひ隠れて、とみにも出でたまはぬを、大臣、切に聞こえたまひて、からうし
  てわたりたまへり。ただ絵に描きたるものの姫君のやうに、しすゑられて、うちみじろきたま
  ふこともかたく、うるはしうてものしたまへば、思ふこともうちかすめ、山道の物語をも聞こえ
                いら
  む、いふかひありて、をかしう答へたまはばこそあはれならめ、世には心も解けず、うとくは
  づかしきものにおぼして、年のかさなるに添へて、御心のへだてまさるを、いと苦しく、思はず
  に、「時々は世の常なる御けしきを見ばや。堪へがたうわづらひはべりしをも、いかがとだに間
  はせたまはぬこそ、めづらしからぬことなれど、なほうらめしう」と聞こえたまふ。からうして、
                    しりめ
  「間はぬはつらきものにやあらむ」と、後目に見おこせたまへるまみ、いとはづかしげに、気
  高ううつくしげなる御容貌なり。「まれまれは、あさましの御ことや。問はぬなどいふ際は、異
  にこそはべるなれ。心憂くものたまひなすかな。世とともにはしたなき御もてなしを、もしおぼ
                                     うと
  しなほるをりもやと、とざまかうざまにこころみきこゆるほど、いとどおぼし疎むなめりかし。
            よる おまし
  よしや命だに」とて、夜の御座に入りたまひぬ。女君、ふとも入りたまはず、聞こえわづらひた
  まひて、うち嘆きて臥したまへるも、なま心づきなきにやあらむ、ねぶたげにもてなして、と
  かう世をおぼし乱るること多かり。

 次に、葵の上の登場に至るところからの英訳を引いてみましょう。

  Aoi, as usual, was nowhere to be seen. It was only after repeated entreaties by her father that
she at last consented to appear in her husband's presense. (中略)Beautiful she certaily was. (中略)
'・・・I hate to go on always like this. Why are you so cold and distant and proud? Year after year we
fail to reach an understanding and you cut yourself off from me more completely than before. (中略)
It seems rather strange, considering how ill I have been, that you should not attempt to enquire after
my health. Or rather, it is exactly what I should expect; but nevertheless I find it extremely
painful.' 'Yes,' said Aoi, 'it is extremely painful when people do not care what becomes of one.'
She glanced back over her shoulder as she spoke, her face full of scorn and pride, looking uncommonly
hand some as she did so.(中略)・・・he went into their bedroom. She did not follow him. He lay for a
while in a state of great annoyance and distress. But, probably because he did not really care about
her very much one way or other, he soon became drowsy and all sorts of quite different matters drifted
through his head.

「例の【いつもと同様】」、葵の上はすぐには姿を現しません。この「Aoi, as was nowhere to be seen.
【葵の上はいつも同様どこにも見当たらなかつた】」の「Aoi, as usual」が効いていますね。こういう
迎えられ方が常なのでは、源氏も形無しですね。

 姫君は絵の中の御姫様のように周囲の女房たちがお世話をして座らせてさしあげた通り、身動き一つ
せず、きちんとお行儀よく座っていて、口も聞きません。「葵の上と会ったら、北山でのことをこうも言
おうか、ああも言おうか」と思っていた源氏の心はしぼんでしまいます。そして、心中深いところで傷
ついている源氏、心中に、鬱屈するものがくすぶる源氏です。

 「世には心も解けず、うとくはづかしきものにおぼして、年のかさなるに添へて、御心のへだてまさ
るを、いと苦しく、思はずに【少しもうちとけず源氏をよそよそしく気詰まりなお相手だとお思いになっ
て、年と共に、ますます心の隔てが大きくなつていくばかりなのを、源氏は心苦しく、心外に思って・・・】」
いるのです。

 英訳はこうです。

「・・・I hate to go on always like this. Why are you so cold and distant and proud? Year after year we
fail to reach an understanding and you cut yourself off from me more completely than before. ・・・

【いつもこういうなりゆきになるのはいやです。なぜあなたはこうも冷たく、心に厚い隔て
の壁を作っていて、取りつく島もないような高慢な態度をとるのでしょう。年々私たちは、お互いを理
解するのが難しくなつていて、あなたは以前にもまして、すっかり私から離れていこうとしています】」

 原文では、間接的に源氏の心中の思いを語っているところを、そういう形では、アピール度が低いと
考えたのか、面と向かつて源氏が葵の上に不満を表明する形に英訳しています1けれども、やはり、「あ
なたは冷たい人、云々」などとは、源氏は口が裂けても言わないだろうと思われます。直接葵の上に向
かってことばを投げかけるとしても、ことばを選びに選んで、非難がましくならないように言うのが源
氏なのです。ここの英訳は、英語圏の男女のありようを彷彿とさせるような感じです。

 まあ、それでも、「堪えがたうわづらひはべりしをも いかがとだに問はぬこそ、めづらしからねど、
なほうらめしう【ひどく患っていたのさえ、どうだつたのかともたずねて下さらないのは、いつものこと
ながら、やはりうらめしいことです】」と愚痴っぽく言いはします。と、葵の上に、「問はぬはつらきもの
にやあらむ【たずねもしないと言って、わたしをお責めになりますが、尋ねないのはほんとうに辛いもの
でしょうか。もしそうだとしたら、貴方がたまにしか訪ねてくださらないのを、わたしが辛いと思って
いるのをおわかりだというのでしょうか】」と逆襲されてしまいます。

 これは、「とふ(たずねる)」という語には、「問ふ(尋ねる」と「訪ふ(訪ねるの二つあつて、源氏が「尋
ねてくれない」と言ったのを、葵の上は、「訪ねてくれない」の方にずらして、「常日頃、あなたがたまに
しか訪ねてこないのを、私がどんなに辛く思っているのかおわかりなのでしょうか」と切り返したわけ
です。源氏が期待していた温かいお見舞いのことばを言わないばかりでなく、何か言うかと思えば、源
氏の言葉じりをとらえて手厳しいことを「ぐさり」なのです。

 この二人の応酬のところを、前に掲げた英文から抜き出してみます。

 'It seems rather strange, considering how ill I have been, that you should not attempt to enquire
 after my health. Or rather, it is exactly what I should expect; but nevertheless I find it extremely
 painful.'【私の病状がいかに重かつたかを考えますと、私の健康状態について尋ねよう
 ともしないのは、あんまりです。それは予期していたこととは言え、それでもやはり辛いことです】」
 'Yes,' said Aoi, 'it is extremely painful when people do not care what becomes of one.'
【そうでしょうとも。・・・人々がある人について、どうなったか気にもかけないときは、ことさら心が痛むも
 のです】

「should not attempt to enquire」と「do not care」では、原文の二重の意味を持つことばを、一方の意
味で用いたと知りつつ、他方の意味にずらして返すという知的な応酬のニュアンスが捉えられていない
のが残念ですが、いたしかたがありません。が、ウェイリーは、源氏の言った「extremely painful」とい
うことばを、葵の上もそのまま鶉鵡返しに口にした形にして、源氏の言葉じりをとらえて葵の上がやり返
すという応酬の雰囲気は出しています。

 また、「めづらしからねど、なほうらめしう【いつものことながら、やはりうらめしいことです】」のと
ころは、「Or rather, it is exactly what I should expect; but nevertheless I find it extremely
painful.'【それは予期していたとおりとは言え、それでもやはり辛いことです】」と、よく文意をとらえて
英訳しています。

 ところで、源氏をたじたじとさせたのは、ことばだけではありませんでした。言ったときの彼女のし
ぐさにもマイッテしまったようです。なにせ、こんなふうだつたのですから。

 「後目に見おこせたまへるまみ、いとはづかしげに、気高う、うつくしげなる御容貌なり。【ながし目
にこちらをご覧になるそのまなざしは、まともにその視線を受けとめるには舷しすぎるものがあつて、
気高く、美しいと思われるご器量である】」

 ここも抜き出してみますと、
  「She glanced back over her shoulder as she spoke, her face full of scorn and pride,
looking uncommonly hand some as she did so.【彼女はそう言ったとき、肩越しに振り返って彼をちらり
と見た。軽蔑と高慢さを目いっぱい湛えたその表情は、とても美しく見えた】」

「いとはづかしげ(こちらが気恥ずかしくなるほど相手がとても立派」が、「軽蔑と高慢さ」と英訳さ
れ、「軽蔑」まで加わつたのは、ウェイリーの読みの深さでしょうか。

           ○

 この後も源氏の繰り言は続くのですが、しよせん独り相撲。ついに心を適わせるすべを見出し得なか
つた源氏は、夜の御座【寝室】に入るのですが、「女君、ふとも入りたまはず、聞こえわづらひたまひて、
うち嘆きて臥したまへるも、なま心づきなきにやあらむ、ねぶたげにもてなして、とかう世をおぼし乱る
ること多かり【女君はすぐにも入っていらっしやらないので、誘いあぐねられて、横になつていらした
が、なんとなくおもしろくないのであろうか、眠そうなふりをして、いろいろと女性のことについて思
い悩んでいらつしやる源氏なのであつた】」で、幕切れ。

「・・・he went into their bedroom. She did not follow him. He lay for awhile in a state of
great annoyance and distress. But, probably because he did not really care about her very
much one way or other, he soon became drowsy and all sorts of quite different matters drifted
through his head.【彼は寝室に入った。彼女は彼に続いて入つてはこなかった。彼はしばらくの間は
ひどく弱り切り、悲嘆にくれていたが、しかし、彼は彼女のことを来ようと来るまいとそれほど気に
病みはしなかつたかして、やがて眠たげにうとうとしてきて、その彼の頭を占めていたのは、まったく
違ったいろいろのこと(女性たちのこと?)であった】」

 というのがこの英訳ですが、「Probably because he did not really care about her very much
one way or other【たぶん彼女のことを来ようと来るまいとそれほど気に病みはしなかったかして】」は、
ウェイリー自身、源氏が、どんなにうとうとし(されても、訪ねてきたからには、一夜の語らいを・・・
と礼を尽くそうとしているのに、葵の上があまりに応じようとしないことに、業を煮やしての意訳かもしれ
ません。

 公然と通っていける葵の上、周囲がみな、仲むつまじくあれと願う葵の上との間柄が、源氏にとつて
惨憺たるものであつたことは、はなはだ皮肉です。


[藤壺by安達]


 その二 源氏、藤壺に迫る


 「わらはやみ」の療治を受けに北山に出向いたとき、僧都が「後の世のことなど聞こえ知らせたまふ
【(現世での行いの報いを受ける)後世のことなどお説き申しあげなさる】」のを聞いて、「わが罪の
ほど恐ろしう」と、藤壺への恋慕に対する罪の意識を痛感させられたにもかかわらず、源氏は、絶えず、
慕ってはいけないという思いと、それでも思い断ち難・・・というはざまで苦悶していました。そして、
藤壺への思いを一時的にでも忘れさせてくれるかもしれない、紛らわしてくれるかもしれないと、その
身代わりとして、あの北山で出会った紫の君をなんとか手元に置きたいと、しきりに尼君や僧都に意中
を告げていたりもしました。

 正室と見なされている葵の上との間柄は今見てきたとおりなのですから、葵の上に対しては罪の意識
を感じるなどということはなきに等しかったようで、藤壺への思いはいや増すばかり、紫の君をわが手
中にしたいという思いも依然として抱き続けているのです。

 源氏は、紫の君の庇護者の尼君に、しきりに手紙を書き送っては、意のあるところを伝えるのですが、
そうしている間も、藤壺が病気で里下がりしたと知るや、このまれなるチャンスを逃したくない一心で、
父帝が藤壺の体調の心配をしているのをおいたわしいと思いながらも、藤壺にどうかして会えはしまい
                 おうみょうぶ
かと、無理を承知で藤壺づきの女房の王命婦に手引きをせがみます。その顛末は、以下のとおりです。

 (どこにもでかけず、内裏でも自邸でも昼は何も手に付かずぼうっとすごして)募るれば王命婦を
 責めありきたまふ。

「いかがたばかりけむ、いとわりなくて見たてまつるほどさへ、うつつとは覚えぬぞぐわびしきや」―
なんという寡黙な語りようなのでしょう。これが恋い焦がれた人との千載一遇のチャンスを手中にして、
やっと一夜を共にし得た源氏を語るすべてです。「命婦がどう手だてをつくしたものか、無理な首尾の
末に、やっとお逢いしたが、逢っている間でさえ、会っていること自体、とても現実のこととは思えな
いのは実に辛いことであつた」というのです。

 これだけの語りで、二人の一夜のあらましをほぼ推し量れるとすれば、そうとう想像力の豊かな人と
いうことになりましょう。どうでしょうか。別に微に入り細をうがって再現ドラマを構築することもあ
りませんが、これでは、何がなんだか、あまりにもとらえにくいという方もいるかと思われますので、
ここは、円地文子・訳を参照することにしましょう。

                        かす              みちょうだい
 命婦は、どんなふうにして、多くのかしづきの眼を掠めたばかつて、宮のおわします御帳台(寝室
 ―筆者注)の内まで君をお手引き申し上げたものか。常日頃耐えに耐え、忍びに忍びつづけてきた
              なだ      うつ   うたかた
 恋しさ慕わしさが一ときに雪崩れ落ちて、現し身も泡沫のようなはかなさに消え失せるかと思えば、
 また、翼をひらいて上もなく空を舞いのぼるような喜びに、我が身が我が身とさえ思われず、月日
 を隔てて近くに眺める宮の御顔、手にふれる御肌えさえ現のものとも思えぬやるせなさに、源氏の
          
 君の心は、あやしく昏れ惑うのであつた。

 円地氏は、ずいぶん言葉を加えていますね。ここまで補足してもらえれば、源氏の胸のうちが見えて
きそうですね。とは言っても、これでも原文の雰囲気を壊さないよう配慮した抑えた筆遣いではありま
すが。


 さて、ウェイリーはどう英訳したのでしょう。

  When at last the day was over, he succeeded in persuading her maid Omyoubu to take a
 message. The girl, though she regarded any communication between them as most imprudent,
 seeing a strange look in his face like that of one who walks in a dream, took pity on him
 and went.【ついに、日が暮れて、彼(源氏)は彼女(藤壺)のメイド(侍女)の命婦を説き伏せて
 手紙を届けさせることに成功した。その女性(命婦)は彼らの間のいかなる意思疎通(文通)もこの
 上なく不謹慎だと見たが、彼の表情に夢の中をさまよってでもいるかのような異様なものを見て、彼
 に同情し、出て行った】

 ウェイリーは、このシーンを右のように英訳しました。原文がああなのですから、この場面を把握す
るのにかなり頭をひねったことでしょう。

 「命婦に手紙を届けさせるのに成功した」ところで、筆を止め、後はご想像にまかせるというのであ
るならば、紫式部以上の省筆と言わなければなりますまい。「took pity on him and went」の「went」
は、「手紙を藤蛮に届けるために出て行った」という音味のように思われますが、そこまで言ったら、
「その後源氏は首尾よく藤壺と一夜を共にした、そして、・・・」とまで語らなくても容易に想像でき
るとしたのでしょうか。

 また、原文には見られない命婦の見解――「二人の意志の疎通は不謹慎」というのを文面に出したの
は、命婦は源氏にいたくせがまれて、しかたなく橋渡しの役は務めたけれども、内心では、眉をひそめ
ていたに違いないのだから、そこをはっきりさせておいた方がいいと考えてのことでしょうか。それと
も、父帝の最愛のお后への源氏の道ならぬ恋のお話なので、道徳的に抵抗を感じる読者の存在を想定し
て、その抵抗感を和らげようとしたのでしょうか。

 ここで、末松の英訳が知りたくなって、この部分の英訳を探してみました。

 ・・・O Miobu, into arranging an oppotunity for him to see her. On Wistaria's part there
 were strong doubts as to the propriety if complying with his request, but at last earnestness
 of the Prince overcame her scruples, and O Miobu managed eventually to bring about a meeting
 between them.
 .【命婦は彼のために彼女と会う機会をアレンジした。藤壺の方では、彼の望みを入れるかどうか、
 その妥当性に関して強い疑念を持っていたが、ついに源氏の熱意が彼女のためらいを制した。それ
 で王命婦は、結局は、彼らが逢えるようにとりはからつたのであつた】

 ウェイリーよりは、状況はわかりやすいですね。とにかくにも、「源氏と藤壺は逢った」と言っている
のですから。「藤壺が迷った末に源氏の熱意に屈した」とあるのは、原文にはないところですが、そうい
うことだつた想定することはできますので、原文の趣をそこねてはいないように思われます。

 より新しいところでサイデンステッカーの訳はどうなつているのかも、やっぱりついでに見ておきた
くなりました。

 ・・・and in the evening he would press Omyoubu to be his intermediary. How she did it I
 do not know; but she contrived a meeting, so unwelcome, no longer seemed real, and the mere
 thought that they had been successful was for Fujitsubo a torment.【夕暮れ時には、彼は王命
 婦に仲立ちをしてくれるようせがんだ。彼女がどのようにしたのかはわからない。が、彼女はうまく
 逢顧を作った。彼が迫った当初は、とても歓迎されるはずのものでもなく(逢っているこ自体)もは
 や現実とも思われないし、彼らが逢瀬をもてたということは、藤壺にとっては悩み以外の何物でもな
 いと言わなければならないのは、悲しいことだつた】

 前半は原文に即応していて、重訳は容易だつたのですが、後半の「It is sad」以下のところは、「his
earlier attentions」に、どういう意味合いをもたせているのかよくわからなくて、アヤシゲな重訳にな
ってしまいました。原文では、「無理な首尾の末やっとお逢いしたがその間もとても現実と思われない」
という源氏の思いだけを語っているところを「 この後に語られる藤壺の思いの方まで踏み込んでしまっ
ているようにも思われます。「It is sad」の「it」の指し示しているもの、つまり、「sad」なのは、も
ちろん、藤壺の思いでもあるでしょうが、ここまでのところでは、源氏の心中だけについて言っているの
ですが。

          ○

 この後語られるのは、この時の藤壺の心情とか、対応のしかたで、その中で、実は一夜を共にしたの
は、初めてのことではなかつたのだと語られ、藤壺の、再び源氏を近づけてしまった悔いなどが綿々と
語られていきます。しかし、この夜の藤亜の振る舞いは、非の打ちどころがないほど素晴らしかったの
で、源氏はいっそう心惹かれてしまい、恋慕の情は募る一方で、この、もう二度とないかもしれない一
夜が永遠に明けないでほしいと願いますが、もちろんその願いに反して、無情にも夜は明けていくわけ
です。それはどうしようもないことで、結果としては、なまじ逢わぬがましのような、本当に逢ってい
たのかどうかもさだかでない、はかない逢瀬であったということになります。

  宮も、あさましかりしをおぼしいづるだに、世とともの御もの思ひなるを、さてだにやみなむと
 深うおぼしたるに、いと心憂くて、いみじき御けしきなるものから、なつかしうらうたげに、さり
 とてうちとけず、心深うはづかしげなる御もてなしなどの、なほ人に似させたまはぬを、などか、
 なのめなることだにうちまじりたまはざりけむと、つらうさへぞおぽさるる。何ごとをかは聞こえ
 尽くしたまはむ。くらぶの山に宿りも取らまほしげなれど、あやにくなる短夜にて、あさましうな
 かなかなり。
   見てもまた逢ふ夜まれなる夢のうちに
   やがてまぎるるわが身ともがな
 と、むせかへりたまふさまも、さすがにいみじければ、
   世語りに人や伝へむたぐひなく
   憂き身をきめぬ夢になしても

               ことわり
  おぼし乱れたるさまも、いと道理にかたじけなし。命婦の君ぞ、御直衣などは、かき集め持て来
たる。【宮も、思いもかけなかつたいつぞやの事をお思い出しになるだけでも、絶えざる煩悩の種な
ので、せめてあれきりのことにしようと、堅くお思いだったのに、(今またこんなことになつたので)
とても悲しくてたまらないご様子である。それでも、親しさがあり、愛らしくいらして、そうかとい
ってうちとけるでもなく、分別もおありになり、気もおける態度でいらっしゃるのは、やはり似るも
のもないご様子ゆえ、源氏は、どうして欠点一つおありにならないのだろうかと、恨めしくさえお思
いである。胸の中に積る思いの一つをもどうして申し上げきれよう。くらぷの山に宿りもしたいよう
なのだけれど( 「暗い」という言葉を含むからには、いつまでも夜が明けることがないだろうから、
その山に宿りをしたい―筆者注)、あいにくの短夜で、あまりにはかない一夜ゆえ、かえって逢わぬ
がましなほどである。

 お目にかかっても、重ねてお逢いすることはむずかしい夢のような逢瀬なので、今夜夢の中に
 このままわたしは消えていきたい思いです。後々まで語り草として言い伝えはしないでしょう
 か、誰よりも辛い思いのわたしのことを―。たとえ永久に醒めぬ夢のことにしたといたしまし
 ても

 宮の御煩悩の様子も、まことに御道理で畏れ多い。王命婦が源氏の御直衣などを集めてもってき
 た】

 このあたりの英訳は、ほぼ原文に即していますので、割愛しますが、ちょつと違っているところ
だけ、紹介しておきましょう。

 (源氏が過度に藤壺を称賛している態であるのに気づくと)She began to treat him with great
  coldness and disdain.

 源氏に対して、「うちとけるでもなく、分別もあり、気がおける」というところを「非常に冷淡で、
軽蔑している態度をとり出した」と、ここでも、「冷淡」とか「軽蔑」などと、源氏にとつては、酷
な英訳になっています。

 また、「くらぶの山」の比喩は訳に出していませんし、「何ごとをかは聞こえ尽くしたまはむ【胸の中に
積る思いの一つをもどうして申し上げきれよろう』」と、源氏の胸中を察しているところを、「I need
not tell all that happened.」と、語り手が顔を出して、「このはかない逢瀬のすべてを語る必要はない」
と言っているとしたところもあります1後者については、この物語では、草子地といって、語り手が顔を出し
て自らの意見や感想を述べるところが折々あるのですが、ウェイリーは、それだと思ったようです。

 それから、別れの迫る中で歌を詠み交す場面では、源氏のほうには、「He whispered in ear the poem
【源氏は藤壺の耳元にささやいた】と、原文にはない説明を加え、藤壺の返歌をするところには、「But
she still conscience-stricken【しかし、彼女はなおも良心の呵責にさいなまれていた】」と加えた
りしているところもありす。藤壺の思いは、「源氏が慟哭しているのを見かねて、気を静めさせようと
した」というのが、原文の趣旨なのですが。

 「耳元でささやく」の方は、線綿たる情緒を醸し出して、なかなかですが、藤壺の思いを語る方は、
どこまでもモラリスティックな匂いを漂わせています。

 そうそう、歌を詠みかわして別れを惜しんでいるこの甘美にして、切ないシーンの締めは、ぐずぐず
となかなか帰りそうにない源氏の脱ぎ散らした直衣を、あたふたとかき集めて持ってくる命婦の姿です。
紫式部ってまあ…・。

           ○

 源氏にとって、そんなにもはかないものであった逢瀬なのに、それが、藤壺懐妊という、のっぴきな
らない事態をもたらします。里下がりしていたときのことですので、帝の子ではないわけで、御湯殿に
奉仕する側近の女房はいち早く気づいて、いぶかしみます。命婦は、運命の皮肉にうろたえます。源氏
も不思議な夢を見てそれと気づき、なんとか真相を探ろうと、もう一度命婦を責めますが、さすがに今
度は拒まれます。

 「物の怪のせいで気づくのが遅れた」とかいうことにして、藤壺は宮中に戻りますが、それからとい
うもの、宮も源氏も命婦も、、生きた心地のしない日々を送ることになります。そんな中、懊悩を紛ら
すかのように、かの紫の君への執着を深めていく源氏です。そのことは、第六回でお話しした通りです。


[御帳台by安達]



岩手県立盛岡第一高等学校1960年卒在京同期会
在京白堊三五会・『源氏物語』解説(安達静子)
“ウェイリー源氏”と遊ぶ<<第9回>>
『木槿(mukuge)通信』(盛岡市・三月舎発行)第12号(2007/12/11)掲載


<<連載第九回>>

“ウェイリー源氏”と遊ぶ           安達静子


 二帖「帚木」の語りはじめのこと



  その一 「帚木」の巻に戻るにあたって


 これまで、一帖の‥「桐壺」 の巻からいきなり五帖の「若紫」の巻へ飛んで、第八回まで筆を進めてき
ました。このへんで二帖の「帚木」の巻に戻ることにしたいと思います。「桐壺」から「若紫」に飛んだこ
とについては、二・三・四帖は後から書かれて挿入されたのではないかという説があるので、それをふまえ
てのことと、第六回でお話ししました。
 ほんのすこしだけ立ち入りますと、武田宗俊という方の著書の中で、物語の系統が整理され、執筆の順に
ついてまとめられているのに触れて以来、その見方で読んでいくと、実によく全体の流れがつかめると思っ
ていたものですから、それをふまえた読み進め方を試みたということです。
 後で書き加えたりしたのは、藤壺やその姪の紫の君を主軸にした物語だけではあきたりなくなった作者が、
ちょっと趣を異にする新たな物語を構想して加え、より複雑で深みのある物語にしたくなったためではない
かと考えられています。既に見てきましたように、「若紫」の巻では源氏は十八歳でした。「桐壺」の巻で
は十二歳でしたから、その間に六年ほどの空白があり、その空白を埋める形をとれば、それはできることで
あるわけです。
 つまり、「光る君」と呼ばれたりする美貌と才知に恵まれた源氏の君は、高貴な身分の人でもありました
から、何人もの通い所をもとうと思えばたやすくできることであり、藤壺の女御という手の届かない人を密
かに慕っているだけではなく、また、気づまりな葵の上ひとりを守るだけではなく、ふとしたきっかけで見
いだした女性に近づいてみた、というようなことがあつても不思議ではなく、今まで語ることをしないまま
になっていた、そういったことどもについて、改めてご披露に及ぼうという趣向にして「桐壺」の巻の後に
挿入し、十七歳までの空白を埋めでみるということを試みたと考えたらいいのではないかということです。
 しかも、その六年ほどの間にあったことをすペて語るのではなく、「帚木」の巻では十七歳の源氏を登場
させて、「若紫」の巻に至るまでの一年の間にあったことに限って見てみても、いくつもの驚嘆すべきドラ
マはあったのだ、という語りようにしたわけですね。
 もっとも、これも既に見てきましたように、「若紫」の巻の、ほんの少女にすぎない紫の君への異様なほ
どの執着や、この君を我が意に叶う女性に育てようとする教育熱などは、たまたま見出した藤壺によく似た
少女が、その姪だとわかったからなのであって、「桐壺」の巻の終りのあたりで藤壺をひそかに思慕する姿
を見せていた源氏が、「若紫」の巻ではヒロインの少女へ執着するというなりゆきになるのは、全く違和感
のないことで、二・三・四帖の女性に関する「秘め事」の話が、「若紫」の巻には格別影を落としているよ
うには思われませんので、三帖分の話は「後で構想され、しかるべきところに挿入」されたという説には、
うなずかれるということでもあります。
 女性遍歴を経て女性を見る目が確かなものになつていて、紫の君と出会った時はその資質を一目で見抜い
て、一途に将来の伴侶の一人としたいと思うに至る・・という筋書きとして読むことができるとすれば、そ
れはそれでおもしろいのですが。
 また、以下のことは、私にとってなんとなくそう思えるにすぎないとしか言いようがないことなのですが、
しばらくおつきあいを。
 以前からわたしは、『源氏物語』は語りの調子で書かれたものなので、この物語を音読してみたくて、あ
ちこち飛び飛びに朗読してみたりしていたのですが、「桐壺」の冒頑の一節を読むのと、「帚木」の冒頭の
一節を読むのとでは、かなり調子の違う読み方になるのではないかと思っていました。おおざっぱに言えば、
「桐壺」の方はもの静かに重々しく、「帚木」の方はおしゃべり調のように読むのがふさわしいと思われた
ということです。
 その違いについて、はっきりと伝えられるかどうか危ういのですが、一帖の「いづれの御時にか、女御、
更衣あまたさぶらひたまひけるなかに、いとやむごとなき際にはあらぬが、・・」というあたりは、声の調
子を落としてしずしずと、思い出し思い出し語るように読むのがいいし、二帖の「光源氏、名のみことこと
しう、言ひ消たれたまふ咎多かなるに、いとど、かかるすきごとどもを・・」は、ちょつと内緒話めかして、
心せくのを抑え抑え、秘密をあばくという快感とそんなことをしようとすることに気がとがめないでもない
というはざまで、たゆたいながら読む―なんて感じになるのではないか、ということです。
 一帖の発端は、心痛むことのみ多いヒロイン(桐壺の更衣)が、やがては病んでみまかるというお話なの
ですし、二帖の冒頭は、その薄幸な女性の遺児たる光る君と呼ばれたりもする源氏の君が、傍目にもまぶし
いような青年貴公子として登場し、聞く側にとってはこの上なく‘おいしそうな’女性遍歴をしていくあり
さまを、少しは遠慮するそぶりを見せながらも、ついつい語ってしまうという態の、三帖分のお話の前口上
なのですから、この二つは、話の大筋から言っても、同じ調子で語られはしないでしょう。
 とは言っても、金田一春彦氏が当時の音声を復元する試みをしたもののうち、しっとりと読まれている
「桐壺」の巻の方は聞いたことがありますが、「帚木」の巻の方は聞いておりませんし、中井和子氏による
京ことばによる源氏読みというものでは、どう朗読されているかもまだ聞いていないのでわかりませんし、
もちろん、当時どう読まれたかは「闇の中」なわけですから、果たして読み分けられたものなのかどうかは
確かめられないままです。

 参考までに五帖の冒頭まで見てみますと、「(源氏の君が)わらは病みにわづらひたまひてよろづにまじ
なひ、加持など参らせたまへど、しるしなくてあまたたびおこり給ひければ…」と、一帖と似たような病気
のことから語り起こされていて、一帖と五帖は同じような物静かなトーンで語られていると見ることができ
ます。このことからも、一帖から五帖へとまず筆が進められたと見ることは、ごく自然なようにわたしには
思えます。
 執筆順のこととはちょつとずれますが、「桐壺」の次に、藤壺との密会のことなどが語られた巻があった
のではないかという見方をする人もあって、『源氏物語』は、ミステリアスな話題に事欠かない物語でもあ
ります。父君の女御の藤壺への思慕を胸に秘めたまま、意に染まない葵の上との結婚生活から逃れようもな
いという日々は続いていたのですから、「若紫」の巻にあったような、「藤壺になんとか近づくチャンスを
作って…」というようなことがなくはなかったと想像することは容易なのですし、他にも、現行の二帖や三
帖に、重要な役割を担った人物がいきなり登場してきたり、噂に上るという形で存在を明らかにしたりする
ということがあったりしますので、そうしたことについて何か語られた巻があったのではないかと考えられ
てきたのです。本居宣長が「手枕」という巻を創作したりしていますが、ここではこれ以上深入りしません。
         ○
 ごくオーソドックスに一帖から二帖、二帖から三帖へと巻を追って読み進めるということをしてきません
でしたので、そんな読み進め方をしてきた経緯などについて、ついつい、長々とお話ししてしまいました。
 やっとウェイリー氏に登場してもらえるところまで来ました。ウェイリーが執筆された順序をどうとらえ
て英訳したかについての手がかりとなることが、「若紫」の中に見出されますので、そこを見ていくことに
しましょう。
 「若紫」の巻の中に、「帚木」の巻のことに触れていると見なされる書きようをしている、次のような一
節があります。
 源氏の君が「わらは病み」 の療治に北山に赴いて加持を受け、小康状態になったとき、丘の上から女の
姿が大勢見えたことに心惹かれ、その女達の住まう僧都の邸へと、夕暮れ時に車に紛れて探索に出かけたと
いうことには第六回でふれましたが、その帰り道で、源氏がひそかに思ったことが語られているところがあ
って、そこの英訳で、あえて二帖のいわゆる「雨夜の品定め」と呼ばれる話(次回はそこへ話を進めます)
を引き合いに出しているのです。

  What an enchanting creature he had discovered! How right too his friend had been on that
 rainy night when they told him that on strange excurtions such as this beauty might well be
 found lurking in unexpected quarters! How delightful to have strolled out by chane and at
 once made so astonishing a find!

 [なんて心を惹きつけられるひとを見つけてしまったことか。彼の友人達もまた、一風変わった
 外歩きをするときなんかに、このような美女が思いも寄らない所にひっそりと隠れ住んでいるの
 を発見することがよくあると、あの雨の夜に彼に話していたのは、なんて的を射たことだったか。
 偶然ぶらぶらするチャンスを持つことができて、そしてすぐに、こんな驚くべき発見をするとは、
 なんとうれしいことではないか.]

 五帖が書かれた後で二帖が書かれたという考えに立って英訳したとすると、五帖でこういう触れ方をする
はずはなく、当然「on that rainy night」というようなことが英訳に現れはしないと考えられます。ウェイ
リーがわざわざ、あの雨の夜に聞かされた友人達の経験談を思い出すことで、源氏が、たった今経験したば
かりのことの妙味を思う、とするような補足をしたのは、現今の巻の通りに書かれたということを前提にし
ているからと考えられます。
 原文はどうだったかと言いますと、「あはれなる人を見つるかな、かかれば、このすきものどもは、かか
るありきをのみして、よくさるまじき人をも見つくるなりけり、たまさかに立ち出づるだに、かく思ひのほ
かなることを見るよ、[なんてかわいい子を見たことか。こんなこともあるので、あの好き者達はしょっち
ゅうこんな忍び歩きをして、こうした思いがけない佳人を見つけていたんだ。たまにちょっと出かけても、
こんな思いもかけないわくわくするようなことを経験するのだもの]」で、あくまでも彼等にとっては日常
茶飯らしい浮かれ歩きのことと源氏が考えているにすぎず「雨の夜の話に限る必要はないところです。
 ウェイリーは折々、話の流れを整理するような解説を織り込んだりしていることでもありますので、ここ
では、一帖から順に読むというオーソドックスな読みをしていくとして、こう補足した方が、この場面を把
握する上で、読者の理解を助けると考えたのでしょうが。

  その二 「帚木」に姿を現した源氏の君は――


   冒頭の一節のほんの一部を既に引いていますが、ここで一節をまるごと引いてみましょう。

 光源氏、名のみことことしう、言ひ消たれたまふ咎多かなるに、いとど、かかるすきごとどもを、
 未の世に聞き伝へて、軽(かろ)びたる名をや流さむと、忍びたまひけるかくろへごとさへ、語
 り伝へけむ人のもの言ひさがなさよ。さるは、いといたく世を憚り、まめだちたまひけるほど、
 なよびかにをかしきことはなくて、交野(かたの)の少将には笑はれたまひけむかし。
  まだ中将などにものしたまひし時は、内裏(うち)にのみさぶらひようしたまひて、大殿(お
 おいとの)にはたえだえまかでたまふ。しのぶの乱れや、と、疑ひきこゆることもありしかど、
 さしもあだめき目馴れたる、うちつけのすきずきしさなどは、このましからぬ御本性にて、まれ
 には、あながちに引き違へ心尽くしなることを、御心におぼしとどむる癖なむ、あやにくにて、
 さるまじき御ふるまひもうちまじりける。
 [「光源氏」なんて、眩いようなニックネームを奉られて評判だけは仰々しいけれど、何かと非
 難を受けられるような欠点が多かったようなのに、それに輪をかけるように、こうした好きごと
 のたぐいを、その名にそぐわないような風評が後世に伝えられることなどないようにと、君自身
 はごく内密にしていたことに至るまで探り出して、語り伝えたとかいう人がいたとは、ほんにま
 あ口さがないこと…]

 今そう語っている当人の自嘲まじりの口吻で、まずこんな風に語り出されます。そして続けて言うことは、
  [とはいうものの、実は、人目をはばかって真面目そうに行動を慎んでいらしたので、艶聞と
 いうほどのおもしろい話があるわけでもなくて、かの物語の主人公の、『色好み』の道の旗手と
 して名高い交野の少将には、笑われる程度のもの。それなのに、まだ中将でいらした時は、宮中
 勤めばかりよくなさって、葵の上がおいでの大殿にはご無沙汰がち。それで、通りすがりに見い
 だした女性に心ときめかしたとかいう昔の貴公子のように、「はや、人知れず、どなたかに心奪
 われているというような『忍ぶの乱れ』でも…」などと疑い申す者達もいたけれど、そんなふう
 な浮気っぽい、世間にざらにあるような出来心の色恋などはお好きでないご気質で、とは言って
 も、まれには、そんなご気質とは裏腹に、強引な、と見られるほどに無理を通そうとする気苦労
 の多い恋を思い詰められるという、一風変わったところがあいにくおありで、ご気質に似合わし
 からぬご所行もないではなかったのですよ。]

 この一節から、「桐壺」の巻の頃には、まだ見ることのなかった源氏の君の一面が浮かび上がってきます。
さらに、先取りした「若紫」で、「なべてならず、もてひがみたることを好みたまふ御心なれば[並々ではな
く風変わりなことを好まれるご気質なので]」という供回りの者達の評を既に見ていますので、それも併せて
見るのも一興です。十七歳の源氏の君という人の性格は、そのまま十八歳の源氏のものでもあると見ることが
できます。
 それにしても、この冒頭の一節の語りようは、なかなか込み入っています。「光る源氏」と、輝かしい源氏
像をまず掲げたかと思うと、一転して、その名にふさわしくない面も多々あるようで、完璧とはほど遠い源氏
の君であると言いくたし、そんな源氏は、後世に芳しくない名を残さないよう行いを慎んではいたのだけれど
も、殿方の常として秘め事の一つや二つはあるもの、口さがないというそしりを受けるのは覚悟の上でそんな
話する…と言うかと思うと、いや、実は、恋のロマンとしてはたいした話はないと過剰に期待されないよう牽
制、けれども、源氏の君というお方は、「まれには、誰でもできそうなお手軽な恋なんかではなく、気苦労が
多いとわかっているような恋にのめりこみたがる、一風変わったお方だ」と言って、何かやはり、ありきたり
の恋の物語ではない話になりそうと匂わせる。融通無碍というか、もったいぶった言いようというか、十分に
気を持たせてから、おもむろに本題に入っていこうとしています。ですから、たいして取り上げるほどの話も
ないというのは、一種の韜晦で、「あけてびっくり玉手箱。請うご期待」というのが語り手の本音でしょう。
実に見事な磨い誘(いざな)いぶりです。聞き手の方も、そのへんの語り手の心情を見抜いた上で期待を抱き
つつ、辛抱強く語り出されるのを待つであろうというところまで、計算に入れているかのようです。

 この一節の英訳を、次に掲げておきます。

 Gengi the Shining One... He lnew that the bearer of such a name could not escape much secunity and
jealoous censure and that this lightest dallying would be proclaimed to posterity. Fearing then lest
he should appear to after ages as a mere good-for-nothing and trifler, and knowing that (so accursed
is the blabbing of gossips' tongues) his most seret acts might come to light, he was obliged always
to act with great prudence of respectability. Thus nothing really romantic ever happened to him and
Katano no Shosho would have scoffed at his story.
 While he was still a Captain of the Guard and was spending most of his time at the Palace, his
infrequnet visits to the Great Hall were taken as a sign that some secret passion had made its imprint
on his heart. But in reality the fribolous, commonplace, straight-ahead amours of his companious did
not in the least him, and it was a curious trait in his character that when on rare occasions, despite
all risistance, love did gain a hold upon him, it was always in the most improbable and hopeless
entanglement that he became imvolved.

  [輝かしい源氏――。このような名前をつけられた人は、何かにつけて詮索されることや、
 嫉妬深い非難からのがれられないこと、また、取るにたらない程度の戯れごとが、後世の人々
 に伝わっていくことから免れられないであろうということを、彼はわきまえていた.それから、
 後代になつて、まるでとりどころのない軽薄な人であったと思われてはいけないとはばかって
 (ゴシップ好きな人々の噂話には崇られるので)、もっとも秘すべき行いでさえ明るみに出さ
 れることを思って、この君はいつも用心深くふるまい、少なくとも外面だけでも敬意を表され
 る存在であり続けることを余儀なくされていた。それで、ほんとうにロマンチックなことなど
 起こりようもなく、交野の少将はこの君の話を冷笑するであろう。源氏がまだキャプテン(「中
 将」の訳語)でいらした時は、ほとんどの時間を宮中ですごしていて、グレイト・ホール(「大
 殿」の訳語)へのまれまれの訪れは、何かしら、秘密の熱情が心をとらえているサインではない
 かと憶測された。しかし、実際のところ、源氏の同僚とは違って、浮気っぽいありふれた行き当
 たりばたりの情事などには、関心がなかったし、どう抗しようとしても恋情が君をとらえてしま
 うような時、彼が巻き込まれるのは、許されることのない、望みのない、もつれにもつれるよう
 な恋といったようなものであって、それが源氏の気性の珍しい特徴であつた。]

 ウェイリーの英訳は、原文が四つの文からなるところを六つの文に仕立て直しています。原文よりは読みや
すいかもしれません.また、原文は、あくまでも語り手が源氏の君について紹介していくというように展開し
ているのですが、「He knew……」とか、「Fearing then lest he…」とかと、どこまでも源氏を主体として語
るように英訳されていますので、語り手が間接的に伝える形より少し通りがよくなっているようにも思われま
す。
 細かいことでは、「言ひ消たれたまふ咎多かなるに」を、「much scrutiny and jealous censure」と、けな
される要因まで考えて英訳しているところや、交野の少将の「笑い」を「scoff[冷笑する]」としているとこ
ろに、ウェイリーらしさがうかがわれます。
 また、「忍ぶのみだれ」という、和歌をふまえた物言いを、引き歌であるということにはなんら触れることな
く 「secret passion[秘せられた熱情】」とさらりと英訳しているあたりに、彼のさじ加減を見るような気が
します。「春日野の若紫の摺衣しのぶの乱れ限り知られず」という『伊勢物語』の序段にある和歌をふまえた…
というようなことを説明しても、くだくだしくなるばかり、ここは、「秘せられた熱情」であることが伝われば
いいという判断をしたのでしょう。
 「忍ぶのみだれ」はさらりと流している一方で、詳しい補注をつけているところもあります。それは「Katano
no Shosho」と「the Great Hall」です。前者には、「散逸した物語の主人公で、紫式部の同時代の人の清少納言
の『枕草子』の中の百四十五段でも言及されている」と解説しています。当時は、かなりよく知られた物語の主人
公であると説明したかったのでしょうか。
 後者については、「His father-in-law's house, where his wife Princess Aoi still continued to live(大
殿は)彼の義理の父の家で、葵はまだそこにずっと住んでいた」と説明していますが、これでは、当時の結婚の形
が見えてこないのではないかと、気になるところです。
 当時は、夫が妻のもとに通っていくという形をとるのが普通で、正室と見なされる妻などが、やがては夫と同じ
邸内に住むということはあったのですが、この説明では、当初から二人だけの新居を構えるのが普通なのに、葵の
上は、まだ実家にいるのだと受けとられないでしょうか。私の取り越し苦労ならいいのですけれど。
 歳月から言えば、五、六年経ってはいても、源氏の場合は義理の父君の左大臣の庇護下にあつて、通い婚の形を
ずっととっています。この形は、葵の上の存命中続くことになります。(源氏は亡くなった母君から二条院を相続
していますが、そこには、我が意に叶う女性を据えたいとひそかに思っていましたし、「若紫」の巻で、紫の君を
住まわせたのは、この二条院でした)
 なお、補注については、次回にもお話しする予定です。
 さてさて、一「帚木」の巻の語りはじめの一節の、聞き手の気を持たせるような語りぶり、また、聞き手の期待
感まで計算したかのごとき語りぶりは、現代語訳も難しいところだと思われますが、英訳ではなおのこと大変では
なかったかと推測されます。源氏を主体にし、草子地(語り手の所感まで源氏の考えとしていたりすることで、な
るべく通りのいい文にしようとしつつも、ウェイリーらしさをも出しているこの英訳は、それなりに、なかなかな
ものと評価すべきなのかもしれません。訳者の顔が見えるところに、達意一辺倒のような英訳より惹かれもします
ので。
 けれども、如何せん、どうしても英訳は、「源氏自身は、周囲の目を意識して十分に行いを慎んでいて、少なく
とも外面だけでも敬意を表される存在であり続けようと努めた」という体のものになつてしまっていて、「名に反
するような面が多々あるみたい」と、語り手が第三者の立場で言い立てたりするおもしろみも、本人が洩れないよ
う用心に用心を重ねてきたことを、今からお話しする」という語り手の心弾みも、どこかに行ってしまっていて、
なんとも惜しいことです。


                                             【つづく】


岩手県立盛岡第一高等学校1960年卒在京同期会
在京白堊三五会・『源氏物語』解説(安達静子)
“ウェイリー源氏”と遊ぶ<<第10回>>
『木槿(mukuge)通信』(盛岡市・三月舎発行)第14号(2008/03/25)掲載


<<連載第十回>>

“ウェイリー源氏”と遊ぶ           安達静子


 源氏の君の悪友、頭の中将のことなど



 前回は、「帚木」の巻の入り口の、源氏の隠し事をいよいよ語るという、意気込みと気兼ねのない交ぜになった
語り手の胸の内についでお話ししているうちに、紙数が尽きてしまいました。いよいよ、この「帚木」の巻の物語
の核心部をなす、「女性論議」の段へ一歩近づくことにしましょう。
 まずは、大序の次の小序ともみなしうるところから。
 常日頃極力行いを慎んでいて、出来心の恋などはお好きでないご気質ではあるけれども、まれには、「あながち
に引き違へ心尽くしなることを、御心におぼしとどむる癖なむ、あやにくにて[ご気質とは裏腹に、強引な、と見
られるほどに無理を通そうとする気苦労の多い恋に、ついついのめり込んでしまうという、一風変わったところが
おあり]」の源氏の君が、その「ご気質に似合わしからぬご所行」に及ぶに至るについては、影響を及ぼした人物
がいたらしく、その有力候補は、どうも、葵の上(源氏の正室)の兄君、頭の中将という人物らしいのです。それ
で、いわゆる「雨夜の品定め」に入る前に、その頭の中将について、また、やはり、頭の中将と源氏の間柄につい
ても話しておいた方がよいと、そのことについて語るという段取りになります。いや、なかなか、紫式部も、気を
もたせますねえ。

 まず私たちが目にすることになるのは、「なが雨晴れ間なきころ、内裏(うち)の御物忌みさし続きて、いとど
長居さぶらひたまふを・・‥」という場面です。所は、源氏が宮中内に居室として賜っている桐壺で、そこには、
物忌みに籠もっている源氏の君と共に頭の中将がいて、わたしたちは、そこで頭の中将と出会うことになります。
 降り続く雨、うち続く「御物忌み」と、なにやら気ぶっせいな二人は、つれづれなるままに(手持ちぶさたなの
で)、書見をしたりしてすごしています。江戸草子の挿絵をご覧あれ、
    二人はまさしくこんな格好だったのでしょうね。

 ところで、「物忌み」というのは、この時代の物語などにはよく出てくるのですが、これは辞書では、「@神を
祭るために、一定の期間家に籠って身を慎み、心身を浄めること。A陰陽道で言う、天一神(なかがみ)・太白神
のひとひめぐりの方向を塞ぐのを避けるために、また、凶の日や、悪い夢を見たり穢れに触れたりしたときに、禍
いを避けるために、身を浄めて家に籠もること」などと説明されていて、その間、人は謹慎を強いられることにな
ります。これは昔の日本(あるいは、東洋圏?)にだけある風習ではないかと思われるのですが、ウェイリーは、
「strict fast(厳格な精進)」と訳出して、特に注はつけていません。「strict fast」というものと類似のこと
なのでしょうね。
 頭の中将は、「蔵人所(くろうどどころ)」というお役所の長官でもあり、近衛の中将(武官)でもあります。
位階は従(じゅ)四位です。この頭の中将も役職名が通称となっていて、昇進する度に呼び名が変わっていき、要
注意ですが、しばらくは、「葵の上の兄君の頭の中将」とインプットしておいてかまいません。
 ウェイリーが、この中将に関する事柄をどう扱ったのかといいますと、どういうわけかはなはだおおざっぱにし
かとらえていないきらいがあります。役職を、「Equerry(侍従)」と英訳して済ませているのは、「Equerry」と
「蔵人」の役職には通うものがあると判断してのことと思われ、武官の方の仕事名は省いていますが、読者には、
「Equerry(侍従)」のような仕事をしている人物をおおよそ想定してもらえれば、それで良しとしたのでしょう。
これはまあ、さして問題にしなくてもいいでしょう。
 が、人物像に関わる方を飛ばしているのは、問題です。わたしが、「源氏の悪友=vだと紹介したのは、「す
きがましきあだ人なり[浮気っぽい道楽者]」と原文にしっかりあるからですが、ウェイリーはこの部分を訳出して
いないのです。「正室の四の君のいらっしやる右大臣邸を窮屈に思って、もっぱら里方の自分の部屋を豪奢で居心
地よいものにしつらえて、源氏のお供をしてお里に来るときは、学問も管弦の遊びをも共に楽しんだ」というとこ
ろは、だいたい原典に即して英訳されているので、そこをきちんと押さえれば、頭の中将が、「すきがましきあだ
人」であることが十分読者に伝わると考えたのかもしれませんが。
 また、上の文に続く「夜昼、学問をも遊びをももろともにして、をさをさ立ち遅れず、いづくにてもまつはれき
こえたまふほどに、おのづからかしこまりもえおかず、こころのうちに思ふことも隠しあへずなむ、むつれきこえ
たまひける[中将は、学問をするときも管弦の遊びをするときもいつも源氏と一緒で、どちらのことでもけっして
源氏の君にひけをとることなく同等におつきあいしていたので、自然と遠慮のない間柄となり、秘密をも分け持っ
て親しく交流しあった]」と語られているところでも、「をさをさ立ち遅れず[中将は源氏の君に学問でも楽器演
奏でも同等のたしなみがある]」というところを英訳していないのです。
 つまり、悪しき点もよろしき点も、中将については、丁寧にその像の掘り起こしをしないですませているのです。
「源氏も中将も正室の女君を敬遠している」という点「かしこまりもえおかず心のうちに思ふことも隠しあへず…
[遠慮することもなく、秘密も分け持つ間柄である…]」という点だけはしっかり伝わるよう訳出されていますが。
後者は、「…all formality were dispended with between them and the inmost secrets of their hearts freely
exchanged [正式な作法なしですます間柄となり、自由に胸中のひめごとをも取り交わすのであった]」というふ
うに。

 さて、源氏が引き出しから書物を取り出そうとしたときに、一緒に出てきてしまった手紙の束がありました。中
将がそれを見逃すはずはありません。 色とりどりの料紙にしたためられたそれらの手紙を、とても見たがります
(「He begged so eagerly…」)。書いてある事柄を知りたくなったのはもちろんでしょうが、関心は、どんな女
性たちからの手紙なのかにもあったことでしょう。中将は、宮中の居室に置いておくようなものは、人に見られて
もさしつかえのないものだろうと物足りなくも思いますが、源氏が見てもいいと言った手紙を広げてみて、その筆
跡鑑定に入り、何人かはうまく言い当てたりもします。(「心あてにそれかこれかなど問ふなかに、言ひ当つるも
あり。[当て推量にあの人か、かの人か、などと問いただす中に、ずばり言い当てる場合もあった]―began guessing
at tbe writers' names and made one or two good hits・・・)
 この時代、女性の方から先に男性に宛てて手紙を書くということは例外的なことですから、数多くの手紙を持っ
ているということは、それだけ多くの女性に手紙を出してその返事をもらったということであり、中将の筆跡鑑定
が当たったりするということは、源氏が手紙を出していた女性に、中将も手紙を出していたということです。そう
であれば、源氏の方も、中将の手元にある女性達の手紙を見たくなるのも当然、というものです。
 二人とも、手紙を見せ合う条件などを示してもったいぶるのですが、そんな応酬が一区切りとなったときに、中
将が、ため息混じりに悟ったようなことを言い出します。

 女の、これはしもと難つくまじきはかたくもあるかなと、やうやうなむ見たまへ知る[このひとならと、非の打
ち所のない女性として推奨できそうな人は、めったにいるものではないと、このごろだんだんわかってきました]
 I have at last discovered that there exists no woman of whom one can say“Here is pefection.This is
indeed she.”[わたしは、やっと、これぞ完璧な女性、これぞまさしく女性の中の女性と言えるような女性は存
在しないということがわかってきました]

 「I have at last discovered」はやうやう見たまへ知る」の語感を、実によく生かしていますね。「…there
exists no woman…」以下の「これぞ完璧な女性、これぞまさしく女性の中の女性と言いうる女性は、存在しない」
という英訳にはウェイリー流の誇張がありますが、中将の落胆の大きさを表現したと考えられます。
 中将の年齢については、何も説明がないのですが、葵の上の兄と見なされているのですから、源氏より五つ六つ
上の、二十三、四歳位ということになりましょう。葵の上は、源氏より四歳上で、その兄なのですから。
 中将は、正室の右大臣の四の君をうっとうしく思い、負担にも感じているので、気楽にうちとけられる女性を求
めたにはちがいありませんが、そうでなくても、通いどころが多かったことは容易に想像できます。なにせ、「す
きがましきあだ人」なのですから。現に、物語のすこし先の方で、ある一人の女性について、中将自ら話しますし。
 それでも、この年齢で、女性に失望してしまったかのような言辞を弄するのは、どんなものでしょう。いくら、
「四十の賀(四十歳を迎えた時の、長寿のお祝い)を祝う」という時代だったとしてもですよ。それに、失望した
と言っても、それで女性の探索をやめるわけもないのでしょうし。
 中将曰く、こうです。ここは、原文も英訳も省いて、趣旨のみ現代語訳で。

   ちょっとした恋文の返事ぐらいなら、難なくこなすひとはいるが、何か一つの技芸を備えているかどう
  かを基準にして選ぼうとすれば、ほとんど選ぶに値しない女ばかりだ。(中略)
   輝かしい将来を約束されて深窓の内に育てられている間はたいしたこともない程度の才芸のことを聞き
  伝えて関心をもつこともあるだろうが−−(その理由を縷々語っていますが、あまりにもくだくだしいの
  で、これも省略)。かわいらしく、おっとりした若い女なんてのは、暇をもてあましていることでもある
  ので、見よう見まねでも、気を入れて習得しようとすれば一芸を一人前にこなすこともあるだろう。直接
  その娘を知っている人は、まあまあといった程度でもその才芸だけを言い立てて、不得意なものについて
  は口をつぐんでいる。それを本当かと疑うわけにもいかない。それでともかく、本当に才芸に秀でている
  かどうかとよくよく確かめようとすると、がっかりさせられる女ばかりだ。

 その中将の嘆息した様子は、「はづかしげなれば[いかにもわけ知りなようで立派に見えるので]」、中将の話
の全部が全部そのとおりというわけではないにしても、源氏も思い当たるふしがあったようです。(この「はづか
しげ」を「seeming to be slightly ashamed of the cynical tone[皮肉っぽい調子になったのをちょっと恥じ入
っているかのように見えて]」と英訳しているのは、その表層の意味だけしかとらえていないような・・・)
 それで、「生かじりの才芸すらないひとなんているのかしら」と源氏が問うと、「そんな女にはいくらなんだっ
てだまされて近づくようなことはしません」と中将は答えます。
 次いで、今度は視点を変えて、中将は、「上流階級の女の本当の姿は〈ガードが堅いので)見えにくくて、実際
より良く見えてしまったりしがちだけれど、『中の品になむ人の心々おのがじしの立てたるおもむきも見えて
[中流階級の女はそれぞれの気質やめいめいの標榜する個性も見えて]魅力的』等々と、「くまげなげなるけしき
[いかにも事情に通じているような様子]」で語ります。
 ここは、「About tbose of that middle class everyone is allowed to express his own opinion we shall have
much conflicting evidence to sift[中流階級の女性たちについては、誰もが彼自身の(男性たるもの各自の?)
意見を表明することが許されていて、わたしたち男は、女性をより分けるための確たる手がかりを得ることができ
る]」と英訳されています。
 中将にかかわる事柄の英訳はおざなりになっているきらいがあると前述しましたが、ここの中将の発言も、なぜ
かよじれています。
 「his own opinion」の「his」が問題なのです。中将が、「中流の女性達は個性を発揮する物言いができる」と
いって、中流の女性の魅力を相応に評価しているところなのに、英訳では、「男が中流の女について(遠慮無く)
話題にできるから、確実に女を選りわけられる」となっているのですから。この中将の中流の女性に対する見方に
は、たぶん中流の女性であった紫式部の矜恃を色濃く反映させていると見られるので、ここを「his own opion」
としたのでは、式部のプライドがそう言わしめているということを隠してしまいます。ここは、おおげさに言えば
作者の紫式部の存在の根幹にかかわってくるところなので、英訳するウェイリーの姿勢がはなはだ疑問になるので
す。この中将の見解の英訳のしかた、頭の中将像のとらえ方のおおざっぱさ以上に問題のあるところです。中将に
関することとなると、なぜこういうことになるのでしょうね。
 ウェイリーが、単純にまちがったのでしょうか。ウェイリーは『源氏物語』がすばらしいと思ったから、英訳と
いう難事業に取り組んだのですよね。作者が才媛たることも認めていたはずでしょう。作者が優れた人物であるこ
とを、こういうところの英訳を通して大いに伝えてもいいのではないでしょうか。
 まちがえたのでなければ、ウェイリーは、自己宣伝臭を敏感に感じとって、それを嫌って、あえて、「意見や見
解を持っているのは、男であって、女ではない」とねじ曲げたのでしょうか。
 こういう疑問については、不可能と知りつつも、直接訳者にぶつけたくなります。
 さて、中将の「くまなげなる」様子にまた興味をもち、中将にもう少し、語らせたく思った源氏は、階層の見分
け方の基準について中将に問うことになります。「上流だったけれど、落ちぶれた者と中流だったけれど成り上が
った者を、どこに分類するのがいいのかしらん」と。
 そこへ左の馬の頭(かみ)と藤(とう)式部がやってきて、物忌みに加わり、今話題にしている階層定めに一段
と熱が入ることになるのですが、ここで、「いと聞きにくきこと多かり[なんとも耳をふさぎたくなるようなこと
が多うございましてねえ]」と、草子地が入ります。「Unflattering things [好意的ではない、言いたい放題の
物言い]に対して、聞きにくいというのです。もちろん、困惑は擬態であって、女性にかかわる話はここから佳境
に入るということを、こんな言い方で示しているのでしょうが。
 そうしていよいよ、以下四人による、いわゆる「雨夜の品定め」へと話は進んでいくことになります。


                     ○
 女性論議の中心たる「雨夜の品定め」に踏みこむ前に、ここで、閑話休題。どうでもいいことですが、一つ気に
なることを片付けたいと思います。それは、「窓」に関してのことです。
 中将が、女性には失望させられるばかりだという話をしたときに、「生ひ先こもれる窓のうちなるほど」の女に
ついて、けっこう長く語るところがありました。この「生ひ先こもれる窓のうち」というのは、そもそも漢詩に由
来する言い方のようで、『長恨歌』の古いものに、「楊家に女有り初めて長成(ひととな)れり、養はれて深窓に
あれば云々」とあるのに依った言い方であろうということです。ここは比喩的な意味で用いられており、「生ひ先
こもれる窓のうち」というのは、「お邸の奥まったところで風にも当てないよう大切に育てられている年若い頃」
という意味ですので、そういう意味で用いられていると了解して、それですませてもいいところです。
 当時の建物で「窓」と呼ばれていたものは、明かり取りのことで、現代の「窓」とはずいぶんイメージが違うと
しても、ここは現代の「深窓」の意味合いと同じに用いられているのですから、あえてこだわる必要もないのです
が、もしも、紫式部が、当時中国で言う「窓」なるものとこちらの「窓」とはイメージが違うのを承知で、『長恨
歌』の引用を楽しんだとするならば、当時のたしなみのある読者と、こんなところでも交歓しているのではないか
という見方もできて、おもしろいと思ったのです。そのことが一つです。
 気になった理由はもう一つあります。それは、「生ひ先こもれる窓のうちなるほど」を「childhood guarded
behind lattice windows[格子づくりの窓の後ろに守られている子供時代]」と英訳し、この「窓」に関して、ウ
ェイリーが詳しい注をつけているということです。

   Japanese houses were arranged somewhat differently from ours and for many of the terms which
  constantly recur in this book(kicho, sudare,sunoko,etc.)no exact Englsh equivalents can be
  found.In such cases I have tried to use expressions which without being too awkward or un-
  familiar will give an adequate geneal idea of what is meant.[日本家屋は、我々の家とはどこかし
  ら違っているように作られているし、また、この本の中でしょっちゅう出てくる多くの日本特有のものを
  指し示すことば(几帳、簾、簀の子等)は、まさしくそれに該当するものが英語圏には見いだしえない。
  そのような場合、ぎこちなかったり耳慣れなかったりしすぎることなく、どんなものに当たると考えられ
  るか、相応のものを指し示す言葉で説明するよう試みてきた]

 もっぱら、「窓」そのものに例をとって、日本古典の世界の建物に出てくるものは、西欧の言葉では説明しきれ
ないと言っていて、「窓」というのがここでは比喩的に用いられていることはあまり考慮にいれていない注ですが
その点は措(お)くとして、この補注は、ウェイリーが、翻訳の苦労の一端を生の形で吐露したものとして、注目
されます。
 建物の造りや建具や調度が出てくる度、氏は絶えず英語圏の人の理解出来るような言い方をするよう心を砕いて
いるということを、直接的に語っているところなのです。
 これは、平安時代の官職や服飾や植物等々の英訳にも通用する問題であり、ウェイリー氏に直接言われるまでも
なく、今までもわたし達はしょっちゅういろいろな訳語に出会って来て、驚かされたりすることも多々あったわけ
です。十回まで筆を進める間にも、折々取り上げてきたことでもありますが、たとえば、わたしたちは、「桐壺」
の冒頭で「女御・更衣」の英訳が「Wardrobe and Chamber」であったことに驚かされ、「小はぎ」が「li1ac」
に化けたりしたのを見てきました。(「リラ」が、か弱い幼児の比喩として英語圏で用いられるとすれば、これは
適切な訳だということになりますがこ どうなのでしょう)また、近いところでは、「若紫」の巻で、童女の髪や
衣装の描写が原文とは離れたのを見てきています。
 が、たとえ、しばしばイメージがずれたとしても、官職にせよ、衣装にせよ、ウェイリーは、絶えず英語圏の何
に当たるか、もしくは、何に近いのか、考え考え翻訳を進めているのですし、その上に物語としての魅力をも十分
伝わるよう努めているのです。こうした補注の形でウェイリーが直接その労苦について語っているところは、素通
りはできないのではないでしょうか。ちょっと注意を喚起した次第です。
 なお、この「帚木」には補注が二十ほどあり、多くは人物や楽器などに関するごく短いものです。長いのは、今
取り上げたものと、大分後の方に出てくる人物の説明にからめて物語のなりゆきについて説明したものです。ウェ
イリーがどんなことに補注をつけ、どんなことは素通りしたかについて検証してみたら、それはそれで一大論考
となりそうです。