岩手県立盛岡第一高等学校1960年卒在京同期会
在京白堊三五会・短編小説『野ウサギとタマネギ』(波多野忠夫)

戦後間もない幼少期を題材にした短編小説です。
感想を是非「掲示板」へお寄せください。内容によっては、ここに転載します。




野ウサギとタマネギ



(1)野ウサギ


 おばあさんはよく旅行をする人だった。空空空空空空空空空空空空空空空空
 長いあいだ勤めた女学校の家庭科の教師を退職したあと、自宅で小さな和裁
教室を開いていたおばあさんは、未婚の女性を対象にした講習会で、和裁や料
理、はては小笠原流の作法などを指導するために、頼まれれば県内のどこへで
も出かけていった。その旅行は日帰りが多く、長くてもせいぜい一泊の旅だっ
た。もっと遠くへ日数のかかる旅行に出かけたのは、おもに遺族会の仕事の時
だった。太平洋戦争で息子を二人も失ったおばあさんは、県の遺族会に入り、
教師だった経験をかわれて副会長の職についていた。その仕事のために東京へ
出かけることが多かったのだ。空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空
 女として副会長の要職についたくらいだから、他人を出し抜いて自己主張を
するアクの強い女傑と思われがちだったが、実際のおばあさんはそれとは正反
対の、温厚で面倒見のいい人だった。働き手である父親や夫、息子を失ってひ
どく困窮し、未来の希望すら失っていた県内の大多数の遺族の実情を、時の政
 府に陳情するというむずかしい役目を、おばあさんはすすんで引き受けていた。
  明治のなかばに東京の女子高等師範学校で学生時代をすごしたおばあさんは、
見かけよりもずっと大胆で好奇心が強く、初めての場所を訪れたり、知らない
人に会うことを苦としない人だった。空空空空空空空空空空空空空空空空空空
 そんなわけで、おばあさんは遺家族援護費の値上げの要求のために、一年に
何度か東京へ出かけていき、ある時は大磯にあった吉田茂首相の私邸の門前に
 徹夜の坐りこみをしたり、永田町の首相官邸に遺族の代表の一人として入って、
首相本人と膝詰め談判をしたりした。この時の面会の成功はよほどうれしかっ
たらしく、会談が終わったあと、畏れ多くも官邸の赤絨毯の上を下駄ばきで歩
くわけにはいかないと白足袋姿になり、手に下駄を下げたまま出てきたようす
が、当時の写真誌に掲載されたりした。空空空空空空空空空空空空空空空空空
 旅するおばあさんにまつわる思い出のなかには、初めて経験する未知の世界
との出会いがいくつかある。一面新雪におおわれた幻想的な盛岡の夜景との出
会いも、深夜に東京から夜行列車で戻ってくるおばあさんを出迎えにいかなか
ったら、恐らく経験出来なかったことは間違いない。空空空空空空空空空空空
 雪国に住む者にとって、美しい雪景色との出会いは、年に三分の一近くをし
める厳しくてつらい冬の生活のなかで、心ときめく楽しみの一つである。雪の
美しさは、その時期と場所と時間によってさまざまに変化するものだが、まる
でワンダーランドへ迷いこんだようなあの時の美しい光景は、それ以後に一度
として経験したことがなく、今でもふと脳裏によみがえることがある。空空空
 その日、上野駅でおばあさんがやっと乗りこむことの出来た列車が、盛岡駅
に着く午前四時に間にあうように、わたしと姉が母に起こされたのは午前三時
前・・・いまだかって起きたこともない深夜だった。眠りの途中で無理に起こ
されたわたしたちは、もうろうとした意識のまま、冷えきった部屋の中で服を
着替えた。当時の列車は、本数も少なく混みあっていたし予約もままならなか
ったので、旅行をする人は、乗車可能な列車に時間を選ばずに乗らなければな
 らず、深夜や明け方に目的地に着くことはごく当たり前のことだったのである。
 昼過ぎから降りつづいていた雪も夜半にはやみ、凍てつく往来は根雪の上に
新雪が三十センチほど積もった一面の銀世界で、澄みきった夜空にはオリオン
座をはじめとした冬の星座がまたたいていた。おじいさんと母親に前後をはさ
まれたわたしたちは、一列縦隊になって、足跡ひとつない雪道をかきわけなが
ら駅をめざすことになった。空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空
 暗い加賀野の住宅地や紺屋町の商店街を抜け、中津川にかかる与の字橋を渡
ってから、内丸の官庁街へと入っていった。ところどころ白熱電球の街灯のと
もる通りは、車はおろか人っ子一人見えない完全に無音の世界である。空空空
 汚れがそのまま凍りついた地面や、枯れ葉をつけたままの樹木、長い年月に
 渡った戦争のために改築されることもなく、時代を経て傷んだ市役所や警察署、
県庁、そして地方裁判所や赤十字病院などの見慣れた建物や庭がすべて雪にお
おわれていた。そこは、まるで純白の胞子におおわれた巨大な菌類のお化けの
森のように姿を変え、街灯のもとでムクムクと増殖しているかのようだった。
 厚い防寒具に身をつつんだわたしたちは、足跡ひとつない白いお化けの森の
中央を、寡黙なおじいさんを先頭にして、絵本の中のジネズミ親子になり変わ
ったようなウキウキした気分で、一列縦隊になって歩き続けたのだった。空空
 石炭の燃えかすのにおいの漂う盛岡駅のプラットホームで、半日におよぶ長
旅をして帰って来たおばあさんを出むかえたわたしたちは、日の出前の明るみ
をおびた空の下を、ふたたび歩いて家に戻ることになった。開運橋を渡り、再
び弱々しい冬の朝日を受けた内丸の官庁街に来た時には、すでにお化けの菌類
たちは姿を消していた。空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空
 肌を刺す冷気と深いしじまの中で目にした深夜の雪景色が、あまりにも幻想
的で美しかったため、あとで家に戻ってから見たお土産の鳥の絵本・・・東京
のマーケット街の古本屋の屋台で、おばあさんが苦労して手にいれてきた美し
いアメリカ製の極彩色の絵本も、ひどく色あせて見えたものだった。空空空空

  そんなおばあさんの日帰り旅行に同行して、わたしと姉が盛岡を離れたのは、
まだ小学校にあがる前の初夏のことだ。空空空空空空空空空空空空空空空空空
 行く先は花巻温泉である。空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空
 初めて水遊びをした海が、その人の一生の海を決めるように、初めて湯浴み
した温泉は一生の温泉を決める。わたしにとって生涯の原点となった温泉は花
巻温泉だった。空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空
 この日、おばあさんは県の遺族会の婦人部の仲間などとともに、国立岩手療
養所分院・・・のちの花巻温泉病院で療養している傷痍軍人たちを慰問するた
め、朝早くから出かけてきたのだった。わたしは単なるお供だったが、姉は講
堂で催される慰問会で、婦人部のおばさんたちに交じって、得意の童謡をごひ
ろうすることになっていた。空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空
 花巻温泉から台川ぞいに続く木もれ陽のさす山道を、カッコウの声を聞きな
がら歩いて、昼前にわたしたちは療養所にたどり着いた。空いている二階の病
室に荷物を置く間もなく、わたしと姉は、おばあさんたちが打ち合わせと準備
をしているあいだ、看護婦に案内されて温泉で汗を流すことになった。空空空
 長期入院患者の多い終戦直後の療養所内部は粗末で汚れていた。炊飯のにお
いの漂う板敷の廊下には、患者やつきそいのための生活用品が乱雑につみ重ね
られ、薄暗い大部屋のなかには、戦傷者や戦病者がベッドの上に寝たり、坐っ
たりしているのが見えた。空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空
 階下の浴室は思いのほか広々としていて、窓から差しこむ明るい陽を受けて
ユラユラとした光が天井を漂い、生まれて初めて嗅ぐ温泉特有の匂いがたちこ
めている。空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空
 なかに入ったわたしたちの目を釘づけにしたのは、ふつうの広い浴槽のほか
に、それとはまったく違う・・・いわゆる戦傷者や戦病者のための寝湯と呼ば
れる浴槽があったことだった。浅く傾斜した寝湯に、その時片腕のない痩せた
患者が横たわっていて、入ってきたわたしたちにびっくりしたような目を向け
た。療養所の浴室ではめったに見かけない小さな訪問客に驚いたからだろう。
頭をツルツルに剃ったその片腕のない患者の姿が気になって、わたしたちは初
めての温泉であるにもかかわらず、はしゃいで泳いだりせずに、おとなしく入
ったり上がったりをくり返してから浴室を出た。空空空空空空空空空空空空空
 脱衣場で服を着ているところに迎えの若い看護婦が戻ってきた。慰問会の会
場となる講堂へ向かう途中の会話で「お父さんは何をしているの?」と看護婦
が尋ねた。もの心つく前に遠い戦場へ出征していったまま帰ってこなかったた
め、父の顔も知らなかったわたしは、無造作に「いないよ」と答えたが、姉は
即座に「戦死!」ときっぱりいい直した。「アイヤ気の毒にねえ・・・足や腕
がなくなっても、お父さん生きて帰ってくれればよかったのにね」看護婦はな
ぐさめるようにいった。空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空
 昼からの会にそなえて、会場で準備をしているおばあさんたちの仕事を見る
のにもあきて、わたしは姉と別れると、ふたたび荷物の置いてある二階の空き
病室へ一人で戻り、マットのむきだしになっているベッドに乗って風にそよぐ
カーテンのかげから表をうかがった。空空空空空空空空空空空空空空空空空空
 雑草におおわれた療養所の広い庭を囲むように赤松の林があり、遠く近くカ
 ッコウのさえずる声が聞こえてくる。ぼんやりと庭を見おろしていたわたしは、
突然、雑草のなかに野ウサギが動いているのを発見した。窓枠から身を乗り出
すようにしてもう一度注意深く見つめた。まちがいなく野ウサギだった・・・
それも、まだ動きがすばしこくない子ウサギである。空空空空空空空空空空空
 瞬間、胸の動悸が早くなった。わたしはベッドを飛び下りると、ズック靴を
片手に廊下を走り抜け、階段をかけ下りた。薄暗い建物の通用口から、光あふ
れる中庭へ飛び出したわたしは、ムッとする草いきれのなか、脛まである雑草
をかきわけながら野ウサギのいた方へ向かった。空空空空空空空空空空空空空
 ぬき足さし足で、二階から見つけた庭の中央に近づくと、草のかげに灰褐色
 の毛に黒い瞳の子ウサギがうずくまっているのが見えた。鼻先をヒクヒクさせ、
ときおり前脚で顔をぬぐっていたウサギは、わたしがそばに近づいているのに
気づきながら、何故か驚いたようすもなくじっとしている。空空空空空空空空
 子ウサギを前にして、雑草のかげに腰をかがめていた時のわたしの興奮は、
はるか昔の狩猟民族である祖先が感じた血のざわめきと同じようなものだった
に違いない。かわいい子ウサギは、単なるかわいい愛玩動物としてではなく、
つかまえるべき獲物として、その時わたしの目に写っていた。恐怖のせいなの
か、あるいは人を知らない幼さのせいなのか、大きな瞳を向けて見つめるだけ
で逃げようとしない野ウサギのそばにしのび足で近づいていったわたしは、エ
イ! と叫んで両手で押さえこんだ。フクフクとして温かい野ウサギは、抵抗
もせず、わたしにがっちりと抱かれてしまった。空空空空空空空空空空空空空
 ふと気がついて療養所の建物を見あげると、窓から患者やつきそいの顔がい
くつか出ていて、庭の中央で野ウサギを抱いているわたしに注目していた。ス
テージのような広場の中央で、狩りがうまくいってわたしは得意だった。雑草
をかきわけながら《どうだい、ぼくは野ウサギを素手でつかまえたんだよ!》
と大声で叫びたい気持ちになった。空空空空空空空空空空空空空空空空空空空
 その時、通用口下の階段のところに、屈強そうな坊主頭の男が立っているの
が見えた。浴衣の前をだらしなくはだけたその患者は、腰に手を当てて、近づ
くわたしをみながら不精髭のはえた口もとに微笑みを浮かべた。草履をつっか
けたその男の右足は茶色い木でできた義足だった。《この野ウサギは、ぼくが
つかまえたんだよ!》そんな気持ちでウサギを差しだそうとした瞬間だった。
「俺の飼ってるウサギさ手出すな! この腐れ童子(わらし)ゃど!」突然眉
をつりあげ、口ぎたなく大声でののしりながら、男はふるえる手でわたしを指
さした。硬直した腕のあいだから子ウサギが滑り落ち・・・それと同時に、わ
たしのなかで夢の卵のようなものが粉みじんにくだけ散った。空空空空空空空



(2)タマネギ

 おじいさんはめったに旅行をしない人だった。空空空空空空空空空空空空空
 長年続けた小学校の校長職を定年でやめ、ささやかな恩給で気ままな暮らし
をしていた頃はもちろんのこと、家のことでお金が必要な事情が生じて、七十
歳を過ぎてから農業学校の事務長に再就職してからも、旅行にはほとんど縁が
なかった。空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空
 朝、弁当持参でバスに乗って郊外の学校へ出かけ、夕方、定時に戻ってくる
規則正しい生活を続け、週末や祭日には家庭菜園の手入れをするか、おばあさ
んの教室の事務上の仕事を手伝ったりしながら過ごしていた。出かけることと
いえば、郵便局や銀行に用足しにいったり、退職した教職員の会合に出向くて
いどだった。空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空
 戦前に働いていた当時のアルバムにも、おじいさんが余暇を利用して自分の
遊びのために旅行に出た写真はほとんどなかった。ただひとつ長旅を思わせる
写真といえば、研修をかねた視察旅行で戦前の朝鮮の京城へいき、仲間ととも
に両班スタイルの民族衣装をまとって写したものしか見当たらなかった。空空
 旅はよくしたのに、記念の写真を残さなかったというわけではない。質素倹
約をむねとし、自給自足を奨励する勤勉な伊達藩士の末裔として県南の小さな
町に生まれ、子供の頃から、遊興にうつつをぬかすことを厳しくいましめられ
ながら育ったおじいさんは、余暇を楽しむ旅行などとは本当に縁がなかったの
だ。空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空
 盛岡の師範学校の寮ですごした青年時代も、このいましめを守ってもっぱら
学問にはげみ、勉強以外にただひとつ情熱を燃やしたのは野球だけで、当時の
千本ノックの特訓の名残が、六十年たった後にもはっきりと残っていた。空空
 新聞を読んだり事務の書きものをしている時、間近に見えるおじいさんの骨
太の指・・・特に左右の中指と薬指の第一関節は、突き指のために変形して内
側に曲がっていた。それはまるで、おじいさんにとって、野球は楽しみのため
にするスポーツではなく、精神修養のための厳しい行のひとつだということを
物語っているかのようであった。空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空
 威厳にみちたガンコなおじいさんに、いつもビクビクしていたわたしたち姉
弟や従兄弟たちは、うさ晴らしの方法をいくつか持っていたものだが、その一
つは、おじいさんの変形した指を『じいさんのボンボ指』とひそかにはやした
て、かげでクスクス笑うことだった。もちろん、おじいさんの難聴が歳ととも
にひどくなり、よほど大声をたてぬかぎり聞こえないということを承知の上で
である。空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空
 うさ晴らしのもう一つの方法は、お座敷の床の間にいつも飾ってあった高さ
三十センチほどの陶器の達磨大師の立像・・・濃い眉毛、ギョロリとむいた目
の像をおじいさんに見立て、「コラッ! 新之介」と叫んで、ピカピカ光るは
げ頭をピシャリと叩きつけて遊ぶことだった。といっても、おじいさんが達磨
大師に似ていたのは、白髪を短く刈りこんでいた坊主頭だけで、実際の目は細
くて頬骨がひいで、顎もがっしりと張っていて、達磨というよりはモンゴルの
大草原を馬で疾駆するフビライ汗の騎兵にでも例えた方が正しかったかもしれ
ない。空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空
 遊びにほとんど縁のないおじいさんだったせいか、逆にささやかな遊興が鮮
明な記憶となっていつまでも残っている。その一つが、遅い春の訪れる四月下
旬の思い出である。退職した校長会仲間の島根先生というおじいさんが、ある
日の夕暮れ近くなってふいに訪れてきたことがある。酒好きだった島根先生を
歓待するため、ふだん晩酌の習慣のないおじいさんが、その席をお酒でもてな
すことになった。障子を開けはなったお座敷から、塀越しに隣家の庭の満開の
桜の花がまぢかに見える春の宵・・・珍しく我が家のお座敷が即席の花見の宴
になり変わった。空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空
 昭和二十年代の半ばといえば、まだ世の中が貧しくすさんでおり、盛岡城跡
や高松の池などの桜の名所で行われた花見といえば、安酒に泥酔した酔っぱら
い同士のケンカがつきものだった。桜は人を過激にし、大勢の人が集まる花の
名所は、何が起きるか判らない危なっかしくて恐ろしい場所でもあった。空空
 隣家の木とはいえ、桜を独占しておこなうお座敷の花見は、他人に邪魔され
る心配のないぜいたくな花の宴だった。さっそくお座敷のテーブルの上にあり
あわせの料理をもった小鉢とお銚子が用意された。その華やいだ気分は、年端
のいかない孫たちにまで伝染した。わたしたちは息を殺して仏間との境の襖を
少しばかり開け、重なるようにして中のようすをのぞき見た。空空空空空空空
 七十を越したおじいさん二人が向かいあわせに坐り、暮れなずむ空に艶やか
にはえる満開の桜を見ながらお酒をくみかわしている。宵闇がせまっておじい
さんが電灯をつけた。やわらかな橙色の光の下、ゆでダコのように真っ赤にな
ったおじいさんたちの頭と、床の間の達磨大師のはげ頭がともにテカテカと光
り輝いた。幸せそうなおじいさんの顔を見ながら、毎日がお花見であればいい
のに・・・と、わたしは思った。空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空

 そんなおじいさんが、珍しくおばあさんとわたしたち孫を花巻温泉に遊びに
つれてってくれることになった。空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空
 花巻温泉は、当時、花巻電鉄という一つの会社が温泉全体を経営していて、
温泉につきものの土産物屋や遊戯場などの施設がない閑静な保養地だった。国
鉄の花巻駅からマッチ箱のようなちっぽけな電車に乗って終点の温泉駅でおり
ると、なだらかな傾斜の坂道が目の前に伸びていて、その道をはさむように旅
館や貸し別荘が点在している。空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空
 わたしと姉にとっては二度目の花巻温泉だった。空空空空空空空空空空空空
 一大決心をして遊びにやってきたその日のおじいさんのスタイルといえば、
ふだん農業学校の職場にいく時と同じ恰好で、いささかくたびれた麻の夏用背
広に糊のきいた開襟シャツを着こんでパナマ帽をかぶり、手には通勤用の黒い
革カバンをもっている。いっぽう、強い日差しをさけてパラソルをさした旅慣
れたおばあさんは、涼しげな絽の着物に草履姿で、手にはいつも旅行に持ち歩
くバッグをさげている。リュックサックを背負った姉とわたしは、それぞれお
じいさんとおばあさんに手をひかれ、めざす旅館に入った。空空空空空空空空
 見晴らしのいい部屋に案内されてから、旅館の主があいさつのためにやって
きて、初めて『株主』という言葉が出た。実は、知人に勧められ、おじいさん
は花巻電鉄のささやかな端株を持っていた。それでも株主は株主である。おじ
いさんは、いちだい決心をして、その株主優待の割引サービスを利用するため
に、花巻温泉に来たのだった。空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空
 さっそく大浴場に下りて、広々とした浴槽でひと風呂あびたあと、夕食まで
の時間を散歩で過ごすことになった。体面をおもんじ、ひと前でだらしない恰
 好をするのが大嫌いだったおじいさんは、せっかくの風呂あがりだというのに、
宿の浴衣は羽織らずにふたたび暑くるしい背広を着こみ、わたしたちもおばあ
さんもそれにならって到着した時のままの恰好で表に出た。空空空空空空空空
 旅館の並ぶ通りを過ぎると、川ぞいの高台の上に松林が続き、その間を縫う
道が花巻温泉一番の名所『釜淵の滝』へ通じている。けわしい斜面の雑木林ご
しにキラキラ光る台川の流れを見下ろしながら、以前に訪れた療養所とちょう
ど反対側にあたる崖の上を歩いていくうちに、谷あいからはしゃぎあう叫び声
が聞こえてきた。空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空
 灌木のとぎれたところから、はるか下の川ぞいに造られたプールがかいま見
え、そこに大人の男女が四、五人、水しぶきを上げながらふざけあっているの
が見えた。その男たちがアメリカ兵であることはすぐに判った。空空空空空空
 口をへの字に曲げてプールを見下ろしていたおじいさんは、ひとこともいわ
ずに姉の手をひいてその場を立ち去った。わたしの手をひいていたおばあさん
も、すぐにそのあとを追った。空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空
 大きな岩肌の上を清冽な水が流れ落ちる『釜淵の滝』を見物し、旅館に戻っ
てふたたび温泉に入り、夕食をたべ終えても夏の陽はなかなか暮れない。時間
をもてあましたわたしたちは、結局なにもすることがなく、もう一度、散歩へ
出ることになった。おじいさん一人が改めて背広に着替え、おばあさんとわた
したちは浴衣のまま表へ出た。空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空
 なだらかな表通りの坂道を上がっていくと、さわやかな夕風にのって、聞き
なれない音楽がかすかに流れてくるのに気がついた。音の出どころは、植えこ
みに囲まれた坂道の途中にある旅館の庭園の中だった。灌木のあいだからうか
がうと、四方をぐるりと囲む立ち木のところどころに明かりの灯った提灯が下
がり、その中央の浮き上がるように鮮やかなグリーンの芝生の上で、一組の男
女がしっかり抱きあったまま、静かにチークダンスを踊っているのが見えた。
カーキ色の軍服を着たアメリカ兵と、肩の露出した大胆なワンピースを着た日
本人の女だった。聞きなれぬ音楽は、テーブルの上にセットされた蓄音機から
流れるレコードのダンス音楽だった。空空空空空空空空空空空空空空空空空空
 植えこみの間にしゃがみこんだわたしと姉は、生まれ初めて見る白暮のなか
の妖艶な光景に目を奪われていた。空空空空空空空空空空空空空空空空空空空
 目の前で行われていることがなんであるか、ほどなくおじいさんは気がつい
た。その瞬間、おじいさんはまるで温泉の浴槽なかにむごたらしい死体でも見
た時のように顔をしかめ、わたしたちの手をひいて強引に立ち上がらせると、
あわててきた道をとって返した。当時、アメリカの進駐軍が保養のために花巻
温泉の旅館を接収していて、GIたちがつかのまの休暇を楽しんでいたのであ
る。空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空

 翌日の昼前、わたしは姉と二人で宿を抜けだすと、夢のようなダンスシーン
をもう一度見ようと思って、同じ旅館の庭まで歩いていった。灯の消えた提灯
が周囲にぶら下がる庭園には、チークダンスを踊っている男女も蓄音機もすで
になかった。その代わり、ジープや中型兵員輸送車のダッジの横づけになった
旅館の玄関からは、戦闘服を着てカービン銃を持ったGIたちが何人も出入り
をしている。わたしと姉はその様子を見るために、道路の反対側にしゃがみこ
んだ。空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空
 その時、サンドイッチをほおばりながら玄関を出て石段を下りてきた一人の
GIが、見つめているわたしたちに気がついた。ニッと笑ったGIは、大また
に道路を横切って近づくと、早口で何かを話しかけた。もちろん、わたしにも
姉にもその言葉の意味が判らない。何もいわず警戒の眼つきでうかがうわたし
 たちの前に立ったGIは、左手に持ったもう一つのサンドイッチを突き出した。
それでも反応がないとみると、GIは何を思ったか、ぶあついサンドイッチの
パンをめくってなかを見せた。二枚の白い食パンのあいだに、半分に切っただ
けの生のタマネギがはさまっていた。空空空空空空空空空空空空空空空空空空
 GIはもう一度サンドイッチをわたしと姉にすすめた。わたしが手を伸ばそ
うとする気配を察した姉は、突然、立ち上がり、わたしの手を強く引っ張った
まま一目散に駆けだした。空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空
 その日の午後、おばあさんと姉と三人で旅館のなかを歩いて調理場の前を通
りかかった時、偶然、調理場のまな板の上に食パンを見つけた。日もちが悪く
てすぐに糸をひく黒ずんだ当時の国産のパンである。わたしは、GIの食べて
いたのと同じサンドイッチを急に食べたくなった。空空空空空空空空空空空空
 おばあさんを強引に説得したわたしは、休憩時間中の板前さんにたのみ、従
業員の残したというその食パンと野菜カゴのタマネギをわけてもらうことにな
った。あげ句のはてに「生じゃタマネギは食えないよ」という板前さんの忠告
もきかずに、薄切りにした生のタマネギをパンのあいだにはさんだ即席のサン
ドイッチを無理に作ってもらったのだ。空空空空空空空空空空空空空空空空空
 部屋に戻り、姉の見ている前で、あのGIのような自信にみちた笑顔を浮か
べながら、わたしは特製サンドイッチをほおばった。その途端に、強烈な刺激
が口から鼻へ抜けた。とても食べられるしろものではなかった。しかしおばあ
さんに無理をいって頼んでもらった手前もあり、わたしは残りのサンドイッチ
を意地になって噛まずに飲みこんだ。生のタマネギの強いニオイのために涙が
あふれ出し・・・それと同時に、わたしがつかの間夢見たアメリカの幻想がも
ろくもくずれ落ちていった。空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空
 ちょうど大浴場から戻ってきて、涙を流しながら口を動かしているわたしを
見たおじいさんは、注意ぶかく顔をのぞきこんだあと、「具合でも悪くしたの
か?」と、いささか不機嫌そうにおばあさんに尋ねた。空空空空空空空空空空

 おじいさんおばあさんと一緒にいった、最初にして最後の温泉旅行はこんな
結果に終わってしまった。その後、タマネギ臭さがわたしの口のなかから抜け
きるまでにずい分長い時間がかかった。あれから半世紀近い年月がたった今で
も、時折、フッとあのニオイを口のなかに感じることがある。空空空空空空空
                     
                          了空空空空空空空空