岩手県立盛岡第一高等学校1960年卒在京同期会
在京白堊三五会・高校時代の日記(抄)―工藤信之―

何が出てくるでしょうか?

 先日、親の法事があって帰盛した。親の遺品を整理していると、自分の
高校時代の日記が見つかったが日記を書いたこと自体忘れていた。読んで
みると高校時代こんなことがあったのかと懐かしくなった。同期の皆さん
にも思い出していただきたくて公開することとした。数回に分けてそのま
ま書いてみる。(2009/04/02)                   
                        ―工藤信之―  


 工藤信之は1年6組瓜生先生、2年3組田村先生、3年1組小原先生で
あったが、2年3組の3学期の日記である。なお2年3組の教室は1階の
東側、袖のように出た教室で、外に窓から逃げやすい構造であった。 


1月19日(月)曇り、全国的に寒い                
 今日から新学期が始まった。1校時の始業式のとき、校長は12月27日
の一高山岳部の岩手山登山について真実を話し、一高の伝統のはき違い、受
験のことについて1時間にわたって訓話した。2校時から普通に授業が始ま
った。体育はラグビー、雪が多くて、長靴に雪が入りとてもつらかった。副
読本のとき大谷先生は、ロシア芸術座の感想を話し、そのついでに盛岡市民
の消極性、閉鎖性について長々と話した。なかなか良い話だったが、何より
嫌いな副読本がつぶれたほうがうれしかった。帰宅の途中病院によって父の
ところから新聞を取り、ついでにせんべいを食べてきた。(父は胃潰瘍のた
め12月9日より岩手医大に入院)。夕食は今日姉が休みだったのでうまい
ものを作ってくれた。                       

1月20日(火)曇り→雪→曇り                  
 昨日ラグビーをやったせいか、体中がいたむ、なかなかつらかった。朝父
へ新聞を持って行ったが、父は約束を破って玄関まで出ていなかった。仕方
 がないので部屋まで持って行った。少し道草をしたので急いで学校へ行った。
工芸のとき福田先生がロシア芸術座の話と、尾道、倉敷の話や学生時代の放
浪の旅の話をしてくれた。その話を聞いているうちに、僕もどこかへ旅をし
たくなったがなに分にも、先立つものと暇がないので当分・・・・。  
 教室でのうわさでは田村先生が結婚したとか言う話だった。相手は美人、
先生より背が高い・・・                      
 今、雪は降っていないがだいぶ寒い。               

1月22日(木) 晴れ                      
 漢文のとき龍沢先生が相変わらずほら話を始めた。へびの干したのは「味
の素」の味とすっかり同じなそうだ。学校では沢山休む人がいる。風邪を引
かないように注意注意。帰り父にところによってりんごと卵を食べた。 

1月23日(金)                         
   今日から学校では実力試験が始まった。今始まったことではないが、大変
難しい。英、国、社が行われた。午後週番があった。今日から来週木曜日ま
で小松代君と一緒である。目標は「遅刻しないこと」「そうじ」の2つ。毎
週出ている目標である。おそらくこの目標が出なかった週はなかったのでは
ないであろうか。遅刻したものはその時間欠席になる。ずいぶんきつくなっ
てきた。                             

1月24日(土)                         
 父は今日退院するそうだ。実力試験は数、理。理科のとき時間が余ったの
で早く出て、冬休みの宿題を家に忘れたので急いで家に帰り学校へ戻ったら
丁度試験が終わったところであった。その時間、教室には半数ぐらいしかい
なかった。週番も実につまらないものだ。しかしサボルと先生がうるさいか
ら出席している。週番が終わってから早速病院へ行ってみた。いよいよ退院
である、同室の2名の方も玄関まで見送り来てくれた。玄関でしばらくする
とタクシーが来た。それには父と母と荷物をつけて、自分は自転車で家に帰
った。父母はとっくに帰って荷物をあけていた。           
タクシー代120円也。                      
 夕方ラジオ屋へ行ってテレビを見た。若乃花は見事に朝汐を破った。これ
で若乃花は5度の優勝が明日を待たず決まったわけだ。夕食は1ヵ月半ぶり
に父と一緒に食べた。やっぱりなんとなく家に父がいるといいものだ。普段
はうるさいと思っていても。                    

1月26日(月) 晴れ                     
 学校へ行く途中道路が凍っていたので白百合の前ですっかり転んでしまっ
た。自転車の前かごはいびつになるし、泥は付くし、女学生のは笑われるし
散々だった。今日一日何も悪いことが起こらなければよいなと思いながら、
痛い足で自転車を飛ばして学校へ急いだ、1校時のG(ガイダンス)の時、
実力テストの解答をした。半分も合っていなかった。続いて2校時も数学だ
ったのでいやになってきた。体育は相変わらずラグビーだった。今日から校
内のラグビー大会だ。ぼくも選手に選ばれたが、ラグビーの選手はあまりい
いものではないが、他のスポーツに比べれば好きなほうだ。昼休み、教員と
寮生とのゲームが行われた。大変な珍プレーがいたるところで行われて、寮
生が勝ったようだ。                        
 田村先生の結婚が本当であることが大谷先生より明らかにされたので、皆
と相談して40円づつ集めた。今日常任委員が先生に何が良いか聞きに行っ
たら、コーヒーセットがほしいそうだ。               

1月28日(水)晴れ                       
 晩に雪が降ったのか、一面真っ白に新雪で覆われていた。      
 4校時の数学が終わってから、田村先生への結婚記念品(コーヒーセット)
を贈った。吉岡君がお祝いを述べた。田村先生も大変喜んで自分のアパート
へ遊びに来るように言って快く記念品をもらってくれた。       
 6校時の化学は実験だった。実験=遊びだから今日も何をやったのかさっ
ぱりわからない、ともかく速く終わった。速く終わっても週番があるので帰
えられず残念だ。                         

1月29日(木)曇り                        
 今日は大変寒い,零下9度だったそうだ。学校へ行くにも耳が痛くてつら
かった。                             
 工芸の時間 エッチングを今日仕上げて出した。実につまらない授業だ。
200円出してあんなものを作るのは馬鹿くさい。でも出しただけで点数を
くれるのがありがたい。200円出して点数をもらうものだとあきらめた。
 放課後、我が2年3組と1年6組のラクビーの試合が行われて、僕も出場
した。ポジションはフォワード、15分ハーフで行われ、前半ゴール、後半
1トライ、計8:0で2の3が勝った。試合後教室に皆集まり喜びを分かち
合った、帰ったのは5時だった。勝ったせいかどこも痛くない。少ししか疲
れていないような気がする。明日は3年生となので負けるかもしれない。

1月30日(土)曇り                       
 夜に雪が降り、朝方雨となったため、道がぬかるんで自転車が横滑りして
学校へ付くと汗だくである。                    
 昼休みの時間は3年5組とラグビーの試合である。結果は3:0で負けた
が非常に面白かった。やっぱり3年生とはやりにくい。僕は鼻の下と上へ傷
 が付いて鼻の下の傷から血が出ていた。手には無数の傷があってすりむいた。
 試合をしているときは感じなかったが終わって負けると急に痛くなってきた。
ひざもなんとなく痛くなってきた。雪と雨でグランドはグジャグジャになっ
てパンツまでぬれてしまった。5校時の世界史は疲れて何を言っているのか
さっぱり判らなかった。疲れているのでクラブをサボって速く家に帰った。

2月2日(月)曇り                         
 G,H,Rで校長が広島大学学長の渡米、渡欧の感想文を読んだ。それに
はそれなりの良いところもあったが、なにしろ閊えながら読んだので半分ぐ
らいしか感銘しなかった。曰く日本人のお祭り騒ぎについて、日本政府の外
国に比べて学問に対する熱意の足りなさについて、留学生の日本文化に対す
る知識の少なさについて、アメリカの日本ブームの根拠について、以上であ
る。校長の面白くない話よりずっと良かった。もっとすらすら読め!。昼食
時間ラグビーの決勝戦が3の5対3の4で行われた。大変面白い試合だった
が5校時まで食い込んだ。大谷先生は大変ラクビーが好きなのか授業をしば
らくやめてラグビーを見せてくれた。結局3年5組(僕たちが敗れた組)が
大差で勝ったようだ。                       

2月3日(火)晴れ                        
今日は平年より暖かい、道路の雪も屋根の雪も道路へ出すので道路が非常に
悪い。3校時の千田先生が休んだので、久しぶりに休校になった。4校時は
工芸、これは休校と同じ、すなわち出欠を取ると終わりだから。3校時で家
に帰るのか、映画を見るのか帰る人が多く6校時には3分の2位しかいなか
ったので、順番が速く回ってきた。                 


2月4日(水)曇り 今日も暖かい                 
 今日もただなんとなく授業は進んだ。               
 三船という男も不思議な男だ。冬休みが始まる少し前から休んで、冬休み
が終わってから一度も学校に出て来ない。何でも哲学者ニーチェを大変尊敬
しているそうだ。彼の思想は「超人」というもので僕には判らないが、それ
によると学校で勉強するということは、大変馬鹿くさいものなんだそうだ。
三船と吉田が冬休み、公園で田村先生に行き逢い、学校に来ないわけを聞い
たところ、先生は大変怒って、自分の頭を出しそばの棒で殴れといって泣い
た。三船は何も出来ずおろおろし泣いたという話だ。僕はそのように教育に
熱心な先生に教えられよかったと思う。その後先生も大変心配して三船が盛
岡にいるか聞いたが、三船は毎日図書館に通っているそうだ。何でも三船は
ブラジル、東南アジア、エジプトへ移民したいと言ってた由。     
 あさっては予餞会、我が組でも寸劇を出すが僕は馬の足の役で出ることに
なった。前足は名久井、後ろ足が僕である。約30分ぐらいであるが腰を曲
げっぱなしなので大変疲れる。ちょっとであるが馬の上に高橋さんが乗るこ
とになっている。練習が終わって帰ったら6時半だった。       

2月5日(木)                          
 明日が予餞会だというので、10時ごろまで練習をした。馬の足だといっ
ても劇では重要な役割をしている。一度教室でやり、仕上げのつもりで講堂
でも本格的にやってみた。僕たちの前にも「人生劇場」をやる連中が練習を
していた、なかなかうまいものだ。馬の後ろ足はいつも腰を曲げているので
腰が痛くなってきた。                       

2月7日(金)                          
 2時間授業をやった。去年は授業無しで行ったのに、今年はずいぶんけち
臭いものだ。10時半から開会式が行われた。3年生には座布団と火鉢が配
られた。下級生は火鉢だけだ、火種をあちらこちら面白がって移すやつがい
る。人生劇場が意外に長かったので、僕たちのが最後になった。馬はただ布
をかぶればよいが、他の行者とか村長になる者は衣装もメーキャップも面倒
そうだ。とても間に合いそうもないので、一つ繰り下げてもらった。小松代
君はドーランを塗るとすっかり変わってしまったし、河童の岩持君も本当の
河童(見たことはないが)のようだ。いよいよ始まることになったがバック
の紙を張るとき画鋲を持った深澤君がどこかへ消えてしまった、うろうろし
ていると悠々と現れ皆を心配させた。さて馬である,あまり早くつくりすぎ
たので腰が痛くなった。もう出てもいいころだと思って出ようとしたが、ま
だまだもう少しで恥をかくところだった。でたでた、皆くすくすと笑ってい
た。緊張していたせいか少しも疲れない。いよいよ池へ引っ込まれて馬の役
は終わったが、池へ崩れ入るとき下に画鋲があって僕の尻に刺さった、痛か
 ったが声も出せなかった。八重樫監督は池の中で役者にせりふを教えていた。
終わってしまうとがっかり、せっかく練習したのに終わりか・・・   
 飛び入りにトランペットを吹く3年生がいて大変上手だった。先生方も4
人いて福田先生の子守唄はけっさくだった。             

2月12日(木)曇り                       
  世界史のテスト、何時ものように良くなかった。平均点よりやや下だった。
我々の組は他の組より落ちるようだった。              
 土曜日2年3組の離散会が児童会館で2時から6時まで行われた。自己紹
介やら、歌や・・田村先生も学生時代の寮歌(山形の高校)を歌った。その
後男子の一部(僕は入らない)が、2次会を北田家で行ったそうだ。焼酎、
新清酒各々1本、ウイスキー若干。酒に慣れているものも中にはいたが、あ
まり強くないし,さまざまな酒をチャンポンに飲んだため非常に酔ってもど
したそうだ。                           
 二日酔いで月曜日に学校に出てこないものもいたし、きても頭がふらふら
するといっていたものもいた。もどしたものを帽子に入れたとか、陸上競技
部のやつは高松の池をどんどん走ったそうだ。その他いろいろ失敗したよう
だ。北田屋から立派な手袋を持ってきたり、長靴を取り違えたり、顔に怪我
をしたり、本当に良くやったものだ。そのため寮を追い出されたり、下宿を
追い出されたりされた者がいた。酒は本当にきちがい水だ。僕は酒は赤球ポ
ートワインでもすぐ頭にきてしまう。自分が何をしたかわからなくなるまで
飲みたいとは思わない。ただし17歳現在である、これからどうなるか知ら
ない。                              

2月24日(火)曇り                       
2月25日(水)晴れ                       
 期末試験も近づいてきた。午後サボるものが多数いた。教室の窓から逃げ
て行く。僕も代返をしてやった。25日のHRで田村先生がついに怒った。
やっぱり昨日はサボりが多すぎたからなあ、それに掃除当番が2人だったそ
うだ。先生は僕も火曜日の掃除当番だと思って、「なしてサボったか」怒鳴
 って聞いたが、何も後ろめたいことがないのでゆうゆうと「僕は月曜日です」
と答えておいた。「どうせ君たちは腹の中で笑っているのだろう」と捨て台
詞を残してどんどん教室を出て行った。4時間目の数学が思いやられたが、
他の組で鬱憤を晴らしてきたのか普通だった。期末試験もあと1週間、時間
割も発表になった。                        
 26日テストがもうすぐだという時に、中央執行委員より応援団になって
くれと頼まれた。何回も頼まれたが断っていたところが、テストが終了する
ころに、僕が応援団員として黒板に書かれてしまった。しかたがないので僕
のようなにやけたものでも出来るならと言って応援団になってしまった。後
悔はしていない。テストは何時もよりよかったが、英語は落とすところだっ
た。                               
 テストの後、休みになったが、僕は応援団なので学校へ行って棒振りの練
習をした。見ていると楽なようだが、いざやってみると絹でできていても重
いし、それになかなか振れない。一日目は去年やっていた赤川君に教えても
らい、2日目は田村さんが教えてくれた。              





 工藤の日記これで最後です。                   
 今考えると、記憶にはありませんがだいぶやんちゃなことをやっていたよ
うです。2年3組の名簿はありませんが、集合写真がありましたので添付し
ました。                             

[2nen-3kumi]

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