岩手県立盛岡第一高等学校1960年卒在京同期会
在京白堊三五会・エッセイ(藤堂景茂)

1967.3:札幌医科大学卒業
1967.4-1979.3:同大学附属病院にてインターン(1年間)、同大学研究生・助手・講師を務め心臓外科の修行に励む
1979.4-1984.3:聖マリヤ病院(久留米市)胸部心臓血管外科部長(この間1981.12まで久留米大学助手・講師を兼任)
1984.4:同病院副院長(1999.1より院長代理)
2004.7:同病院院長(2006.4より久留米大学客員教授を兼任) 現在に至る




                   『古墳めぐり』

               (聖マリア病院長・福岡) 藤堂 景茂

 病院長を拝命してから約2年,日々の相談事に明け暮れストレスのたまる毎日を過ご

している。そのストレス解消の方法として昨年あたりから急に古墳に興味を持つように

なった。きっかけはふと通りがかった久留米市大善寺町の権現塚・御塚古墳に立ち寄っ

たときに始まる。緑深い権現塚古墳の掘り割りの周囲を風に吹かれて気持ちよく散策し

ている内に急に思い立って近くの古墳巡りでもしてみようかという気になった。そこで

調べてみると久留米の近くには思いもかけずたくさんの古墳があることが分かった。特
                      まえばる空空空空空空空空空空空空空空空
に筑後川沿い,矢部川沿い,菊池川沿い,さらに前原から福岡市,御笠川から宝満川に

かけての平野部におびただしい数の古墳,弥生遺跡がある。空空空空空空空空空空空空

 日本列島の形成が1万年ほど前のこととして,その前後から日本列島には原日本人が

居住していた。この人々は狩猟・漁労,焼畑農業をしていたものであろう。次に,中国

江南沿海部の原住地から山東半島,朝鮮半島西南部を経て,紀元前の時代(前三〜前二

世紀か)に日本列島に到来してきた種族がいた。主として筑前・肥前北部の沿岸地域に

居住し,水稲耕作農業を行い青銅器を使用して,我が国の弥生文化前期の主力を担った

もので,航海・漁労に優れた能力をもつ人々であった。三番目に,中国東北地方の内陸

部を原住地として,朝鮮半島を経,その南部を根拠として紀元一世紀頃に日本列島に到

来した種族がいた。鉄器文化をもつこの種族は,松浦半島に上陸して松浦川に沿って遡
                               みのう空空空空空空
り,天山南方の佐賀平野を西から東に進んで,筑後川の中・下流域,水縄山地(身納山
                 みい空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空
脈)の北麓から西麓の辺り,筑後国の御井・山本郡を中心とする地域(現在の久留米市)

に定着した。これが,『魏志倭人伝』に見える邪馬台囲の前身たる部族国家であり,こ

うした原始国家を二世紀初頭前後頃から形成し,その王家の支族は二世紀前半頃に筑前

海岸部へ遷住,さらにその王族庶子が遥か東方の大和へ移動して,二世紀後葉に原初大

和朝延を形成したとされる(宝賀寿男)。つまり新しい文明は大陸から主に九州に入り

金剛こ拡散しているのである。空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空
         まつろこく空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空
 『魏志倭人伝』には末廬国,伊都国,奴国などの国とともに邪馬台国の名前が見える。

この邪馬台国以外の国々はそのほとんどが北九州それも松浦半島から博多にかけての一

帯に存在したことで合意が得られているようであるがなぜか邪馬台国については畿内鋭

と北九州説に分かれどこに存在していたかについては定説がないようである。この論争

の根拠として用いられるのが古墳及びそこから掘り出された銅鏡,埴輪などの埋蔵物の

時代考証らしいが,畿内説をとるとすれば私のような全くの素人から見てなぜ北九州の

諸国の見聞録のなかに突然畿内地区の国がそれも単独で現れるのか不思議な感じがする。

もし神武天皇が大和にいたとしてその年代は二世紀後半頃と思われ,一方卑弥呼が存在

したのは三世紀後半ということになれば,『魏志倭人伝』に言う女王国は大和にあった

と言うよりは北九州にあったとするほうがはるかに説得力があるように思われる。

 ともあれ甘木にある平塚川添遺跡公園の弥生遺跡の中で涼風に吹かれながら周囲の田

園風景を見渡していると1700年前卑弥呼がここで暮らしていたように思われ邪馬台国論

争などはどうでも良いような気になってくるから不思議である。悠久の時代から人々は

営々と生活を続け今日まで引き続いているのかと思うと改めて今自分がこの地にいるこ

との不思議さを思うこの頃である。空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空

                日本病院会雑誌    2006年8月号pp.105-106




                               (聖マリア病院のホームページより)

研修本部長のごあいさつ<<臨床研修希望者へのメッセージ>>

これから医師を志す人に日本の医療が求めているもの


 近年医療現場は大変な変革の渦中にあります。その原因は少子高齢化社会による疾病構造の
変化・経済的不況による医療費など福祉関連予算の締め付け・高度医療の発達による過度の専
門家志向・市民レベルでの権利意識の向上とそれに伴う過剰な医療に対する期待感・情報公開
化社会の到来によりこれまで潜在化していた医療安全に関する諸問題の顕在化など枚挙に暇が
ありません。これに対して国の方も臨床研修制度の必須化により医師としての基本的技術をす
べての医師が身に着けるべく教育制度の改革・国公立大学及び病院の独立行政法人化移管や出
来高払い制から包括支払制度への変換による経営的無駄の排除・各種の医療安全、医療の質の
改善に関する取り組みなどが始まってきています。これらの変化に対応するためにはこれから
医療を志す人にはこれまでの極端な専門家志向ないしは財務管理のみを視野に入れた病院経営
などよりも遙かに広い視野に立った医療への取り組み方を学ぶ必要があります。資本主義社会
では企業体を運営するためにはステークホールダーバリューが重視されるようになってきてい
ます。この意味は企業運営上利害関係者に対する責任と収益の追求のバランスを取るという意
味で具体的には株主・顧客・従業員・地域社会の四つにとってバランスの取れた運営を行うべ
きであるという考え方です。同じ思考過程は医療に於いてもそのまま当てはまると考えられ医
療者は単に疾患を診るだけでなく病院の経営状態・患者の利益・従業員の満足・地域社会への
貢献の四つのバランスが良く取れた医療に取り組む必要があります。そのためには何をどのよ
うに勉強していったらよいかを考えながらみなさんの一人一人が視野の広い医療人として育っ
ていくように切磋琢磨していってほしいと思います。空空空空空空空空空空空空空空空空空空
                聖マリア病院長・研修管理委員会委員長 藤堂景茂