平成4年の第23回の在京白堊会は昭和35年卒が当番だった、と記念誌の編集部から伝え
られ、写真とコメントをといわれて、ヤーイと写真探しにメールで呼びかけました。10年
以上もまえのこと、作業は確かにした記憶はある、けれども、写真はねえ‥‥‥。どうやら
カメラを持参して撮ったという話もなく、かくて在京35会は、昨平成15年12月の忘年会の
集合写真でお赦しを願う次第です。
私たちの在学中は、ともかくも高体連11連覇(連覇はここまで)、1年生のときは、ハ
ンドボールは東北大会で優勝、サッカーも弘前高を破って国体出場権を獲得、映画「花紅
いに」のロケに出演料250円で全校生のうち約100人が参加、合唱は県大会で優勝、陸上
のジュニアでも県大会で優勝、2年では時計塔の時計が電気時計になって「正確」になり、
新体育館ができ、戦後初めてクラスごとの遠足が同じ日に行われ、十和田湖、平庭高原で
一高生に出会い、3年では翌年に迫った創立80周年の準備、校長は鈴木長先生から石橋哲郎
先生へ。そして、いわゆる60年安保反対で一高生72名が「静かなる示威行進」に出るのは、
私たちが卒業した2ヵ月後の6月からのこと……。
卒業から43年。卒業生300名中95名が在京35年会の会員となっており、もう35年ほどま
えから、12月第1週の金曜日夕刻から、というのが忘年会を兼ねた同期会になっています。
軍艦マーチ、いや校歌を腹の底から歌いたくて、毎年、女性群も含め35〜40人ほどが参加。
朱の生地に白で校章を抜いた応援旗もなお健在で、往時の元気を取り戻すべく、これを会
場の壁に貼って、全員肩を組んで謳っています。
若き日をこの集いで振り返り、エネルギーを相互に交換し、そして、それを胸に秘めて
家路につく。これは35会の、いや「白堊」卒業生のどの年代もが共通にもつ、貴重で、
ほかに換えがたい資産ではないか、と思っています。
<<実際には、モノクロで掲載されました。>>
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