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岩手県立盛岡第一高等学校1960年卒在京同期会
在京白堊三五会・小原房之助先生のご葬儀・参列報告by小松代万靭
2008年9月15日
ご無沙汰致しております。 空
向井田久子さんからお知らせがあった通り、恩師小原房之助先生の葬儀が、今日
盛岡市愛宕町のメモリアルホールもりおか長安殿で行われました。 空
35会から花輪をお届けし、田口圭一、藤川智美、向井田久子の3氏と小生が列
席して来ました(このほかにもどなたかこられていたかもしれませんが生憎確認出
来ませんでした)。 空
当時の盛岡一高の先生方では、沼宮内耕作先生、箱崎敬吉先生、黒井恭平先生な
どお顔を拝見しました。 空
参列の方々の人数も丁度よく、しっとりと落ち着いたいい雰囲気の葬儀でした。
ご遺族からご依頼があって盛岡一高35会を代表して僭越ながら私が弔辞を読ん
でまいりました。(弔辞は岩手県高等学校校長会OBの代表、同僚代表の箱崎先生、
盛岡一高昭和27年卒業生代表の方、それに私の4人です。) 空
小原先生は東京高等師範を卒業された後、すぐに一高の前身盛岡高等学校へ奉職
され、そのまま盛岡一高へ名称が変わって、昭和34年から我々35年卒業生の国
語の教科担当と1組のクラス担任を受け持たれたわけです。 空
昭和37年岩手県教育委員会事務局へ移られ、この後県立軽米高校、県立水沢高
校、盛岡一高の3校の教頭、昭和48年から、いずれも県立の住田、花巻南、杜陵、
盛岡工業、盛岡第三の各校長を勤められ、昭和63年から盛岡中央ゼミナール等で
校長に就かれています。 空
岩手県高校野球連盟会長なども歴任され、昭和62年文部大臣教育表彰、 平成
10年には勲四等瑞宝章を受賞されている由です。 弔辞の中で、県立高校の校長
を5校も勤められるという事は殆ど無く、小原先生が如何に教育界で高く評価され
ていたかのしるしです、と紹介されていました。 空
長くなりますのでこれで報告を終わります。 空
『小原先生のご葬儀に参列して』 向井田久子(掲示板より転載)
小原先生のご葬儀に行って参りました。 空
小原先生には、高校では担任として、又後年は古典のカルチャー教室でお世話に
なりました。ご報告のように、小松代さんが温かいお心のこもった弔辞を挙げて下
さり、私は懐かしさに目頭が熱くなりました。乙女の会の方々も数名参列なさって
いました。 空
焼香して帰る時、遺影の先生が微笑まれたように見えました。 空