岩手県立盛岡第一高等学校1960年卒在京同期会
在京白堊三五会『400年続く伝統の鹿皮製品』by横澤利昌

Japan SPOTLIGHT 誌論文3編のうちの@の日本語訳



「長寿企業大国にっぽん」                         
400年続く伝統の鹿皮製品                        
 2008年10月のリーマン・ショック以降、世界中に100年に一度といわれる経済
危機が世界を襲っている。                           
 しかし、日本には創業百年以上続いている企業が約5万社、2百年以上が3500社、
ドイツでは2百年以上、1500社、フランスは3百社前後である。さらに日本では千年
以上が19社あり世界一多い。長寿企業大国ニッポンと言われるゆえんである。   
 なぜ、このような長寿企業が日本には多いのでしょうか。            

その秘訣は家制度と経営理念にあり、                    
1)伝統的な家制度にある。欧米では、家はあくまでも血縁的つながりであり、企業は
契約で結ばれた組織である。しかし、日本では家の存続や繁栄を第一に考え、本家・分
家・別家など家集団を形成し、それが企業集団にもなって事業を次世代に継承させてき
た。                                    
 もちろん、アジアや欧米にも同族企業は数多くある。ただ、彼らは一族の繁栄を第一
に考え、経営でも血縁・同族を重視する。一方、日本の老舗企業は、血の存続よりも
家の存続を重視し、婿や養子を迎えて、血縁者以外の人材を加えるといった伝統が見
られる。                                 
2)長寿企業は現代経営に通じる経営哲学を持っている。代々伝わる家訓や家憲であ
る。                                   
 例えば、大丸デパート(当時呉服屋)の3百年前の家訓「先義後利」(せんぎこう
り)″がある。義とは正しいこと、道理、法則を意味し、「義を先にして利を後にす
るものは栄える」ということ。経営学者のP・ドラッカーは自著「現代の経営」の中
に「企業の目的は顧客の創造であり、利潤は成果である」と述べたが、日本では、江
戸時代から、まず義があり、利が後だという社会全体の考え方があったわけである。
 あるいは、伊藤忠や丸紅など近江(おうみ・滋賀県)商人の三方よし″「売り手
よし、買い手よし、世間よし」もよく知られている。これも、現代の企業に求められ
る従業員満足(ES)、顧客満足(CS)、社会貢献(CSR)に通じる経営哲学、
理念であり、つまり、日本の長寿企業は現代の経営に通じる哲学・理念を伝統的に持
っていたのである。そういう企業経営にとって根本ともいえるDNAを大事にしてい
くことが、危機克服に非常に重要ではないかと思う。             

4百年続く伝統工芸 印伝屋                      
 印伝の由来と伝統技法                        
 印伝の由来は寛永年間に来航した外国人により印度(インド)装飾革が幕府に献上
された際に名づけられたと伝えられている。その華麗な色に刺激されて、後に国産化
されたものを印伝(度から来)と呼ぶようになった。           
 経営理念は「人間尊重の経営」であり、職人、仕入先、販売先を大切にしている。
定年は60歳だが身体が続く限り70歳でも手伝う。ほとんど退職者はいない。 
 「印伝は家業として継承しており、この土地を動かない、ここに住まないと栄えない、
街が荒れるのは住人が郊外に住むようになるからだ」といって、地元との繋がりを大
切にしている。平成16年上原勇七氏は会長に退き、長男の上原茂樹が14代社長に
就任した。                                
 印伝屋は製造卸、小売を行う老舗である。各種印伝製品の製造で、「印伝」は、古
くから甲州「山梨県」に伝えられた皮工芸である。 鹿革に@漆で模様をつける@漆つ
け技法をはじめA燻(ふすべ)技法、B更紗(さらさ)技法などが伝承されている。 この
伝統技法を駆使した多種多様な印伝の製品は、財布、ハンドバック、ベルト、名刺入
れ、小物入れ、小銭入れ等である。                     
 特に燻べ(ふすべ)技法とは推古朝(592〜628年)時代に確立し、現在では
唯一 印傳屋だけに伝承されている「燻べ技法(ふすべぎほう)」。 この技法は、鹿
革を染色する通常の印傳とは異なり、 藁と松脂を焚いた煙で鹿革を燻(いぶ)して革
を染める技法である。煙で革を燻すことによって、@革がしなやかになるA水に濡れ
ても革が硬くなりにくいという利点が生まれるのもこの技法の特徴。 この技法で作ら
れたのが「燻べ」で、 タイコと呼ばれる器具に鹿革を貼り、燻す工程は 熟練の職人
だからこそ出来る技。 通常の印傳とはまた違った風合いである。日本独自の技法であ
る。                                   
 ポルトガル人宣教師・ルイスフロイト(1532〜97)も「我々の毛皮は染料で
染色する。日本人はただ藁の煙だけを用いて極めて巧みに着色する」と驚きをもって
伝えている。                               

創業で400年以上の業歴                       
 印伝屋上原勇七は天正10年(1580年)創業で4百年以上の業歴を有する。当
主は代々上原勇七を襲名している。古い資料は第2次大戦で焼失し残っていない。店
も戦災で焼失し、野球のグローブを作ってしのぎなから復員してきた職人たちと製造
を再開。1955年に12代目が急逝し22才で上原勇七(現会長)は社長に就任し
た。主に製造を勇七氏、販売を母がみる二人三脚で行商人に印鑑入れの袋などを販売
し、伝統の灯を守った。勇七氏の決断は、13代まで「一子相伝」で伝承されていた
が秘伝の印伝製造を従業員にも公開したことである。従業員と技術を共有しなければ
企業として発展しないと考えたからである。                 
 印伝屋は一貫生産メーカーとして、業界トップにランクされ、全国シェアは90%
以上を有し、印伝製品市場をほぼ独占している。伝統製品に斬新なデザインを施した
新製品を常時市場に投入するなど、若者層への需要掘り起こしにも注力している。

印伝の街づくり(社会貢献)                      
 平成6年、組合を結成し県と市の協力を得て、甲府市川田町にファッション都市
「アリア・デェ・フィレンツェ」という街づくりにも大いに貢献している。その他、
地元主催のスピーチコンテストやママさんサッカー等の行事への協賛を行っている。
また、本社2階の印伝博物館に印伝屋の製品製造の技法と歴史を展示している。