『JCOの臨界事故』

 

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 1999年9月30日はわが国の科学技術史上、忘れてはならない日になった。言わずと知れたJCOによる『臨界事故』の起きた日である。この日、私は午後7時頃のバスで帰宅の途についたが、その時はうかつにも東海村で「何か原子力関係の事故があったらしい」としか認識していなかった。「また動燃(今の名前は核燃料サイクル開発機構)でミスったか」と左程重大に考えていなかったくらいである。

 いつも同じ路線で乗り合せる知人がその日も帰りのバスに乗っていて、『核燃料は常に扱っている量を把握し、記録もしておかなければならないのに、インターネットで新聞を見た範囲では「随分いい加減なことをやっていたらしい」、私達の会社では考えられないことですよ』とおっしゃっていた。その方は、原子力関係の研究に携わっていた方である。帰宅後、テレビをみたけれど『臨界』ということはまだ言っていなかった。そのようなことからまだJCO内部のごく限られた範囲のこととしか考えなかった。

 夜中のラジオで、近隣の小中学校・高等学校は休校措置をとった、茨城高専も休講、と放送していた。しかし、私の勤務する茨城大学工学部の名前は耳に入ってこなかったので、「10キロ圏の外にあるからな」と思っていた。確かに我が家も10キロ圏に入っていないけれど、翌朝、出勤しようとしてバス停に行ったら周りが何か静まり返っているのである。日立電鉄バスの車庫は“大みか”にあって現場から5〜6キロの距離にあり動いていない。その上、JR常磐線も動いていなかったのだ。私は、夕べバスで一緒になった知人が奥さんの運転で出勤する車に拾ってもらってその事情を知った次第である。

 大学まで送ってもらい、警務員室で学科の建物の鍵を受け取る際にも警務員は「何の指令も来てないのですよ」とのことであった。いつもはかなりの職員が出勤している時刻なのに、管理棟の明かりもついていないで静まり返っている。かなりの職員が勝田・水戸方面から通勤しているのである。私は同じ学科に在籍する気安さから ひたちなか市(勝田)在住の学部長に電話をしてみたが、NTTの「大変込み合っております。後ほどおかけ直し下さい」の声ばかりで通じなかった。後で知ったが学部長は学部長で工学部の事務の方へ何度も電話をかけていたようである。やっとキャンパス近くに住んでいる職員の自宅に電話して「休講措置」が伝えられた。

 私はあの事故から約1週間後に公用で大学の車で水戸キャンパスに出かけた。その際、行きも帰りも国道6号線を通ったのだが、JCOの敷地は国道から100メートルも離れていないように見えた。JCOのすぐ傍にあるドライブインなど休業を余儀なくさせられていた。官用車の運転手は、「あの日、(事故の)同じ頃高速道を通っていました」と言っていた。JCOの事故の後その傍を通った者は希望により特別健康診断を受けることになった。私も受診したけれど、全ての検査項目の数値は日常の値と変ってはいなかった。

 私は定期券を購入してバスで通勤している。JCOの事故の翌日はバスが運休したので定期券を更新する際に定期券の1日延長を申し出た。バス会社のストライキで運休したときは補償されるのを知っていたから当然のことと考えた。バス会社の職員はそのような申し出は予想もしていなかったらしく、本社の方から返事をするとのことであった。結局は「私たち(バス会社)も被害者でして……」ということで納得はしなかったが私一人の損害は軽微でもあり引き下がった。実際には私は車に乗せてもらったり、夕方にはバスも電車も復旧して利用したからでもあるけれど。

 JCOの臨界事故から4ヵ月以上経った今、わがキャンパスをはじめ、近隣の日常は表向き平常に戻っている。しかし、『風評被害』はいまだに続いている。年末の頃であったが出張で東京に行きビジネスホテルにチェックインしようとして住所を書いた途端に「満室」と断られた近所の人を何人か知っているし、茨城産の米が新潟産の半値で東京では売られていた。郷里の兄に果物か何かを送ろうとしてもあまり嬉しそうではないし、「水戸納豆は売れ残ってるなぁ」という具合である。茨城名産の干し芋をはじめ農産物も水産物も打撃は相当なものであろう。

 3代前の茨城大学工学部長であり、現役を引退後は、東海村に在住する我が尊敬する寺門龍一先生は「このような事故に対する人々の反応は距離に比例して大きくなる」とおっしゃった。現場近くの住民は逃げ場がないこともあって状況がわかれば平静を保つこともできるが、情報の得られない遠くの人は地域全体、国全体が汚染されたように思ってしまう。新体操だったろうか、大阪での国際大会の会場から帰国した選手がいた。また、近隣の大学では来日するはずだったドイツの学生が急遽来日を取り止めたとも聞いている。しかし、私たちはこれを過剰反応として笑うことは出来ない。そのような危機意識は正しい知識と共に常にもっている必要がある。水戸まで官用車で一緒に行った赴任したての他学科の若い助教授は『荷物をまとめて逃げ出そうかと思った』と言っていた。私のような古手の者が鈍感なのであった。

 私たちが工学研究者として、このJCOの臨界事故から学び取るとしたら何があるであろうか。勿論、“絶対”安全を確保できる「量」以上に注入できる容器を使用したところに第一の間違いがある。しかし、私はそれ以前に、「仕事の内容・意義」を熟知することが必要であったと考える。先ごろ重篤が伝えられていた作業員の大内久さんは手篤い看護の甲斐もなくついに亡くなってしまったが、大内さんたち作業員は「仕事の内容・意義」どころか「こうすればこうなる」ということは何も教えられていなかったと伝え聞く。会社の幹部もそういうことを熟知していたのかどうかわからないが、全社を上げて「マニュアル」を無視してしまった。現場の作業をする人が「こうすればこうなる」という教育を受けていれば、と惜しまれてならない。私は半導体デバイスや材料について研究しているが、学生には「仕事の内容・意義」と「こうすればこうなる」ということを何度でも教えなければならないと考えている。それと同時に学生自身も教わるだけでなく、『臨界事故』とは早い話がゆっくりした「核爆発」なのだという程度の常識は備えて欲しいし、半導体の研究に関しても「化学」や「物理」・「冶金」などを日ごろから勉強することが研究の大きな成果を得るもとになると認識して欲しいと思っている。

 『風評被害』の一つとして、「茨城」と名のつく我が大学の志願者が減るのではないかという心配があった。しかし、18歳人口が減って行く中で工学部全体の志願者は昨年より10%程度増加しており、『メディア通信工学科』も前期日程も後期日程もちょうど募集人員程度志願者が増加していて、受験生に動揺を与えていないことが読み取れ、その点は安心した。

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《第一稿》(2000/02/08)

《第二稿》(2000/03/01)

《字句修正》(2003/11)