1.吉田神社 (下土木内町)
2014.6.30参拝 久慈川の流域。「東小沢老人の家」の背後で、一見すると古墳を連想するような田圃に囲まれた森の中にある。 北に風神山、真弓山の稜線がくっきり浮かび、東に直線距離で300mほどの東小沢小学校がひときわ大きく見える。 祭神 日本武尊(やまとたけるのみこと) 由緒 創立年代は不詳だが土木内の歴史と共に古い。佐竹氏時代は八幡神を祀っていたが、水戸藩二代藩主徳川光圀(1628〜1700)の神社改革の結果、日本武尊を祭神とすることになった。 立地状況 平地。駐車場なし。「東小沢老人の家」の駐車場を利用し農道を歩く。 ![]()
2.熊野神社 (茂宮町) 2014.7.5参拝 日立港から常陸太田に向かう国道293号線、信号「留大橋北」より一つ北側のT字路を西(久慈川方向)へ入ってすぐ。 祭神 伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉册尊(いざなみのみこと) 速玉男命(はやたまのおのみこと)、事解男尊(ことさかたのおのみこと) 由緒 常陸州籾屋邑鎮守者が享保11(1726)年紀伊国熊野の十二所権現へ参り、延享3(1726)年熊野神宮正遷宮で2夜3日修行したと伝えられているが、創建は詳らかではない。 立地状況 平地駐車場なし。鳥居前の路肩に駐車できる。交通量は極めて少ない。 ![]()
3.熊野・鹿島神社 (留町) 2014.7.5参拝 鳥居をくぐり参道に入ると南側に一面葦が生い茂り、その先は久慈川の流れとなる。JR常磐線の青い鉄橋が見え、時折電車の走行音が響いてくる。 祭神 伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冊尊(いざなみのみこと) 武甕槌尊(たけみかづちのみこと) 由来 天正年間(1573〜92)頃の創立と伝えられている。最初から熊野・鹿島両神社として祭神を祀っている稀有な神社である。 立地条件 平地、駐車場なし。鳥居前に駐車スペースがある。 ![]()
4.北野神社 (留町) 2014.7.5参拝 日立市の南端、南留エリアにある。北に国道293号線、南に久慈川、東に国道245号線、西にJR常磐線が走っている。 集落をひと回りして国道293号線に出る途中、平成17(2005)年に廃線となった日立電鉄の黄色い車両を敷地内に展示している、鉄道模型店「電車くん」の側を通った。 祭神,由緒どちらも分からなかった。 立地状況 平地。駐車場はないが入口付近に駐車スペースがある。 ![]()
5.鹿島神社 (神田町) 2014.6.30参拝 久慈川の榊橋の手前にある信号「下土木内町」を西へ進み、常陸太田市堅磐町(かきわまち)との境にある。神社の隣は堅磐町集会所である。 鳥居の横に日立電鉄バス停「鹿島神社前」の表示板が立っているが、バスは既に廃止になっていて、常陸太田市民バスの時刻表が取り付けられていた。 祭神 武甕槌尊(たけみかづちのみこと) 由緒 寛文3(1663)年、当時の釈迦堂村(現在の神田町と堅磐町)には4つの寺院があり、これらの寺院が別当をつとめる数多くの祠が祀られていた。徳川光圀の神社改革により、鹿島明神が一村の鎮守となった。 立地状況 平地、境内に駐車スペースがある。 ![]() ![]() 6.名称不明の神社 (神田町) 2014.6.30参拝 神田町の鹿島神社に向かう途中、常磐道の下を通過して300mの所にあった神社で鳥居にも拝殿にも神社の名前がない。地図で調べたら神田町の吉田神社と考えられるが定かではない。 従って祭神も由緒も分からなかった。 立地状況 平地、駐車場なし。道路の路肩を利用するしかない。 ![]() 7.鹿島神社 (大和田町) 2014.6.30参拝 大和田町郵便局の一軒おいて西隣り。通りに面しているにもかかわらず鳥居をくぐり境内に入ると樹木の中で森厳そのものである。 祭神 武甕槌尊(たけみかづちのみこと) 由緒 文禄2(1593)年鹿島大神の分霊を鎮齋して創建したと伝えられている。 立地状況 傾斜地、駐車場なし。大和田郵便局の駐車場を利用した。鳥居をくぐって石段を登る。 ![]() ![]() 8.羽黒神社 (大和田町) 2014.6.30参拝 国道6号線と293号線が交差する信号「大和田町」を、常陸太田方向に進み1つ目の信号を右折するとすぐ。隣に田中内(たなこうち)地区地域公民館・集会所がある。 祭神 木花開耶姫命(このはやさくやひめのみこと) 由緒 延暦20(801)年坂上田村麻呂が蝦夷征伐の途上、藤原某と図って小社を建立し、石長姫命(いわながひめのみこと)、木花開耶姫命を祀った。 元禄年代(1688〜1703年)徳川光圀の命により石長姫命は分霊され、木花開耶姫命のみを祭神としたと伝えられている。 立地状況 平地、田中内地域公民館・集会所前に駐車スペースがある。 ![]() ![]() (注) 各神社の祭神、由緒は神社で入手したパンフレット、境内設置の案内板及び記念碑などの碑文、『茨城県神社誌』(昭和48年、茨城県神社庁発行)に拠った。 |