「空の鳥、野の花を見つめる時」
最終講義(教養特別演習)2003年1月17日(金)5校時
 今日はこの学校で私が14年間務めて、また前の学校を含めると35年教師生活をしてきまして、来年の四月からはどこに行くかまだ分かりませんし、教師の生活はこれで終ってしまうかも分かりませんが、まあそういうことはどうでもいいことなんですが、その最後の最後の授業をこのクラスですることになります。このクラスでは前期は特にアンネ・フランクを中心にして『アンネの日記』(文芸春秋)をもとにしながら、アンネがあの時代をどういうような思いをもって生きたかということを中心に学んできて、後期の授業ではアンネ・フランクと同じ時代を過ごした、またアンネと同じポーランドのアウシュヴィッツ強制収容所で囚人として過酷な日々を過ごしたビクトール・フランクル教授が書いた『夜と霧』(みすず書房)という本を中心に学んできました。またそれ以外にアンネと同時代を過ごしたオードリー・ヘプバーンやコルチャック先生、あるいは杉原千畝さんとかそういう人たちとの関連を含めて一緒に学んできましたが、今日は最後のまとめとして二つのテーマで結びたいと思います。
 先程の倫理学の授業、ここにいらっしゃる三名も受けていますが、その中でもとりあげたり、またキリスト教学の中でも自分のテーマとしてとりあげていたことにも関連して、いわばそれらの総決算と思って話を聞いていただけたらと思いますが、『アンネの日記』の中にでてくるアンネと自然との関係、それからそのつながりでフランクル教授の『夜と霧』の中に表されている囚人たちの自然に対する関係、それから今日の環境破壊、公害の問題をいち早く戦後になって告発したレイチェル・カーソンが書いた『沈黙の春』(新潮社)、そのレイチェルが癌で亡くなる前に書き続けた遺言とも言うべき『センス・オブ・ワンダー』(祐学社)という本があります。〈驚きの感覚〉というか、更にその本との関連で最後に、ミヒヤェル・エンデというドイツ人の児童文学者が書いた『モモ』(岩波書店)という本があります。これも本当にゆっくりと読んで味わってほしい書物の一冊ですけれども、そこにつながってくることが、一つは「人と自然との関係」、もう一つは「二つの時の問題」、その二つのことを今日は合わせながらとりあげて最後の授業にしたいと思います。
 まず、アンネ・フランクの日記のいくつかの部分を見てみたいと思いますが、13〜15歳の頃の、アンネが自然に対してどのような思いをもって過ごし、また彼女自身の人生を自然がいかに支えたかということです。例えば1944年の2月17目、こういうように記しています。
 「太陽が輝いています。空は紺碧に澄み渡り、ここちよいそよ風が吹き、そして私はあらゆるものにあこがれています。」こういうような表現がありますね。太陽の輝き、紺碧の空、ここちよいそよ風の中で、アンネはあらゆるものに憧れている。自分の心、憧れ、希望、願いと、太陽の輝き、,紺碧の空、またそよ風と戯れながらというか出会いながら、そういう自分の憧れを心の中にたくわえています。そういうアンネ。たくさんアンネの日記の中にそういう自然のことがでてくるわけですが、ぺ一ターと二人で屋根裏部屋からのぞいている景色。
 「私たちは二人でそこから青空と、葉の落ちた裏庭のマロニエの木とを見上げました。枝という枝には、細かな雨のしずくがきらめき、空を飛ぶカモメやそのほかの鳥の群れは、日ざしを受けて銀色に輝いています。すべてが生き生きと躍動して、…私たちの心を揺さぶり、あまりの感動に、…二人ともしばらく口もきけませんでした。」(1944年2月23目)。そして更に、「その間も私は、ときどきひらいた窓から空の景色を眺めていましたが、そこからは、アムステルダム市街の大半が一目で見わたせます。はるかに連なる屋根の波、その向こうにのぞく水平線。それはあまりに淡いブルーなので、ほとんど空と見分けがつかないほどです。それを見ながら、わたしは考えました。『これが存在しているうちは、そしてわたしが生きてこれを見られるうちは一この日光、この晴れた空、これらがあるうちは、決して不幸にはならないわ』って」。このごくありふれた空の色や、景色を眺めながら、「これらがあるうちは、決して不幸にはならないわ」と、その自然からたくさんのエネルギーと生きる力を彼女は受け止めている。「こういう自然が存在するかぎり、…たとえどんな環境にあっても、あらゆる悲しみに対する慰めをそこに、見いだすことができる、そうわたしは思います。自然こそは、あらゆる悩みに対する慰安を、もたらすのにほかならないのです」と。またこう語っていますね。「外へ出るのよ。野原へ出て、自然と、日光の恵みを楽しむのよ。自分自身の中にある幸福を、もう一度つかまえるように努めるのよ。あなたのなかと、あなたの周囲とにまだ残っている、あらゆる美しいもののことを考えるのよ。そうすれば幸せになれるわ!」。これは自分に対する彼女の語りかけであり、同時にこの読者、日記は読者を想定しては書かれていませんけれども、そういうアンネの誰かに対する語りかけでもあります。アンネの幸せというのは、もちろんその時代環境は大変な状況なんですが、たいへんであるがゆえにありふれた自然の景色やそういう眺めから限りない命の息吹を感じとって、それを感じとれる間は自分は幸せなんだということを語っているわけです。
 次に『夜と霧』の中でフランクル教授が書いた一つの場面があります。最近出版された池田香代子訳によりますと、
 「ある夕べ、わたしたちが労働で死ぬほど疲れて、スープの椀を手に、居住棟のむき出しの土の床にへたりこんでいたときに、突然、仲間がとびこんで、疲れていようが寒かろうが、とにかく点呼場に出てこい、と急(せ)きたてた。太陽が沈んでいくさまを見逃させまいという、ただそれだけのために。
 そしてわたしたちは、暗く燃えあがる雲におおわれた西の空をながめ、地平線いっぱいに、鉄(くろがね)色から血のように輝く赤まで、この世のものと思えない色合いでたえずさまざまに幻想的な形を変えていく雲をながめた。その下には、それとは対照的に、収容所の殺伐とした灰色の棟の群れとぬかるんだ点呼場が広がり、水たまりは燃えるような天空を映していた。
 わたしたちは数分間、言葉もなく心を奪われていたが、だれかが言った。
 『世界はどうしてこんなに美しいんだ!』」
 これは非常に感動的な場面です。ぬかるみの広場と灰色の掘っ立て小屋、そして暗黒の日々の背景を考えた時に、人間はそういう中にあっても自分を失うことなく白分を保ち、自分自身を取り戻すことができたと述べているのです。フランクル教授はこうした感動を「内面化への傾向」というように説明しているのです。暗黒の状況の中にありながらも、夕焼けを眺めながら、『世界はどうしてこんなに美しいんだ!』と語れるのが人間。先ほどのアンネの自然への思い、またフランクル教授の囚人たちの感動の場面、そういうものが、レイチェル・カーソンが言っている、自然の不思議さに感動する心、驚きのセンスをもっということです。レイチェル・カーソンが書いたこの『センス・オブ・ワンダー』という本を読んでみますと、アンネのあの感動の言葉とそっくりな言葉が出てきます。
 「地球の美しさと神秘を感じとれる人は、科学者であろうとなかろうと、人生に飽きて疲れたり、孤独にさいなまれることはけっしてないでしょう。たとえ生活のなかで苦しみや心配ごとにであったとしても、かならずや、内面的な満足感と、生きていることへの新たなよろこびへ通ずる小道を見つけ出すことができると信じます。」
 そしてカーソンは子どもたちへの最高の贈り物は、自然の美しいもの、未知なもの、不思議なものに目を見張る感性をはぐくむことだと、カーソンは述べています。また「子どもにとっても、…親にとっても、『知る』ことは『感じる』ことの半分も重要ではない」と。『アンネの日記』の中に記されている彼女の感性の素晴らしさ、鋭さ、また未知なもの、不思議なものに目を見張る感性はカーソンの思いにつながります。先程倫理学の時間に書いて提出してもらったレポートをさあっと読みました。ここにいる3人のレポートも読ませていただきました。レポートの中に、カーソンの『センス・オブ・ワンダー』、また『沈黙の春』を読んでの感想文がいくつかありましたが、ここでは二人の学生のレポートから引用したいと思います。一人は益子理恵子さんのレポートです。
 「豊かな感性を…と大人は子どもに要求ばかりするが、子どもに要求するならまず大人がそうなることである。ものの名前や、いろいろなことを知らなくても、知識がなくても子どもと一緒に楽しみさえすればよいのである。例えば、定点観察を子どもと一緒にすれば変化を一緒に感じることができる。
 時間には『おとなの時間』と『子どもの時間』がある。
 『おとなの時間』…『〜しなさい』などの時計の時間で急がせてばかりいる時間である。
 『子どもの時間』…例えばありんこの道をずっとたどって行ったり、丸くなったダンゴムシがもとに戻るのを見ていたり…と時計に縛られない時間である。
 子どもの時間をたっぷり持たせてあげること、ひと呼吸もふた呼吸も待つことが大切である。
 私たちは日頃、時計の時間に追い回されているが、ぼ一っとした時間をもつことも必要だと思う。そのぼ一っとした時にたくさんのことを感じることができる。それは、私たちに力をつけてくれ、安らぎを与えてくれる。日常生活の中で子どもに対して『待つ』ことが大切だと思う。
 私はレイチェル・カーソンの考えを忘れずに、これから先私がもつかもしれない子供に対して、そして周りの子供に対して接していきたいと思う。」
 この「大人の時間」と「子どもの時間」について、皆さんはどう思われましたか。今のこの社会というのは高度に進んだ杜会であるがゆえに逆に時間においたてられていく。その時間というのは、子どもにとっては「これこれまでにこうしなさい」、時間がきたら、「さあはやく学校に行きなさい」。「いついつまでに帰ってきなさい」。時間ですべてが計られてしまう時間、それが大人の時間というわけですね。「子どもの時間」とは、そのような大人によって仕切られない時間のことです。
 この大人の時間と子どもの時間、これは非常に大事なことを益子さんは、おそらくレイチェル・カーソンから学びながら同時に他の何か指摘された書物や文章から学んだことをここに書いているのだと思います。そして、アンネが自然との関わりをもつ時間は、この「子どもの時間」ですね。人間にとって自分自身を人間として取り戻す時間が「子どもの時間」、「子どもの時間」といったら、子どもの時の時間ではなくって、子どもの心の中にあるもの、不思議なものに感動する心、神秘なものに心を奪われていろんなことを考えるあの心、そういう心がアンネをアンネたらしめていた。自然というものと時の問題、自然を見つめる目の中に、このもう一つの時をもっていた。そのことは非常に大事な、これは哲学的な問題でもあるわけですが、もう一人の学生で、この方は岡田咲那花さん、同じレイチェル・カーソンのことをとりあげた彼女はこういうように、ちょっと長いですけれど読んでみます。
 「私は、福島県いわき市の勿来というあまり大きくない町に住んでいます。東京にいるいとこには、『いわきは何もなくてつまらないだろうから、東京に来ればいいのに』とよく言われますが、私はこの町が本当に大好きです。家の近くには山があり、田んぼがあり、川があり、本当にきれいなところです。私の家の近くを流れる川は、実は汚いことで有名な川なのですが、それでも今の時期はカモがやってきたり、白鷺という真っ白な鳥がやってきたりします。
 しかし私が成長した20年の間に、少しずつ家の周りの自然が姿を変えてきてしまいました。私は2歳の時からここに住んでいるのですが、昔は川にはたくさんの魚がいましたし、裸足で川に入り、友達とみんなで遊んだりもしました。しかし、今その川ではほとんどの魚が姿を消し、裸足で川に入ろうものなら捨てられたビンの破片で怪我をしてしまいます。どこまでも続く緑を楽しめた山は、茨城県への通行をよくするために土を削られ、山の真中はくぼみ、今では中央を広い道路が走っています。もちろん山のまわりに広がっていた田んぼにも、その道路が横断し、毎日大型のトラックや乗用車が行ったり来たりするのです。私はこの道が完成した時、本当に心が痛みました。風景が変わってしまったこと、増加した交通量で空気が汚れてしまうこと、青々としていた田んぼに、車を運転する人がゴミを捨てるようになったこと…。私は将来自分の子供にも、川遊びをさせ、夏には蛍を探しに行き、昔からそこにある自然の良さを教えてあげたいとずっと思ってきました。そして、自分も死ぬまでここに留まり、自然に囲まれて暮らしていきたいと思っていました。このまま、私の町の自然は姿を消してしまうのでしょうか?」
 これはレイチェル・カーソンの『沈黙の春』、『センス・オブ・ワンダー』を通して自分の身近な自然を見つめながら、岡田さんが本当に素直な気持ちで自分を問い、自分の住んでいる環境を問うている文章ですね。こういうことが非常に大事なんですね。大事だっていうことは、こういう時を我々は失ってしまう。もう一つの時を失ってしまう。自然環境が破壊されていく中で、どんどん、どんどんスピード化されていく。私が高校生の時でしたか、神戸から東京にくるのは一
晩かかって、夜行列車に乗ってきました。今でも各駅停車はありますが、ほとんど各駅停車にはもう乗りませんね。けど、各駅停車のいいところは、それぞれの町々村々の道や山や川を見つめながら、あ、ここにも名前があるんだな、ここにもこういう山の名前があるんだなということを考えながら、そこに住む人たちのなんていうか、家のたたずまい、あるいは庭木、あるいは田畑の状態、季節の有様を眺めながら行きますが、今では新幹線で、3時間ぐらいで行くとほとんど見ない、やっと富士山だけを見て、あ、富士山今日はよく見えたな、というぐらいです。猛スピードで行くから、あまり見ても分からないですね。そういうようなゆっくりしたもう一つの時間をやっぱり自分の人生の中に、また自分たちの環境の中にもっていたい、もっていること、次の世代にももっていてほしいという願い、そういうものがアンネが願った、アンネの思いとつながっていくと思うんですね。最後に、『モモ』というこの作品はミヒャエル・エンデというファンタジーを書くこの作家が、一人のモモという少女を通して、現代社会に対する問いを発しているわけです。ここに登場するのは灰色の男、時間泥棒といわれます。フージーという散髪屋さんがいるわけですが、本当にもうただの人、散髪をして自分の生計を立てている。そのフージーのところにきた灰色の男がですね、時間泥棒はフージーが如何に時間を無駄に使っているか、を説明します。()は要約。
 (1時間は3,600秒、1日はその24倍で86,400秒、1年は365倍、31,536,000秒。)たとえば、「あなたは、年とったお母さんとのふたりぐらしですね。毎日あなたは、お年よりのために丸一時間も使っている。つまり、そばにすわって、耳の聞こえないお母さんをあいてに、おしゃべりをする。これはむだに捨てられた時間です。55,188,000秒ですな。それから、よけいなボタンインコまで飼っていて、その世話に毎日15分も使っている。それが13,797,O00秒。」と。
 (更に、恋人に花をもって訪ねるために半時間も費やし、「毎晩ねるまえに15分も窓のところにすわって、一日のことを思い返すという習慣がある」これらの時間はすべて時間の無駄使いだ)と。
 灰色の男はフージーに、言います。(あなたは42年間も時間を無駄に使ってきた。時間を節約して、時間銀行に入れておきなさい)と。
 (灰色の男の出現によって、フージーの人生は変わってしまう。年老いた母親と過ごす時間も恋人に花を持って行く時間も、店のお客さんとおしゃべりする時間も、すべて、無駄な時間になってしまいます。しかし、)「彼はだんだんと怒りっぽい、落ちつきのない人になってきました」…「あっという間に一週間たち、ひと月たち、一年たち、また一年、また一年と時が飛び去ってゆきます」
 まさにこれは現代人の姿ではないでしょうか?心のこもった、命をよせた時間は遠ざかり、3年、5年、10年があっという間に飛び去っていく。
 灰色の男の出現で、町は変わり、人々は変わっていく。「時間は貴重だ一むだにするな!時は金なり一節約せよ!」こういった標語が工場や会社の職場に掲げられてゆく。商店やレストラン、更に学校や幼稚園まで、誰ひとり、この標語からのがれられない。
 しかし、あの少女、モモには、全く通じない、灰色の男の声は聞こえていても、そのこころは、まるで聞こえていない。モモは、時間泥棒の男から、本当の時間を人々の心にとりもどしてゆく。 これは現代社会が言っていることというか、時間泥棒がフージーという、おとなしいまじめな青年に対していう言葉。どんどん、どんどんお前は限られた人生の時間を無駄なことに使っている、と。ここで大事なことは、モモという少女は、先ほどの、「子どもの時間」を知っている。そして時間泥棒は「大人の時間」を社会におしつけていく。もっとがんばれ、もっと急げ、もっとはやく、というのが各工場の、会社の、いろんなところに書かれていく。そして、このフージーの場合、もっと典型的なのは、彼が本当に楽しみにしているようなこと、お母さんとおしゃべりをしたり、恋人のところに花をもっていったり、インコの世話をしたり、時間泥棒の側から見たら、無意味に見えることこそ、フージーにとっては大事なことであった。ところが時間泥棒、灰色の男の指摘で彼はそれをやめていきます。だんだん.、だんだん、人間が、まあ、言ったら、現代的な人間になっていくというか、もう、本当にせかせか、せかせかするような人間になって、人間性を失っていくという物語が展開されていくわけですね。ここでミヒャエル・エンデは言うわけですが、「時間とはすなわち生活なのです。そして生活とは、人間の心の中にあるものなのです。人間が時間を節約すればするほど、生活はやせ細って、なくなってしまうのです」そして、登場人物を通して、エンデは、人間というものは、ひとりひとりがそれぞれの自分の時間、他の人と比べることができない時間、を持っている。そしてこの時間は本当に自分のものである間だけ、生きた時間でいられるのだ、生きた時間は生きた心から生まれる。充実した時間を生きるには、心が真にその場に居合わせていることが大事なことだと。
 これはエンデが言う、もう一つの時間ですね。これは、現代社会への問い、時の問題を通して、人間のありよう、生き方を問う作品です。時ともう一つの時間というのは人間が自然とたわむれたり、自然に見入るときというのは、大人の時間からしたら、あまり必要とされない。今の現代社会で、先程の岡田さんは、お母さんがいつも子どもの時から、自然を見つめることをよく教えてくれた。景色をお母さんと一緒に眺めたり、また星をお父さんやお母さんと一緒に眺めたり、そういうことは非常に貴重なものだったんだということを子どもの時の体験としてもっている。そのことは非常に大事なもう一つの時間、子どもの時間です。それが人生に与えてくれるもの、人のあり方に影響を与え続けていくもの。アンネはおそらく、あの隠れ家にいる前、ご両親と共にオランダの街や、ドイツのごくありふれた町の中で過ごしていましたけれども、そういう自然とのふれあいっていうものがごく当たり前であったから、あの閉ざされた隠れ家の中にいても自然を見つめながら、自然と自分の心を通わせ、カモメやマロニェの木や、青空や星たちと心を通わせ、そういうことが彼女の人間性を支えてきた、そういう内容がこの日記の中に描かれているのではなかろうかと思うのです。
 私の知り合いの方で、藤井さんという双子の姉妹がいますが、そのお二人は、病院や学校でカウンセラーとして活躍されている方です。『魂のケア』(いのちのことば社)という本をお二人で出しています。どちらも私の後輩にあたる方で、私が特に感じたのは、体に障害をもっている藤井美和さんです。ワシントン大学に留学した時のことです。私も経験したことがある筋肉が萎縮していく病気で、手足の麻庫が少しずつ進んでいく病気にかかっていました。美和さんはその時のことを述べています。
 「アメリカに留学していた時のことです。私は留学した一年目、車を持っていませんでした。大学の近くに下宿していた私は、少し距離のある大学までの道のりを、毎日バックパックを背負って杖をつきながらゆっくりと歩いていました。その道は、両側に家の立ち並ぶ私道でした。どの家の前にも緑の芝生が広がり、それぞれの家の人たちは、木や花で家の前を飾っていました。私はその道を歩いていくのがとても楽しみでした。セントルイスに来て一年目、この土地の季節の移り変わりを肌で感じることができたからです。
 セントルイスの夏は非常に暑く、なるべく日陰を歩こうと青々とした葉を持つ大きな木の下を通っていると、芝生に水をやっている人が『いつまでこんな暑い日が続くんだろうね、いってらっしゃい』と声をかけてくれたりしたものです。秋になると、木々の色が変わり、夏の面影は全くなくなります。同じ道でも、まるで違う道を歩いているような気分になるのです。落ち葉を掃除するのはどの家の人にとっても大仕事です。そんなときも、いつも家の前を通って学校に通う私に『これがあるから大変よ』と声をかけてくれる人もいて、短い会話を楽しむこともありました。リスが木の実を集めている姿を見ながら、色づいた木々の下を歩くのは、とても心地のよいものでした。真っ赤に色づいた葉を拾ってそれを電話帳にはさんで押し葉にし、秋の季節を楽しみました。」
 そして、こう述べています。
 「車に乗らず足で歩いていく、そういった生活の中には小さな発見や喜びがありました。私の生活の中に季節の変化が入り込んでいたのです」
 彼女は杖をついて学校までたどるのにほんとに時間がかかるんですね。だから、車があったら学校への登校は本当に助かる。
 「ところが翌年車を買ったとたん、それまで私の生活の中に入っていた一つ一つの小さな発見や喜びは、ほとんど感じられなくなってしまいました。同じ町で同じように生活しているのに、車という便利なものに依存したとたん、今まで見えていたものが見えなくなってしまったのです。それはただ単に物質的なものが見えなくなっただけではなく、それによって得られていた喜びや感動までもが失われてしまいました。しかしいったん便利な生活に慣れてしまうと、失ったものに対する執着は少なくなっていきます。失ったものに対するいとおしさもなくなっていきます。
 すべては速いスピードの中で、効率よく時間を使い、必要なものを手に入れていく一一一一私たちはそういった毎日を送っています。たまたま私には車に乗らない時期があったから、こういったことを感じることができたのです。もし一年目から車に乗っていたら、そんなことさえ感じることなく時は流れていったのでしょう。同じ人間が同じ場所で生活していても、その生活の仕方によって、見るものや感じるものはずいぶん違ってきます。今セントルイスの目常の景色で思い浮かぶのは、一年目に見た景色ばかりです」
 おそらく皆さんと同じぐらいの時の留学体験で、彼女は現代社会の便利さ、快適さを手にいれたい、いれることによって確かに、すべてがまた、体の不自由がそういうものがある程度解決される、不便さとのろさの中にあって、自分の心が見た景色や人の心、ぬくもりなんかは、便利になることによって失われてしまった。それにまた慣れっこになっていく。これはアンネと自然との関係、フランクルが言っている、あの時代の中にあっても夕日を見つめて感動する心。レイチェル・カーソンが述べる驚きの感性、またエンデが言っている生きた時間、自分の心が居合わせている時間。便利になって、車に乗っていると、心が居合わせていない、道を走っているんだけど、それは、目的地から目的地へ行くためだけの道具ですね。歩くっていうのは、目的地に行くまでのいろんな道のりから、花や木々やそこに住む人たちとの出会いがいっぱいある。エンデはある対談の中で、「子どもたちに、道草をさせなさい」と、学校が終った、そこからもう急いで3時何分までに帰ってきなさいというよりも、子どもたちはあっちの道、こっちの道へと行ったあぜ道を通ったり、川をのぞいたり、魚を見つめたりして、帰ってくるような道草、そのことがもっともっと大事なことだと。田舎、ここにいらっしゃる人たちは田舎でしょう。そこで住んでいることはものすごく大事なこと、その大事なことを次の世代に残していってほしいし、そういうものを失わないようにするために、自分たちはどうしていったらよいかということを考え
る時をこれからの人生の中でもってほしい。そのことがアンネを学んだり、またフランクル教授から学んだことに帰っていくだろう、レイチェル・カーソンのこの『沈黙の春』もそういうことを我々に対して問い続けていく、自分の中でそれはやっぱり問いとしてもってほしいなあと思います。
 聖書に「空の鳥をよく見なさい」、「野の花がどのように育つのか、注意して見なさい」(マタイ福音書6章)という有名な言葉があります。このイエスの言葉は、空の鳥や野の花を見つめる時をもつことによって、あなたの命のありか、人としての生きようを尋ねてみなさい、と語りかけています。今日の私の講義はそのイエスの語りかけにもつながっていると思います。
 以上で今日の最後の授業を終りたいと思います。一年間、又皆さんの場合にはキリスト教学を含めて2年間、いろいろな出会いとそれから一緒にみなさんがいるから私もさまざまなことを考えて、一緒に学ぶ機会を与えられたことを感謝しています。以上で終ります。ありがとうございました。
                                  (テープ起こし・山田ふみ江)

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