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イラスト 今、考えていること
V4達成 ありがとうございました 《2002年12月9日》
 12月8日投票日の県議選で4期目の当選をはたすことが出来ました。

 厳しい状況のなか、多くの仲間の皆さんのご支援をいただきV4を達成することが出来ました。ありがとうございました。
 
 今後とも「元気が出る街づくり、安心して住める街づくり」をめざして努力を続けてまいります。
引き続き議会活動における御支援をよろしくお願い致します。
今、考えていること 《2002年11月7日》
 10月25日 連合茨城による県議選激励集会を開催していただいたが、いよいよ投票日まで1ヶ月となり、忙しい日々をすごしている。
 日立市選挙区では10名が立候補するというかつてない激戦が予想されるが、県内でも激戦区と無風区と2極化しているような気がするが、これまで低投票率が続いているため、投票率アップにつながるよう政策を基本に競り合っていきたい。

 なお、北相馬郡選挙区の赤羽 直一さんに対して民主党の推せんが取り消されたことは私にとって大変残念である。
 赤羽さんとはこれまで民主党・清新クラブで行動をともにし、本音で議論してきた仲間だけに、なんとかならなかったかという想いである。

 民主党としては代表選後、さらに厳しい世論のもとにあるが、同志ともにきたるべき時にそなえる体力をつけるべき時と考えるが、いかにも今回の決定が残念で仕方がない。
 
民主党代表選について 《2002年9月30日》
 9月20日に県の選挙管理委員会が開かれ、11月29日告示、12月8日投票の県議選の日程が確定した。第3回定例県議会も修了し、いよいよ各議員とも走り出すことになる。
 そのようななか、9月23日に民主党臨時大会が開催され、代表選挙が行われた。
新たにサポーター票を加えるなど党員、サポーターの想いも代表選に加味されるものとなったが、大接戦の末、決選投票で鳩山 由紀夫氏が菅 直人氏をしりぞけて辛勝した。

 新代表が決定し、翌日の臨時党大会で幹事長人事が鳩山代表より発表されたが、私には予想だにしなかった中野 寛成氏が指名された。
 代表が幹事長を指名するきまりになっているわけだから、その人事に党全体で従うのが筋だろうが、その後の混乱の状況をみていると鳩山代表に責任があるのは明らかである。しかし、我々民主党は「2大政党制へ移行して緊張感のある政治を行う」ため多くの皆さんから期待をよせていただいている。

 党内がバラバラであるという印象を与えることが民主党にとって最も国民の期待にそむくことだということを、我々は肝に銘じるべきであり、一日も早く挙党一致体制を確立するべく全員で努力すべきである。
今、考えていること 《2002年9月1日》
 日立エンジニアリングの皆さんの御協力を戴き、ホームページを開設して1年になりました。9月6日現在1,554件のアクセスをいただき、多くのご意見を戴きましたことにお礼を申し上げます。

 今年の12月には改選を迎えます。私にとっては4度目の選挙となります。「新たな感性、身近な県政」をキャッチフレーズに茨城県議会に御送り頂いて12年になりますが、私は県政と皆さんとのパイプ役として皆さんの声を県政に届けるために立候補をし、多くの皆さんの負託を頂いてまいりました。

 今後とも本ホームページをはじめ街頭、住域、職場での報告、後援会ニュースでの報告とあらゆる場を通しての報告に引続き努力してまいりますので、今後ともご意見をお寄せいただきますようお願い致します。
今、考えていること 《2002年8月1日》
 通常国会が7月31日閉会となった。会期延長までしてもいくつかの重要法案は成立せず、スキャンダルと重要法案に対する与党の準備不足だけが目立った国会だった。

 個人情報保護法案が成立しなかったことから、いくつかの地方自治体で住民基本台帳ネットワークシステムへの参加を見合わせるところが出てきた。ITの普及により電子自治体の構築は住民サービスの向上や行財政改革をすすめるため避けて通れない課題である。しかし、住基ネットに対して、特にマスコミを中心として様々な議論があることから、9月の定例県議会であらためて本質を見極めるための議論をしていきたい。
ホームページの内容変更について 《2002年7月1日》
 今年末には県議会の改選を迎えますが、改選日まで6ヶ月を切り、地元紙が特集を連載するなど賑やかになってきました。 民主党茨城県連は先に公認6名、推せん3名を予定候補として発表しましたが、2ケタの議席獲得をめざし、現在も候補擁立にむけてさらなる努力を続けています。
 地元紙の情報によると日立市・十王町の選挙区は定数5名に対し、9名が立候補するということであり、かつてない激戦が予想されます。
 ところで、私のホームページも開始後約10ヵ月になりました。これまで多くの皆さんから御意見、御要望をお寄せいただきましたが、今回、若干内容を変更しました。

今後とも、皆さんから寄せられた声を大事にしながらやっていきたいと考えますので、引続き御意見、御要望をお寄せいただきますようお願い致します。
今、考えていること 《2002年6月3日》
 ITER(国際熱核融合実験炉)の国内候補地が青森県の六ヶ所村に決まり、本県の那珂町への誘致は果たせなかった。
今後、カナダやヨーロッパの各候補地との競争になるが、国内の総合評価で最も高い評価を受けていた那珂町が落選したことで、国際競争に勝つことは難しいと私は考える。那珂町誘致に努力してきた私としては政府が本気で日本に誘致する気があったのかと疑問を持たざるを得ず、今回の決定は極めて遺憾だ。
県としては大強度陽子加速器とITERを核として県北地域の科学都市実現を目指したサイエンスフロンティア21構想を4月に策定したばかりであり、県北振興策の充実を求め続けてきた私としては、今後新たな活性化策を県に対して求めていくために汗をかいていきたい。
一方、首都機能移転について、国は5月中に候補地を3ヵ所所から1ヵ所に絞り込むことを決定していたが、いまだ決まっておらず、今後国は移転先の選定を先送りする模様である。
国会決議を受け、栃木・福島地域への移転をめざして努力してきた私にとっては国の約束を守れない体質に憤りさえ感じる。

 昨年さっそうと登場した小泉首相に当初は一部期待感もあったが、それはいまとなっては大きな失望感に変ってきている。現在、健康保険法改正案、郵政関連法案、有事関連法案、個人情報保護法案などの重要法案が国会で審議されているが、国民の批判が強い法案もあることからあらためて法案を提出した政府の姿勢が問われている。

 本県はいい意味でも悪い意味でも国のいうことを良く聞く県だという印象があるが、これら一連の動きをみても過度に国に依存することは避けるべきだと考える。
国へ物心両面で過度に依存することをやめ、県民による真の茨城づくりをどうやっていくか、あらためて年末の県議選にむけて政策提言していきたい。
年末の県議選に立候補を決意 《2002年4月22日》
 4月11日 日立労組日立支部の評議員会において、今年末施行予定の茨城県議会議員選挙(日立市選挙区)に日立支部公認として立候補することを決定していただいた。
4月16日の民主党茨城県連常任幹事会での民主党公認、4月18日の連合茨城執行委員会での連合茨城の推せんなど、一連の公認、推せんを決定していただき、これをうけ私は年末の県議選に立候補させていただくことを決意した。
 雇用情勢が最悪の状況を脱しきれないなど職場環境が厳しいなかでの御推せんであることを重く受けとめ、今後多くの皆さんに御推せんをいただけるよう努力していくとともに、勤労者の声をさらに県政に反映出来るよう努めていきたい。
今、考えていること 《2002年3月30日》
 鈴木宗男、加藤紘一、辻元清美そしてまた加藤紘一と衆議院議員の離党、辞職問題が連日マスコミで報じられている。
いづれも政治家とカネにからんだ問題でこれまでも繰り返されてきたが、あらためて根の深さを感じる。
その騒ぎのなか、国の平成14年度予算は成立した。
株価の上昇等があって3月危機説をなんとか切り抜けたように思うが、経済状態は相変らず好転のきざしがなく、雇用環境は最悪の状態から脱しきれていない。
会社の早期退職制度で私の職場の仲間が辞めていくのは、何とも耐えられない想いである。

 3月4日の県議会代表質問で私は橋本知事に対し、「雇用対策を県政の最重要課題と位置づけ、全力で取組んでもらいたい」と主張したが、国会の論戦からは経済対策や雇用対策に関するメッセージは伝わってこない。
国会議員の個人の問題に早くケジメをつけ、国会で今の厳しい状態を反映させた経済対策、雇用対策に関する論戦に1日も早く取組んでほしい。
涙の高校卒業式 《2002年3月1日》
 3月1日は県内各地の高校で卒業式があった。私はここ10年ぐらい毎年日立北高の卒業式に出席し、卒業生に祝辞を述べる機会を与えていただいている。
日立北高の卒業式は国歌、式歌斉唱ありで毎年厳粛に行われており、いわゆる荒れる卒業式とはほど遠く、いつも旅立ちの若者を見送る感動にひたって終るのであるが、今年は特に「感動した!!」卒業式だった。

 校長の式辞は「世界がもしも100人の村だったら」を引用したものだった。型通りの式辞ではなく、卒業生を想う心にあふれたものだったが、なんといっても卒業生代表の答辞が素晴らしかった。
入学してからのこれまでの活動を振り返りながら、高校を去っていくことのさびしさを涙ながらに切々と語っていく姿に、他の卒業生も我々も思わずもらい泣きをしてしまった。
たぶん3年間、まさしく勉強もスポーツも生徒会活動も一生懸命やってきたのだろう、その想いが涙になってあらわれたのだろうと思った。

 私は以前、警察学校でもこのような涙の卒業式の場に居合わせたことがあるが、まさしくつらく苦しいことを乗り越えてやってきたことには涙はつきものである。
初めて高校の涙の卒業式の場に居合わせて、私は意外な若者像の一面を見せられたように想うが、我々が注意しなければならないのは、先入観で「今の若者は・・・!」と決めつけてしまうことがないようにということである。
若者と正面から向きあって、真剣勝負をする、そんな大人の姿が子供や若者から求められているのではないかと思う。ましてや政治は国民と正面から向き合い、ホンネで議論することが、今の日本では最も求められている、そんなことを教えられた涙の卒業式だった。
 
 ありがとう!日立北高卒業生の皆さん。幸多からんことをお祈りします。
今、考えていること 《2002年2月1日》
 公共事業の入札に関連して また、県内の現職市長が逮捕された。
本県は現職の知事が逮捕された歴史があり、これが繰り返されたことは残念でならない。
政治倫理の確立と入札制度の透明化があらためて求められるが、2度とおこらないよう襟を正して一層努力していきたい。

 1月は各所で新年会が開催されるが、ようやく1月26日 新年会の全日程を終了した。
今年は本県にとって6月のワールドカップ、8月のインターハイと全国各地から多くの人々が集まるビッグイベントが続くが、新年会の各界各層代表の挨拶はこの2つのビッグイベントに関するものが多く、期待の大きさを感じさせた。
しかし、将来に対する期待感よりも不安感のほうが大きく、経済状況はいぜんとして最悪の状況から脱却出来ず、特に雇用については失業率が5.6%に達するなど社会不安の大きな要因となっている。政治的にも解決を求められる最大の課題であるが、小泉総理の言う聖域なき構造改革が今最も国民から求められている景気回復と雇用の創出にどうつながるのか、まるっきり見えてこない。
 
 アフガニスタン復興支援会議へのNGO参加問題における田中外務大臣更迭をみても小泉内閣は我々に幻想だけを与えているのではないかと想えてならない。
民主党の責任は重大である。民主党にも国民から厳しい注文が寄せられており、景気回復と雇用の創出に対する問題解決能力が求められている。
 そのような中、1月19日の党大会をうけて、2日23日 県連の定期大会が開催されるが、民主党として県民の期待に応えるためしっかりと議論をしなければならないと考える。
 
 私もいよいよ県議会議員活動12年目に入り、2月26日開会する第1回定例県議会で4度目の代表質問に登壇する予定である。
民主党・清新クラブ代表としての立場があり、3期目になってから毎年第1回定例県議会で代表質問を行っている。
 現在、質問内容をまとめているところだが3月4日(月)15時30分頃より行う予定である。実質的な3期目のスタートとなる橋本知事に雇用対策を中心とした安全安心な地域づくりをどうやってつくっていくのか質していきたいと考える。

登壇風景
安全・安心な地域づくりをめざして
皆さんの御期待にこたえられるよう頑張ります。 《2002年1月1日》
 新年あけましておめでとうございます。

 昨年は参院選、知事選と選挙が続きましたが、1年間の議員活動におけるご支援、ご協力に心より御礼を申し上げます。
 新たな期待感をもって迎えた新世紀は一転波乱の幕明けとなりました。敬宮様の御誕生という吉報はあったものの、米国同時多発テロと狂牛病の発生、最悪の状況を脱しきれない雇用情勢など「私たちの生活は今後どうなっていくのだろう」という不安ばかりが先行してしまう毎日でした。

 聖域なき改革が声高に叫ばれていますが、表向きだけではなく、将来のビジョンを明確にし、皆んなで痛みをわかちあいながらも頑張っていけるような真の改革をおし進めなければなりません。
 本県においても明日の茨城づくりのために、財政状況がひつ迫するなかでの県出資団体の経営改革、IT化の先陣をきれるようにするための情報基盤整備を強力にすすめなければなりませんし、何よりも雇用対策をはじめとした安心な生活をおくるための施策を充実させなければなりません。

 今年は私にとっても大きな節目の年になりますが、安全安心な地域づくりをめざして皆さんの御期待にこたえられるよう今年も全力で頑張ります。
 本年も変わらぬ御支援をお願い申し上げます。
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