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自由党との合流問題について想う 《2003年6月2日》 |
民主党と自由党の合流問題について「白紙」に戻すという結論が出た。 もともと合流問題についてはせいぜい選挙協力を含めた統一会派までと考えていたので、今後も粛々と党勢拡大にむけて努力していきたい。 小泉内閣と与党自民党 首相と与党の実力者がお互いけん制しあい、なんとも奇妙な関係で政権が運営されており、その中で小泉内閣の支持率が依然高く、年内総選挙といわれるなかで野党として打開策が見出せない状況である。 しかし、失業率が高く、企業経営も厳しく、雇用状態が最悪のなかで、自民党政権を倒す野党として民主党が最右翼であると思う国民は多い。 我々民主党は挑戦者として誇りを持つべきであり、政策の合意がないなかでの野党結集は数合わせという国民の批判をまぬがれないと考える。 日立港沖に座礁している北朝鮮籍船の撤去問題について国からの補助が決定し、海水浴シーズンを前にして撤去にメドがついた。6ヶ月間大変な努力をして、地方から国へ要請をし、ようやく実現にこぎつけたが、国段階での危険船に対する、放置船に対する対処は充分とは言えない。 神栖町でのヒ素中毒についてもようやく国が調査に乗り出した。県からの再三の要請にもとづいてであるが、いづれの問題についても市町村・県・国が連携をとって物事の処理、対策をしなければならない。 よって、我々民主党は単独でも地方の組織づくりをすすめ、住民の声を政策に反映させ、声を反映させた政策を実現するために国に働きかける努力をしていかなければならない。 |
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統一補選、統一地方選挙について 《2003年5月1日》 |
今年は4年に1回の統一地方選挙の年だったが、茨城では参議院補選、衆議院7区補選と国政選挙も同時に実施された。 私は、電機連合議員団幹事長ということもあり、全国の電機連合の仲間の応援、民主党県連幹事長として県内の民主党公認、推せん候補の応援、選挙区としての市内の仲間の応援と4月初旬よりまさしく東奔西走で仲間の候補の応援活動を行なった。 結果は昨年12月の県議選同様、仲間のなかには大変残念ながら惜敗におわり、私としても、もう少し応援していればと後悔の念にかられているが、多くの仲間が厳しい状況を勝ち抜き、また、ともに仕事が出来ることになり、勇退された仲間、惜敗の仲間の分も含め、今後もまじめに働く仲間のため、具体的な政策実現がはかれるよう努力していきたい。 選挙戦を通じて日常活動の重要性があらためて認識させられたが、これを肝に命じ、今後も私なりに、自分の活動計画の中に反映させていきたい。 一方、衆議院茨城7区の補選については党中央で自由党との連携が模索されるなか、はじめて自由党候補を推せんするという支援活動を行なった。党中央としては衆議院に統一会派をつくるとか選挙協力をするという動きがあり、これを議論しながら野党協力をすすめなければと考えるが、小選挙区での選挙戦を勝ち抜いていくためには、党勢拡大をはかるため、まず地方組織をつくっていくことが求められると考える。 党としては、今後とも地方組織づくりという地道な努力を続けていかなければ党勢拡大、総選挙での勝利には結びついていかず、党中央での野党協力もいいが、我々としては組織づくりを地道にやっていかなければならないと考える。 今回の選挙戦で、地方の活動の核という意味では、党として初めて県都 水戸に市議会議員を誕生させることが出来た。25才の若者らから教えられるものも多くあったが、若者と党の可能性に信頼を御寄せいただき、ご支援いただいた皆さんに心から御礼を申し上げたい。 昨年の県議選から続いた選挙戦もとりあえず一区切りついたが、選挙戦で提起された多くの課題について克服出来るように地道に努力していきたい。 御支援いただいた皆さんありがとうございました。 ![]() 衆議院茨城7区補選出陣式にて |
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イラクへの武力攻撃と金砂神社磯出大祭礼に想う 《2003年4月1日》 |
3月20日 米英軍によるイラクへの武力攻撃が開始された。新たな国連安保理決議がないまま、攻撃を開始したことについて大変残念に想うとともに、あらためて平和的解決への道に戻るよう求めたい。 一方、3月22日からは72年に一度の金砂神社による磯出大祭礼が行なわれた。 大祭礼が行なわれる年は前回の1931年に満州事変が勃発、前々回は桜田門外の変があったりと世情が乱れ、いづれも争い事がたえない時期に行なわれたとされているが、今回も残念ながらイラクへの武力攻撃と時期が一緒になってしまい大祭礼を見物しながらも複雑な心境になった。 851年からはじまり、72年に1度の大祭礼を17回も綿々と行なってきた地域の力、人間の力を我々は誇りにしたい。 そしてそれをまた後世に伝えていくためには、我々の子孫が生き延び、地域で豊かな生活をおくるとともによき伝統が脈々と受継がれていく土台が必要である。その土台を破壊することになる今回のイラクへの武力行使を戒めるために我々は何が出来るのか、あらためてそのことを自問自答しながら、今後行動していきたい。 |
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今、考えていること 《2003年3月3日》 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2月は1年のうちで私にとっては例年最も忙しい時期である。というのは、民主党県連の定期大会と第1回定例県議会が開催されるためである。 民主党県連では幹事長を、県議会では会派代表をここ数年やらせていただいている関係上、毎年最も寒い時期ながらも最も汗をかく時期である。 定期大会が終了し、今、代表質問の原稿を執筆中であるが、新しくスタートする任期でしかも新会派のスタートの定例議会のため、これで5年連続の代表質問であるが、引続き精一杯やっていきたいと思う。特に今回からは自民党が議員数に按分して質問時間を配分するという暴挙にでたため120分の質問時間を90分に減らされ、少ない時間の中で県政全般にわたる質問を組み立てることの困難さを痛感している。 是正を今後とも声高に求めていきたい。 ◇◇◇ 代表質問 ◇◇◇
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4期目の任期はじまる 《2003年1月31日》 | ||||||||||
1月8日より4期目の議員の任期が始まり、初登庁致しました。 新しいバッジをつけてもらい、あらためてその重みをかみしめながら、4年間活動していく所存です。 今後は議会活動におけるご支援をお願い申し上げます。 新しい会派の結成届けも初登庁の際に行いました。 これまでの仲間に新人の川口 浩さんを加え、会派名を「民主清新クラブ」としました。4年間 民主党・清新クラブとして活動してきたものをより深化させ、一体的に皆んなで活動をしていきたいと考えます。 ご支援をよろしくお願い致します。 「民主清新クラブ」のメンバーと役割り分担は以下の通りです。
![]() 「はせがわ修平 4期目初登庁」の写真 |
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元気が出る街づくり 安心して住める街づくりをめざして頑張ります 《2003年1月1日》 |
新年 あけましておめでとうございます。 昨年1年間の議会活動におけるご支援に心から御礼を申し上げます。 特に、寒風、逆風のなかで行われた年末の県議選においては、前回の得票を上廻る15,221票の負託をいただき、4度目の当選をさせていただきました。 ご支援ありがとうございました。 今後とも皆様方との信頼関係を大事にしながら「元気が出る街づくり 安心して住める街づくり」の実現にむけて努力してまいります。 本年も変わらぬご支援をお願い申し上げます。 |