阿波の国(発心の道場)

 

  初遍路は会社業務を調整し、2016年6月に決めました。梅雨時で雨が心配ですが、茨城空港から出発しました。神戸空港に21時15分着、初の神戸で道に迷い小雨のなか湊川公園「かどや旅館」に22時に着き、安心しました。明日からの初遍路を思い、緊張で中々眠つかれません。
  翌朝5時半に宿を出、小雨降るなか神戸三宮に行ったが、バスターミナルの場所が分からず迷い、道を尋ねながら、始発6時半のバスに何とか乗車できました。バスで朝食をとり徳島に8時20分に着き、JRで徳島から坂東に9時3分に着きました。記念すべき遍路スタートの坂東駅前には歓迎セレモニーか、歓迎ノボリでもあるのかなと期待していたが、何もなく寂れた商店街を通り一番霊山寺に向いました。
  霊山寺で納経帳、納札、白衣を購入し、菅笠は歩くのに煩わしく邪魔と思い購入をやめました。ここは、歩き遍路に限り出発日、氏名、住所を書くノートがあり記載しました。ノートは結願日欄が空欄で、結願したら記載できるよう祈願し、小雨降る中、二番極楽寺に向いました。元気よくスタートしましたが、地図の見方を間違い別方向に歩きだし、地元の方に指摘され、道順を聞き極楽寺に向いました。極楽寺までは、遍路道の歩き方と遍路シールの見方が分からず、ひたすら国道の車標識をみて歩きました。  
  極楽寺の納経所で十二番焼山寺までの歩き遍路地図「お遍路さん道しるべ」頂き、やっと遍路道を歩けました。三番金泉寺を打ち、四番大日寺へ向う途中の愛染院を過ぎた所にあった「萌月」で、遅いうどん昼食をとりました。昼食後、外に出ると雨が上がり、四番大日寺、五番地蔵寺、六番安楽寺を打ち、本日の宿坊である七番十楽寺に向いました。途中、逆打ち遍路で結願し一番にお礼参りに向う遍路さんに会い、先行き長い道のりと感じました。16時に宿坊到着、シーズンオフなのか宿泊客は我々だけでした。初日の歩行距離は19,2kmでした。
  2日目、6時半に御勤めをして、朝食を7時にとり出発しました。八番熊谷寺を打ち九番法輪寺に行く途中、逆打ちテレビ撮影の遍路さんに会いました。今年は60年ぶりの丙申で逆打ちは5倍の御利益があるとの事で、逆打ちが多いようです。我々は、まだまだ遍路シールの見方が分からず、遍路シールを見落とし、主に車道を歩いた点は反省です。
 十番切幡寺へ向う途中、地元の散歩している伯父さんと一緒になり、色々話しながら切幡寺まで歩きました。切幡寺までの、標高差90m、333段の階段を登りながら、明日の焼山寺登山の登り方を指導され、初の遍路ころがし挑戦の不安が少し軽減しました。伯父さんに、遍路目的を聞かれたが答えられず、恥ずかしかったです。また、どこの寺に行っても、バス・車遍路さんでも皆さん読経を真面目にしており、我々は読経ができず、スタンプラリー遍路になっている事を反省しました。
 そんなことを思い、あらためて、遍路目的を決め、「先祖供養」「先輩・友人供養」「子孫繁栄」を祈願する事とし、少しずつでも読経するようにしました。ここには、歩き遍路2人と車遍路が数組いました。
  十一番藤井寺へのルートは、2ルートがあります。我々は有名な沈下橋を渡りたく、川島橋ルートとました。途中のJAスーパーで弁当を買う時、若い店員さんがお接待ドリンクサービスをしてくれ、感動しました。また、店頭には托鉢した遍路がおり、施しを受けるため立っていました。歩き遍路に、ホームレス等が何周も歩いていると聞いた事を思い出しました。JAで昼食をとり川島橋に向い、吉野川の日本一大きい中州は歩けど歩けど畑ばかりで、暑い中歩くのがいやになりましたが、前に進むしかなく、2人で黙々と歩きました。やっと川島橋に着くと、手摺がなく橋幅が狭く、車とすれ違うのが非常に危険でした。  
  川島橋を渡り遍路小屋で休憩し、今夜の宿に向いました。宿に荷物を置いて藤井寺に行く計画でしたが、どこで間違ったか、藤井寺の裏に着き随分無駄道で疲れ、ダウン寸前でした。藤井寺には、四国八十八札所巡り、西国三十三巡りの祠があり、一通り祈願してから、「旅館吉野家」に行きました。
  道に迷い疲れましたが、遍路最大の難関である十二番焼山寺に挑戦できるベストポジションの宿に泊まれ安心しました。阿波の遍路転がしは「1に焼山、2にお鶴、3に大龍」と言われ、これを制覇できなければ、この先の遍路結願までたどり着かないと言われており、明日に向け不安と緊張で休みました。本日の宿には、今日の札所で見かけた、奈良からの3回目の区切歩き遍路の伯父さんと、高知の寺の息子の大学生でした。今日の歩行距離は23kmでした。
3日目、6時に朝食、宿からおにぎり接待を受け、6時半出発し外に出ると、大雨なので宿に戻り完全雨支度をし、再出発しました。最初は順調に歩きましたが、雨が強くなるばかりで傘は使えず、柳水庵(標高500m)に10時着、予定より45分遅れです。浄蓮庵までは2km(標高750m)ですが、、急な登りで足場は大きい石の間を滝のように水が流れていました。途中、妻のストック先が外れ、何処かで落としたようで来た道を戻り探してきて大変でした。途中、宿で一緒だった奈良の伯父さんと合流し一緒に歩き、大きな弘法大師像に11時に着きました。雨の中、弘法大使像の後ろにある廃屋の軒先で雨を凌ぎ、立ったまま宿の接待おにぎりを食べました。一度下り標高750mまで登り、400m下り左右内集落の近くで、韓国からの逆打ちの若い遍路さんと会い挨拶したが、話が通じませんでした。  
  最後の登りは、雨にずぶ濡れになり、泥道と石道が雨で滑りやすく必死で登りました。頼りは石に距離を刻んだ卒塔婆(ソトバ)という町石ですが、町(109m)の距離が分からないが、もうすぐ着くと声を掛け合いながら頑張り、最後は標高700mまでの登り、13時に焼山寺に着きました。結局、1050m登った事になります。山道には、白い小さい蟹がたくさん足元におり、神の使いと思い踏まないよう注意して登りました。遍路道から、駐車場に着くと、多くのバス遍路さんから我々のずぶ濡れ姿を異様な目で見ていました。宿をでて6時間半ひたすら歩き登り、遍路の第一難関を達成した満足感に浸りましたが、雨で頂上からの景色は何も見えず残念でした。
  
焼山寺から本日の宿である「鍋岩山荘」への道順は全く把握しておらず不安でしたが、奈良の伯父さんと3人で行くことになり安心しました。途中、あまりの急斜面と雨道で転んだりしながら、杖杉庵で写真を撮り、無事14時45分に宿に到着しました。 
  宿に着き、ずぶ濡れの靴、雨具等を乾燥してもらい、明日の計画を見直しました。計画では十二番大日寺宿坊を予約していましたが、奈良の伯父さんのアドバイスで、頑張って十七番井戸寺まで行くことにしました。宿を「松本屋」に変更し、宿坊をキャンセルしました。今夜の宿泊は、昨夜と同じ奈良の伯父さんと高知の寺の息子さんでした。宿は元大手企業保養所で立派な施設でした。宿には、管直人元総理大臣や、プロ野球巨人軍の清原選手が宿泊した写真がありました。本日の歩行距離は17.5kmでしたが、雨の中での初遍路転がしに疲れました。歩き遍路はどんな天候でもスケジュール通りに歩かないと次に繋がらないので、全天候型歩行で厳しい修行と実感しました。
 4日目、奈良の伯父さんと一緒に7時に出発しました。宿を出て遍路道は、山道・崖登り・急斜面下りで大変でした。やっと車道に出て、伯父さんとは歩行ペースが違うし、これから道に迷わないと思い、玉ケ峠を越えたあたりで伯父さんと別れました。伯父さんと別れた直ぐ後の遍路シールを見落とし、車道を下山しました。やっと小野橋近くで国道20号に合流したが、全く方向が分からなくなり、逆方向に歩きました。川の流れを見て逆方向と思い、車を何台か止め、道を聞きました。しかし、教えてられた道は車道で、遍路道を遠周しながら歩き、上村旅館前に9時20分に通過し、やっと遍路道に戻ったと安心しました。しかし、そこからの道のりが長く、ひたすら国道を歩き、11時に広野を経過しました。途中でミカンを買い荷物が増え、疲れダウン寸前でしたが、12時20分に遍路休憩所があり助かりました。休憩所には、コーヒー、冷水、果実、飴の接待があり、砂漠にオアシスで一息できました。元気をもらい十三番大日寺に向い12時50分コンビニでビールを飲み休息し体力回復し、後半への気力が湧きました。大日寺近くまで行くと、逆打ち女性遍路さんとすれ違い挨拶し、13時にやっと着きました。
 当初の計画では、この宿坊に宿泊予定でしたが、到着時間が早く昨日の予定変更は正解でした。これから十四番常楽寺、十五番国分寺、十六番観音寺を打ち、単調な市街地で疲れました。観音寺から十八番井戸寺への途中の15時過ぎに駄菓子屋がありソバ飯でやっと昼食がとれ安心、たこ焼きとお茶の接待を受け感激です。それからは、単調な市街地を歩き、16時半に井戸寺に着きました。途中会った何人にも「もう少しだから頑張れ」と声を掛けられ、元気付けられました。井戸寺では、近所のお婆さんに「面影の井戸」での祈願の仕方を教えてもらい、祈願しました。
 本日の宿「松本屋」に着いた時は、疲れバッタリ倒れました。窓の外では雀が電線の上に止っており、子供の頃の懐かしい風景を思い出しました。宿に着くと、女将さんは金剛杖を洗い、部屋の上座に置いてくれました。金剛杖は弘法大師の身代わりなので大事に扱ってくれて感謝です。本日は、鍋岩から始まり、徳島巡りで歩行距離25kmでした。初遍路3日で85km歩き疲れが一気にきました。  
 宿で休んでいると、会社の先輩から世話になった大先輩の訃報の電話がありました。残念ですが、通夜も告別式にも行けないと告げ、これからの遍路道で供養すると伝えました。大先輩は、今ならばパワハラ上長でしたが、私が大きく成長できた指導をして頂き感謝しています。
 宿は、我々と自転車逆打ち広島からの50代前半で早期退職した男性1人でした。ここは、食事が美味しく、おかみさんも優しく、洗濯接待をしてくれました。初遍路の疲れで足が張りパンパンです。古民家の宿屋で、狭い階段を降り風呂に行くのも大変でした。
 5日目、6時に朝食、おかみさんに送られ、9時15分に十八番恩山寺に着きました。手前に、源義経の馬上像が山の上に聳えて行きたかったが、今回は札所に行くのが目的であり諦めました。恩山寺から出ると、逆打ちの若い女性遍路とすれ違い挨拶したが反応なく、韓国人でした。遍路道は、弦巻坂と呼ばれる竹林を通り、農道から水路沿いの遍路道を行くと、おばさんに呼び止められ、飴とお菓子の接待を受け感動しました。遍路道から車道に出、黙々と歩いて行くと、高速道路の工事現場の作業者休憩所で休むようにガードマンに誘われました。そこには、冷水、ミカン、コーヒー接待があり、力をつけられ十九番立江寺に向いました。11時に立江寺に着き、納経後11時半に出発し、ガイドブックにある老舗和菓子屋に行きましたが今一でした。妻は靴下が破れ、寺前の子供の頃にあったような呉服屋で、靴下を買いました。
 立江寺からは、本日の宿「ふれあいの里さかもと」から道の駅「ひなの星かつうら」に車で迎えにくるので10kmをひたすら歩くだけです。12時15分頃、酒屋がありビールを呑み休憩し、歩き始めました。13時半頃に国道を行くと、道の反対側の叔母さんに止められ、手造りのテッシュケースのお接待に頂きました。接待は嬉しかったが、いくら歩いても昼食をとる店がなく、店はあっても準備中でいらいらしました。徳島は大豪邸農家が多いが、後継者不足で戸閉で空屋数が日本一多いようです。14時半にやっと道の駅に着き、昼食をとり、宿に電話で迎えを頼みました。その間、適当なお土産があり購入し、配送を頼みました。お土産で買った蜜柑ソウメンは、とても美味しかった。
 送迎の車で、16時「ふれあいの里さかもと」に着きました。ここは、元小学校で、部屋は校長室や職員室等の名前が付いていました。本日の宿泊は、北海道からの逆打ち歩き遍路1人と、工事作業者達でした。歩き遍路さんは、定年退職し2ケ月で歩ききる計画です。逆打ちなので、これから行く先の有効な遍路情報を聞けました。宿の風呂はジャグジーもあり、ゆったりできました。本日の歩行距離は29kmでした。
 6日目、本日も難コースなので朝食を6時半にとり、昼のおにぎりをつくってもらい、7時に車で鶴林寺登山口まで送ってもらいました。北海道の逆打ち歩き遍路さんは、立江寺に向いました。我々は、鶴林寺の標高500m、そこから標高30mまで下り、大龍寺の標高520mまで登る徳島で焼山寺に次ぐ難所です。覚悟を決めて登り、登山口からは順調に歩き、逆打ち遍路さんに2人会い、予定通り8時半に鶴林寺に着きました。ここの御朱印は1羽の鶴で印象的でした。
 納経後に大龍寺に向い山道を下る途中で道を聞くと、向いの山の上まで行くとの事で、これからも大変だと思いました。山を下り、大井橋の遍路小屋で休憩し、難所の登山口に向いました。登山口までは舗装道でダラダラ登りましたが、舗装道から急な山道となりました。山道には、文化年間に建てられた道標があり、「大龍寺四十丁」と江戸時代の道標が険しい山道を導いてくれました。山道をやっと終わり舗装道路にでて安心したら、超急な坂道で這って歩くようで、傾斜60度位あるようでした。9時10分に鶴林寺を出て7kmの下りと登りで12時に太龍寺に着きました。太龍寺から、向いの山に鶴林寺が見え、遥か向こうから歩いた充実感に浸りました。太龍寺には、多くの遍路さんがいたが殆どがロープウエーで来たので、少し優越感を感じ、ここで食べた宿の接待おにぎり昼食は美味しかったです。
 太龍寺から二十二番平等寺へは、最初の下りは急で大変でしたが、体調が良く順調に距離を稼ぎ、国道を暫く歩き、遍路道に入りました。遍路道は、今日3つ目の峠の大根峠を越え、16時15分に平等寺に着きました。ここには、車遍路が数組いました。大仏さんが寝たような山に感激です。  
 今夜の宿は、歩き遍路さんに評判のいい「山茶花」で、洗濯接待が有り、食事も美味しかったです。同泊は有名な先達さんで、夕食で遍路道を守る苦労を聞きました。今日の歩行距離は21.3kmですが、3つの峠越えで慣れたとはいえ疲れました。
 翌日は徳島遍最終日、今回の遍路の目的のひとつは、これまで世話になり亡くなった先祖と会社先輩・友人供養でした。もう一つの目的の会社退職時期を考えながら歩きましたが、結論がでず最終日を向えます。
 遍路最終日は、美味しい朝食をとり7時に宿を出発し、二十三番薬王寺に向かいました。薬王寺の門前であった遍路さんは搖拝(ヨウハイ)し、室戸に向い歩き始めました。区切り打ちで前回ここまで歩き、再スタートのようです。色々な遍路さんがいると思いました。薬王寺は、厄除け御利益で有名で、女坂三十三段、男坂四十二段の急な階段を登り厄除け祈願しました。石段一段一段にお賽銭を置くとご利益があるようで、そこいら中に1円玉が有りました。写経預けてくれた友人にお土産を買い、これで初遍路は完了し、日和佐駅前で乾杯しました。初遍路は、2人の歩くパースが合わず、妻は休む間もなく歩き大変だったと思いますが、ほぼ予定通りの日程で巡礼でき満足です。
 日和佐から徳島経由で神戸に行き、神戸で明石焼きを食べ、帰途に着きました。今回の総歩行距離は約300kmです。
 初遍路を終わり、目的の一つである会社退職時期が未解決でしたが、結論は次回に先送りにしようと思いました。遍路前に業務引き継ぎ完了しており、遍路後の6月13日(月)職場に復帰しても何も問題なく業務遂行されてい安心しました。これからの残り少ない会社生活を考えると、会社への貢献はたかがしれていると思い、退職しても遣る事はあるし、これからの人生は長いので、自分の為に生きようと考えました。机に座り、自分の立ち位置、会社の状況を考え、退職の決意をしました。家族には、6月17日(金)に帰宅して伝えました。母と妻は、突然で驚いていましたが、決断に変わりません。6月18日は妻の誕生日なので、退職と四国遍路のお礼として、花を贈りました。誕生プレゼントは結婚して初めてです。これは、一緒に遍路をして、妻への感謝の気持ちをもてたと思います。6月20日(月)年休をとり長男の家に行き、退職の意思を伝えました。それに、子供達はどう反応したかは覚えていません。
 翌日、東京に戻り会社関係や友人に退職の気持ちを伝えまし皆さん驚いていましたが、次のステージを応援してくれました。た。趣味の居合本部からは、支部設立の提案があり、有り難いと感謝しました。これから、7月末までに退職後の計画をたてようと思いました。
 遍路は組織も人間関係もなく、寺から寺に向かい遍路道をひたすら歩きました。一日が終わると、どっと疲れ宿で休み、翌日の計画をする毎日でした。その中で、残りの人生を考え群れを離れる勇気と覚悟ができました。