土佐の国(修行の道場)

 

7月に会社退職し、退職前に考えていた第2ステージの計画を元に自宅で活動開始しました。今まで単身赴任なので、自宅で100%の生活は初めてなので不安です。しかし、吹矢は現役からの活動を継続し、居合は8月から稽古始め、8月、9月に入会者がいて順調にスタートできました。また、今回の遍路は自分の写経で納経しようと思い、カルチャー教室でかな書道を習いました。
今回は台風シーズンを外し、11月に人生のセカンドステージを生きる覚悟を確認すべく、遍路をスタートしました。今回も前回同様、茨城空港から神戸行き、湊川公園の「かどや旅館」です。
2日目、前回同様に三宮から徳島まで高速バスです。三宮6時半に出発し、徳島に8時20分に着きました。徳島9時51分の電車で海部に行く予定で、時間があり駅前で讃岐うどん朝食をとりました。海部には11時19分に着き、若い遍路さんが前にいたので着いて行ったら、阿佐海岸鉄道への乗り継ぎを間違え、乗れませんでした。若い遍路さんはどうしたのか分かりませんが、我々は30分待ちバスで甲浦に行きました。甲浦に着きましたが、予定は11時49分の室戸行きバスでしたが間に合わず13時59分のバスになり、誰もいない駅で2時間を潰し、初日から大失敗です。予定より2時間遅れでバスに乗り、バスの中から数人の歩き遍路さんを見ました。遍路道で2番目に長い85kmを3日歩き、1日はコンビニも自販機もない単純な道で、一度は歩いてみたいと思います。岬ホテルに15時着、本日の計画を見直しました。まず、弘法大師が悟りを開いた御蔵洞に行き、遊歩道で海と空と岩の織りなす光景を楽しみ、大師ゆかりの行水池や目洗い池、珍しい植物や化石を楽しみ、観音窟を参りしました。
二十四番最御崎寺は標高600mの急勾配の山道・密林を登り着きました。たかが600mと思いましたが、土佐は平地が多いので金剛杖を持ってこず、初日から大変厳しい登りでした。本堂では、今回から自分達が書いた写経を収めました。参拝後、室戸岬灯台へ行きたかったが、時間が無く止め、二十五番津照寺に向い室戸スカイラインを降りました。時計を見ると、16時近くなり、今日の予定を達成するにはタクシーで行くしかないと思い、タクシーを捕まえようと走りだしました。走り始ると、腰に違和感があり狭窄症が再発かと思い、不安で腰を庇いながら走りました。スカイラインを下ると途中作業場の人にタクシー連絡先を聞くと、スカイラインを下り「食堂はまゆう」で聞くように言われ、走って食堂に行きました。食堂は休業でしたが、叔母さんがでてきて、タクシーに電話をしてくれました。電話代を払おうとしたら、接待と言われ感謝しました。この食堂がなかったらどうなったか、初日から弘法大師の導きに感謝です。
すぐタクシーがきて二十五番津照寺に着き、125段の石段を急いで登り納経し、次の二十六番金剛頂寺に16時20分に着き納経でき、初日からトラブルはありましたが、予定通り納経でき安堵し、宿に5時に着きました。タクシーを使ったのは予定外ですが、予定通り遍路をするにはしょうがないと思います。  
今夜は、歩き遍路に評判が良い金剛頂寺の宿坊に泊まりたかったが、産業祭の団体客で満杯のため、「民宿うらしま」にしました。宿泊は、男性歩き遍路4人、夫婦車遍路1組、女性歩き遍路2人で、1人は韓国人20代女性でした。韓国人は、日本語が全く話せずスマホ通訳アプリで会話しながら歩き遍路しており、食事は生ものが食べられず、別メニューでした。土佐名物鰹のタタキが食べられないのは残念と思いますが、韓国パワーは凄いと感じました。本日は、2時間のロスがあり歩行距離は4kmでした。
二日目、6時50分出発し唐浜を経由し、唐浜から2.1km位いくと標高430mを「まっ縦」と呼ばれる遍路泣かせの急勾配200mがありました。この延々と続く登り坂を真っすぐに登り、8時50分に二十七番神峰寺に着きました。3度目の歩き遍路で、今回逆打ちの名古屋の水口さんに会いました。水口さんは、柿渋で塗った茶色の菅笠は丈夫で防水加工され歩き遍路には最適で、二十九番国分寺前の店でしか売ってないので、是非買うよう勧められました。また、夫婦遍路なら納経帳は1冊でなく、今からでも2冊にするよう強く勧められました。神峰寺は長い石段脇に日本庭園があり、見事でした。参拝後、唐浜に向かう途中水口さんと再会し遍路宿、格安キップ、遍路転がしの横峰寺攻略法など貴重な情報を聞きました。逆打ちは多くの遍路さんに会うので楽しいと話していました。納得ですが、我々も逆打ち遍路さんから貴重な情報を頂いています。
唐浜からのいちに向かい、途中で会った地元の伯父さんに高知名物・自慢話を聞きました。のいちのマルナカで昼食をとり、有名な山北ミカンを食べたら美味しかったです。昼食で元気を付け二十八番大日寺に着きました。大日寺を1時20分に出発、途中遍路小屋で休憩し、3時20分に二十九番国分寺に着きました。今回は、どこの納経所も遍路が多く、掛け軸や白衣に記帳している人がいるので、納経のタイミングでは待ち時間が発生するので、団体客が来る前に納経しようとしました。納経後に門前の店で、神峰寺で名古屋の水口さんに聞いた柿渋塗の菅笠を買い、歩き遍路としての気持ちが高まりました。次の三十番善通寺まで11kmあり、4時近くなり納経に間に合わないと思っていたら、車接待を受けました。歩けないのは悔しいが、計画が狂うと翌日以降に大きな影響がでるためやむを得ない判断です。善通寺の納経時間に間に合い、本日も予定完了できました。
参拝後、この近くに遍路宿がないので高知のホテルを予約したので遍路道を離れ、土佐一宮から土佐に電車で行きました。高知に着くと、真っ暗で、疲れた体に鞭を打ち、道に迷いながら、やっと本日の宿「リッチモンドホテル高知」に7時過ぎに着きました。宿泊費が安いので、酷い宿と思ったら、結婚式もやっており、タクシーやバス止まりがあり、素晴らしい高級ホテルで驚きました。夕食は、ホテルの紹介で、近くの屋台村のような所に行き、鰹の敲きが美味しかったです。今回の遍路では、毎日鰹の敲きを食べていますが、どの宿も味と調理法が違い、毎日美味しく頂いています。ある僧侶が話した「寺と寺の間に遍路の本当の心がある」の言葉を思い出し、明日以降も頑張って歩こうと思いました。
 今日はホテルを6時半に出、高知城、はりまや橋を観光し、三十一番竹林寺に向いました。高知は大都会です。しかし、昨日の隣駅は単線無人駅で、大都市一極集中だと実感しました。高知市内からは遍路道でないため、遍路地図にルートが無いので何人かに道を聞きながら歩きました。國分川と舟入川沿いを行くと、自転車遍路さんが野宿していました。道に迷いながら、やっと五台山に到着し遍路路に戻りました。五台山の急勾配を登り切り、高知県立牧野植物園の園内に入り、入園門を抜け竹林寺に9時15分に着きました。
 ここは石庭と五重塔が美しく、多くの遍路さんが参拝しており、車遍路さんから励まされました。参拝後、9時45分に南斜面を一直線に下田川まで下り、川沿いで休憩し途中に農作業の人から励まされ、三十二番禅師峰寺に向いました。目的地近くに来たが、小山への登口が分からず迷いながら、きつい小高い丘の上にある禅師峰寺に11時半に着きました。  
納経所には、接待の御菓子とお茶が置いてあり感動です。境内は岩肌の巨岩が多いのが特徴で、土佐湾が望めました。参拝後、12時5分に出発し、急坂を折り返し、ビニールハウスの間を歩くと、前方に納経所で見かけた、男2人の歩き遍路さんが見えましたが追いつけませんでした。親子か、上司と部下なのか、荷物が少ないので区切り打ちだと思います。色々な編路さんがいます。田園地帯ゃ海沿いには、台風の被害を受けた廃家や、避難タワーがありました。土佐は台風の通過道だと実感しました。住宅街に入ると、中学生のマラソン大会をしていました。遅くても一生懸命走る生徒、制服でふざけながら走っている生徒、元気に挨拶する生徒等、いつの時代も同じです。自分はどの生徒と一緒なのかと思いました。そんなことを考え歩いているとテイクアウトのカレー屋があり、遅い昼食と休憩をとりました。店の前を夫婦歩き遍路さんが通過したので挨拶したら、気づかず通過していきました。休憩後、ひたすら種崎渡船場向い、途中で船の出発時間を聞くと2時5分なので、あわてて20分を一生懸命走りました。それを見た地元の多くの方から激励され、感動しながら頑張り出港直前に乗船できました
 この船は遍路道で唯一残された渡船で、この海上路は県道なので無料です。船員に写真を撮ってもらい、話すと若いころ茨城県勝田で働いてたとの事で、これも何か縁です。 
 下船し商店街を歩くと、私の好きな日本酒「酔鯨」の酒蔵があり、その前を通過し三十三番雪渓寺に2時40分に着きました。参拝後、門前にある本日の宿「高知屋」に行くと、4時まで入れないと表示してありました。宿前に休んでいた埼玉の女性歩き遍路さんと少し話をし、時間があるので桂浜に行くことにしました。途中、酔鯨で試飲し一本購入し外に出ると、先に見かけた夫婦遍路さんに会いました。奥さんは挨拶して、やはり気が付いていたようです。高知屋から桂浜までの4kmを歩いて行くと、スマホを持った歩き遍路さんとすれ違い、スマホルートは車道を案内しているので、遠回りと話していました。桂浜に向う途中から雨が降ってき、桂浜の裏側で諦め、バスで高知屋に戻りました。
 高知屋は、歩き遍路では超有名な宿で、本日の歩行時間的には三十四番種間寺近くまで行って泊まれますが、是非泊まりたいと予約しました。ここは、洗濯接待ありで食事も美味しかったが、有名な女将さんが引退し、代替わりし、女将さんは娘さんに遠慮しているようでした。同宿は、埼玉の女性歩き遍路さん、桂浜でのスマホ男性遍路、家族3世代客でした。本日の歩行距離は25kmでした。ここの位歩くと前回の徳島では非常に疲れましたが、今では二人の歩行ペースは順調で、疲れも感じません。
 出発前、有名な女将さんと記念写真をとり6時半に出発しました。田園地帯を歩き、途中コスモスが満開で、綺麗なので写真を撮りました。朝出発すると、どこへ行っても通学中の子供達から元気な挨拶があり力づけられます。四国の子供達には、お遍路さんへの感謝を小さい頃から教育されているのだと感心しつつ、毎回元気づけられています。
種間寺には、7時45分に着きました。殆どの札所は山登りや、階段を登りますが、ここは街中の平地にある寺でした。到着すると、前日見かけた夫婦遍路さんが参拝して次に向うのを見かけました。別名「安産の薬師さん」と呼ばれ、子育観音堂の周りには安産のお礼と底抜け柄杓が奉納されていました。  
 参拝後、8時に種間寺の大きな石柱門を出て、水路沿いに歩きました。四国はどこへ行っても田園風景で水路が整備され、昔の懐かしい風景です。暫く歩くと、吉野川、四万十川と並ぶ四国三大河川で、日本一の透明度の仁淀川橋を渡り、土手沿いを進み住宅街、商店街を抜け、9時25分にコンビニに着き休憩しました。ここでも何度も見かけた夫婦遍路さんを見かけました。休憩後、ミカン畑を過ぎ、八丁坂と呼ばれる参道は車一台がやっと通れる細い道幅です。急な遍路道と石段を登り11時に三十五番清瀧寺に着きました。
 ここは、参道が狭く車で行けないため、車遍路やバス遍路は途中でタクシーに乗り換え参拝します。納経所には多くの団体客がいて、納経待ちが30分以上になりそうなので、二人で交替して参拝し、納経所で並んだら団体客から冷たい目で見られました。ここでも、夫婦歩き遍路さんを見かけました。同じペースで歩いているようです
 参拝後、12時10分に急な石段と坂を引き返し、土佐市に向いました。途中、有名なハットパンで昼食としました。その後、三十六番青龍寺に向い黙々と歩きました。逆打ち3人の歩き遍路さんとすれ違い挨拶し、元気付けられましたが、単調な道です。塚地休憩所まで歩き、塚地坂トンネルを行くか、峠越えか悩んでいると、先を考えると歩く気力が無くなりました。気を取り直し最短のトンネル通り、やっとの事で青龍寺に14時20分に着きました。
 青龍寺には、元大相撲の横綱朝青龍が高校時代にトレーニングした長い、急な石段があります。疲れた身体を鞭打ち、やっとの事で石段を登りきり、本堂と大師堂を参拝しました。
これで本日の予定は完了したので、元気をだして本日の宿「なずな」に向いました。
元々「竜の渡し」と呼ばれ渡し舟があったようですが、昭和四十八年に「空に架かる遍路道」と呼ばれる宇佐大橋ができ渡し舟がなくなりました。渡し舟での遍路もしたかったが残念です。橋を渡ると、浦の内湾沿いの車道を歩きますが、宿が湾の反対側に見えるが、道が入り組んだ湾沿いを廻るので中々着かず、3度電話し、後どの位かを聞きました。やっと宿近くの商店にたどり着き、一気に疲れがで、安心しビールで乾杯し宿に着きました。本日の歩行距離は、36kmで疲れました。
 同宿は、韓国の若い女性と福島からの歩き遍路さんです。2人は1番札所で会い、もう1人の千葉県柏からの遍路さんと3人で歩き遍路をしていて、柏の方は、本日は別ルートで明日合流するようです。韓国の女性は、日本語は問題なく、韓国の政治問題もはっきり意見を言い、優秀な人だと思いました。夕食は、女将さんの美味しい創作料理と楽しい話で、盛り上がりました。皆で、朱印帳を見せ合たり、外国人の遍路事情、美味しい日本酒・焼酎情報など楽しい食卓でした。また、茨城から来たと言うと、女将さんは大相撲稀勢の里のファンで写真が沢山ありました。女将さんは、郵便局に勤め退職後、夫婦で遍路宿を始めたようです。翌日の予定を聞かれ、横瀬黒潮ラインか、浦ノ内湾に沿っていくかを聞かれ悩んでいたら、浦ノ内湾の巡航船で行くことを勧められました。次のルートが決まってなかったので助かりました。同宿の二人は、歩き遍路なので船には乗らないようですが、我々は船遍路も貴重な経験と思い巡航船で行くことにしました。ここは洋上古道の拠点で、深浦港から横浪港まで7kmの巡航船は通学・通勤手段であり、休日は運休で、乗れてラッキーです。
 朝食後に宿の息子さんの車で船乗り場に送って貰い、最高のおもてなしの宿でした。船乗り場に行くと、昨日何度か見かけた夫婦遍路さんに会いました。名古屋からの区切り打ちで、奥さんの足が悪いので無理しないで歩き、昨日は国民宿舎に泊まり、バスで送って貰ったようです。7時5分発の巡航船は小中学生の通学が多く乗り、今朝も子供の挨拶に元気付けられました。海は、養殖用の筏が多く素晴らしい景観でした。土佐は、船もバスも学校の休みには運休のようです。8時に横波で下船し、室川に向かいました。郵便局でタクシーを呼んでもらいました。夫婦遍路さんは、歩いて次に向い分かれました。
 三十七番岩本寺は、格天井の絵画は素晴らしく、寺らしくなく楽しい絵画でした。参拝後、駅前の酒屋に寄ったら、「なずな」の女将が話していて気になっていた栗焼酎「ダバダ火振り」があったので買いました。窪川から中村は長い道のりです。千葉からの夫婦遍路さんと一緒になりました。奥さんの仕事の関係で1週間位の区切り打ちです。旦那さんは、上下白装束で、バス・電車時刻表や歩き遍路ガイドブックを何冊も見て、最短で廻るようです。
 長い遍路道を歩きやっと足摺岬の三十八番金剛福寺に着きました。ここは亜熱帯植物の自然林が広がり南国ムードが漂い、多くの遍路さんが参拝していました。千葉の夫婦遍路さんは、参拝後バスで中村に戻り、次の札所近くのビジネスホテルに泊まるようです。我々は、足摺観光をし、「足摺ハット」に着きました。
 宿の名物は「清水鯖のお造り」です。宿に着いた時の宿泊者は我々だけでしたが、夕食には、車遍路の3夫婦が飛びこみで宿泊し、お造りは少なくなったようです。同宿の群馬と徳島からの夫婦遍路さんとの夕食は楽しく、群馬さんは日本百名山を夫婦で達成したようです。
 高知は、室戸岬から足摺岬まで、殆どが海沿いです。遍路は元々海沿いを歩いた辺路と云う修行形態が、弘法大師以降変遷し、現在に至ったようです。そのため、札所は海沿いか海に関係する所に多いです。
 足摺岬からは千葉からの女性遍路さんと一緒に、三十九番延光寺に行きました。これで高知遍路は終わりですが、日程に余裕ができたので、次回予定の愛媛県の四十番観自在寺まで行くことにしました。
 観自在寺参拝後に、納経所で次の遍路愛媛のパンフレットを貰い、住職と話していると、愛媛の遍路道が不安になり「四国遍路ひとり歩き同行二人」があったので即購入しました。寺前でお土産のミカンを購入し、タクシーで宿毛まで千葉遍路さんと3人で戻り、そこで千葉遍路さんと別れ高知に向いました。千葉遍路さんは、アナログ派で時刻表やパンフレットを事前取り寄せルートを調べ、遍路をしています。家の旦那さんには毎日電話をしているとの事ですが、携帯電話は持っていません。
 高知に戻り、2日目と同じ屋台村で高知の夕食を楽しみました。今回も車遍路に助けられたりし、なんとか計画通り遍路を終えた事に感動です。また2度の船遍路は貴重な想い出です。 
 最初の遍路は、群れから離れる勇気と覚悟が問われ、2度目の遍路は、「はぐれる勇気」が鍛えられ、試されました。会社を退職し、群れを離れ、生きる勇気と覚悟ができました。