伊予の国(菩提の道場)

 

3度目の遍路も茨城空港から神戸空港までは前回と同じですが、神戸泊でなく高速夜行バスとしました。前回の遍路最終日に宇和島バスに乗った時、パンフレットに宇和島行きの夜行バスがあるのを思いだし、宇和島交通に電話し到着時間と乗車時間を確認すると、これが最良のアプローチと思い予約しました。これで半日の時間短縮ができます。夜行バスは疲れると思いますが、初日の遍路が朝からスタートでき、初日の宿に何とか行ける見通しがたちました。神戸発23時10分のバスに乗車し、宇和島に6時40分に着きました。夜行バスは座席が広くゆっくりできましたが、2人とも花粉症が酷くあまり眠れませんでした。
 
今回のテーマは、退職し7ケ月となり、これから群れをはなれて生きる「覚悟」です。また、高知で歩かなかった反省で、しっかり歩く計画としました。しかし、2人とも花粉症が酷く、今回の遍路道は難所が多く、歩行計画が決まっていないルートがあり、不安のスタートです。
 宇和島は、まだ薄暗く花粉症で寝不足です。闘牛で有名な宇和島から務田までJRで行き、四十一番龍光寺に7時50分に着きました。山門が鳥居の龍光寺を出ると、墓地の中から寺の裏山を越え山道を通り、四十二番仏木寺です。ここは、茅葺の釣鐘堂と牛馬の守護神として、牛や馬の像やペットの写真が飾られていました。  
 四十三番明石寺へのルートは歯長峠越えでなく、距離の短い歯長トンネルとしました。トンネルは歩行距離が短縮できますが、車が来ると危険です。トンネルを通過すると、前に歩き遍路さんがいたので、追いかけるように2時間半歩き、やっと赤色の瓦葺で異国情緒が漂う寺に着きました。納経後に、宇和島藩の在郷町として栄えた卯之町の古い建物が並ぶ街並みを通りました。ここまで20km歩き、次の四十四番大宝寺までは78kmです。これから、どこで泊まって、どう行くか悩みました。取り敢えず、内子までの単調な長い道程を行きました。
 内子から今宵の宿までの25kmです。20km歩き「道の駅小田の郷せせらぎ」に14時45分に着きました。道の駅で、うどん昼食をとり、元気がでたので宿まで歩く事にしました。宿までのルートを、店員に聞きスマホで確認してもらったら3km位戻り、右折7kmと言われました。しかし、遍路地図を見たら直進でないかと誤判断し、逆方向に歩き始めましたが心配で、自動車整備工場で確認しました。聞かれた方も遍路地図では判断できず、久万高原はトンネルまで直進と言われ、やはり間違ってないと思い頑張って前進しました。しかし、いくら歩いても目標地と遍路マークがなく不安になり、やっと会った人に三島神社を聞いたら別な道と言われたが、近くに小さい三島神社があったので間違いないと思い、更に進みました。15時10分に出発し16時45分になり、粉雪も降ってき、目標の遍路マークもなく不安になりギブアップし、やむを得ずタクシーを呼びました。
 タクシーに乗ったら逆方向に向い、運転手に聞くと店員に聞いた通りの道で大失敗です。内子から宿までの地図は3分割になっており、地図を見間違っていました。運転手は、久万高原へのルートは旧遍路道ヒワ田峠越えと、新道の農祖峠を越えるルートがあり、ヒワ田峠は標高790mの峠越え、農祖峠は標高651mだが車道でトンネルが多いとの事です。我々は、ヒワ田峠ルートの宿を予約したのに、農祖峠ルートを歩いたようです。
 宿から何度か℡があり、タクシーで移動中と伝えました。宿に着く頃から粉雪から大雪に変わり、明日が不安に思いながら17時15分に「えびすや旅館」に着きました。真っ暗な雪の中、やっと宿に着き安心しました。今日の歩行距離は間違い5kmを加え30kmでした。
 宿に着くと、女将さんが金剛杖を洗い、部屋の床の間に杖を座布団に置いてくれました。弘法大師の身代わりの金剛杖をこの様に大事に扱ってくれたのは、徳島の松本屋以来で感動しました。また、寒いので湯たんぽ炬燵と半纏を用意してくれ、布団には湯たんぽを入れてくれました。夕食はおかずが多彩で最高でした。食事中、今年の愛媛国体の話題になり、国体宿とすると遍路さんが困るので、国体宿は断ったとの事です。四国では、このような宿が多いので、遍路文化が継続し存続していると感謝です。翌日は、峠越えで雪も心配なので、5時に出ると言ったら、朝食は御握りをつくってもらう事になりました。
 今夜も、花粉症で鼻がでて中々眠れません。不思議な事に四国に来るたび毎日夢をみます。徳島では、祖父母、両親、親戚が夢に出て、土佐では、幼なじみ、小中学校・高校・大学の友人の夢を見ました。夢を見ながら半眠りで5時に起き、女将が用意したインスタント味噌汁で暖を取り、朝飯の御握りを持ち、5時40分に見送りもなく、雪の中を不安な気持ちで出発しました。
 宿を出ると、真っ暗で雪が降ってる中を歩き、昨日のタクシー運転手の言葉を思い出し、遍路道への国道入口の落合トンネルを目指しました。まだ真っ暗で大雪で寒く道路が見えず、不安ですがひたすら歩きました。しかし、歩き過ぎかと思い、車を止め尋ねたら、やはり行き過ぎたようで来た道を戻り、やっと遍路道に行けました。これで昨夜女将さんから、丁寧な手書き地図で説明してもらった久万高原への峠越えに向え安心しました。今日は、雪がなくても厳しい峠越えで平坦地のない厳しいルートです。  
 覚悟を決め歩き、最初の目標4kmを歩き三嶋神社に7時10分に着きました。予定より20分遅れましたが、雪道で迷いながらなので順調だと安心しました。しかし、雪は止むどころか、大雪になりました。朝飯の御握りを三島神社の前で立ちながら食べ、歩き始めました。ひたすら歩くと、多くの車が雪をはじき通過し、これからの峠越え遍路道が不安になりました。そろそろ歩きをギブアップしてヒッチハイクで車に乗せてもらおうと思いましたが、全く車がきません。車道をひたすら歩くと、下坂場峠に向う遍路シールがあり、ヒッチハイクを諦め覚悟を決め左折し峠越えの山道に入りました。山道は雪で遍路シールが見えにくく、やっと右折の遍路シールを見つけ前進しまた。しかし、右折後直ぐの左折の遍路シールを見逃し、前の車道に戻ってしまいました。そこには車も人もいなく、不安で頭がパニックになりました。雪降る中、遥か前方に歩き遍路さんが居るのが微かに見え、夢中で追いかけました。やっと追い付き、山で迷ったので一緒に峠越えしようとお願いしました。一歩間違えば遭難との思いもしたが、弘法大使に助けられたと感謝しました。歩き遍路さんは、埼玉県からの区切り打ちで、仕事の休暇を利用し全コース歩き遍路をしています。年齢は30代と思われ、スマホの地図情報で遍路をしていて、我々が間違った所も簡単し発見し、色々話しながらヒワ田峠に9時35分に着きました。
 埼玉歩き遍路さんの話では、我々が泊った、宿の近くの「たちばな旅館」に2人が泊まり、1人は雪で休養日です。そう聞くと、今日のヒワ田峠越えの歩き遍路は、我々3人となります。本当に、会えて助かったと感謝してました。埼玉さんとは、歩くペースが違うので、峠下り口で別れました。  
 ヒワ田峠を出発し、これからの遍路スケジュールを考える余裕がで、岩谷寺と大宝寺をどう打つか考えました。計画は歩く予定でしたが、雪で大幅に遅れたので、久万高原から岩谷寺行きのバスが11時にあることを思いだし、3.4kmの急な峠下り坂を膝までの新雪を踏みしめ、夢中で走るように下りました。妻は辛かったと思いますが必死でした。山道を降りると人家があり、雪かきをしている人に会いホットし、歩くペースを上げ、途中、郵便局で道を聞き、10時半に久万高原バス停に着き、11時のバスに間に合いました。バス停近くで、愛媛新聞の記者に、3月では10数年ぶりの大雪のようで、雪の峠越えについて取材されました。翌日の新聞に、茨城の歩き遍路が雪の峠越えをしたと記事になると思います。徳島での焼山寺は雨でつらかったが、今回は大雪で超大変でした。土佐で会った歩き遍路さんが言っていた、「歩き遍路は日程変更できない全天候型歩行修行」との言葉を実感しました。
 久万高原からバスで岩谷寺に向いました。バスから見ると11kmの遍路道は雪で全く歩けない状況です。さっきまで一緒だった埼玉歩き遍路さんは、岩屋時に行く途中の「八丁坂」に泊まる予定ですが、どんなルートで宿まで歩いたか心配です。 
 四十五番岩谷寺は、弘法大使が開いた修行の寺で、細く険しい急勾配の坂と階段が厳しく、更に雪が積もり滑らないよう注意し、参道を歩きました。岩壁に張りつく本堂は見事で、多くの団体客がいましたが、高齢者は大変な参拝です。四十四番大宝寺へのバスは13時25分なので約2時間滞在となり、弘法大師の修行場のセリ割行場へ行こうと思いました。しかし、納経所で鍵を借りて登ろうと聞いたら2時間掛リ、今日は雪で無理と言われ諦めました。バスの時間まで、岩谷寺を参拝し、大宝寺に13時40分に着きました。  
 大宝寺に着くと、妻のストックが無いのに気付き、バス終点の事務所に電話したら、届いており安心しました。大宝寺の参道は杉と檜の大木が続き、花粉症には厳しい所です。周囲一帯は雪で、寒さと疲れで、参拝と納経を急ぎ、バス事務所に行きストックを貰い、宿「ガーデンタイム」に15時に着きました。
 宿につき、薪ストーブでびしょ濡れの靴とカッパを乾燥してもらい、大きな浴槽につかり、やっと安心しました。宿の女将さんは、大雪の中よく峠を越えてきたと驚いていました。宿泊キャンセルもあっり、宿には歩き遍路さんが1人で雪の国道を歩き、車から雪や水が撥ねられたとの事でした。夕食は、作業者6人組と歩き遍路さんと我々で、キジ鍋が美味しかったです。今日の歩行距離は、えびす屋から久万高原まで20kmと2寺の参拝5kmで25kmですが、雪の峠越えで、平坦地がなく疲れました。一歩間違えば遭難の危機もあり、途中で会った埼玉さんに感謝です。前泊の宿からも生存確認の電話がありました。
 翌朝、出発前に女将さんから、三坂峠は歩けないと前泊の遍路さんから電話で情報提供があったと聞き、バスで松山に行くことにしました。久万高原バス停8時5分発、塩ケ森で8時30分に下車しました。ここから松山平野に向い、四十六番浄瑠璃寺まで3.5kmの下り道を歩きました。バスを降りたら晴天青空で、久万高原の雪景色とは全く違い驚き、安堵しました。浄瑠璃寺の向いに歩き遍路さんから評判の良い「長珍屋」があり、通常の遍路宿とは違いホテルのようで、何が良いのかなと思いました。
 浄瑠璃寺は、緑あふれる境内で、外人さんが多くいました。次の四十七番八坂寺までの1kmは10分で着き、朱色の橋を渡り石段を登ると、どっしりとした立派な本堂がありました。四十八番西林寺まで5kmは順調に1時間で着き、太鼓橋を渡り本堂に向いました。四十九番浄土寺まで3.2kmは45分で着き、本堂は本瓦葺寄棟造の室町時代に建てられた重要文化財に指定されています。また、仏足石があり、これは釈迦の足跡を刻んだもので、健脚や交通安全に霊験があるようです。次の五十番繁田寺まで2kmを歩き11時40分に着きました。境内から松山市内、松山城、瀬戸内海が見え、朝の曇った久万高原の雪景色とは全く違います。
 納経後、八十八四国霊場屈指大寺の五十一番石手寺に向い、コンビニで昼食をとり12時35分に着きました。石手寺の参道は屋根付きで、両側に露店があり立派で、国宝の仁王門や国の重要文化財指定の堂が多く、お寺テーマパークのようでした。  
 参拝後、門前で蜜柑を買い、道後温泉に着き、伊佐爾波神社(イサニワジンジャ)の長い階段を登り、本日の宿「松山ユースホテル」に14時15分に着きました。到着時間が早いので、木造3階建で重厚な道後温泉本館の坊ちゃん風呂に行きました。雪の久万高原の疲れを癒し、遍路後半の難所である横峰寺や雲辺寺を頑張ろうと思いました。湯上り後は温泉街を散策し、坊ちゃん電車やカラクリ時計などを見て、温泉街で地ビールを呑み、久々に観光しました。道後温泉本館前のお土産屋が並ぶ道後ハイカラ通りが遍路道になっていて、江戸時代から道後温泉を楽しみに来る遍路が多い様です。
 宿の遍路客は我々だけで、多くの作業者が宿泊していましたが、歩き遍路の資料が多く有り参考になりました。夕食はカレー鍋が美味しかったです。本日の歩行距離は18kmでしたが、雪の峠越えの疲れを温泉で癒し、明日からの元気がでました。寝るときに気が付いたら、花粉症が気になりません。2日前まで、花粉症が酷く、寝ていても鼻が出て眠れなかったが、昨夜も気にならないで眠れました。思えば、雪の久万高原を必死で歩いている時から、鼻は出なくなりました。妻は、相変わらず花粉症で大変です。
 翌朝、宿で次へのルートを聞くと、五十三番円明寺から五十二番太山寺に逆打ちするようアドバイスされ、松山から伊予和気に行くことにしました。松山駅の近くで、先達さんに会い、百回巡礼した先達さんしか持ってない錦織の素晴らしいお札を貰い、結願にむけ激励され感動しました。
松山から伊予予和気まで行き、庶民的な雰囲気の五十三番円明寺に着きました。納経後、五十二番太山寺まで2.5kmを歩き、国宝の本堂を参拝しました。四国八十八霊所での国宝は五十番石手寺の仁王門、七十二番本山寺の本堂の三ケ所です。参拝後、大西ま歩ききました。
 大西駅前で叔母さんがバス停を探し色々な人に聞いていました。我々も聞かれたが歩きなので分からないと答えました。そんな事があり、五十四番延命寺向い、途中JAで休憩し、友人へのお土産の蜜柑を購入し自宅に送りました。そこに九州からの若者2人サイクリストがいて、話すと自転車遍路でなく、しまなみハイウエーのサイクリングでした。私も遍路中に、しまなみを自転車遍路をしたいと話しましたが、遍路道でないので諦めました。JAから国道196号を歩き、前方に歩き遍路さんがいたので追いつこうと急ぐと、向こうも歩行ペースを上げたようで追いつけません。
 今治城の城門を移築した延命寺を参拝し、のどかな田園風景から大規模霊苑を歩き五十五番南光坊に着きました。ここは桜が咲き、久万高原の雪景色とは全く違い驚きです。ここは、四国八十八霊所で唯一「寺」でなく「坊」です。理由を聞くと、瀬戸内海に浮かぶ大三島の大山ズミ神社別当二十四坊の一つで、航海安全・武運長久の神様として信仰されました。しかし、船でなければ行けないので、船で渡らなくとも参拝できるよう別当寺として移されたようです。納経所で、大西駅前で会った叔母さんと再会し、「ずいぶん早いね」と驚いていました。今治で先行していた歩き遍路さんも参拝してました。
 次の五十六番泰山寺まで、納経所で説明された簡易地図では近いと思い歩き始めましたが、直線道路が単調で疲れました。途中、イオンで昼食休憩をとり歩き始めると、今治で先行していた歩き遍路さんが前方を歩いていました。昼食休憩で元気がで、前を歩く遍路さんを目標にひたすら歩き、泰山寺のバス駐車場があり直ぐだと思いました。高く積まれた石垣が右に見え、その上が泰山寺なのに農家の豪邸と思い、前方を見ると左折の遍路標識があり前進しました。歩くと、生き倒れ遍路の無縁墓が沢山あり、江戸時代からの遍路歴史を感じました。町はずれに無縁坂やお地蔵様があるのは、接待したので早く町を出ろとの事です。江戸時代の遍路は、罪人、病人、家出人、帰る家が無い人のようです。無縁墓があり町はずれなので遍路道を間違ったかと思いながら、更に進むと順打ちと逆打ちの遍路標識があり、泰山寺を見落とした事が分かり、急いで1.2kmを逆戻りしました。
 泰山寺で参拝し、同じ道を戻り間違いに気づいた地点に戻り、往復2.4kmの無駄を悔みました。気を取り直し蒼社川沿いを上流に歩き、小山の山裾の野道を歩き、映画「僕は坊さん」の原作者が拾色の五十七栄福寺に着きました。ここは、平地の小さなお寺で、参拝し五十八番仙遊寺に向いました。
 仙遊寺までは3kmの登り山道で、納経時間に間に合うか不安になり急ぎました。田圃の中、犬塚池の土手、細い山道をひたすら歩き、現在地がどこか、間違っていないか不安でした。不安に思いながら歩くと、やっと車道になり現在地を地図で確認でき、安心しました。ここは標高50m地点、目的地は標高255mで急勾配の車道をひたすら歩きました。前方を見ると、昼前に会った叔母さんが手を振っていました。叔母さんは、脚が悪く歩けないのでバス利用と話していましたが元気で、どこで追い抜かれたのかと思いました。おそらく、昼食時か道を間違い戻った時だと思います。そんなことを考えながら歩き、標高210mの山門に着きました。これから車道を行くか、山門から登るか悩んでいると、山門から降りてきた遍路さんが、車道は距離が長いと話していたので、山門から行くことにしました。本堂まで心臓破りの急な坂と石段で、最後の力を振り絞り歩き16時20分に到着し、納経時間に間に会い安心しました。
 今夜の「仙遊寺宿坊」は、精進料理が超有名で是非泊まりたかった宿です。建物は立派で、瀬戸内海の夜景が綺麗でした。夕食は芸術的な綺麗な精進料理でしたが、満腹感はなかったです。宿には、多くの遍路さんが宿泊しており、楽しい夕食でした。北海道から10回目の先達さん、今治から何度も会った叔母さんと神戸歩き遍路さん、兵庫からの自転車遍路さんと話が盛り上がりました。また、北海道からの親子3人の車遍路さんは、娘さん手造りの紙すき納経帳を見せてくれました。神戸遍路さんは延命寺に向う時に前を歩いていて、その後も何度か見かけました。神戸さんに「随分急いで歩いているね」と言われ、結構我々を気にして歩いていたようです。我々は、一緒に歩きたいと思い、一生懸命追い掛けたが、神戸さんは振り切っても付いてきて煩わしかったかと思いました。色々思いはあるが、楽しい一期一会でした。本日も歩行距離は35.5kmで疲れました。
 翌朝は6時からお勤めがあり、住職は四国遍路を世界遺産にする運動の主要メンバーです。説法は面白く学ぶべき事も多かったが、後半は家族の事等の自慢話で白けました。朝食後、出発しようとしたが予定より30分遅れ、本日の予定が狂い悩んでいると、今治から一緒の叔母さんと車遍路さんに同乗させてもらいました。これで予定通り、本日の難関の横峰寺に挑戦でき安心しました。
 五十九番国分寺は、「握手修行大師」や体の健康を念じながら触れる薬壺の「大師のつぼ」など珍しい大師があり、有り難く参拝しました。納経後、JR伊予桜井まで歩き8時発の電車で伊予小松に向いました。叔母さんも同じ電車で、横峰寺までは伊予小松の2ツ先の伊予西条まで行き、バスで横峰寺まで行くので電車で別れました。五十九番国分寺から六十二番宝寿寺へのルートはガイドブックや体験本では何種類もあり悩みましたが、高知で会った歩き遍路さんに聞いたルートにしました。8時25分に伊予小松で下車し、本日の宿の「ビジネスホテル小松」に着きました。ここに荷物を置き、横峰寺登山口まで行きました。
 登山口から5.3kmの山道を登り、登りは思った程険しくなく安心し、尾根沿い登り、景色が綺麗なルートで、時々下りもあり一息つけました。すれ違う下山の遍路さんに励まされ、最後の急勾配の坂を登り12時10分に横峰寺に着きました。
 横峰寺も雪景色で寒かったが、頂上で甘酒接待を受け体が温まり助かりました。本堂に向うと、反対から叔母さんが参拝を終えて来たので、何時間ぶりの再会を懐かしみ、叔母さんは先に下山しました。我々が参拝し、下山しようとしたら、昨夜一緒の兵庫の自転車遍路さんが自転車をどこかに置いて急勾配を登って来ました。この一期一会が遍路の楽しみです。
 12時55分に下山し、何人かの遍路さんを追い越し、我々は結構健脚になったと思いました。登山口前で、叔母さんが足を引きずり頑張って下山しており、感動しました。叔母さんを励まし、我々は登山口に14時半に着き、遍路道を進みました。暫く歩くと歩き遍路さんに会い暫く一緒に歩くと、遍路道の分れ道があり、別の道を別行くことにしましたが、六十一番香園寺には同時に15時20分着きました。どちらの遍路道も同じだったようです。
 ここは本堂と太子堂を兼ねたモダンな大聖堂で他の寺とは全く違う建物なので、本堂の前で参拝者に「ここが六十一番ですか」と聞きました。一緒に参拝した歩き遍路さんから、明日は日曜日なので六十二番宝寿寺の納経所は9時からになるので今日中に納経した方がいいとの情報を貰いました。我々は、まだ時間早く余裕です。
 六十二番宝寿寺は国道11号線沿いにあり。納経所は叔母さん2人で、他の札所と比べると小さな寺でした。本堂で地元の母親と子供3人が読経しているのは驚きです。今回の遍路から帰り1ケ月後、この寺が四国八十八札所から脱会したとの新聞記事を見て驚きました。八十八遍路協会への上納金が原因だったようですが、脱会前に納経でき良かったです。
 六十番から六十三番のルートは何種類かあり、何人もの歩き遍路さんとすれ違いました。今日は荷物を宿に置いてきたので、疲れず順調に歩け、明日参拝予定の六十三番吉祥寺まで行きました。吉祥寺では、御釈迦様が入滅した日に、その徳を偲び感謝する「常楽会」が開催されていて、地元の有志など沢山の人がいて、屋台もあり賑やかでした。ここには「御迎え大師」がありました。思えば、横峰寺でも「常楽会」でした。今日の歩行距離は30kmでした。
 今宵の宿は、遍路さんに有名な「ビジネスホテル小松」です。名前はビジネスホテルですが、完全な歩き遍路宿で、地元の肉屋さんが経営していて夕食はしゃぶしゃぶ鍋でした。連泊すると牛すき焼きで東京からの大学生が食べていました。宿泊客は、何度も会った叔母さんと兵庫の自転車遍路さんも含め16名と大勢で、賑やかで楽しい夕食でした。部屋は、寝るだけの小さな部屋でしたが、綺麗でした。
 翌日は6時に朝食をとりすぐ出、六十四番前神寺に7時過ぎに着きました。本堂は両翼がつき、厳かな雰囲気が漂う大きな寺でした。参拝後は伊予三島を目指し単調な道を歩きました。
 伊予三島から六十五番三角寺へは、最初は舗装された登り道でしたが、戸川疏水公園を過ぎ集落や蜜柑畑を抜けてからは、本格的な山道で後半は急勾配です。山は杉林で花粉症には厳しい道を歩き、最後は急な石段を登り10時35分に着きました。ここの山門には吊鐘がありました。愛媛最後の寺を参拝し石段を下り。一国結願を感動しました。
 次は、結願の香川県に向け、元気を出して三角寺に登って来た方向と逆方向に下り、本日の宿「岡田屋」までの長い遍路道に向いました。最初の目標は椿堂までの下り2kmです。棚田や瀬戸内海の景色が絶景で、また駐車場や倉庫の無料宿や接待所、廃バスの無料宿泊所が多くあり、この区間は遍路宿が少ないようです。倉庫の接待所で休憩し、ひたすら歩き椿堂を通過し、長い登りの7.1kmを歩きました。歩いていると、突然後ろから今治の宿で一緒だった兵庫サイクル遍路さんに声を掛けられ驚きましたが、元気付けられました。奇遇にも兵庫サイクル遍路さんには3回会いました。中々目的地まで着かず、疲れてきた時、徳島からの逆打ち遍路さんに会い宿までの距離を聞き、もう少しと思い元気がでました。お腹がすいたが昼食を食べる所が無く、出会った地元の子供に食堂を聞くと、徳島まで無いと言われ諦め歩きました。やっと、岡田屋まで3kmの標識があり頑張って歩くと、県境の境目トンネルに着きました。ここは峠を越えか、トンネルを通過するかを決めなければなりません。峠越えは距離も長く疲れているので、距離855mのトンネル通過にしました。長いトンネルは古く真っ暗で、トラックや車が多く走り非常に危険で、菅笠が車に当たりそうで手に持ち、狭い歩道をユックリ歩きました。やっとでトンネルを抜けると、愛媛県から徳島県でした。初の県境越えは感動です。
 県境から少し歩くと、右折は阿波池田方面で有名な観光地かずら橋や大歩危・小歩危ですが、今回は遍路なので諦め前進しました。暫く歩くとドライブインがあり、やっと昼食をとれます。店には猪狩りのハンターが数人食事していて、山道では猪に気を付けるようアドバイスされました。食事後、宿に向い歩き、ガイドレールに左折標識がありました。これを見落とすと大変な事になり、標識の見方に大分慣れたと思いました。細い道を歩くと、閉店した商店の庭に洗濯が干してあったので、注意して見ると岡田屋の看板がありました。岡田屋に着くと、兵庫のサイクル遍路さんが外にいて驚きました。聞くと岡田屋に泊まれず、親父さんに紹介された宿に車で送って貰うようです。歩き遍路に人気の宿は当日予約では泊れない事も多いようです。
 今宵の宿泊客は、徳島から来た老夫婦の歩き遍路、松戸からの区切打さん、百名山を達成し10年ぶりに岡田屋に泊る歩き遍路さんです。食事中、海抜0mの観音寺から911m雲辺寺を参拝し、標高240mの岡田屋に着いた、松戸からの逆打さんが増えました。逆打さんは1日50kmを歩く時も歩くようですが、更に凄い27日で結願した遍路さんがいた事が話題となりました。この伝説の遍路さんには、最後の香川遍路で同じ宿で一緒になりました。
 食事後、親父さんから雲辺寺へのアプローチの説明があり分かりやすく、四国霊所で最標高遍路道の不安が消えました。親父さんから翌日のお勧め宿を紹介され、私が予約した宿がなく聞くと、「そこは止めた方が良い」と言われました。昨日確定の電話を入れたので躊躇しましたが、20時に勇気をだし電話をしキャンセルでき、親父さんのお勧めの宿を予約しました。本日の歩行距離は25kmです。
 6時に朝食、昼食の御握りを接待され、親父さんと記念写真を撮りました。親父さんは91歳で元気はつらつで、我々も元気を貰い6時50分に出発しました。
 親父さんの手書き地図を参考に歩き、遍路道の急な舗装道、石段を経由し山道に入りました。山道を歩くと、宿で一緒の松戸の区切打さんが後ろから追い付いたので、一緒に休憩し本日の予定を聞くと、七十番本山寺まで行くか悩んでいるとの事です。私も同じ悩みで、これからの歩行ペースで決めようと話しました。松戸さんとは同じ歩行ペースで歩き、8時45分に六十六番雲辺寺に着きました。
 ここは四国霊場で一番標高が高く、僧侶からは「四国の高野」と呼ばれ学問道場として栄えた所です。到着すると雨が降ってきて、急いで参拝し、有名な「おたのみなす」で願掛けました。納経し下山しようとすると、宿で一緒の老夫婦と会いました。歳の割には、我々と同じペースでニコニコしており驚きましました。9時10分に下山道に入ると、両側に五百羅漢が立ち並びユニークな表情を楽しみました。
 その後は、ひたすら海抜0m観音寺に向け下るだけです。尾根道を歩き、長く急な下りが4.3km続きました。道は岩や石が多く段差が厳しく、段差は50cm前後の連続で妻は膝を痛めたようですが、頑張ってついてきました。途中で宿の接待御握りを食べ、元気を出し下山しました。暫く歩くと、遍路宿で有名な民宿「青空」の前にきて山道が終わりました。標高910mの雲辺寺から4.3km歩き標高172mまで下り、逆打ちには厳しい登りです。ここから、5.1km国道を下り、12時半に六十七番大興寺に着きました。
 水路に架かる橋を渡り鎌倉時代作の金剛力士像の仁王門をくぐり、石段を登ると松戸さんもいました。参拝終了し仁王門を出ると兵庫のサイクル遍路さんと会い、最後の別れをしました。兵庫サイクル遍路さんとは偶然にも何度も会いました。サイクルは平地は距離を走りますが、山道は辛いようです。
 12時45分、観音寺に向い国道を歩きました。前方に松戸さんが歩いていたので、道に迷わずひたすら松戸さんを追いました。単調な下り道で疲れたので、途中にあったマルナカで軽食と休憩し、元気を取り戻し歩き、六十八番神恵院、六十九番観音寺に3時に着きました。マルナカは現役時代に仕事で付き合った会社で、懐かしかったです。
 ここは四国霊所で唯一、同じ境内に2つの札所があり、神恵院はコンクリートと白木を組み合わせた建物、観音寺の金堂は朱色が鮮やかな室町時代初期の建物で、対照的な造りが珍しいです。参拝後、松戸さんは七十番本山寺近くのビジネスホテルを予約したようで、本山寺に向いました。我々は今日は山登り、下山で24km歩き疲れ、宿が近くなので本日は終了と思いましたが、本山寺まで4.9km歩くと納経時間まで間に会うか微妙ですが、明日以降の計画を見直し頑張って行くことにしました。
 本山寺は鎌倉時代に建てられた仁王門など重厚で広々とした寺で、特に五重塔は国宝で有名です。しかし、五重塔は建造中で相輪を展示していたが残念です。本山寺から1.2kmのJR本山駅に向う途中、地元の伯父さんと会い駅まで一緒に歩き、電車が来るまで1時間色々話しました。四国はこのような、人情ある人が多くいます。電車で観音寺に戻り、駅から宿に向う途中の肉屋さんで、メンチとコロッケを食べ、長い1日が終わりました。
 本日の宿は、岡田屋の親父さん推薦の「藤川旅館」は古い旅館ですが、もてなしは最高でした。同宿は、東京多摩からフェリーで来た御爺さんです。脚が悪いが区切打ちで今回結願を目指していますが、見ると歩くのも大変なようですが凄いです。今夜の食事は、猪鍋卵とじと、細長い貝です。貝は親父さんが捕ってきたもので、珍味でした。本日の歩行距離は32kmでした。ただ、遍路三大下りは鶴林寺、久万高原の三坂峠、雲辺寺と言われていますが、焼山寺の下りが一番傾斜は急で、雲辺寺は大きな石も多く段差が激しい長い距離の下りで、一番険しく脚にきました。三坂峠は雪で歩いていないので、次回は歩きたいと思います。
 今日は最終日です。今回は体力も付き頑張って、次回霊所を4寺巡礼したので、欲張って飛行機の時間が許す限り巡礼する事にしました。朝食を6時にとり、多度津まで電車で行き、七十七番道隆寺に行きました。ここは、堂々とした仁王門と二百五十体を越える観音像が立ち並んでおり見事でした。参拝後は多度津に戻りJRで宇多津まで行き、七十八番郷照寺です。高台にあり厄除け宇多津大使と言われ、ニ層屋根の本堂でした。今回の遍路最後は、JRで八十場まで行き七十九番高照院です。
 これで今回の遍路は終わり、残りの讃岐霊所を7寺巡礼し、結願までは16霊所となり、次回は八十八番大窪寺で結願し、高野山にお礼参りに行ける見通しがたち、安心しました。
 帰途は高松に行き、駅近くで讃岐うどんの昼食です。ここのかき揚げは、具が多く最高に美味しかったです。高松からはバスで神戸に行き、茨城に帰りました。今回は、雪の峠越え、遍路の最高峰登山があり厳しかったが、充実した楽しい旅でした。また、2人の脚力が強くなったのか、ほぼ同じペースで歩け充実した旅でした。初回の徳島では歩行ペースが合わず、毎日喧嘩で、歩き遍路さんから遍路離婚しないようにと注意されましたが、ここまでこれて安心と満足です。