讃岐の国(涅槃の道場)

 

 結願遍路は6月に計画していましたが、長男家族と石垣島シュノーケルに行くことになり、10月に延期しました。出発までの日程に余裕があり、遍路で体力がついたので、結願後の目標はマラソン大会出場と思い、新聞広告にあった県民大学の「目指せさくらロードレース」の10月からの10回講座に申込みました。遍路までに2回目受講し、正しい歩き方を学び、結願まで頑張って歩こうと思い出発しました。
 今回も茨城空港から神戸空港経由です。出発日に大型台風21号直撃で飛行機が飛ぶか心配でしたが、宿は予約しているので行ける所まで行こうと出発しました。飛行機は機体整備不良で1時間遅れ初日から躓き、不安のなか神戸に着きました。四国入りの高速夜行バスは神戸発23時10分なので、出発時間まで居酒屋で時間を潰しました。ここは料金も安く、料理も美味しく今までで最高でした。
夜行バスで新居浜に5時30分下車、JRでみの駅まで行き、駅から4kmの七十一番弥谷寺に向かいました。歩いていると、。防災放送で「台風直撃の暴風雨で避難勧告」が発令さました。こんな時に、何処まで歩けるか不安ですが、歩くしかありません。暫く歩き登り坂になると、大雨で川の中を歩くようになり、靴は水に浸りながら進みました。やっと、「道の駅ふれあいパークみの」に着きましたが、最後の500mの山道は通行止めでした。道の駅で聞くと山岳バスがあり、バスで弥谷寺に向かいました。山岳バスは細く急な山道を、大雨で川のような道を進みました。バスの終点は、最後の階段540段の370段地点です。バスを降り、大雨の中、残りの急な170段を登り、やっと今回初札所に着きました。初日から難行で、先行きが不安になりました。
 弥谷寺は岩山と堂が一体の寺で、太子堂は岩窟にあり弘法大師が幼少の頃に学問した所で感動しました。大雨なので寺院周辺の散策を諦め納経し、山岳バスで道の駅に戻りました。バスの運転手に遍路道の状況を聞くと、台風で次への遍路道は閉鎖と言われ、初日なので無理をせず、タクシーで次に向かいました。
 七十二番曼茶羅寺は、田園の中にある小さな寺で外人が多くいました。七十三番出釈迦寺まで500mですが、急な坂道です。本堂背後には弘法大師が7歳の時に身を投げたと伝わる、標高481mの我拝師山が聳えています。納経後、曼茶羅寺に戻り、田んぼと集落を抜け、七十四番甲山寺に着きました。
 甲山寺からは、住宅街を抜け七十五番善通寺に向かいました。昼近くなり大雨の中を歩き疲れたので、本場讃岐うどんを食べようと思い、元気を出して歩きました。中々店が無く、やっと製麺所兼店舗の看板を見つけ、速足で行きましたが休みでがっかりです。大雨の中、半日歩き空腹と疲労ですが、気を取り直し歩き、弘法大師誕生の地と言われる善通寺に11時40分に着きました。5時半から歩き通しで疲れました。  
 ここは境内が広く五重塔もあり素晴らしい寺でした。納経後、寺門を出て大きな門前町を抜けコンビニで軽食をとりました。七十六番金倉寺に向かう途中、やっと雨が小降りになり順調に歩き、地元で人気の讃岐うどん有名店「春の香」に13時10分に着き昼食としました。店には客が多く、うどんと黄粉餅や餡子餅を食べてるのは驚きです。
 昼食後、金倉寺に行き、仁王門前の石柱にはめ込まれた丸時計が特徴です。七十七番道隆寺、七十八番郷照寺は前回参拝したので、七十九番高照院までの25kmはJRで行くことにしました。高照院に15時に着き、本日の宿「旅館みき」に電話したら車で迎えに行くと言われ助かりました。
 ここは天皇寺とも言われ、全国に3ケ所しかない朱色の三輪鳥居は鮮やかです。迎えの車で15時40分に宿につきドット疲れがでました。昨夜の茨城空港を出て、夜行バスで四国入り、5時30分から台風の大雨の中を歩きました。歩行距離は、20kmですが距離以上の疲れです。びしょ濡れの靴は、女将さんに新聞紙やブラッシを借り泥を落としたり、カッパや服の洗濯等、忙しいです。雨の焼山寺や雪の久万高原など悪天候の日は、いつも大変です。  
 宿泊者は、我々の他3名です。ビジネス1人、歩き遍路2人でした。静岡からの歩き遍路は、最短28日で通しで結願した人で、岡田屋で話題になった有名な遍路さんです。普通は5時半に出発し、休み時間も惜しく、お握りを食べながら歩きますが、この日は台風で暴風雨なので、宿で休んだようです。もう1人は長野からの区切り打ちで、どこかの区間の最短記録の健脚さんです。
 2人の先達さんと楽しく酒を飲み、沢山のアドバイスを頂き楽しい食事でした。食事は、鯛の尾頭付き塩焼き、すき焼きなど豪華美味しく、洗濯も無料で感謝です。
 翌日朝食後、アンパンとお茶を接待され、旦那さんの車で八十番国分寺まで送ってもらいました。静岡さんは、昨日七十八番郷照寺まで旦那さん迎えに来て貰ったので、郷照寺に旦那さんの車で戻り歩くとのことです。我々は静岡さんより13km先からのスタートですが、お互いに再開を約束し出発しました。旦那さんの話では、香川は遍路客だけでなくビジネス客が多いようです。
 八十一番国分寺に7時25分に着きましたが、納経所は鍵が閉まっており、朱印が欠番になるかと焦りました。暫く待つと、お婆さんが出てきて納経ができ安心しました。ここは、奈良時代の面影を残す四国最古の釣鐘堂など、歴史ある寺で、「つもり違いの人生訓」がありました。人生訓には「高いつもりで低いのが教養、低いつもりで高いのは気品、厚いつもりで薄いのは人情、薄いつもりで厚いのは面の皮」と書いてありました。全くその通りです。
八十一番白峰寺に向け7時45分に出発しました。このルートは2つあると聞いていましたが、分からないので、遍路札に従い歩きました。緩やかな山道を過ぎると、最後の遍路転がしと言われる険しい坂になりました。遍路転がしの道は、昨日の台風の影響で川の中を歩くようです。途中で役所職員が20年ぶりの大雨との事で遍路道の調査をしていました。聞くと、このルートは江戸時代からの遍路道が残り、遍路文化を伝える貴重な遍路古道でした。ここには、沢山の丁石があり風情のある道で、2,013年に国史跡に指定され、四国の子供達は、この道を歩き遍路の教育をされているとの事です。やはり、最後の遍路転がしと言われるように険しい山登りですが、2人とも快調に歩き白峰寺に12時30分に着きました。
 遍路道にある遍路札にはいつも勇気付けられます。今回は「人との出会いの中から自分と出会う」「心を洗い、心を鍛える遍路道」「心を洗い洗われ遍路道」は遍路の実感です。
 次の根香寺には来た道を戻り、国分寺から来る道との合流地を過ぎ、途中逆打ちの女性の歩き遍路さんと会いました。聞くと、この先は水が凄く疲れたとの事で、女性は膝から下はビショビショでした。川のようなアップダウンの道を過ぎ、分岐点の十九丁を通過し、中山休憩所で休憩しました。ここで、宿で接待されたアンパンとお茶を頂きました。これがなかったら昼抜きで大変と思い、女将さんの接待に感謝しました。出発すると後ろに静岡さんが手を振っていました。朝の16km差を5時間で追い付かれ、遍路レジェンドに脱帽です。静岡さんは、国分寺から別ルートで来たので早いかったようです。静岡さんはダブルストックで、これが登りも下りも楽だと話しており、力強い歩きでした。静岡さんもここで休憩するとの事で、我々は先に八十二番根香寺に向いました。遍路道は少し登って、後半は下りの史跡にある道を歩き、12時30分に根香寺に着きました。
 根香寺は、仁王門をくぐり石段を下り、その先の石段を登り本堂です。楓や杉の老木が生い茂り山と一体の巨大な寺でしたが、カメラの電池が切れ初めて撮影出来ず残念です。納経し12時50分に仁王門まで行くと、静岡さんに会い下りの遍路道を教えてもらいました。遍路道は、急な下りと前日の雨で足場が悪く、転び泥まみれになりながら鬼無駅まで6.6㎞を歩き14時半に着きました。ここまで18㎞を歩き、ここから6㎞先の八十三番一宮寺に向いました。途中、香日東川の沈下橋が無く遍路道が途切れ悩んでいたら、ランナーから声を掛けられました。このランナーは白峰寺の登山道で会った役所職員さんでした。困った時に助けが現れるのは、弘法大師の導きと感謝しながら、役所職員さんに沈下橋の迂回道を案内され、遍路道に戻り一宮寺に16時半に着きました。
宿の「ささや旅館」には18時に着きました。今日も、前日の台風の影響で、川のような山道の登り下り30km歩き、泥だらけの靴を脱ぎ、靴を洗いやっと落ち着きました。ここは4階建ての大きな旅館ですが、遍路客は我々だけで、他はビジネス客でした。夕食の源平鍋は美味しく、洗濯機100円、大きい風呂でした。
 翌日は、6時半に朝食をとり、お茶2本を接待され、7時に出発しました。宿から遍路道までは女将さんに案内してもらいました。遍路道は住宅街の坂道を登り、屋島への登山道に入ると、地元の散歩している人と一緒に暫く歩き、色々な話を聞きました。また、ランナーが多く、最近テレビドラマで話題の陸王シューズで走る人が3人もいました。登山道の最後は石畳の急坂を上り7時45分に八十四番屋島寺の仁王門に着きました。
 境内は広く、屋島をバックに写真を撮りました。本堂は鎌倉時代に建築され国の重要文化財で、何人かの外人遍路が寝袋を持っていました。納経所に行くと、八十五番八栗寺への遍路道は台風の影響で崖崩れとなり、通行不可との事です。遍路道は、壇ノ浦の戦いで武士が血刀を洗った血の池や、源平古戦場や断崖下りなど、楽しみにしていたルートなので残念です。
 気持を切り替え、8時10分に出発し、納経所で会った埼玉県からの車遍路さんと来た道を戻りました。途中、バス遍路の老人が急な坂を登っています。聞くとバス道も台風の影響で通行不可のようで、バス遍路さんも色々苦労して遍路をしていると思いました。バス遍路さんは高齢者が多く、屋島寺まで行けるのかと車遍路さんと話しながら急な坂道を下りました。歩いて行くと昨日2度会った役所職員さんが屋島寺に向い坂道を走って来ました。そういえば、昨日別れる時、又会うかも知れないと言ったのを思い出しました。茨城県の霞ヶ浦マラソンにエントリーしており、茨城に行くとの事です。
 車遍路さんに八栗寺まで一緒に行こうと言われ、本物の歩き遍路なら断りますが、我々は車に同乗して行きました。車遍路さんは、板東・西国・秩父の百観音を結願し、四国遍路すれば完全結願との事で、これも凄いです。車遍路さんと、8時50分にケーブルカー登山口で別れ、急な山道を登ると、背後に屋島が見える御迎え大師を9時10分に経由し、9時20分に八栗寺に着きました。
 本堂は背後に特徴的な峰が聳えていて、ここまで10km歩きました。9時30分に八栗寺を出て、急な下りの道を歩き、国道を行くき道の駅「源平の里むれ」に10時40分に着きました。ここで、休憩とお土産を買い、11時35分に道の駅を出ると、役所職員さんと4度目に会い、お互いに驚きです。お互いの健闘を祈願し別れました。
 八十六番志度寺に向う途中、阿部製麺所という讃岐うどん屋に11時45分に着き、外人歩き遍路さんと一緒に食事をしました。昼食後、江戸時代の天才発明家の平賀源内生家の前を通過し門前町を経由し、20分歩き12時20分に国の重要文化財で、どっしりとした志度寺仁王門に着きました。12時50分に志度寺を出て単調な国道を歩き、八十七番長尾寺に15時に着きました。
 山門をくぐると広々とした境内に本堂、大師堂、護摩堂と静御前が髪を落とし納めた静御前剃髪塚がありました。納経後、明日結願する北九州の歩き遍路さんと、結願して帰る女性遍路さんと色々な話をして、15時30分に「結願の宿ながお路」に入りました。
 宿では、外人歩き遍路さんを見かけましたが、夕食はビジネス客と一緒で、四国のビジネス状況を聞きました。結願の宿なので結願に向けた遍路さんとの会話を楽しみにしていましたたが、残念です。本日の歩行距離は24kmでしたが、疲れは全くありません。遍路を始めた徳島では、毎日筋肉痛でシップしたのとは大違いです。
 いよいよ結願の日を迎えました。最後の山登りに向け7時10分に宿を出、前山おへんろサロンを目指しました。途中、昨日会った北九州の歩き遍路さんが休んでいて少し話していると、近くに野猿が沢山いました。北九州さんと別れ、結願に向けた第1段階の前山おへんろサロンに8時20分に着きました。ここで、遍路大使の任命書と同行二人バッジを授与し、遍路の歴史を学びました。出発時には、最後の山登りの激励をされ、飴、お菓子、巾着の接待を受けました。
 八十八番大窪寺には女体山を越えるルートや、旧遍路道を行く4ルートがありますが、台風の影響で山道は危険だと職員からアドバイスされ、旧遍路道で行くことに決め、8時50分に出発しました。
 旧遍路道を歩き始めると残土処理場を往復する大型トラックが多く走っており、注意しながら進みました。残土処理場を過ぎると急な山道で丁石を頼りにひたすら登りました。結願が近いと思うと、気持ちが高ぶり、ピッチが上がり順調に歩きました。国指定重要文化財の細川家住宅を通過しして、やっと集落があり、そこに浜松からの歩き遍路叔母さんが休んでいました。叔母さんは、手造りオリジナル笠(内側布打ち)を付け、旦那さんが亡くなりその保険金で毎年同じ時期に遍路にきて、6回目との事です。叔母さんから、「歩くの早いね、30日位で回れる」と言われ、健脚になったと思いました。叔母さんと別れ、11時20分に立派な山門の八十八番大窪寺に着きました。
 遍路を共にした金剛杖が納められている宝杖堂結から本堂に行き、結願しました。納経所で、結願証を授与し、2年の遍路を思いだし感動しました。結願し、昼食は名物の打ち込みうどんを食べ、2人で乾杯しました。食事後、根香寺で別れたレジェンドの静岡さん、昨日と今朝会った北九州さん、浜松の叔母さんと会い、結願の満足感で色々楽しく話しました。北九州さんは、10月8日に松山から開始した区切打ちで、3名は昨夜同じ宿で、うどん屋で食事したノルウエー遍路さんを含め、4名で盛り上がったようです。昨日会ったスペイン遍路さんも打ち込みうどんを食べていたので話しました。  
 楽しい結願の談笑も時間がきたので、それぞれ帰途に着きました。静岡さんは一番霊山寺に向い歩きました。後の2人は高速バスで自宅帰るので一緒に13時30分発のコミニュティバスに乗りまし。バスでも話しが盛り上がり、高速バス停で下車するのを通過し、終点の志度駅まで行ってしまいました。運転手は、下車すると言わないので通過したようです。同じ間違いを久万高原に向う内子でしたのを思い出しました。志度駅から、4人で3kmの高速バス停まで歩きました。我々は、バス時間が迫っていたので、2人を置いて走って行きました。定刻に高速バス乗場に着きましたが、バスがきません。そのうち、2人も追い付いて、2人のバス時間が確定し、不安になり来たバスに聞いたら、そのルートは今は無いとの事でショックでした。2人と別れ、気持ちを切り替え、志度駅に歩いて戻り、志度駅から電車で徳島に行きました。最初から、このコースにすればよかったと反省しましたが、遍路地図にはこのコースは無いので仕方有りません。今日の歩行距離大窪寺までの21kmと志度駅往復6㎞で27kmです。静岡さんに、1番に戻るより、お礼参りで高野山に向う方が良いと言われ、一番に行かず高野山に行く事にしました。
 徳島に到着し、ホテルに夕食が無く街で結願の祝杯をあげました。今回の遍路は、人生の節目となった貴重なシーンの夢を毎晩見て、これが洗心だと実感しました。