いよいよ四国を離れます。朝食バイキングをとり、徳島駅発6時55分のバスで7時15分に徳島港に着きました。徳島駅バス乗場から、歩き遍路さんと土佐三十八番金剛福寺の職員が一緒で、船の出発まで楽しく遍路話をしました。
徳島港を8時に出発し、快適な船旅で和歌山に10時に着きましたが、台風の影響で和歌山の鉄道は不通の所や間引き運転でした。和歌山港駅で10時22分の電車に乗り、JR和歌山駅に11時30分に着き、三国ケ丘、金剛、田園林都市で乗り換えて橋本駅に着いたのは14時です。職員さんと三国ヶ丘、歩き遍路さんとは橋本で別れました。歩き遍路さんは、丁石道を歩き途中で1泊し高野山まで歩くようです。
和歌山から橋本駅までは、通常は1時間45分ですが、台風の影響で4時間かかりました。橋本駅から極楽寺駅まで電車が不通、極楽寺駅前には高野山に向う観光客が沢山いて、タクシーで高野山までピストン輸送していました。タクシー乗場も大行列で、20分並んでタクシーに14時20分に乗れました。タクシーは外人カップルと同乗で、車内での会話に苦しみましたが、運転手も含め何とか会話しながら50分乗車し、15時10分に到着しました。タクシーメーターを見ると11650円でビックリしましたが、列車代行タクシー扱いでJR負担となり無料で、安心しました。当初は、橋本駅から極楽寺までの20kmは山岳鉄道「天空」で高野山に登る予定でしたが、乗車できず残念です。
高野山に初めて入り、霊気漂う雰囲気と観光客の多さに圧倒されました。ここで会った遍路さんは3人で、他は団体も含め観光客が殆どで、我々の遍路姿を珍しそうに見る観光客もいました。歴史上人物や著名な企業人の墓がある墓地を通過し、急いで本堂に向いお礼参り納経しました。納経後は、戦国大名の徳川家、伊達家、明智光秀などの御墓を巡、17時30分に宿「西門寺」に着きました。宿には、暖房がなく寒かったが、夕食の精進料理は綺麗に盛り付けられており、美味しかったです。風呂で会った、車遍路さんは同じフェリーでしたが、12時には高野山に着いたそうです。
翌日は、8時に宿を出、金剛峰寺、大門等を散策し、真田丸で有名な標高94m九度山から標高867m高野山まで22kmの丁石道を下り、石造卒塔婆まで歩きました。次の機会には、丁石道を全行程登りたいと思いました。高野山は明治5年まで女人禁制で、高野山に入れない女性の参籠所である女人堂に9時45分に着きました。女人堂から高野山駅前バス乗り場まで約2kmを歩きだしました。歩き始めると途中ですれ違ったバス運転手に、バス専用道路なのでバス停まで戻るよう注意され、女人堂まで戻り、バスで高野山駅前まで行きました。高野山駅に着くと、ケーブルカーは台風で運休のためバス待ち観光客で満杯です。バス待ち行列に並び、10時30分に橋本駅に着き、バス代は1260円でした。高野山では10km歩きました。
 今日も台風の影響で、公共交通は大混乱です。電車待ち時間に、前日一緒の歩き遍路さんに聞いた、名物の笹巻き寿司を買い電車で食べ美味しかったです。橋本駅から電車を乗り継ぎ、なんばで下車し大阪観光をし、神戸に戻りました。神戸では、遍路初日に行った居酒屋で夕食を取り、神戸空港から茨城空港経由し、深夜に帰宅しました。
 2年掛けた長い遍路が終わり、遍路での色々な場面を思うと充実・満足感です。遍路を決断した時は、会社退職時期を思い、群れ(組織)を離れる勇気と覚悟の決断時期を悩みました。色々悩みましたが遍路を決断・決行し結願でき、これからの人生100年時代に生きる「はぐれる勇気」が鍛えられたと実感しました。