| みんなで生きよう! | ||||
| 私は、歩くことも、箸を持つことも、話すこともできない。ヘットギーアに棒をつけてワープロを打っている。
近ごろ、『こんにちは!』と言うあいさつもあまり聞こえない。 近くで散歩していても車椅子が倒れかけても、みんなしらんぷり のように感じる。 そして、人と人同士の、暖かいつながりがなくなったみたいでさみしい。人間は見返りを求めないやさしさが なくちゃいけないと思う。 でも、散歩したり、町を歩けば、とてもとても前向きな気分になり、『生きていてよかったな!』と実感する。それは、さまざまな 人に会えるからだ。毎日、色々な人に触れ合っていられることが人間として幸せだと思う。 昔は、体が不自由でも近所の家へ泊まりに行くと、おじさんやおばさんが私の身の周りの世話をやってくれた。近所に友達 がたくさんいて、野球や、メンコで遊んだ。子供会の行事や夏休みのラジオ体操にも、その仲間が誘ってくれた。 最近の子供たちは、ゲームで遊び、塾ばかりで、本来の心の交流が無くなってきた気がする。このままでは、やさしさに欠け た大人に育っていきそうで怖い。親が子供の愛し方を分からないのも理由の一つかも知れない。やっぱり、我が子の話をよく 聞いてやり、理解しようとした方がよいと思う。そういう子供たちが大人になれば、思いやりがそっちこっちにひろがり、体が不 自由な人も笑いながら暮らしていける。 家族で、親子で、もっともっと心をふれあってほしい。一家で夕食を食べるだけで、自然に会話がはずんでにこやかになる。 そんなところからも人を思う心が育つと感じる。 弟がいるだけで、私の支えになっている。嬉しいとき、淋しいとき、困っているとき、何も言わなくても分かってくれる。顔を見 ると、やさしく『お兄ちゃん、何かある?!』と声をかけて来てくれる。家族っていいなと思う。そして、そんな弟がたまらなく可愛 い。 うちの隣のAさん一家も両親や兄弟が留守している時、みんなで私の世話をやってくれる。 トーキングエンド(話できる機械)で話もする。ゆっくりしか打てない私なのに普通のように話してくれる。私も焦らないで、 おしゃべりを楽しんでいる。焦られると、こっちまで焦って、お互いに良い会話ができない。やはり、会話するのも互いに思う心 が大切。そこから、信頼や人とのつながりが生まれていく。だから毎日、人のあたたかさを一番にかみしめながら生きている。 喋れない私は、口ですぐ会話ができることは、何より一番すばらしい。早く言いたいことがあって『ア〜ア〜』と声を出せば、 『また騒いでいる。静かにしろ!』と言われてしまう。『自分の口で話をしちゃいけないのかな?』と思い、すごくすごく嫌な気持 ちになる。でも言った人は、疲れていて私の声が不快感に感じたのかもしれない。周りの人に対して、私も気づかいが 足りなかった。相手を尊重して、ゆったり聞くことが必要。そうすれは、互いに楽しい会話ができる。ここから、理解や信頼感 が生まれる気がする。 みんな、『お互いを認めて、同じ人間とし、助け合うことが大事だ!』と言っているけど、実際には、他人の気持ちに背を向 けていると思ってしまう。例えば、外出がしたくても協力なしではできない人もいる。その反対に、いつも自由に外出が できる人もいる。外出が困難な人、困難ではない人とが共に協力すると、誰もが不自由なく、好きなときに、外出できるよう になる。たとえば、私が買い物へ行きたいときは、近所の人が連れて行ってくれ、その代わりに私もできることでお礼がしたい。 たとえ、私を嫌う人がいても優しくしてあげたい。優しくすれば、お返しに笑顔をもらえる。その笑顔を見れば、こっちも 幸せになってくる。偏見の目で見る人、いつも怒っている人、自分さえ良ければと思っている人にも優しくしてあげれば、 町中が幸せになる。みんなで生きれば、その幸せは何倍にも膨らむ。 だから、一生住み慣れた町で、自分らしく暮らしていきたい。それが一番の願い。 |
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