障害もひとつの個性

「鉄道身障者福祉協会・お題 地域で住む障害者  第三位」

 私は、車椅子に乗っています。重度障害者です。ごはんを一人で食べることも、喋ることもできません。しかし、ヘッドギアー

の棒でワープロを打てます。会話はトーキングエイド(喋る機械)でしています。たとえば、弱視でメガネをかけたり、

足が不自由なこともひとつの障害でしょう。ひとりひとり顔が違って個性があるように、私の障害も個性だと思うのです。

 最近弱い人をいじめることが多くて、そんなことを早く無くしたいと私は思っています。養護学校の先生が、歩くことも話す

こともできない理由で、重い障害をもつ生徒を虐待したり、勉強を教えない例もあります。そんな話を聞くと、すごくすごく

心が痛みます。私も先生に『ボケ!』と呼ばれ、何年か勉強らしきものを教えてもらわなかった記憶があります。

どんな重い障害があっても、同じ人間です。障害がない子供のように関わってほしいです。本当は、障害をもつ子供も

地域の学校に通学できれば、良いと思っています。そうしたら障害がない子供も、大人になって自然に思いやりが育って

ゆくでしょう。

 親友M君は、障害がある人と机をならべたときに、その人の障害を認めることができなくて、いじめをしてしまったそうです。

しかし、『介護関係の仕事をしたい!人の役に立てることは、とても素晴らしい』という話をしていました。前は、抵抗でき

ない人をいじめ、親にも手をあげていたそうです。そんな自分が嫌で、親から遠く離れた大学に入ったそうです。その後

私に出会い、『本当のやさしさにふれた気がする!』と言ってくれました。

 はじめM君はふざけているように見えて、みんなから嫌われていたそうです。でも、『内心は優しい人!楽しい人

だろう!?』と思って、私のほうから友達になりました。M君は声をかけられたことで心が暖かくなったそうです。また、お互

い、プラスになるものがあります。M君は悩み事があれば、私に相談してきます。私もM君と会える時が楽しみになりまし

た。

 今、M君は親元の三重に戻り、障害者施設のホームヘルパーをやっています。いつも『障害がある人こそ、地域でひとり

暮らしした方がいい!』と言っています。私もそれを望んでいます。重い障害をもつ人が地域で暮らせば、周りの人の理解

や協力が必要となります。その周りの人の理解や協力が深まり、誰でも地域のなかで暮らしていけるはずです。そうして

地域の人は、介助のやり方も分かってくると思います。

 たとえば、誰かが急に病気やケガで身の回りの手伝いを必要とした時に、地域の人に手伝ってもらい、暮らしていくとい

うことです。そして、互いに助け合っていくうちに、地域全体が仲良くなっていくでしょう。

 だけど私たち障害者は、地域の人やホームヘルパーなどの援助なしには、絶対に地域で暮らせません。制度を確立し

てゆくこと、二四時間ホームヘルパーを充実していくことが必要です。何より私たちが根気よく国に訴えてゆくことが大切で

す。そういう思いがあって、年に二.三回M君のところへひとりで行っています。JRの皆さんのご協力で、私もひとり旅が

できます。

 なかなか外に出る機会がないので、電車に乗るだけでもとても新鮮です。お客さんや風景を見ていると、楽しくてしょうが

ないです。『こんなに個性的な服を着ている人がいる!面白い!まるでファッションショーみたいだ!』とか『このまえ来たとき

は、畑やたんぼばかりだったのに高いビルや家ができ、変わったなぁ!』と新しい発見がいっぱいです。 その旅先では、居

酒屋でM君の友だちと飲んだり、朝まで話すときもあります。私の身の回りの世話(着替えなど)は、M君がやってくれます。

『どんどん三重へ来い』とも言ってくれます。三重県へ向かう電車(フレッシュひたちなど)の中では、日立にいる友達が

作った立て看板(私の口の代わりになる)をつけて行きます。『何かお手伝いしましょうか?』と言ってきてくれた青年もいま

した。うれしかったです。

 「スーパーひたち」に乗った時です。車椅子専用席に乗りましたが、車内販売車のじゃまになりました。私は普通の座席に

座っていられません。そのため、車椅子が通路をふさいでしまったのです。車内販売車が来るたび、動かしてくれました。

でも、販売の人は冷たい顔で私のことを見ていました。私は嫌な気持ちになりました。山手線の中で車椅子が倒れそうに

なっても知らんぷり。よけいに私から逃げて行きました。そのときさみしさをおぼえました。山手線の中だけは、どうしても車椅

子が動いてしまいます。できましたら車椅子が固定できる席を設けて頂ければ、とても嬉しいです。

 しゃべれないために親切な駅員さんに迷惑をかけてしまった時もあります。車椅子の後ろにある看板を見て駅員さんは、

私が何か言いたいのか?と思ったらしく、トーキングエイドを出そうとしていました。私は何も言うことがないので、

必死に手振りで伝えました。トーキングエイドを出すと片付けるのが大変になるからです。通じるまで時間がかかってしまい

ましたが、分かっていただけました。あらためて『口で話せることは、ステキなことなんだな!〜』と実感しました。

 私は、会話することは、『心でも話せる!』と思っています。いや、心で聞かなければ、会話が成り立ちません。真剣に

話しても聞いていない人がいます。弟と親友は、私がトーキングエイドを使わなくても分かるそうです。心で聞いているから

だと思います。そうなれば、耳が不自由な人も誰とでも会話ができます。まさしく、心のバリアーフリーです。

 よく、大人の私に赤ちゃん言葉で話してくる方がいます。人権を無視されたようで、やるせない気持ちになります。

やはり、年齢に合った言葉で話をして欲しいです。普通にみんなと同じように接して欲しいのです。

 駅の段差とかデパートの階段とか直しても、私一人では家から出られません。一緒に行って買い物を手伝ってくれる方が

必要なのです。物理的なバリアーフリーだけでは、障害がある私たちは気楽に町へ出られません。他人をほんとうに暖かく

思い、助け合う気持ちが必要です。いくら町の段差を平らにしても、みんなに優しさがないと、むだになると思うのです。

たとえば、近くまで散歩したかったら、近所に住んでいる方にお願いをする。お礼として喜ぶことをします。私でも話し相手に

なったり、悩み事を聴くぐらいだったらできます。話し相手がいるだけで生きる希望が湧くものです。そう助け合っていくうちに、

一人、二人と笑いが増えて、町が笑いの絶えない所になっていくでしょう。

 隣に住んでいるAさん一家は、両親や弟が留守の時、私の世話をしてくれます。トーキングエイドで話をします。障害がある

ことは忘れてしまいます。Aさん達は見返りを求めません。何より心が豊かな人たちです。そんな方がたくさんいれば、自然に

誰も笑っていけます。

 でも残念ながら、今の世の中はこういう人は多くありません。反対に、親が障害がある我が子を偏見の目で見たり、

虐待したりする、そんな時代です。非常に悲しいです。

また、障害をもつ我が子を隠す親もいます。その子供を認めていないようで、私は切なくなります。たくさん外へ出して人に

触れ合った方が、みんなも解ってくれていいと思います。 昔は、近所の家に私一人で泊まりに行ったり、子供会の行事にも

参加することができました。それは、おじさんやおばさん達が私の世話をしてくれたり、子供会に近くの友達が連れて行って

くれたからです。おじさんやおばさん達は、『おまえに会えて人にかかわる大切さを知った!ありがとう!』と言ってくれました。

 こんな理解ややさしさや助け合いがあれば、重い障害があっても地域で自分らしく暮らせると思うのです。

 障害もひとつの個性なのです。

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