.                台湾映画「KANO」を観て 
 H27.02.25   
 私が台湾映画「KANO」を知ったのは昨年3月である。約80年前、日本統治時代の美談を今、台湾の人たちが、その時のことを懐かしんで作った映画だということをテレビで知った。
 台湾と言えば、2011年3月の東日本大震災のとき200億円を超える世界一の義捐金を出してくれた親日国である。その台湾が、また、国境を越えた昔の友情を発信してくれたことを、自分のことのように嬉しく思った。そして今年2月、日本で上映され始めたので観てきたのです。

 KANOとは、嘉儀農林学校(かぎのうりん)の略号で、この学校の野球部が昭和6年(1931年)の甲子園野球大会に出て準優勝の快挙を成したという物語である。甲子園野球に台湾からも参加できた時代があったのかと感慨深く思ったが、満州の大連、朝鮮の京城からも参加していたことも分かり、昭和初期に一時的とは言え、こんな友好的な時があったことを初めて知ったのである。

 KANOの舞台は台湾南部の嘉儀市、台湾で3番か4番目の町である。KANOの野球部は、かつて一勝もしたことがない弱小チーム。そんな野球部に伝統の松山商出身のコーチ近藤兵太郎がやってきた。近藤は、日本人、台湾人、先住民の混成チームを、人種の垣根を超えた最強チームにしようと、甲子園出場を目標に掲げてスパルタ特訓を始める。最初はだらけていた部員たちも、やがて監督 の期待に応え、短期間でめきめきと実力を伸ばした選手たちは見事に甲子園準優勝を果たすまでの強豪チームに育った。
 台湾野球の礎を築き台湾野球史に輝きを与えた近藤監督と選手たちの功績を讃え、嘉儀農林野球部記念館が現在の国立嘉儀大学に設置されている。
 近藤監督が偉かったのは選手の長所を重視して民族で差別しなかったことである。「蕃人(アミ族などの先住民)は足が速い、漢人(台湾人)は打撃が強い、日本人は守備にたけている、こんな理想的なチームはどこにもない」と言ったと。

 また、この映画の中で、同時期、台湾南部の農業振興のための治水事業に身命をかけた八田與一技師の話が出てくる。八田技師は、嘉儀と台南の間にある烏山頭湖に烏山頭ダムを作り、嘉南平野一帯に1600kmにわたる用水路を張りめぐらせた(嘉南大洲)。現在、烏山頭ダムは公園として整備され、八田技師の銅像と墓が設置されている。(余談だが、Google Earth (インターネットアプリ)で見るとダムも水路も見えて来たのに吃驚です。)

 統治国は何時の時代にあっても、被統治国を「ただ自国の利益の為だけに、或いは、自分たちの満足の為だけに事を進めて、被統治者のことを考えないことが往々にして、いや、当たり前のようにしてある。しかし、これらの話にはそれが微塵もない。差別があれば反感がある、支配があれば報復がある。
 差別しなかった近藤監督、一緒に汗をかいた八田技師は、自国の為ではなく相手国の人々の為に尽くした。だからこそ、80年たった今でも国境を越えて語り繋がれている所以である。

 KANOを見た後、インターネットで色々検索しているうちに次の話にぶつかった。それは、KANOの心地よい話の1年前の昭和5年(1930年)に起きた「霧社事件」である。台中から山に入った霧社という原住民の町で日本人数十人が殺された事件が起きていた。事の起こりは、日本人巡査が誘われた酒席で不潔を嫌うあまり原住民の若者をステッキで叩いたことから始まった暴動だとのこと。優秀な民族は日本人だけで原住民は2流だと蔑み、相手の価値観や文化を理解しない態度に、原住民たちは「誇りを踏みにじられた」と反発して起こった悲しい出来事だったらしい。

 50年続いた日本人統治、ちょっと悲しい事もあったのだが、過去の史実を真摯に受け止めた上で、KANOという映画を作ってくれ、世界に発信してくれた台湾人の心の深さや優しさを感じないではいられない。

 蛇足ですが、私が台湾へ旅行した時のことを付け加えます。平成24年、4日間で台湾を一周する観光でしたが移動の間のバスの中でガイドさんが次の様に話してくれたのです。
「台湾は日本のことを悪く思っていない。」、「日本と戦争したわけではない。日清戦争の時、中国から割譲されたんだ。」とまた、「日本人は台湾で学校を造ってくれた。」「発電所を造ってくれた。」「国の土台を造ってくれたことを感謝している。」と。実は私は昭和40年頃から仕事で何度も台湾に行ったので台湾人の庶民感情を少しは分かっている積りでしたが、この旅行で聞いた様な親日感に出会ったのは初めてで、台湾が変わったなと思った。昭和40年代は、蒋介石から蒋経国の頃で、まだまだ中国本土の影響が強かったが、李登輝、陳水扁、馬英九へと時代が変わるにつれ、台湾の政治が安定し、民主的で自由な国になって来ている。何よりも中国と距離を置いて民主化し、平和であることだと思う。平和であって初めて、昔の良いことも悪いことも含めて余裕をもって懐かしむことが出来るのではないかと思う。
 日本は今、中国や韓国と関係が良くないが、台湾の人々がいろんな壁を乗り越えて生きていく姿は、日本にとって、とても参考になると思う。価値観がぶつかり、寛容の気持ちを失って悲しい事ばかりが目につく現状、とても良いメッセージになる映画でした。
 完 .