山歩き記録
遠きにありて想う山・白山
私のふるさとは百万石の城下町金沢です。高校の時の校歌に「霊峰白山千古の雪を仰ぎて立ちたる我らが校舎…」と歌われた白山連峰は教室からも彼方に見えた。しかし、子供の頃の私達にとって白山はただ見るだけの山でした。当時はアプローチさえ難しく、往復何日もかかる山行きの装備のことを考えると普通ではなかったからでした。
あれから何十年、茨城の人になりきって、ふるさととは遠くに離れてしまっている。しかし、山歩きするようになった頃から次はどの山にしようかと考える時必ず白山のことが脳裏をよぎったものですが、経験と体力を考えると、まだ無理かなと思ってしまい見送られて来た。だが今年、2度目の鳥海山踏破が出来たのを機に、白山に登れる・登りたいという気が嵩じて一気に実現へと向ったのでした。妻も勿論賛成でした。
8月4日(月)早朝日立出発。高速関越道から北陸道へ入り、金沢西で降りる所までは何回も通った帰郷ルート。そこから鶴来・白峰へと初めてのルートをとって白山温泉に夕方着いた。永井旅館という"白山好き"が昭和10年に開業したという山麓の一軒宿に泊った。
8月5日(火)朝食をとり6時半に出発。平日でマイカー規制がないので登山口の別当出合まで車が入れた。駐車場には数百台停まれるようだが空きはそんなに無かった。7時から歩き始めた。 これだけ有名な山だから登る人も多く、私達の後からどんどんやって来る。中高年者がやや多いが若い人も子供連れも多い。土地柄か自衛隊小松基地の訓練生も制服姿で登っていた。特別急な斜面とか大きな岩があるわけではなく比較的歩き易い道をゆっくり登って行く。
花の名山だけあって、登山口からいきなりいろんな花に出会った。キツリフネ・オオレイジンソウやミソガワソウなどが咲いている。オオバミゾホオズキ・カメバヒキオコシ・センジュガンビやカニコウモリなど初めて見るものも次々に出て来る。 妻の知らない花の名は、傍にいた別のパーテイのリーダーさんらしき女性に聞いたら丁寧に教えてくれた。後で分かったのだがボランテイアの自然解説員で月に何度も登っているとのこと。
息を切らして10時半にやっと甚ノ助避難小屋までたどり着いた。ここには清水が出ていたのでその水を使って湯を沸かし、スープを作ってお昼にした。天気は良いし花はきれい、最高の気分で食う握り飯は最高に美味かった。
残りは僅か、頑張るぞと元気を出して後半のスタート。この辺からは、先に追い越して行った組も疲れたのか、ほぼ一緒になって登る。前の方で「キヌガサソウを見つけた!」という声がしたので駆け寄ると、それこそ1メータ位あるすごいキヌガサソウが10個くらいまとまってあった。圧倒。
更に上り坂が延々と続きかなり疲れを感じた頃、視界が開けて来た。別山とそれに続く大屏風の稜線が見えてきて、同時に花の種類も高山特有の花に変わってきた。タカネコウゾリナ・オオハナウド・ミヤマホツツジ・タカネナデシコ・イブキトラノオ・ハクサンシャジンに続いてオタカラコウ・イワイチョウ・ハクサンフウロ・ミヤマキンバイが出迎えてくれた。ワアーツすごい!眼前に広がるお花畑を見ているとそれまでの疲れが吹き飛んだような気になった。

黒ボコ岩に着いた。ここからは景色が更に変わり、平坦な弥陀ヶ原の広がりの正面に白山の主峰・御前ヶ峰が見えた。
そして、イワギキョウ・ヒメクワガタに続き、お目当ての一つ、クロユリに会うことが出来ました。素晴らしい花の名山そのものでした。
午後2時前に室堂に着いた。写真を撮りながらだったので登り口から7時間もかかったけどまあまあかな。750人収容出来る山小屋は昨年全面改装が完了した立派なものでしたが案内された部屋での一人当りのスペースは僅か幅65センチ長さ2メートルだった。幾ら増築しても、それ以上に登山者が増えて行く(自分も含め)現実ではどうしようも無い様である。
同室者の一人は福井県勝山市のお爺さんでした。登ってくる時、前になったり後になったりしていたが、キヌガサソウを見つけた時に一緒に「素晴らしいですね」と話し合った方でした。今度が65回目の登山で、81歳になるんでこれで最後にするんだと言っておられましたが、この歳まで良く登られたことに賞賛と畏敬を感じながら、私達も少しでも真似をさせて貰いたいものだと思いました。
翌朝(8月6日)4時、太鼓の音が聞こえて来た。白山比(ひめ)神社の太鼓です。「晴れてご来光が見られるので行きましょう」という合図です。部屋の20人の殆どが支度をしていた。私達は疲れていたから無理しないでおこうと前の日に言っていたのでトイレに行っただけで寝ようとしたら妻が行きたいと言い出したので一番遅れて登ることになった。頂上(御前ヶ峰2702m)へは奥院の拝道として整備された道を登る。「40分後には日の出だ、間に合わなければ何の意味もない」と少し張った足を忘れたかのように早足で登った。お陰で40分のところを35分で登れてしまった。間に合いました。頂上に立った神主が白山の説明をしているところでした。そして、薄い雲の上に出て来た、ご来光です。神主の発声で「…世界平和と…を祈ってバンザイ!」みんなも合わせて「バンザイ!」。素晴らしいご来光でした。神主の世界平和という言葉が妙に今の世相を捕らえていると感じたのは私ばかりではなかった様です。ご来光の反対側には別山(2399m)と室堂の小屋が朝霧の中に浮かんで見えた。月並みですが"素晴らしい山に来てよかった"と妻と話しあった。

6時前に室堂に戻って朝食をとると同室の人達はそれぞれ今日の行程に合わせて慌しく出発して行った。例の81歳のお爺さんはもう下りるだけなのでゆっくりしていた。私達はもう1泊ですから更に余裕があり、お爺さんのお話を聞いて、お奨めの汝ヶ峰から花の松原コースへ行くことにした。
お天気は昨日に増して快晴、花に囲まれた山歩きです。室堂を出てすぐの所からお花畑が始まった。先ずは二つ目のお目当てハクサンコザクラのお目見えです。ピンク色の可愛い花が一面に咲いて、さすが白山を代表するに相応しい見事さでした。そして、ツガザクラ・アオノツガザクラ・チングルマ・ミヤマキンバイ・ミツバオウレン・ヒメイワショウブやイワカガミなどが一緒に咲いているんです。同じ所にいろんな花が一緒に咲くのが白山の特徴なんだそうです。
お花畑がチョット切れるとハイマツがせり出していて、朝露がシャツや帽子を濡らしひんやりするのも心地良い。イワヒバリにも会うことが出来た。親子3羽で目の前のハクサンコザクラを啄ばんでいた。そう言えば昨日室堂のそばにカヤクグリもいた。人を殆ど恐れないのです。
 汝ヶ峰の分岐から中宮道へ向かった所ではイワギキョウとイワツメクサが群をなしていた。どちらも花びらの先端がピリット尖っていて凛々しさが良い。白山で3番目4番目に好きな花になった。1番は勿論クロユリで2番はハクサンコザクラです。この後、持ってきたコッフェルでコーヒーを沸かして一休みした後、花の松原に向けて中宮方面に歩いた。相当下りになる道をかなり行くと雪渓が出て来て更に下る道だった。雪渓上に足跡がはっきりしないので、この道で良いのか不安になった時道標が見つかりホットしたが、こんなに遠い所とは思わなかったとぼやきが出た頃やっと花の松原に着いた。見ればクロユリの大群落が広がっていたのでした。今まで沢山のクロユリを見たけど、それはみんないろんな花との混在だったのだが、ここではクロユリだけが一面に咲いていたのでした。遠くまで見に来た甲斐があったのです。
ここでお昼を食べて休んだが他に誰も来る人のない寂しい所だったので早めに元来た道を戻った。
室堂に2時過ぎに戻って少し横になって寝た。1時間ほど休んだ頃、自然観察会があるというアナウンスがあったので参加した。白山比盗_社前の集合場所に行ってみると昨日登って来る時、花の名前を親切に教えてくれたボランテイアの女性・自然解説員が講師でした。お礼を申し上げて聞き手になったが、初めて聞く話が一杯あって興味深かった。中でも、コバイケイソウの葉は一年に一枚し か増えなくて10枚以上の葉が付かないと花が咲かないとか、クロユリも3・4年以上経たないと成熟した花にならない、それまでは、メシベのない(オシベだけの)子孫を残せない花だということなどであった。コバイケイソウは大柄で余り可愛いと思わなかったので今まで余り興味を持たなかったのだが、以降は一生懸命葉っぱの数を数えたり、クロユリを見るとメシベが有るか中を覗いて見るのがクセになりました。改めて高山植物の生存の厳しさと貴重さを認識させられた観察会でした。
二日目の夕方からガスが濃くなり少し雨も降った。翌朝(8月7日)のご来光詣での太鼓は鳴らなかった。雨は降っていなかったがガスが濃い為でした。私達は6時に朝食をとり7時前に下山開始、来た時と同じ砂防新道を通ることにした。一番安全で易しいコースなので。甚ノ助避難小屋でゆっくり休憩をとり、別当出合の登山口に着いたのは丁度11時でした。
「日本人はたいていふるさとの山を持っている。…そしてその山を眺めながら育ち、成人してふるさとを離れても、その山の姿は心に残っている。(中略)私のふるさとの山は白山であった…」。 これは、深田久弥が日本百名山「白山」に書いてある一文である。
今、「私のふるさとの山も白山であった」と言いたいと思っています。
仰いで美しい山、と思っていた山を登り終えて、登っても美しい山、でした。そしてまた屈指の花の山であることは「ハクサン」と頭につく花が18種と日本一多いことからも分かりますが、その名の花達を探す気にさせない程、目の前の花に気を奪われてしまった花の山でした。
忘れられない山となりました。
追加:最近、冬の白山の写真を入手しましたので追加します。

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