ふるさとの山 “白山”へ 登りたくなった。
今年、喜寿になる年、「白山はもう無理」かも知れないと思う反面、「もう一度は登りたい」という気持ちが募った。H15年に家内と初めて登って以来、H17、H22年の3回登ったが、それまでの感じでは「そんなに難しい山ではない」と思っていた。登山口からの標高差は約1,450メートルあるが、道中が長いだけで、急登や危険な個所が無いので、悪くても時間さえ掛ければ問題ないと。
白山行きを決定づけたのは意外なことだった。7月20日に小学校の同窓会があるとの案内が来たのだ。「良し決めた!同窓会に出て、その帰りに白山に登ることにする」と。 同窓会を兼ねて行くには登山の格好だけでは行けないから、結局、車で行き、一人登山にならざるを得ないが、それでも良しとして決めた。この歳で、車の遠出は控えていたし、毎日一万歩きしてるとは言え、去年の立山以来ハイキングにも行ってない状態で大丈夫かと、家内に心配されたが、「十分
心して行くから」ということで、同窓会プラス白山登山を決めた。
2ヶ月前に予約した。白山室堂や麓の宿はすんなり取れたが、金沢のホテルはあちこち探してやっと決まった。観光金沢の混み具合は以前と違っていた。
(写真をクリックすると大きくして見ることが出来ます。)
7月21日、金沢市内から麓の白峰温泉へ
盛会だった小学校の同窓会の翌日、金沢/粟ヶ崎に居る兄の家を訪ね、野町にある父母の眠る墓所を訪ねた後、白山登山へのルートを取った。ここからは一人旅になった。
金沢から白峰温泉まで(70km)の途中に白山比(ひめ)神社がある。全国3000の白山神社の本宮で、白山山頂にはその奥宮が祀られているので、登る前に本宮に寄って詣でて来た。白峰温泉町には午後3時に到着、H17年に泊まった宿でもあり親近感を感じた。その日の客は私の他に一人だけだと。夏休み前の平日だからの様だが、金沢市内とはすごいギャップだ。それでか、宿のおかみさんは愛想良く、食事は岩魚の“つくり”、“塩焼き”、“ぬたあえ”、岩魚三昧のサービスで歓迎してくれた。
7月22日、白山室堂へ
今日は、登山口から室堂までの標高差1200メートルを登るだけということで、比較的ゆっくり、朝食もしっかり食べて、7時半に、宿のおかみさんに手を振って貰って出発した。車は「市ノ瀬ビジターセンター」に停めた。白峰温泉が空いていたので駐車場も空いているかと思ったが、どうして、かなりの混み様だ。シャトルバスで「別当出合」(標高1260メートル)の登山口に行き、歩き出したのは8時30分だった。
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別当出合から出発 |
砂防工事の見える谷 |
甚之助避難小屋 |
お天気は薄曇り、それほど暑くもなく最高のコンディション。リュックの中身を極力減らし身軽にしたが、ペットボトル4本と非常食だけはしっかり持ってスタートした。
初めから石段が続き結構きつい。後ろから来る人に進路を空け、ゆっくりゆっくり自分のペースで歩くことを心掛けた。が、大した登りでもないのに息があがる。一人なんだから、他人への気遣い不要だからと更にペースを落とした。一時間半歩いて「中飯場」に、更に一時間半歩いて「甚之助避難小屋」に着いた。ここまでで半分チョット来たことになる。充分休んで水や間食をとりながら
考えた。どうも、今回は自分が心配した以上に息があがり去年までと違う。何んだか、気管支か肺か心臓が弱って来たのでは?と自問する。数10メートル歩いては止まり、後続に先を譲り、ゆっくりしか歩けなかった。
ちょっと和みに感じたのは、時々5・6人が、黒い上下の作務服を着て白いタオルを頭に巻いたお坊さんが続けて追い越して行く。「有難うございます」と丁寧にお辞儀をしながら行く。「永平寺からですか?」と聞くと「はい!」と返事が返ってきた。永平寺にある真宗大谷派の学生の修験で、総勢50数人が分かれて登っているとのことらしかった。爽やかに追い越されて、「若いお坊さん頑張れ!」と心でエールを送った。
甚之助避難小屋(標高1975メートル)を超えた辺りから、次第にお花畑になってきた。湧水が滝の様に流れる近くに、キヌガサソウ、カラマツソウ、ミヤマキンバイ、タカネナデシコ、ヤマハハコ、ヤマブキショウマ、イブキトラノオ、ハクサンフウロ、ハクサンボウフウなどが山一面に広がって咲いていた。花の写真を撮っては休み、撮ることが息を静めることになって、急登だがなんとかクリア出来て、「黒ボコ岩」(標高2320メートル)に辿り着いた。
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キヌガサソウ |
カラマツソウ |
ミヤマキンポウゲ |
湧水の流れ |
タカネナデシコ |
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黒ボコ岩を過ぎると、平坦な木道が出て来て、白山山頂が見える「弥陀ヶ原」になった。ここまで来ればもう安心と、昼ごはんを食べた(12時30分)。辺りは薄く霞がかかって、山頂は僅かしか見えなかった。休憩した後、しばらくは水平な木道を歩いて息を整えることが出来たが、束の間、最後の難関のごろ岩が出て来た。足をかばいながら、手を使ってよじ登った所に「室堂」(標高2450メートル)が現れた。今日の目的地に到着したのだ。時間は14時、登山口から5時間30分で登ったことになる。息があがって苦しい苦しいと嘆いていたが、終わってみると、6時間と見ていた予想を30分も下回っていた。頑張った、一人で、我慢しながら良くやった!
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ヤマハハコ |
ヤマブキショウマ |
イブキトラノオ |
黒ボコ岩を望む |
室堂 |
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収容人数750人の室堂に今日の宿泊者は450人(翌日7/23は750人)だとのこと。私は一人登山の人ばかりの部屋に案内された(20人部屋、一人分のスペースは、幅70センチ長さ2メートル位)。今まで余り気にしなかったが、一人で来ている人が意外に多いのに驚いた。隣に寝ることになった方に聞いてみたら、石川県内からで、75歳、数年続けて来ているとのこと。私と一つ違いである。更に周囲にいる人も同年代の様に見えた。自分だけが特別なことをしているんじゃないと、自省。
7月23日、ご来光を拝んで下山
午前4時前、ドーン、ドンと太鼓の音が鳴った。室堂内にある白山比盗_社の奥宮から聞こえて来たもの。「今日はご来光が見れますよ!さあ参りましょう!」という合図の太鼓なのだ。となると、宿泊者の大半は起き出して暗闇の中で身支度する。私は、昨夜まで行こうかどうしょうかと迷っていたが、この動きを見て寝てはおれず、慌てて身支度して出かけることにした。室堂から山頂まで登り40〜50分である。ヘッドライトをつけて8割方石畳になっている参道を登る。昨日同様に息があがるので、皆なに追い越されながら、休み休み登る。空が白々として、この分だとご来光に間に合わないのではと、気は急くが、息がきつくて早く進めない。やっとのことで日の出数分前に頂上(御前峰2702メートル)に到着。神社の神主さんが、開山1400年、修験の山、白山のお話しを始めていた。朝5時丁度の頃、雲海の上に、写真の様に美しいご来光が上がった。神主さんは「・・・世界平和を願って・・・バンザイ!」皆も「バンザイ!」と。感激的なご来光でした。 この一瞬の為にやって来たんだったと改めて考えると、迷った自分がおかしく思えて笑っちゃった。
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頂上でシャッターを押して貰った。この登山で、たった一枚、自分を撮った写真だ。至福の時の写真だ。昨日、登って来た時は少し霞がかかっていたので遠くが見えなかったが今朝は最高の展望だ。
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頂上から室堂方面 |
頂上から室堂方面 |
頂上から室堂方面 |
白山比神社奥宮 |
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名残惜しいけど、この先の下山のエネルギーも考えて早めに降りることにした。前に来たときは「翠ヶ池」や「千蛇ヶ池」などを巡るコースに行き、白山の象徴“クロユリ”や“ハクサンコザクラ”に“イワギキョウ”を堪能できるお花畑があるのだけれど、今日はスキップした。
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ハクサンコザクラ |
クロユリ |
6時頃、室堂に戻ってみると、隣に寝ていた方が出かける支度をしていた。「ご来光に行かなかったのですか」と聞くと「何度も見てるからね」とあくまでもマイペースで、これから登ると言っていた。
朝食を7時にとり、室堂を出発したのは7時30分だった。登って来た時と同じ道を戻った、最短コースだから。
くだりは、登りと違う問題にぶつかった。岩につかまりながら降りるには息があがらなくて、しばらく調子が良かったが、次第に膝から下がガクガクして来た。くだりで膝に来るのは良くあることだが、それが並大抵でなくなって来た。足は鍛えてあった積りだが、平地しか歩いてなかったのだ。最後は引きずるようにしてやっと登山口まで戻った。
時間は11時20分、4時間かからずに戻っており、この数字だけでは辛かったことを説明できないかも。
とにかく無事戻って来れたことに感謝した。
おわりに
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白山登頂記念 |
「辛かったけど行って良かった」、「やっぱり歳だから山は終わりにしよう」、 「何とかなったんだからまた行けるかも」という気持ちが、今、去来する。
H15年、最初に白山に登った時、室堂の山小屋で一緒になったおじいさんの記憶がある。それは、81歳で、白山に65回登ったという福井県勝山の人のこと。私と家内で登山路に咲く花を撮ったり、ゆっくり登って行く途中、前になったり、後ろになったりして一人で登っていた人だった。「黒ボコ岩」の急登の前で大きな“キヌガサソウ”を見つけた時、おじいさんが寄って来て「毎年この湧水の近くで咲くんだよ」と説明してくれた。おじいさんは「今年でもう終わりにする」と言いながら、「65回登山記念」と自筆で書いた色紙を出した。色紙と一緒に記念写真を撮ってあげ、住所へ送ってあげた写真を私も持っている。 あのおじいさんが登れた山だから自分も登れる筈だというのも、今回のキッカケの一つになっていた。
その上、今回は小学校の同窓会があり、O君とS子さんに会うのが楽しみだったのである。勿論、山まで同行して貰う訳には行かなかったが、下山した23日の夕刻、金沢片町の居酒屋で「白山登頂祝い」をして貰った。金沢近海の「甘海老」「のどぐろ」「ばい貝」「岩牡蠣」など存分に地物を味わうことが出来、楽しいひと時を過ごした。O君、S子さん有難う。
最後に、山に来て思うのは、やっぱり健康のこと。今回は自分が心配した以上に息があがり、何んだか、気管支か肺か心臓が弱って来たのでは?と思ったことを、クリニックの先生に話した(出かける前に山のことを言ってあった)ら、「呼吸機能(肺活量)」検査をしてくれ「何でも無い」とのこと。ただ、「微妙」でも「明らかな」変化であり、これを「加齢」と単純に考えず 注意して行く様にとのことでした。 おわり。
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