金沢へ行ってきました
   H27.01.05  .
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  「 ふるさとは遠きにありて思ふもの・・・」 これは金沢生まれの 室生犀星 の詩の一部です。

 同郷人にあやかってこの言葉を借りましたが、子ども時代に過ごした金沢を離れてもう60年近くになります。 
会社時代は、がむしゃらに働くだけで出身地のことを考える余裕などなかったのですが、定年を過ぎ、「終わった人」になってみると、生まれた台湾のことや、育った金沢のことが次第に懐かしく想えるのが不思議です。
 そんなわけで、少し前に戻って、小学校のクラス会に行ったことなどから金沢を思い起こしています。
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 5年前、古希の年に、小学校のクラス会の案内があり、57年間一度も出席したことが無かったこともあり、行こうと思ったら、折悪く、姪の結婚式が入って来て、結婚式をパスする訳にはゆかず、行けないことを連絡したら、O君が音頭をとってくれて、正規のクラス会の4日後、私の為だけにミニクラス会をやってくれたのでした。
 小学校卒業してから半世紀以上、音信不通だった友達に逢えた感激は、その後ずっと私の心に残っています。
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 それから2年後、またクラス会の案内が来ましたので、今度は、ミニクラス会を開いてくれたお礼にと思って行って来ました。丁度、東日本大震災から半年後でした。震災では、屋根瓦が落ち家の中もめちゃめちゃになったけど、東北地方の被害と比べたら何でもない程度のもので、今はほぼ元に戻ったことを話しました。ただ、原発の問題と心に受けた衝撃は癒えるまで時間がかかると加えました。 みんなからは、被災の中からここまでよく来てくれたと見舞いと激励をいただきました。
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 そして昨年7月、私にとっては3度目になるクラス会に行ってきました。後期高齢者になる年で、お互いに逢える機会も減って行くだろうし、行ける時に、行ける健康状態のうちにと思って出かけました。間近になって大型台風が発生したことでダメだと思い、ホテルをキャンセルまでしたのですが、復活させて行ってきました。 91歳になる先生は、夜の外出を控えておられるとのことで出席されなかったので翌日 先生宅へお伺いしました。大変お元気で、“教え子だけは誰にも負けんわ”とおっしゃった言葉が印象的でした。
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 その日一日、O君とY子さんが私に付き合って金沢の街を案内してくれました。暫らく行ってなかった成巽閣(前田12代藩主が建てた隠居屋敷)や藩老本多蔵品館(本多家伝来の武具、馬具、調度品展示)を見て回りながら、この半世紀の間の来し方の一端をお互いに話し合いました。
 更に、クラス会では会えなかったS君と合流し、食事を共にすることが出来て、子供の頃に逆戻りしたひと時を過ごすことが出来ました。S君とは家が近所で、一緒に学校へ通った仲でした。彼はしっかり家を継いで中学校の先生になり、金沢の教育界の重鎮として名を成しました。みんなそれぞれの第一線は「終わった人」ですが、まだまだと言うかますますと言う方が良いのか、何かに「向かっている人」たちで、元気の出る出会いでした。

 私は金沢が好きです。文化・歴史・環境は元より、訛り・人情が好きです。その上、良いお友達がまた増えたことを嬉しく思っています。機会があれば是非また行きたいと思います。

. 「 ふるさとは遠きにありて思ふもの そして時々訪ふもの 」   のぶお
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  以下は  金沢の紹介です  ご笑覧ください