健ちゃんと馬の縁

2008年10月7日
愛馬とのふれあい
 こんにちは、今日のお客様は私の先輩で同郷の健ちゃんです。
 健ちゃんなんて馴れ馴れしく呼んで済みません。けど、一番人柄を表わす愛称なので。
 同郷!そう!百万石の城下町・金沢です。歴史と文化については自慢する所が山ほどある金沢ですが、馬についても結構繋がりがある所なんです。何しろ博労町という町名が有ったのですから。健ちゃんはその博労町の傍で育ったので、子供の時から馬に縁があったのですね。その後、茨城の地へ来て半世紀以上、会社生活に専念する傍ら忙中に閑を見出し、馬との縁をつないでいました。そして、師と仰ぐ方との出会いを機に競技馬術の道を進んで、国体の県代表にも選ばれる活躍がありました。しかし、あくまでも自分の趣味の域を越えず、他人にひけらかすことも無く、国体地区予選に出たことなど後になって分かった次第です。馬という特別な世界だったこともあるのでしょうが。
最近のお遊び乗馬 現役最後 60歳頃の競技会
 
 特別な世界・・・そうですね、犬や猫じゃあるまいし、普通じゃ飼うことも出来なけりゃ出会うことすら出来ない世界。そのクラブへ来る人はもっと別世界の人。そういう世界に敢えて自分を持って行き、そこから(離れた所から)、自分自身の人生や社会を見つめ直していたのかなと想像します。
 60を過ぎて会社生活とのけじめがついてからは、もっと馬と親しもうと、乗馬クラブの指導者になって馬との付き合いを増やしたようです。至福の時を。
 「走る爽快感、物言わぬ馬に約束事を教える調教の面白さ、馬には言葉で表せない魅力があります。」とはご本人の言。 さらに、「人体も馬体も個々に癖が有り左右均等では無いのですが、それを左右平等な演技をして見せるのが馬場馬術です。微妙で繊細で難しい。」とも言っています。まさに人馬一体の妙を限りなく追求していたのでしょう。本当に馬が好きなんですね。

       

 今年73歳の健ちゃん、何時かは世界のトップレベルの演技を見たいと思っていたことが叶いました。そうです、北京オリンピックの馬術観戦ツアーに行って来ました。場所は北京でなく香港。馬の検疫だとか難しい制約がないのが香港だからとか。
北京オリンピック馬術競技会場(香港)で
障害飛越競技開始前の下見風景 法華津選手のグランプリ演技
 
 北京オリンピックと言えば、最高齢で選ばれた日本の期待の星、法華津選手の健闘を見るのも宿願だったのです。私もテレビで見ていました。ひょっとしたら、観客席の中に健ちゃんの顔が写るかなと思って。法華津選手の演技は残念ながら、馬が吃驚したのか、のけぞる所だけを写しており、成績もパットしなかったと報じていました。健ちゃんは帰国後、「テレビなんてそんなところしか写さなかったのか、あれは電光掲示板の光に驚いたもので、電光掲示板の設置ミスとも考えられ、全体として非常に良い演技であり失敗の部分だけ報道されたのは残念。」と法華津選手への同情と会場設営者への不満 を覗かす話をしていました。

 最後にご本人が書かれた文をそのまま掲載します、人柄を感じますから。
 故中島又男氏の墓前に報告

 オリンピックは中島さんと一緒に見たかった。永年ご指導頂いた私の師匠中島氏には 高等馬術(パサージュ、ピアッフェ、ビルエット、歩毎踏歩変換等々)を目の前で見せて頂き、又説明を受け 解説され、調教途中では、運動の良否に付いて意見を求められ 色々教えて頂いた結果、私如きが自分では出来なくても優れた運動の判定識別が少しは出来る様になっていました。オリンピックでの世界トップレベルの演技といえども良否の判別は少し出来ました。改めて中島又男氏が誠に偉大で国際レベルの馬術家(私は名人と言っていた)であったことを再認識しました。本当に惜しい人物に先に逝かれてしまった事が悔やまれ残念です。

                                                        高崎健三
ー完ー