H21.11.5 |

神様が作ってくれた巡り会わせとしか思えない、思ってもいなかった一期一会となり、本当に生きていて良かったと思いました。
実に、57年ぶりの再会! 胸がどきどき、誰に逢えるのかな、誰だか分かるかな、僕のことを覚えているかな・・・などと考え出すと、もういたたまれない気持ち。早く逢いたい!
そしてそれが現実になったのである、本当に涙が出るほど嬉しい出逢いでした。
話が長くなってしまうが、僕の故郷は金沢。小中学校とも中心部の歴史ある学校。クラス会は何年かに一度やっているが、遠いので殆ど行けなかった。ところが今年は、古稀の年だし、この後ないかもしれない機会だと考えていた所へ、同じ時期に二つのクラス会の案内が来ました。小学校のクラス会が11月1日、中学校のクラス会が11月4日でした。
4日間金沢に滞在すれば一挙に両方のクラス会に出られて好都合だと考え、思い切って行こうと心を決めたのですが、ことは簡単には行きませんでした。実は、11月1日にメイの結婚式で横浜に来てくれと弟から連絡が入ったのです。クラス会だから結婚式には出られないとは言えないので、やむなく1日の小学校のクラス会をやめて中学校だけにしたのでした。
ところが、親切な方が現れました。小学校と中学校共に同じクラスだったただ一人の友達・大桑くんが「なんで小学校に出ないのか」と電話をかけて来てくれたんです。私は、実はこういう訳でと話した所、「よし分かった、何とかしてやる!」と言ってくれて、中学校の次の日、11月5日に小学校のミニクラス会を計画してくれたのでした。
中学校は中学校で、勿論楽しみだが、前にも出たことがある。しかし、小学校の方は一度も出ていないので一層のワクワク感を覚えた。 だけど、僕の為だけのミニクラス会に誰が来てくれるだろうかと、本音は心配でしたが、嬉しかったです。そして、その言葉通り実現したのでした。
中学校のクラス会が終わった翌日、大桑君が一日つき合ってくれ、担任の先生も健在だというので、自宅へ訪問した後、しげくんの好意でセットされた料亭で、6人の皆さんと逢う事ができたのです。
お逢いした瞬間、涙が溢れんばかり目頭が熱くなりました。再会を喜び、話はいつまでも尽きることなく夜10時まで旧交を温め、名残惜しくお別れしました。
時間を子ども時代に戻して、いろいろ話に花が咲きましたが、やっぱり男と女のお話も。でも、
「 少年の 記憶まぶしき 友と逢い 」
でした。
|
 |
 |
 |
 |
 |
 |
なおちゃん |
はやくん |
しげくん |
さわちゃん |
にゅうくん |
大桑くん |
|
以下は、帰ってから、書いた手紙です。 |
皆様有難うございました。
神様が作ってくれた回り逢わせとしか思えない、思ってもいなかった一期一会となり、それこそ、生きていて良かったと思う気持ちです。
総ては、大桑くんのご親切から・・・です。有難う。
小学校・中学校と一緒だったけど、当時そんなにひとの面倒を見る子だとは夢にもおもわなんだんやけど、両方のクラス会の案内を必ず送ってくれて、いつも「欠席」の返事しか出さなかったけど、この子は「親切な子やな」と思っていました。
今回はがきを貰ったときに、大桑くんの顔が浮かび「毎回欠席ではダチャカン」と思いました。
しげくん、旭日瑞宝章ですか受賞おめでとう。昔から、進んで先頭に立って皆をリードしてきましたね。その通り、自信に満ちた人生を送って来られたように思いました。
卒業してから間もない頃、肉屋さんの店の前で立ち話をして以来ですね。ますます話が上手で、優しい心根が伝わって来て人を惹きつける魅力ですね。
にゅうくん、何度もガラス屋さんへ遊びに行きました。友達でいてくれてアンヤト。今も変わらず明るくて他人を笑わしていますね。ジャーマに宜しくオネガイ。
はやくん、ゴメンナサイ思い出せなくて。6年3組の卒業写真を見ても殆どわからんがやけど、わかるがは、目立つた子、金持ちの子など特別な子だけですよね。うちも貧乏だったので、教室の中でも隅っこに追いやられていたような感じでした。昔、母親が「着物が無いから学校(授業参観)には行けない」と言ったのが、今わかる気がします。
でも、優しいんですね。立派な栞を作ってくれて・・・もっとイサッテいいがやぞ。
なおちゃん、なかなか思い出せなくてゴメンナサイ。貧乏人のひがみかも知れませんが、僕は、そのころ堂々としてなかったんでしょうね(今もそうだけど、もっと)だから、人のことを見る余裕が無かったような気がするんです。なおちゃんは、体が大きくてNYさん(も大きかった)さんたちとクラスの中心的存在だったように思います。そんな快活な人たちと一線引いた存在だったかと思います。
「灯らぬ電球の線を繋いであげた」など記憶の隅にも残っておりませんでした。眩しい存在の人に何かのきっかけを作って近付きたかったのでしょうね。それにしても、そのことを覚えてくださり、そしてわざわざ逢いに来てくださり、そのお話をしていただいて、素直に嬉しいです。
横に座らせて頂いたので、横顔を見つめていましたが、“ちあきなおみ”に似た若々しい奥様で(もうおばあちゃまですか)、「こんな美しい方に覚えて戴いた僕は、なんて果報者なんだろうか」と思いました。
さわちゃん、覚えてなくてゴメンナサイ。卒業写真と目の前の女性と比べて、でもよく見られなかったのです、眩しくて。だいぶ後になって、当時「斜め前に座っていたチッチャイ子」に違いないと思い出しました。そうですよね。「オシャマだけれど控え目」で、僕は男の義侠心で「この子の味方、何かあったら守るぞ」という気持ちになっていたようです。「これからオヨメサンに欲しい・・・とは行きませんよね」。
昔もそうだったと思いますが、今が尚、素敵なんじゃないですか。京都きもの学院の講師をされていらっしゃるのですね。洋服姿が良く似合うとお見かけしましたが、きもの姿になったらどんなに素敵だろうかと想像しています。
皆さんにお逢いする前にやま先生の所にお伺いして参りました。子供心にチョット厳しい言葉を戴いた記憶も残っていますが、それだけ芯が通ったお考えの持ち主で「教え子は私の宝」のことをかくしゃくとしてお話くださいました。
自分自身のことを申し上げることが出来ませんでしたが、野田中から金沢市立工業を出て、茨城県の日立製作所に勤め、海外20数ヶ国を経験、最後は関連会社役員で終わりましたが、現在、日立OB会の世話役をしながら、週2日は小学校へ行きパソコンの指導をしています。
充実した人生を送ることが出来ていると思って、感謝しています。
人生 一期一会と申しますが、この度は中学校のクラス会のために参ったわけですが、思いも寄らず、小学校6年3組の皆様にお逢いでき、しかも覚えていてくださり、生涯忘れることのない喜びでございました。
『 友達は宝! 』 を実感。
いつまでも友達でいてください、そして、長生きしてください。
いつの日か、またお目にかかれることを、祈念して失礼致します。
平成21年11月7日 のぶお |
|
注:大桑くんを除き固有名詞はニックネームに、写真は少しボカシました。迷惑のかかることの無い様に、と、若く見える様に。 |