![]() 平成30年6月14日~18日 |
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平成30年6月、私は台湾/台北の近くを旅しました。目的は、私の生誕地、桃園市にある 亀山國小を訪ねる為でした。 歳をとって、昔のことをノスタルジックに思う様になって来たのでしょうかね、自分の生れた所を見に行きたいとの思いが募ったのです。60年前に取った戸籍抄本の写しを取り出し、其処に書かれていた住所を、インターネットの「問い合わせ覧」に書き込んだら、桃園市の亀山國小だろうとの返事が来たことを機に、台湾訪問を決心したのでした。 (この内容については、「つぶやき集」の中で「生誕地(台湾)を訪ねました」に書きました。) ここでは、学校訪問だけでなく旅行全般について記します。一人旅で、旅の全てを自分でセットするのは面倒なので、旅行社のツアーに便乗、行き帰りのフライトやホテルは利用、その外はフリーとして「自分オンリーの旅」にしました。 |
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. 6月14日、茨城空港発15時→台北着17時30分で順調に到着、台北空港で現地ガイドさんと落ち合った。ツアーの参加者は熟年カップル3組と私の計7名だけでした。私のホテルが一番最後だったからでしょうか、ガイドさんはホテルのロビーまで同伴してくれて、翌日からの一人旅の注意や電話のかけ方、ポケットWi-Fiルーターの使い方を説明してくれました。一人旅の時、こんな心遣いはとても有難く、心強く思いました。 |
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. 6月15日、今回の旅の最大イベント 生誕地訪問です。朝9時前にロビーで今日のガイドさんと会いました。私は、旅の目的が 私の父がお世話になった二つの学校を訪問すること、戸籍抄本や古い写真を頼りに生れた場所を確認したいこと。二つの学校に手紙を送って返事を貰ったこと を説明して、この日の予定を確認しました。そうしたら、午前中に時間の余裕が有るので 戸政事務所(市役所)へ行きましょうとの突然の提案にビックリ、これが思いもよらぬ発見に繋がったのでした。私が持って来た戸籍抄本を渡して調べて貰った所、3通の戸籍簿が出て来たのです。生まれた所が桃園で、その後父の勤務地に合わせて大渓、中壢にも居たことが判ったのです。まさかこんな発見が出来るとは夢にも思っていなかったので、戸籍簿は「私の宝物」になりました。ガイドの蘇さんのお蔭でした。。 大漢渓という川の傍にある大渓國民小學に お昼過ぎに訪ねて行きました。 学校では私の到着を待っていました。直ぐに展示室とでも言うのでしょうか創立以来の写真や書籍を並べてある部屋へ案内され、昭和十八年の教師が並んでいる写真を指して「ここにあなたのお父さんが写っています」ここにもありますと昭和十九年のものも見せて戴きました。更に驚いたのは、昭和十八年の6年生の「学籍簿」なる書類の綴りの中から、父が書いた評価欄の一箇所を見せてくれ「お父さんの直筆ですよ」と言われました。(写真をクリックすると大きくなります)
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. 大渓から小一時間程離れた所に 亀山國民小学がありました。今年創立100周年を迎える学校(先の大渓小は120周年)です。ここでも先生方が待っていて下さいました。(今思うと、両学校は連絡を取合っていたのではないかと思います。)最初に案内された所は やはり展示室で、80周年・90周年記念誌を開いて、ここにあなたのお父さんの写真がありますと見せてくださいました。池の周りに先生方が並んでいる写真で、写っている人の名前がカバー紙に載っているのでした。そして、「この池は今もありますから行きましょう」と校庭に案内され、池とその横に立つ「楠木(クスノキ)」と、更に、その奥に私が生れた寄宿舎の跡地を教えてくださいました。
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. 6月16日、感動の学校訪問の翌日、もう目的は達成したので、後は観光だけ、気楽なもん となりました。 台北の近郊は今まで廻ったことが無いので、九份、北投、淡水をまとめて観光しようと、旅行社のオプションツアーを申し込んでおいたのでした。出発前のことですが、このオプションを申し込んだら、二人以上集まらないと行けない、二人分払えば直ぐ予約が取れるとのことでした。割高でしだが、他のグループに混じって喧噪に物見游山する気分になれなかったので、二人分払って静かな観光を選びました。(因みに、ホテルも一人部屋加算があって、殆ど二人分の料金でした。)
坂道に建っている 阿妹茶楼(Ami Tea House)というお茶屋に入って、台湾烏龍茶のセットを頂きながら、窓越しに見える海を眺めてゆっくりしました。 次に行った所は新北投温泉。台北北部陽明山の麓に位置し、日本統治時代に開発された温泉郷です。
. その次は、北投から近い 淡水です。淡水は台北を流れる淡水河の河口に開けた港町、水と調和のとれた美しい町並みから
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. 6月17日、この日は 台湾世新大学の学生さんにボランティアで案内して貰う日でした。 出発前にネットで調べてみたら、こんな親切なサービスがあるのが判ってメールで申込んだのです。出来れば桃園の学校訪問の時にと思ったのですが、台北市外へ出ることは無理ということなので学校の方はプロのガイドにし、この日の市内観光を世新大学にお願いしたのです。日本文学専攻の二人の学生が来てくれました。二人とも日本語がほぼ完璧で、日本の筑波大学留学を目指して勉強しているとのこと、とてもしっかりした学生でした。私は、台北観光は以前にツアーで回ったことがあるので、まだ行っていない“ニニ八國家記念館”と“龍山寺”へ案内して貰うことにしました。 “ニニ八”とは1947年2月28日に起きた事件のこと。日本が敗戦して引き揚げた後にやって来た中国国民党政権(外省人(在台中国人))による 本省人(台湾人)弾圧・虐殺の引き金になった事件です。この記念館は2011年に開館し、ニニ八事件に関する証言や資料を纏めてある所です。この事件は台湾史上最大の悲劇であり、長い間心の傷が癒えることが無かったそうです。 この館内では、二人の学生もしんみりして、余り触れて欲しく無い所 だったのかも知れませんでした。 この後お昼になったので、美味しい台湾料理を食べに行こうと近くを探したが、結局、台北駅まで戻るのが手っ取り早いということで、メトロに乗って、台北駅2階の超でっかいフードコートで台湾料理を食べました。 午後は、またメトロに乗って 龍山寺へ。龍山寺は東京で言えば 浅草、気さくな下町、人ごみの中を歩いた。特にこれと言った目的もないので、二人のお奨めの かき氷屋 に入って、どんぶり一杯のマンゴーが乗った かき氷を食べました。 この日一日、若い女性とのデート気分で楽しく過ごしました。分れる時、「日本に行けたら家まで遊びに行きます!」と笑って言ってくれました。「必ずおいでよ!」と応えました。 |
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. 6月18日、台北発9時30分、茨城着14時00分で無事到着、5日間の「台湾/生誕地を訪ねた旅」が終わりました。 ・永年訪ねてみたいと思っていたこと ・大事に戸籍抄本を持っていたこと ・ネットで問い合わせしたら生まれた所が判ったこと ・時間調整で寄った戸政事務所で3通の戸籍簿が出て来たこと ・そこから亀山、大渓、中壢の地所が判ったこと ・古い昔の写真や直筆の学籍簿を見せてくれたこと ・生れた寄宿舎跡地や楠木を指差して教えてくれたこと ・のんびりと九份、北投、淡水を観光したこと ・世新大学のボラティアガイドの二人の学生と楽しく過ごせたこと など、総てが 僥倖と言うか好転で、善意に包まれた幸せな旅でした。本当に有難うございました、神様に感謝です。 平成31年1月 ー感動やまぬままにー |