もう止まれないの<上>




戦において一番に突っ込んでいく部隊を束ねるのは腕に相当自信がある者か、
無鉄砲な死にたがりか、または命令によってやらねばならない者だけだ。
この広大な揚州を治める孫呉の国の戦には、度々一番乗りで敵陣へと切り込む
若き姫君の姿があった。
理由はわからない。
腕に自信があるといってもまだ十代の、しかも公主の身である彼女が
やる事ではないはずだ。
何度その事で兄達と喧嘩をしたかはもう数えられる程ではない。
一度突出し過ぎて、近くにいた甘寧に助けられたのと同時に怒鳴られた事もある。
「死にてぇのか!?」
と怒られた彼女は、死にたいわけじゃないと答えた。
ただ、素直にごめんないとは口にしたのでそれ以上何も言えなくなる。
追求出来るはずだったのに、出来なくなってしまったのだ。
普段の彼女だったなら、勝気に言い返してくるはずだったのに。
上手く逃げられた、そんな感さえある。

その後の戦も彼女は怖がる事無く前線に立ち続けた。
何か胸に引っ掛かるものがあるのを、甘寧以外に数名が感じ取っている。

幾月か経って、不穏な動きを見せる豪族が現れた。
叛乱だ。
規模的に小さい事もないが大きい事もない。
利用が出来る戦でもあった。
孫家の力を周りに見せ付ける良い機会でもある。
久方ぶりに戦についての軍議が開かれた。
孫策、孫権を上座に周りには周瑜、呂蒙、太史慈、甘寧、凌統、そして
軍師見習いの陸遜が向かい合う形で席についた。
「今回の総大将を務めるのは俺だ。軍師に呂蒙と陸遜」
孫策の言葉に頷く。
「後は参加したい奴が参加してくれて良い。留守番は権と周瑜がいれば心配はないしな」
幸か不幸か戦闘が起きるのは、建業に近い。
戦場で、もしくは本拠地で何かあったとしても行き来は出来やすいだろう。
参加する武将を確認し始めて間もなく扉が勢いよく開かれた。
「私も参加するからね!!」
軍議に乱入する形となった孫呉の姫には驚きよりも溜め息が先に出る
やっぱり来たかと、その場にいた者達には同じ思いがあった。
孫策が珍しいくらいに真剣に話しかける。
空気が少し重かった。
「戦に出るだけなら良い。お前がやりたいのはどの部隊だ?」
「先発部隊をやらせて」
「そう言うと思った。尚香、最近のお前の戦は自分勝手が過ぎる」
「私もそう思うわ」
「・・・何を隠している?」
「隠し事?そんなのあるわけないじゃない」
視線がぶつかり合う、どちらも逸らす気配さえない。
周りの空気は一層重くなる。
「私が先陣を切るわ」
「駄目だと言ったら?」
「それでも行くわよ」
沈黙の後に溜め息を漏らしたのは孫策だった。
何か覚悟の様なものを感じ、負けた気さえする。
「わかった。但し、呂蒙と陸遜の言う事は守れ。守れなかったら今後一切戦には出さない」
「ありがとう兄様」
睨む様に見据えていた強い気が去って、柔らかく微笑んだ。
それだけを伝えると彼女は風の様にその場を後にする。
「兄上、良いのですか?」
孫権の言葉に乗るように隣の周瑜も視線を送る。
盛大に溜め息をついた孫策は次いで顎に手をやった。
「わっかんねぇんだよな〜。権、尚香から何も聞いてないのか?」
「私は何も、恐らく誰も知らないでしょう」
う〜んと唸って腕を組む。
「頑固だからな、そう簡単に口を割るとも思えない」
周瑜がお前と一緒だと笑った。
あの、と手を上げて陸遜が立ち上がる。
「殿、御前を退出させていただいて宜しいでしょうか?」
「ん?あぁ、構わないぜ」
扉を出ようとする陸遜の背に孫策が一言掛けた。
「わかった事があったら教えてくれ」
「・・・出来得る限りの事を」
陸遜は振り向かずに答えた。