我が槍にかけて




小高い丘から見下ろす景色は橙色の夕焼けと相まってやけに寂しい。
「そろそろ戻らないとうるさい説教が待ってるぞ」
一緒に居る人物に声を掛けるが帰って来たのは小さい生返事だけで。
その人が見ている先の先には長江があり、更にその先には祖国がある。
そこに想いを馳せているのだろうと思うと次の言葉を掛けられない。
しかし不意をついて彼女は振り返った。
「違うの」
「・・・何がだ?」
唐突で主語も何もない一言に首を傾げた。
「孟起が思ってる様な事を考えていたわけじゃないって事」
「じゃあ聞くが、何を考えていた?」
「・・・・・・」
問われた人は無言で俯く。
「言いたくないのか?」
「わからない、ただ・・・」
「ただ?」
「・・・怖い」
顔を上げたその瞳はうっすら涙で覆われていて、翠の光を悲しく放つ。
「何を怖がる事がある?」
「・・・私、もうすぐここに居られなくなる」
突然の言葉に思考が追いつかない。
「何を、言っている?」
「呉から、母様が危篤だから帰ってくる様にという内容の書簡が届いたわ」
「・・・」
「でもきっと嘘、それぐらいわかってるの」
だけどね、と続ける彼女は寂しく笑った。
「戻らないといけない」
「何故だ!?」
思わず彼女の手を掴んでいた。
嘘の内容で返る必用など無いと言うと、掴んだ手をそっと外される。
「駄目、なのよ・・・呉と蜀はもう張り詰めた糸しか繋がっていない」
「だがお前が居るから繋がっていられるのだろう」
「そうよ、私がいるからまだ繋がっている」
「だったら」
「駄目なの!」
強く彼女は言い切った。
そんな答えに納得など出来なくて彼女の体を抱き寄せる。
「孟起!?」
「・・・返さぬ」
嬉しいと思う、でもこの腕の温かさを放さなければならない。
「戦が起こるわ」
「お前が帰らなければ起こらない!」
あぁ、この人が自分の気持ちを吐露するのを見るのは初めてかもしれない。
心の何処かでそれを思いながら、悲しく笑った。
「私がここに居るだけで、どちらにも迷惑が掛かる・・・それは嫌」
わかるでしょう?と問われたが答える事は出来ない。
答えたくも無い。
だが彼女が帰る事を決めているのは揺らぐ事は無いのだと感じ取る事は出来た。
「孟起、お願いがあるの」
顔を上げた彼女と無言で視線を合わせる。
「戦は必ず起こる・・・そして呉蜀が決戦を迎える時、私は戦場に居るから」
「俺も、いるのだろうな」
蜀を、劉備という君主を守る為に。
「だから、だからね」
上衣を掴む手が少し震えてた。
「あなたが私を殺して」
その槍で貫くのは一人で良い。
「私以外は誰も殺さないで」
大事な人がたくさん居るのと訴える彼女はどこまでも優しい。
この槍にその者達の血が付く事を何より恐れていた。
「あなたの愛槍に誓って・・・私を殺すと、そして他には誰も殺さないと」
懇願する彼女に、胸の痛みを覚えつつ自分の槍に手を掛けた。
目を瞑って声を絞り出す。
「我が槍にかけて」
一拍置いて瞼を上げた。
「お前の願いを叶えよう」
「ありがとう、孟起」


怖いのはあなたの愛を失う事
だから最後はあなたの手でこの心臓を貫いて
それだけが私を愛した最後の印




泣きそうなほど暗いです。ちなみに実は少しだけ続きを。
この作品中一度も尚香と名前を呼んだりしてないのも
その続きに意味がある・・・みたいな。