例えそれが <上>
━━━━━━ 例えそれが ━━━━━━
穏やかな午後に市が開かれている城下に向かって歩いているのは呂蒙、凌統、甘寧の三人。
「・・・・・・」
「そう嫌がるな凌統」
呂蒙の言葉にも棘のある眼差しは変わらない。
甘寧は甘寧でまだ呉軍に加わって日も浅い為、城下の見物に興じている。
凌統の事など眼中に無いようだ。
間に挟まれた呂蒙は心中ひっそりと溜め息をつくのだった。
この三人でなぜ城下を歩いているかというと、実は近々古将の黄蓋が誕生日を迎える。
普段から世話になっている為、みんなでお祝いをしようと決めた。
贈り物はどうする?と相談した結果、飲め切れないほどの酒という大雑把な考えから
わりとすんなり決まる。
じゃあ早速買いに行こうと思い立ったのだが。
「だからって、何で俺がこいつと」
「お前と甘寧しか手が空いてなかったのだから仕方なかろう?」
心底嫌そうな声で不満を漏らす凌統に多少諌める口調で答えた。
「下男でもやれば良いのに」
「俺も最初はそう思ったんだが、ある事を思い出してな」
「何ですか?」
「姫が、こんな事を言っておったのだ」
「?」
「贈り物は、自分で選んで渡す事に意味がある。それが道端に咲いている名も無い花であろうと、
河に落ちていた石であろうと、選んだ事自体が贈り物なのだと」
「へぇ、姫がそんな事をねぇ」
金や銀を選んで当然の人が、道端の花でさえ嬉しいと思ってくれる。
頭で思い描く彼の人は、本当に公主らしくない。
それがやけに嬉しく思うのは、彼女が愛しいから。
「俺、この国の人間でほんと良かった」
「お前もそう思うか?」
そう言って笑う呂蒙の表情は柔らかい。
その呂蒙の背後から肩に手を回して甘寧は愚痴る。
「俺まだその姫さん見た事ねぇんだけど」
孫策、孫権に謁見する時にその姫は何処にも見当たらなかった。
その後もこうして話ばかりは耳に入ってくるのだが、本人を見た事は一度も無い。
「一生会わなくて良いんだよお前は」
「あぁ?凌統てめぇ、いい加減にしろよ?」
「いい加減にするのはてめぇだくそ甘寧!」
睨み合う二人に頭痛を起こしそうになったが、ふと周りの様子がおかしい事に気づいた。
「・・・何だ?」
耳を澄ますと少し離れた所で騒ぎが起きているらしい。
叫び声さえ聞こえる。
「お前ら、つまらない事は後にしろ!」
二人の耳を引っ張って人垣を目指して進み行くが、かなりの人数が集まっている為中々進めない。
周りの声を聞いてみるとどうも市の品物を面白半分で壊したり、食べ物を踏み潰したりと
散々な事をして闊歩する三人の無類漢がいるらしい。
何とか人垣を分けて押し進むと噂の三人を見つけた。
頭格の巨漢の男を挟む様に力も無さそうな男二人が嘲笑う。
男達が来たの事で売品を急いでしまおうとする店が目立つが。
「や、止めてください!」
「んだぁ、こんなちんけなもん売りやがって」
どうも年老いた女は間に合わなかったらしい。
高価とは言えない品ばかりだが、数種類の香炉を並べた店に男達は目をつけた。
数個の香炉を地に叩きつけて割り、更には懐に何個か入れている。
そんな中一つだけ別格扱いの物に視線が行った。
「ん?おいおい、良さ気なものもあるじゃねぇか」
「そ、それは売り物でもありませんし、お渡しするわけには!」
「よこせ!」
老女の手から無理やり奪う、しかしその手に子供の小さい手が絡みついた。
「返せ!それは婆ちゃんの宝もんだ!!」
「あー?知るかそんな事」
まだ幼い少年を地面に叩きつける。
周りから非難の声が上がったが、無類漢達に睨みつけられ大人しくなってしまった。
しかし諦めない少年は男の手にある香炉を目指して掴みかかる。
隣の男に香炉を渡して巨漢の男は下卑た笑いを浮かべた。
子供に向かって拳を下ろし、地面に這いつかせる。
非道な振る舞いに周りでは『酷い』という声が所々から聞こえた。
成敗しなければなるまいと呂蒙が腹を決めた刹那、三人の中で一番細い男が悲鳴をあげた。
手に持っていたはずの香炉が消えたのだ。
その香炉を奪ったのは頭から全身を大きな布で腰まで覆った華奢な人。
背もあまり高くない事から年若い少年なのかと思う。
出るタイミングを逃した呂蒙は取り合えず成り行きを見守る事にした。
「何だてめぇ?」
頭格の男が怒りを隠さない表情で問う。
それを無視して香炉を持ち主に渡す。
そしてすぐに踵を鋭く返す・・・無類漢達の前に立ち塞がる様に。
「何だって聞いてんだよ?」
苛立った巨漢の男に変わって腰巾着の男が近寄ると。
呂蒙達は空気が変わった事に気づいた。
笑った、彼の人は不適に笑った。
遮蔽されて見えないはずの表情が空気で伝わって来たのだ。
息を呑んだ瞬間に、蹴りが一発男の腹に入ったのが辛うじて見えた。
蹴られた男は声を出す事も出来ずにその場に崩れ落ちる。
「て、てめぇぇぇ!」
巨漢の男は連れがやられたのを見て殴りかかって行ったが、やはり彼の人は動じる気配も無い。
あっさりと避けて背後に回り、右手を後ろへ捻り上げた。
「いてててて、離せくそ!!」
細腕であの巨漢を押さえるのには一番良い方法かもしれない。
最もそれで簡単に終わるとは思えないが。
もう一人の細い男はただその成り行きに震えているだけかと思ったら、
刃物を持ち出し、あまつさえ背後から襲い掛かった。
危ない!と周りの民達の声に反応して刃物をかわし、回し蹴りを放って黙らせる。
ほっとしたのも束の間、押さえられている男は空いている左腕を思いきり彼の人に向けて振った。
が、それさえ読んでいたらしい。
しゃがみ込んで地を蹴り、巨漢の男の顎を狙った一撃は見事としか言い様が無かった。
三人がやられたのを見て周りからは歓声が沸きあがる。
しかし凌統は呂蒙に何処か不安気な表情を向けた。
「俺・・・あの体術見た事あるような気が」
「そうなのか?」
視線の先の人物は尻餅をついたまま事の成り行きを呆けて見ていた少年に手を差し伸べた。
少年からなら彼の人物の顔も見れるだろう。
よっぽど驚いているのか差し出された手を取りながらも、彼の顔は呆けたままだ。
少年の身体についた土埃を払う手は優しそうだった。
彼の人の顔を覗き込んだ少年の祖母さえもその表情はどこか見惚れていると言った感じか。
お礼の言葉さえ上手く出てこないでいる。
冷静に人物分析などしてる場合でない事に気づいた呂蒙が一歩踏み出そうとした時、
ようやく役人達が駆けつけて来た。
しかし英雄とも言うべき彼の人は、役人の姿を見た途端走り出す。
まるで逃げる様に。
「あ!お礼がまだ!!」
老女の声にも止まる事無く彼の人は去って行ってしまった。
後に取り残された民達も呂蒙も呆然としてしまう。
「・・・面白ぇ!!」
その中、嬉しそうな声を上げて笑う男がいた。
走り去った人物に興味を持った甘寧は彼の人を追いかける。
「待て甘寧!!」
甘寧を追って凌統まで行ってしまった。
残された呂蒙は役人に説明をする為残るしかない。
渋々惨状となった場に出て行くと役人達が駆け寄ってきた。
とにかく一言文句を言わなくては気がすまない。
「お前ら来るのが遅すぎるぞ」
彼に気づいた役人達はさっと一列に並ぶ。
「こ、これは呂将軍、申し訳ありません」
「・・・何があったのでしょうか?」
「あぁ、こいつ等が悪事を働いていたのだが、ある人物が成敗したのだ」
見るのも嫌そうにさっと視線で地べたに転がる三人を指す。
「して、その人物は何処に?」
「あぁ、さっき居なくなった。まぁ目撃者はいるんだ、話を聞けば誰だかわかるかも知れん」
おい、と手招きで被害者の老婆と子供を呼ぶ。
「坊主、お前を助けてくれた人はどんな男だった?」
「男じゃないよ」
「何!?女、か・・・いや、まさか・・・な」
何故かはわからないが先程の凌統の言葉が頭に浮かぶ。
思い描くはあの人。
この予感、外れていて欲しいと願った呂蒙に追い撃ちをかけたのは
「あのね、緑色の目をしたすっごく綺麗なお姉ちゃんだよ」
子供の無邪気な声だった。
<続>