愛し愛され2
落とした武器を拾ってくれたのは侍女の一人で、今は敵であるはずの彼にいとも簡単に渡す。
まだ呆然とする彼に「これは姫様のけじめなのです」と年長の侍女が伝える。
彼にその言葉が届いたかどうかはわからないが、趙雲は意識を覚醒した。
そして目にする、何かが月明かりに反射して光っているのを。
我を忘れたように我武者羅に走った、何がそうさせるのかわからないが侍女の声も聞かずに
自分で呼び寄せる光の下へと急ぐ。
予感はあった、自分を呼ぶのはあなただと。
川縁へ降りて息をつく、やはりあなたでした、と。
「・・・奥方様」
大きな岩に引っ掛かっていた彼女の姿。
光っていたのは彼女愛用の圏の刃だった。
腕を伸ばすだけでは届きそうで届かず、手にしていた自分の槍を見る。
切っ先を自分で手に持ち、彼女の体を流されないように自分の方へと持ってくるが
彼女の圏は水底へと消えていった。
自分の腕で彼女の体を抱くが、冷たい体に白を通り越したような色に
もう逝ってしまった事を残酷な程に教えられる。
「奥方、様」
手首に大きな傷を見つけた、体中の血を流してでもあなたは逝きたかったのか?
あまりに痛ましい傷に自分のバンダナを使って縛る。
目立った傷はそれだけで、他は生前の綺麗な体のままだった。
尚香を抱き上げ、彼は侍女達が待つ場所へ戻るとすぐに彼女と一緒に馬に乗る。
「趙将軍!?姫を連れて行くつもりですか!!」
「すまぬが、許してくれ」
「そんなこと許せるわけ、が」
非難の声を上げる侍女を手で制したのはやはり年長の侍女で、黙って尚香の耳飾を差し出す。
「姫様がこれを劉備殿に渡して欲しいと、そして「私はあなたに出会えて幸せでした」と
伝言がございました」
「趙子龍、一言一句間違えずにお伝えしよう」
そう言うと彼は馬の腹を蹴り、蜀本陣へと向かった。
「良いのですか?姫様をお渡ししてしまって」
「良いのです、姫が趙将軍を選んだのですから」
自分達が探している時には出ていなかった月が、彼が来てから現れ・・・そして彼女を見つけたのだから。
「さぁ、私達は孫権様の下へ行きます」
彼女達もまた呉の本陣へと向かった。
呉と蜀の戦の前線さえ趙雲は単騎で突き抜け、劉備が待つ本陣へと急いだ。
途中馬超や、諸葛亮とも会ったが何も言わずにただただ劉備の下へと駆ける。
幕舎の手前で馬を降り彼女を抱きかかえて中へ入ると、体に包帯を巻いた姿の劉備と側仕えに
加えて一緒に医者もいた。
「おぉ趙雲無事であった・・・尚香殿!!」
立ち上がろうとした彼を医者が引き留め、代わりに趙雲が側に寄る。
膝を着いて尚香の体を劉備に抱かせ、静かに訳を話した。
単騎で呉軍の背後に回り本陣へ乗り込むつもりだったが、途中で尚香の侍女達に会った事、
そして・・・
「殿の負傷を聞いて・・・入水されたそうです」
「なぜ、その様な事を!?」
「奥方はけじめだからと・・・これを殿に渡して欲しいと頼まれました」
差し出したのは蜀に居る時もずっと付けていた耳飾の片割れ。
「伝言も承りました」
「・・・尚香殿は何と?」
「私はあなたに出会えて幸せでした」
あぁ、私憤でこの戦を起こした私に最後まであなたは幸せだったと言ってくれるのか。
涙が溢れ、頬を滑り尚香の顔に落ちる。
まるで尚香が涙しているようで、彼女の綺麗な顔が余計に悲しかった。
「そなたに出会えて私は幸せだった」
何も言わない冷えた体を抱きしめる。
もうあの頃の様に喋らない、笑わない、動かない。
「尚香、殿」
私はあなたを今でも愛している。
幕舎の中が涙に暮れていた時諸葛亮が入ってきた。
「殿、蜀軍を後退させ夷陵の地から撤退します。幸い呉軍も少しずつ後退していますし」
「呉軍が後退している?」
「えぇ、兵を少しずつ下げてはいますが、猛将甘寧、凌統、陸遜ら勇士は何かを探して前へ出てきています。
探しものは恐らく」
目で示したのは劉備の腕の中。
「さぁ、それでは殿にはすぐにでも撤退してもらいます」
「あぁわかった」
尚香を抱いたまま立ち上がろうとした劉備を諸葛亮が手で制す。
「尚香様は連れて行けません」
「なぜだ?尚香殿は私の妻なのだぞ!」
「それでも彼女は呉の公主です、ここに置いて行くか呉軍に引き渡さなくてはならないのです」
くっと劉備の表情が歪む。
「・・・また、引き離されてしまうのだな」
尚香の頬を撫でてすまないと謝る。
本当は連れて行きたい、だがそれは許されない事。
無情なものだと、泣き叫びたくなる。
「殿、某が奥方様を呉陣へ連れて参りましょう」
前へ出たのは趙雲だが劉備はあまり良い顔をしない。
「しかし、危険ではないのか?敵陣へ一人で行くのは」
「それは大丈夫でしょう。尚香様をお連れするのです、これで攻撃を受けるような事があったなら
義も何もありませんから」
諸葛亮の言葉で劉備も頷く。
「わかった。すまないな趙雲」
「いえ、それでは行って参りますゆえ」
馬の跨り疾風のごとき走る姿を見つめ、一筋の涙が大地へ落ちた。
「さらばだ・・・尚香殿」
宵闇に遠く紅き炎が立ち上り
激しい流れの河川へは年若い命が散った
愚かな私を許して欲しい
もうすぐきっと会いに行くから
<続>