愛し愛され3




幕舎で待機していたはずの尚香がいなくなって、初めに気づいたのは陸遜だった。
火矢作戦がもうすぐ成功する事を知らせに孫権の下へ行って、様子を見に訪れた幕舎は
侍女達の姿も無い。
慌てて飛び出して辺りを見回すが姿を確認する事は出来なかった。
もしや劉備の下へ?否、だとしたら誰か武将が気づくはず。
行動が読めない、とにかく探しに出なくてはと思った刹那、蜀陣地が燃え上がり
策が成功した事を知る。
これを機に攻め上がるつもりだったが、尚香の行方も掴まなくてはならない。
蜀の兵達は炎に追いやられて後退する筈、呉陣も攻めつつ少し兵を引かせると伝令に伝えた。
「とにかく私も前へ」
馬の手綱を引いて駆け出した。
途中前線へ向かう甘寧・凌統等に訳を話し、尚香捜索を頼む。


消息が掴めない彼女、急がなければ呉軍だけでなく蜀軍にも洩れてしまう。
軍師である自分が慌て騒ぐ訳にはいかない。
情報を集め、冷静に対処しなくては。
そんな矢先に伝令から尚香が趙将軍の馬に乗せられ蜀本陣へ突っ走っていたと伝えられる。
「趙将軍に、蜀本陣・・・嫌な予感がしますね」
蜀本陣へ攻め上がることも出来ようが、こちらの損害も酷くなるだろう。
まだ様子を見るべきかどうか決断が迫られる。
考えているとまた伝令が走ってきた。
何か動きがあったと感じ、向こうに何があったと尋ねる。
「蜀軍は撤退の準備に入る模様」
「そうですか、また何かあったら知らせて下さい」
伝令は頭を下げてまた走り去った。
撤退か・・・妥当だろうなと考える。
恐らく夷陵では勝敗は決せないだろう、そうなるとここで少しでも打撃を与えるべきか
こちらも力を温存するべきか・・・どちらにしても尚香様を見つけねば。
「り、陸遜様!!趙将軍がこちらへ向かっております」
「すぐに陣形を整え、弓矢部隊で囲みなさい!」
「姫様も一緒なのです!!」
「!?・・・攻撃はしないで下さい、私が行きます」
呉と蜀の対立前線はお互いが少しずつ兵を引いて、二人の武将を会わせる。
「趙子龍、孫呉の公主をお連れした」
確かに彼に抱きかかえられているのは孫尚香その人だ。
しかし、様子がおかしすぎる。
「姫は・・・まさか?」
「既にお亡くなりになっています。詳しい事は侍女の方々に聞かれると良い」
亡くなった?姫が亡くなった?いつ?どこで?
混乱する頭、停止しそうな思考、周りの兵達にも動揺が広がっている。
趙雲の方から陸遜に近づき尚香を渡された。
彼女の体を抱いて初めてわかった、本当に彼女は逝ってしまったのだと。
「・・・一つ尋ねて宜しいですか?」
静かに頷く趙雲に狂気にも似た瞳で睨む。
「あなたが、もしくは誰かに殺された訳ではないのですね?」
「・・・我が槍にかけて」
そうですかと答えると、趙雲はさっと馬に乗る。
「今でも殿を含め、我々は奥方様を慕っております。それだけは忘れないで下さい」
なぜだかありがとうございますと答えていた。
趙雲はその気持ちが良くわかる、彼女が慕われているのは無条件に嬉しい。
少しだけ彼女に向かって微笑んだ。
「では!」
去って行く姿を最後まで見ずに陸遜は踵を返して本陣へと向かう。


あなたが死んだ理由は何ですか?私はそれが知りたい。


「まだ尚香の行方はわからぬのか!」
呉の本陣では孫権が鬼のような表情で辺りを叱咤している。
蜀軍が撤退し始めているのを聞いてから伝令も陸遜も何も言って来ない。
こうなったら自ら前線へ出向こうした時、ようやく尚香の侍女達が戻ってきたと知らせが入った。
ほぼ同時に陸遜が本陣へと帰投、尚香も一緒という事で安堵のため息を漏らす。
しかしそれも束の間で、陸遜に抱かれた尚香の姿に孫権はおろか周りの武将等も呆然とした。
馬から飛び降り愛妹の下へと走る。
奪い取るように尚香の体を抱き寄せた。
「尚香!目を開けよ!!」
頬を叩いても、髪を撫でても、翡翠の瞳は開かれない。
手も足も指先すら動かない、なぜ?なぜだ?なぜ尚香は動かないのだ。
わからない、知りたくない、認めない。
その事ばかりが頭を巡る。
なのに涙は知らずに溢れ、止めどなく流れ落ちた。


「っ尚香ぉーーー!!!」



宵闇に愛しき者を呼ぶ声が

悲しい響きで天へ上った

炎と一緒に

涙と一緒に