平成27年度活動記録  
期日 研修内容 講師 出席
 2/20 <特筆>郷土史に造詣の深い海野 薫氏が、「豊浦郷土史探訪クラブ」に入会される
    ことになり、今回定例会に初参加された。
<講話要旨>:「光圀の馬政顛末とその後の県北山間部馬産史」についての講話
1.高萩地区山間部が馬の産地になったいきさつと経過
・水戸藩主第2代徳川光圀は、延宝6年(1678)に高萩地区の山間部の原野一帯へ種
 馬13頭を放ち藩の牧場とした。
・環境にも恵まれ馬は増え続け、5年後には放牧の馬は付近一帯の村々の田畑の作物
 を食い荒らし、村人の生活を脅かすに至った。
・その後も馬は増え続け、水戸藩は多大な人員と費用を掛け、築堤大普請を実施し、
 総土手手回り14.1kmを構築した。しかし10年も過ぎると野馬は400頭を超えた。
・長年の野馬の田畑荒らしと、村人の徴発で各村の農業生産は減少し、農民の生活は
 困窮した。
・積極的に捕獲作戦により、1755年頃には120頭まで減少した。
2.十王地区と県北山間地の馬産史概要
・江戸時代:水戸藩の保護奨励      ・明治初期:保護を離れ低迷状態
・明治中期以降:関東でも有数の馬産地帯 ・明治30年代:産馬業組合ができ活況
3.幕府の東北への隠密派遣と御用馬購入策
・江戸幕府は早くから良馬の確保を行う。……特に東北馬の購入に力を入れる。
・公儀御馬買衆:東北馬の購入のため盛岡藩,仙台藩,秋田藩に派遣
 付随する役目として、見聞した東北諸藩の情報を幕府に報告
・馬買衆への東北諸藩の対応:当初は受け入れ厚遇、但し元禄時代以降は藩や村人の
 負担が大きくなり派遣を廃止。
・派遣廃止後の馬の購入方法:仙台藩,盛岡藩の役人の見分選定馬(50~60頭)から
 幕府が乗り心地のよい馬を選定。

役員会
(1) 前月に引き続き、平成28年度現地一泊研修会について討議し日程を固めた。
 日 程:平成28年4月14(木)~15日(金)
 コース;
  ①上田城跡公園(真田丸大河ドラマ館、上田城千本桜まつりを含む)、
  ②松代城跡(真田邸等)、③高遠城跡公園(高遠城址公園さくら祭り含む)等
 宿泊:上諏訪温泉「RAKO華乃井ホテル」
 費 用:参加者26人として会費は26k¥/人 程度
(2) 平成28年度行事計画について

 
 現地研修、講話担当、日程等につきおおよその予定を立てた。

抜粋資料、写真はこちら
 辻 25 
H28
1/17
 
 講話/討議
<討議内容>:
「豊浦の方言」:昨年6月に続き、第3回目の見直し。大平氏の司会で講話形式ではなく出席者全員で検討見直しを行った
 集められた全459件の方言の内、今回はNo.237「ゴジャッペ」からNo.350「ネーンチ」までの114件について見直しが行われた。

役員会
(1)
平成28年度現地一泊研修について
  橋本会長、川合幹事が用意された資料に基づき、コース,費用等について検討
(2) 日 程:平成28年4月14(木)~15日(金)……決定
  コース(候補は下記の通り);
  ①上田城跡公園、②松代城跡、③高遠城跡公園等
 宿泊:上諏訪温泉「RAKO華乃井ホテル」
 費 用:参加者20人~26人につき試算。26人として会費は26k¥~27k¥/人

抜粋資料はこちら
 大平
小林
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12/12  [Ⅰ]現地研修
  本年度第3回目の現地研修。今回は十王地区の櫛形城、山尾城、友部城の城跡をマイカー7台に分乗して探訪した。  
  ゆうゆう十王ホール駐車場を13時15分出発~終了15時30分

<探訪先>
1.櫛形城(権現山)城跡

  徳治元年(1306)、宍戸家周(いえかね)の子家時が十王町法鷲院北西の丘に城を築いた櫛形城は友部城と共に山尾城の防御壁として機能する城郭である。
2.山尾城跡
  応安4年(1371)、小野崎通胤(みちたね)の子通春が、友部城の北西600mの丘陵に新しく城を築いた。十王町友部の十王中学校敷地が山尾城跡である。
  山尾城はⅠ曲輪~Ⅴ曲輪からなる城郭であった。
 3.
友部城跡

  
南朝正平3年(1348)、小野崎通胤は、所領の中でも北部に近い十王町友部(現在の城址公園)に、新しく城を築いた。頂上のすぐ東に本郭があり、大手門は艫(とも)神社の方向に向いていた。

[Ⅱ]忘年会
  現地研修の後、恒例の忘年会が午後5時より 「千歳寿司」にて行われた。
 
現地研修,忘年会の情景はこちら 
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11/21    講話1:小林先生
<講話要旨>:十王町の三城探訪……資料に基づき下記3城について解説を頂いた。
       12月定例会で実施する現地研修の事前学習としての講話である。
1.友部村絵図による天保6年(1836)の友部村と三城
⑴ 櫛形村、黒前村(黒坂村・高原村・山部村等) ⇒ 十王村 ⇒ 十王町(昭和30年)
⑵ 絵図に記されていること……法鷲院、権現山=櫛形城、東泉寺、山尾城等11か所
2.友部の城郭考:櫛形村史より
⑴ 権現山=櫛形城:天険を利用した完全な山城、その登山口へ鹿島神社と法鷲院を配している。徳治元年(1306)、常陸守護の宍戸家時が、十王町法鷲院北西の丘に櫛形城を築いた。
⑵ 友部城:十王駅から南方の構内はづれの西側の段々畠になっている山頂が友部城である。貞和4年(1348)、小野崎通胤(みちたね)が築城した。
⑶ 山尾城:最も要害は東と北で深い断崖が友部川揚石川とを巡らして完璧である。尚南方には同じ高さの山が続いており防御が薄い。これを補うために塁壁があった。

講話2:橘先生
<講話要旨>:小林先生の講話を補完する形で、各城跡の状況を写真で紹介頂いた。

役員会
⑴ 平成28年度現地1泊研修について
 橋本会長が用意された資料に基づき、コース,日程等について検討
 日 程:平成28年4月7(木)~8日(金)……決定
 コース(候補は下記の通り);
  ①上田城跡公園、②松代城跡、③高遠城跡公園等

抜粋資料はこちら
 小林

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10/17   現地研修
 本年度第2回目の現地研修。坂東市、常総市を探訪し、「将門史跡巡り」を実施した。
日程と研修先
 豊浦交流センタ(7:00出発)⇒ ①一言主神社 ②延命院 ③西念寺 ④国王神社 ⑤石井の井戸
    ⇒⑥一言神社 ⑦延命寺 ⑧将門公苑 ⑨西福寺 豊浦交流センタ(18:00着)

 詳細は現地研修記録(写真)へ 
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9/12  講話1:坂本先生
<講話要旨>:平将門について
⑴ 平将門関係系図:将門は皇族葛原親王から数えて5代目にあたる。良将の第2子。
⑵ 将門の乱の推移:935年、伯父国香、源護から宣戦され、真壁の本拠地を焼き討ち。
筑波の国香の館を焼き国香は焼死、二人の息子も殺害。
940年、藤原秀郷、平貞盛らが将門を下総(岩井)に討つ。興世王を上総に討つ。将門の遺族、遺臣等、東北方面へ逃避。
⑶ 将門への評価:江戸時代までは正義を貫き国家権力へ果敢に挑んだ英雄として尊崇され神社に祀られたが、明治維新後は朝廷に刃向かった大悪人と非難された。戦後は正義の味方、弱者幇助の偉人、神に祀られた偉人として尊崇される。
⑷ 将門の生い立ちとその後:生年は903年説が有力。939年12月15日、常陸国衙を落とし、下野国衙から籍八州を領有し、新皇を自称する。940年2月14日、藤原秀郷、平貞盛に討たれる。
⑸ 承平天慶の乱(将門の乱)の原因…将門記から:坂東平氏の内輪もめ説、前常陸大掾の源護との抗争、弱者や農民から慕われ男気が昂じた、中央政権への反抗,等と言われる。

講話2:橋本先生
<講話要旨>:将門史跡巡り
10月17日の現地研修に先立ち、資料と写真により ”紙上「将門史跡巡り」”が行われた。
資料化された17史跡のうち、主な研修先は次の通り。
⑴ 一言主神社:大同4年(809)大和の葛城山から一言主大神を迎えて祀った。
⑵ 延命院の将門山:(神田山;かどやま)平将門の胴塚があり、傍らに3碑が建つ。
⑶ 国王神社:天慶3年(940)2月、将門が戦死した北山の地とされ、公の3女如蔵尼が33回忌に父の姿を刻んだ木像を、祠を経てて祀ったのがはじまりという。
⑷石井(いわい)の井戸:将門に、老翁が水を出してくれたという伝説の井戸。
⑸ 将門公苑と向石毛城跡「法輪寺」:将門はここで誕生し、育ったとの説あり。将門の銅像と記念碑(昭和61年)が建つ。
⑹ 西福寺:「平将門公菩提供養の碑、別名「炎石」この石に縄を架けると病が癒るとか。平将門一族の墳墓か?

役員会
⑴ 10月3日「歩く会」:集合時間、説明資料、説明時間等について
⑵ 10月17日「現地研修」:参加人員(現在21名)、会から若干の補助について
⑶ 文化祭の件:例年通り、A-1サイズのビラ(郷土史探訪クラブ活動状況)をコーナーに 張り出す。(K作成)

抜粋資料は
こちら
 坂本

橋本
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8/22   納涼会
・恒例の納涼会が「千歳寿司」で開催された。出席者23名で賑やかな宴会でした。
  今年は例年になく猛暑続き、それでも朝晩は秋の気配が。
  川合幹事,橋本会長のご挨拶に続き”女性が主役” 鈴木副会長の乾杯の音頭で宴会は始まった。
・あちらこちらに談笑の輪、みなさん話好き、時の経つのも忘れて楽しいひと時を過ごした。
・金谷副会長音の締めで19時過ぎにお開き。                                                                  会費 男性4,000円,女性3,500円
 納涼会の情景はこちら 
 
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 6/20  講話討議
<討議内容>:「豊浦の方言」:昨年6月に続き、第2回目の見直し。大平氏の司会で講話形式ではなく出席者全員で検討見直しを行った

 集められた全459件の方言の内、今回はNo.121「オコッジル」からNo.236「コジハン」までの116件について見直しが行われた。

抜粋資料はこちら
 小林・
大平
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5/16   講話
<講話要旨>:大和朝廷の成立を探る
 パワーポイントにより、写真や地図を用いて分かりやすく解説して頂いた。
1.邪馬台国 ……30国ほどの小連合国  九州説 vs 近畿説
 ① 九州 or 大和……『三国誌』「魏志倭人伝」 239年魏の皇帝⇒卑弥呼に銅鏡
   100枚・金印(親魏倭王)
 ② 卑弥呼の墓(径百余歩の墓)
2.神武東征説話
 神(かみ)日本磐余彦(やまといわれの)命(みこと)(神武天皇)・・・日本の中央に
 進出して天下統一の志 
3.大和王権の成立・・・4世紀の半ばまでには 
4.大和王朝 
 ① 崇神王朝(三輪王朝)・・・三輪山麓に本拠地・・・初期大和政権
 ② 応神王朝(河内王朝)
 ③ 継体王朝(近江王朝)
 ……王朝交代説は定説になっていない
5.騎馬民族征服王朝説・・・江上波夫・・・現在は否定的である
 騎馬民族が日本列島の農耕民を征服して、大和朝廷を建てた


抜粋資料はこちら
 橘  17
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現地一泊研修「山形・新庄方面探訪   参加費 24,000円
<日程と研修先>
<1日目>
  豊浦交流センタ(6:30出発)⇒ 手打ちそば庄司 昼食 ⇒ 瑞雲院 ⇒ 新庄市歴史民俗資料館
   ⇒ 最上公園 ⇒ (天童温泉)栄屋ホテル(16:40着)
<2日目>
  栄屋ホテル(8:30出発)⇒ 山寺立石寺 ⇒ 最上義光歴史館 ⇒ 丸八やたら漬(昼食)山型
  城跡 ⇒ オリエンタルカーペット ⇒ 豊浦交流センタ(18:30着)

詳細は現地研修記録(写真)へ 

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3/14 1.総会議事
 
1)平成26年度活動報告(金谷)と会計決算報告(辻)…当日配付資料(略)
   平成26年度活動報告については郷土史探訪クラブのホームページにより説明
 2)平成27年度行事計画
ホームページの「平成27年度行事計画」の通り
 3)会員異動と役員改選 … ホームページの平成27年度役員/会員の通り
   新会長:橋本 昭氏、新顧問:小林敏二氏、新副会長:鈴木くに子氏、
   新幹事:安倍克人氏、新入会員:梅森信子氏、鉄 芳之氏
  注)昨年に続き、4月に現地研修を実施する都合上,平成27年度の総会を3月に実施した。
2.講話
<講話要旨>
八幡太郎伝説について (その二)…茨城県内における義家伝説
 (1) 80例ほど有り。特徴は、祈願,行軍,動植物,超能力・巨人,長者など。
  例1:美野里:義家通過のおり、兵の数五万機騎、その地を五万堀という ;行軍
  例2:豊浦 :馬の足跡、矢筈石、新旗… ;巨人他
  例3:黒坂 :竪割石 ;巨人
(2)複数の人物とは、どんな人たちか
  1)新修日立史より
    征夷の事業は兵士の徴発だけでなく、多くの軍粮の調達と輸送を必要とした。
   宝亀11年7月(780年)、下総国の糒6000斛、常陸国の糒斛一万斛を常陸国の
   軍所へ運んでいる。(抜粋資料参照)
  2)佐竹物語 
高橋茂
    坂上田村麻呂……出陣までに4年の準備期間を設け、万全の体制を調えて延暦
   27年精鋭4万の兵を率いて蝦夷征討に出発した。常陸太田地方に到達するとこの
   地で兵馬の徴収、食糧や雑役人夫を徴用し、更にこれらの訓練を行い、常陸五山
   の神体に戦勝を祈願して士気の高揚を図るなど万全を期して奥州に向かった。
    それから約280年後、源頼義,義家,義綱などが陸奥に向かった。この時も
   大田郷は兵站基地としての役割を担った。
  3)常陸の豪族

   
 当日配付「常陸平氏略系図」参照

 
抜粋資料はこちら
小林 23