平成25年度活動記録  
期日 研修内容 講師  出席
 2/22 1. 講話
1.1 金谷講師 <講話要旨>郷土史探訪クラブ 現地研修10年ふりかえり

 抜粋資料のとおり、平成16年度~平成25年度に実施された現地研修のうち、地元
 を除く 24か所(写真120枚)の史跡・文化遺産について、スライドで振り返った。


1.2 辻講師 <講話要旨>「塵袋」第八・伊福部岳とその背景(逸文:お雉様の伝説)
①東京国立博物館本「塵袋」第八・伊福部岳の「お雉様」に関する部分の紹介、”逸文”
 として残る「お雉様の伝説」の内容、時代の背景等について解説があった。。
②川尻で広く知られている「禁忌」(例:「きじ」を取るな、飼うな、食べるな)に
 ついて紹介があった。
 
2.
役員会

平成26年度の現地研修、日程と場所について、先月に続き小林会長から詳細説明
 あり。
参加者数確保の為、賛助会員協力も考慮し花の綺麗な時期を選定。
 ・日程:43(木)~ 4(金)
 ・行先:伊豆探訪(三島大社、韮山城、江川邸、蛭が小島、石垣山城、小田原城、
  等々)
   
                                                 以上 
 抜粋資料,研修会の情景はこちら
 金谷

 辻
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1/18  1.講話 <講話要旨>大近平(おおちかだいら)遺跡発掘調査について
 郷土史探訪クラブの会でも10月に見学した折笠地区にある大近平遺跡発掘調査について
 資料と写真で説明。

氷河期の後15,000年前、約1万年縄文時代が続いた。縄目の文様がついた縄文土器や
 石器が多数出土され又、フラスコ式土坑貯蔵庫や
住居址、更にお墓の穴が発見された。
 いずれも3つの穴がセットで
配置してるのが特徴。
この調査は2回目で1回目(平成2年)は創世記から晩期までで今回平成25年は中期
 以降の調査が主であり石器を作る場所もあった。

土器は深底平鉢から丸型になり外部に煤模様ある事から煮焚きに使ったと思われる。
 又、お酒や薬草を飲んだかも知れない急須型土器や狩猟
に使ったと思われる石剣石棒
 なども多数発掘されている。

年代を決める根拠は火山の噴火で火山灰など積った地層を基に判断される。 

2.
役員会

平成26年度の現地研修、日程と場所について小林会長から資料で説明あり。
  参加者数確保の為、賛助会員協力も考慮し花の綺麗な時期を選定。
 ・日程:43(木)~4(金)
 ・場所:伊豆方面   に決定
椎名観光バス仮予約する。(川合)担当
宿についてはルートを決めて(小林会長)から手配する。
費用は消費税8%になるが25人参加目標で@25,000円前後を目指す。
⑤215日の例会で募集する。                                  以上                                                (文と写真)川合康雄
抜粋資料,研修会の情景はこちら
 橘 17名 
 12/14  1.講話
<講話要旨>「戸沢氏 松岡時代を忍ぶ」
     --高萩市、北茨城市、小美玉市、山形県新庄市ほか-- と題して講話を頂いた。
 ①徳川政権に認められ松岡地方へ
   戸沢氏が当時の政権の動きの中で松岡地方を領有するに至った経緯について
   徳川家康は関ヶ原の戦い以後、敬重7年(1602)戸沢政盛(まさもり:1585~
   1648)を出羽角館から4万石で配した。
 ②中世の山城に平城部分を加え支配拠点に
   『高萩市史』によれば、戸沢政盛が常陸国へ移封されて最初に居城としたのは小川城
   (小美玉市小川小学校が建つ一帯)であった。その後高萩市下手綱の竜子山城を修築
   してそこに移った。
 ③山伏の情報網 駆使か
  上杉景勝の動静を徳川家康に伝えるなど、山伏を通しての情報ネットワークを駆使
  していた可能性があるとか。
 ④時空を超えて生きる
  新庄に六万石で配された戸沢政盛は、こののち明治維新まで続く戸沢家新庄藩の初代
  藩主となる。松岡時代20年間の経験が大きな意義を持っていたと考えられる由。
 ➄「高萩四英傑」(戸沢政盛、中山信吉、長久保赤水、松村任三) および
   「戸沢サミットin高萩」(雫石市、仙北市、小美玉市、新庄市、高萩市)について

2.忘年会
  定例会の後、恒例となった忘年会が午後5時より 「千歳寿司」にて行われた。

抜粋資料,忘年会の情景はこちら
 橋本 18 
11/16  現地研修「川尻、折笠、小木津地区探訪」
 本年度第4回目の現地研修。川尻、折笠、小木津地区を探訪した。
探訪先
 
①養 高 園  ②大津家墓地 ③大東屋敷跡 ④日 冬 堂 ⑤荻津城(小木津城)跡 ⑥稗 蔵 跡  
 ⑦瑞 相 殿


 詳細は現地研修記録(写真)へ
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10/18   現地研修「栃木県那須野が原」探訪             参加費 4,000円
 本年度第3回目の現地研修。那須野が原に点在する博物館,展示館,遺跡を探訪した。
探訪先
 那須野が原博物館:「近代シルク物語」と題して、養蚕・製糸にスポットを当てた特別展開催中
那須与一伝承館:「武士の装い」と題して、「甲冑コレクションの世界」特別企画展開催中
③笠石神社
:日本三古碑の一つ「国宝 那須国造碑」 日本考古学発祥の地といわれる。
④なす風土記の丘資料館、侍塚古墳:「蘇る那須古代文化の軌跡」を常設している。
⑤那須与一の墓
(本家本元?の)大田原市の玄性寺にある墓。与一の墓は全国に数か所あり。
馬頭広重美術館
歌川広重の肉筆画や浮世絵版画など、約70点を常設展示。(特別展開催中)

 詳細は現地研修記録(写真)へ 
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9/14  1.講話
<講話要旨>
 
津神社・蠶養神社の社名の移り変わり(棟札及びその他の資料)
 1264年(文永元)から1901年(明治34)に至る津神社・蠶養神社の社名変遷について、
 棟札等の資料に基づき解説。
<資料より数点棟札をピックアップ>
・1264年(文永元):奉再興 沖津大明神/常州多珂郡豊浦湊国井浜
・1692年(元禄5):奉清祓 沖津之大明神,蚕峯大明神/常陸国多賀郡川尻村
・1801年(享和元):鎮守 於岐津説太神、東國津縣本社/常州多珂郡x豊浦湊河尻村
・1821年(文政4):奉造榮 於岐都説神社 蠶養嶺神社/常陸国多珂郡豊浦湊川尻村
・1901年(明治34): 蠶養神社と改称
*国井先生より、数回に亘りシリーズで講話して頂いた津神社・蠶養神社に関する講話は
 今回を以てひとまず終了となりました。

2.役員会
(1) 栃木県那須野が原現地研修会(10/18)の行程,訪問施設について確認
(2) 日立市北部・豊浦地区の方言・訛の収集…調査資料の回収、取り纏めについて

 抜粋資料はこちら
 
国井  13 
 8/17 納涼会
・毎年恒例の納涼会を「千歳寿司」で行った。
・大石さんご発声で乾杯、今年は猛暑でビールの味も最高。皆さん 時の経つのも忘れて歓談し楽
 しいひと時を過ごした。
・最後に村上さんから山梨歴史旅に詠んだ俳句が披露された。みんなから絶賛受け橋本副会長音頭
 の締めで1920にお開き。
 (文と写真:川合康雄)                       
                                          
会費 男性4,000円,女性3,500円
 
納涼会の情景はこちら 
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7/20 1.講話
<講話要旨>
 
1.1「近世」日立地方における農村の有様と変遷(S34.2.20日発行「日立市史」より
 ----農民の動き:水戸藩としては前後にない最大の百姓一揆について解説
 宝永年間、水戸藩が松並勘十郎を登用して実施した藩政改革においては、年貢の増徴、
農繁期をも無視した過重な夫役など百姓の難儀も増すばかりで、堪忍も度を越え、江戸
在住の藩主に直訴する事態となった。
 日立地方の村に起こった事件として、砂沢村の庄屋追放運動がある。寛政二年(1790)
山あいの寒村砂沢村の百姓二十人は庄屋与一衛門の不正をあげ、連印の上藩に訴え出た。
その時の口上書の控えが残っている。講話ではその全文について解読された。(略)
 
1.2養蚕神社の概要
 十数年前、栃木県西那須野町の三区町蚕影講グループより、当地養蚕神社の見学・研修
に来川尻したい旨、矢吹氏に電話要請があった。そこで予備知識を持って貰うための資料
を作成し事前送付した由。本講話はその時の資料に基ずく養蚕神社に関わる解説である。
(1)養蚕神社の縁起
(2)神社にまつわる伝説=金色媛(こんじきひめ)物語
(3)光圀の社寺改革
(4)斉昭の社寺改革
(5)明治・大正時代の隆盛と第二次大戦後の衰退
(6)境内の歌碑 :作者 本居豊穎(もとおりとよかい)
 「里人がかふこの糸の一すじに いのら婆神もう氣ひかしやは」

2.役員会
(1)日立市北部・豊浦地区の方言・訛の収集…取纏め方法について打合せ
  豊浦地区 ”ブランク”:日立市南部・森山、水木(語りつぐ日立の昔):”記載済み”の
  用紙を配布。豊浦地区に方言・訛を記入してもらい、9月例会(9/14)に回収する。
(2)ふるさと再発見ウォークの計画案(2013.10.5)につき確認

 
 抜粋資料はこちら
矢吹 22 
6/15   現地研修「小木津地区探訪」
 本年度第2回目の現地研修。川尻・豊浦地区に南接する小木津地区6か所を探訪した。
探訪先
  横内の岩城相馬街道 ②  安寿院跡   ③ 奥津説神社        
   小木津宿場街道跡  ⑤   本陣跡と黄門手植えの松     庄屋宅跡(宇佐美家


 詳細は現地研修記録(写真)へ
18 
5/25  1.講話
<講話要旨>
 
 
蚕養神社の棟札を考える…蚕養神社の棟札等から神社の沿革を考察する(橋本先生作成の
 資料引用)

①奉再興沖津大明神(1264年)、②奉再興津之大明神海上安全郷中五穀成就之処(1679年)
③奉清祓蚕峯大明神 廣前(1692年) ~ ⑭養蚕神社/津神社 正遷宮(1879年)……14枚の
棟札について解説。
例えば,①常州多珂郡豊浦湊国井浜 奉再興沖津大明神について
……(講話テキスト1参照)
文永元年(1264年)11月10日に沖津大明神の社を再興した。施主は蚕大明神で、その時の
別当は内膳、大工は茂兵衛である。鎌倉時代に書かれたものとすれば、茨城県では最古
のものになると思われる。棟札の状態や書体に疑問あり。

 抜粋資料はこちら
  18 
4/10
 ~11
現地一泊研修「山梨甲斐武田氏を訪ねる現地研修   参加費 22,000円
<主な研修先>
  ・山梨県立美術館 ・信玄公銅像 ・舞鶴城公園 ・武田神社 ・甲斐善光寺
  ・笛吹川フルーツ公園(桃源郷) ・恵林寺 ・景徳院
 
 
詳細は現地研修記録(写真)へ
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3/16 1.総会議事
 
① 平成24年度行事及び会計決算報告 
 ② 平成25年度行事計画
⇒「平成25年度行事計画」更新
 ③ 会員異動と役員改選
⇒「平成25年度役員/会員」更新

注)4月に現地研修を実施する都合上,平成25年度の総会を3月に実施した。

2.
講話
<講話要旨>
 
武田信玄の祖は常陸国武田郷(勝田)より
(1) 武田郷とは
(2) 武田氏の祖は源頼義:頼義-義家……義清-清光……信虎-晴信-勝頼 に至る
  系図について
(3) 義清はどういう人物か:通説に疑問
  義清は市川荘や青島荘の下司として甲斐国に派遣されたのではなく、市川荘に配流
  された。
(4) 常陸平氏との結びつき
(5) 源氏の内紛
(6) 東国の荘の争い
(7) 佐竹郷、武田郷へ
(8) 清光の濫行,等々について

3. 役員会
  4/10-11 実施予定の現地研修について
 「甲斐武田氏を訪ねる一泊研修会のご案内」……行程、研修先について
 

 
抜粋資料はこちら
小林 20