岩手県立盛岡第一高等学校1960年卒在京同期会
在京白堊三五会・エッセイ『海の音、海の色』(波多野忠夫)

海に関係したエッセイのシリーズです。
読後感を是非「掲示板」へお寄せください。


 広尾の画廊発行の内輪の会報に2年にわたって連載されたエッセイを、見直し、書き直して本サイトに提供して
戴きました。凡そ半分の第12話をもって完結とし、次は短編小説で登場願い、半年ほどしたらまた新たなシリー
ズで再開を期待しております。読後感などを「掲示板」にお寄せいただけば、著者の励みにもなりますし、編集の
参考にもなります。宜しくお願いします。空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空

                                   ―管理人―


第1話:『海の俳句』空空空空  第7話:『一通の手紙』空空空
第2話:『水没した島』空空空  第8話:『八戸穴』空空空空空
第3話:『氷の涯』空空空空空  第9話:『大鳥の群れ』空空空
第4話:『海峡』空空空空空空  第10話:『鯵ヶ沢』空空空空空
第5話:『海蛍』空空空空空空  第11話:『マゼランの帆船』
第6話:『鮫』空空空空空空   第12話:『羽二重の布団』[完]





第1話 海の俳句



 《木枯の果てはありけり海の音》


 真冬だというのに、コートを脱いでもじっとりと汗ばむような昼下がり、混
み合った満員電車の中吊り広告にこの一句をみつけた。木枯の音を耳にしなが
らまんじりともせずに過ごした長い夜が、遠い昔にあったことをぼんやりと思
い出しながら目を閉じると、回転する電車の車輪やモーターの音、人の話し声
や携帯電話のベルなど、猥雑な音が耳に飛びこんできた。この騒音を木枯に聞
きなし、その果てに海を求めようと努力をしたが、所詮、無駄だった。空空空
 冷たく吹き荒ぶ木枯の果てに、作者が聞いたのは海の音の幻聴だったのか、
はたまた浜に打ち寄せる本当の波の音だったのか・・・。句を作ったのは、今
から二百七十年ほど前の江戸享保年間の俳人、言水(ごんすい)である。奈良
に生まれ若い頃は江戸で過ごしたが、後年京に移り住み、京に没した。生前数
多くの発句をものにしたが、特に冒頭の一句が世にあまねく知られ、「木枯の
言水」の異名をとったという。空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空
 句の前書きに「湖上眺望」とあるところから、言水は琵琶湖のほとりでこの
句の想を得たと思われるが、一般には「海」の意で鑑賞されている。目を閉じ
た私には、粉雪の舞う漆黒の闇夜の浜に、激しく打ち寄せる日本海の荒海が見
える。空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空

 木枯に始まる句は他にもいくつかあるが、芥川龍之介のつぎの一句もまた私
は好きだ。空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空

 《木がらしや目刺にのこる海のいろ》

 こちらは聴覚よりも視覚に強く訴える句である。芥川の句の特色の一つは季
語に対する関心と的確な把握にあるといわれるが、取れたての銀青色に光るイ
ワシの肌に、清冽な冬の海が凝縮されている・・・そんな思いをさせる秀句だ。
                                  了
 


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第2話 水没した島

 長崎県の五島列島に、ビンロウ樹の茂る絶海の孤島、美良島がある。この島
の沖合に、大潮の干潮時に深さ三メートルになる高麗瀬と呼ばれる浅瀬がある。
戦後この島を訪れた民族学者の柳田国男は、地元の人から次のような不思議な
話を聞いた。空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空

《その昔、高麗瀬は高麗島という島で、霊験あらたかなお地蔵さんがあった。
ある夜、信心深い村人の夢枕にこのお地蔵さんが立って「我が顔が赤くなった
ら大難の前兆なり。すぐに逃げて命をまっとうせよ」と告げた。この話を聞い
たいたずら好きの男が、ふざけて赤い絵の具で地蔵の顔を真っ赤に塗った。お
告げを受けた村人は、大難を恐れて島を捨てて逃げた。その直後、一朝にして
島は海中に没し、残った者はことごとく命を失った。かってこの瀬が人の住む
島だったことを証明するように、海底では割れた土器が波にゆすぶられてガラ
ガラと鳴る》というのである。空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空
 九州には、この高麗島以外にも、一朝にして水没した島の伝説が二つ知られ
ている。空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空

 実はこの水没した離れ島の伝説は、ノアの方舟伝説とほぼ同じ頃、後氷期の
地球温暖化によって氷河や氷が溶け、世界中の海面が上昇した太古の歴史を、
人々が延々と語り継いできたのだ、という説がある。日本では、六千年程前の
縄文前期に、現在より二十メートルも下だった海面が温暖化で上昇し、逆に五
メートルも今より高い所まで水位が上がったことが証明されている。これを考
古学的に「縄文海進」という。空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空

 子供の頃から親しんできた『浦島太郎』の伝説は、助けた亀に連れられて海
底の龍宮城を訪ねる話になっているが、原型である『風土記逸文丹後国』の話
では、訪れた所は海底ではなく海上の島のきらびやかな城と記されている。こ
のことから、大昔の日本列島には、一朝にして海没した高度な文化を持った知
られざる島があったのではないか、と考えるのは、あまりにも荒唐無稽な夢で
あろうか? 空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空
                           了

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第3話 氷の涯


 冬の北洋の海難事故は非常に危険だ。救助は一刻を争う。凍りつくような海
は、溺れた人の体温を瞬時に奪ってしまうからだ。それを知りつくした上で、
生涯の締めくくりを冬の海に求める人もいる。夢野久作の小説『氷の涯』の結
末は、主人公の死出の旅を幻想的な美で暗示している。空空空空空空空空空空

 大正九年、シベリア出兵に伴って大陸に渡ったハルピン日本軍司令部付きの
兵士上村は、ロシアの赤軍と白軍、日本軍という三つ巴のスパイ戦に巻きこま
れ、三者からともに追われる身となった。上村はジプシー出身のロシア娘、十
九歳の恋人ニーナとともに逃亡し、大陸を放浪の挙げ句、やっとの思いで港町
ウラジオストクにたどりつく。だが、そこにも追手の迫ったことを知った二人
は、ニーナがハルピンの古老に聞いた話を思い出して、凍りついた冬の日本海
へ最後の旅をすることを決心する。空空空空空空空空空空空空空空空空空空空
 古老の話によると、死を決意した者は若馬に引かれた馬橇に乗って、凍りつ
いたウラジオストクの港に乗り入れ、酔いつぶれるまで酒を飲みながら、ひた
すら氷の海を東へ東へと走り続ける。一面雪におおわれた氷の海は月の光を反
射して真珠色に輝くようになり、それは次第にキラキラした虹色に変化する。
さらに沖へ進むと、表面の雪が吹き払われて氷は次第に青黒くなり……それか
ら先がどうなっているか誰にも判らないという。なぜ若馬を選ぶかというと、
年老いた馬は勘がいいので、橇の上の人間が酔いつぶれると、危険を察知して
すぐに引き返してしまうからだ。そうやって舞い戻るはめになり、気がついた
らウラジオストクで朝を迎えていたという人が何人もいるのだという。空空空
 馬を元気づけるための朝鮮人参と、自分たちの飲む上等のウイスキー4、5
本用意して、これから馬橇を出すのだ……と上村が遺書を書き終えたところで
物語も終わっている。空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空

 水深200mを越す青黒い北の海の上をおおう透明な氷、月夜の晩にその氷
の上を疾駆する馬橇、深いしじまの中に鳴り響く馬の荒い息づかいと鈴の音、
この幻想的な道行は、人を魅了する魔力に富んでいる……時代はそれからおよ
そ90年後の現在、交通手段としての馬橇も消滅したに違いないウラジオスト
クに、今でもこの伝説は残っているのだろうか?空空空空空空空空空空空空空
                                 了

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第4話 海峡


 未成年であることを隠して初めて酒場で酒を飲み、タバコを吸ったのは十八
歳になったばかりの三月だった。同級生と北海道の大学を受験したあと、函館
から連絡船に乗って帰ることになったのだが、深夜の出航の時間まではだいぶ
時間があった。空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空
 私と同級生のSは学生服を脱いでセーターにコートを羽織り、洗面所であわ
ただしくチックで髪を固めて、にわかリーゼントをきめてからいさんで夜の繁
華街に出た。バーやクラブ、キャバレーなどのネオンまたたく飲食店街をさま
よいながら、俺たちは大学生なんだからと互いに口裏をあわせたのだが、結局
は店に入る勇気がなくて、いつの間にか連絡船の発着所に近い港に舞い戻って
いた。空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空
 意を決して私たちが入ったのは、岸壁近くに十軒ほどならんだわびしい屋台
同然の居酒屋の一つで、客は誰もおらず、若い女一人が店番をしていた。酒を
注文すると、ピンクのモヘアの徳利セーターを着て派手な化粧をした二十五、
六の女が、マスの上のコップに盛っ切りの酒をなみなみとついで出してくれた。
私は途中で買ったばかりのタバコを出して火をつけてから、入口のガラス戸越
しに、港とその先にある暗い津軽海峡を見た。空空空空空空空空空空空空空空
 寺山修司が《マッチ擦るつかのま海に霧ふかし、身捨つるほどの祖国はあり
や》と詠んだのがこの海峡なのだと思いながら。空空空空空空空空空空空空空
「お兄さんたちは連絡船さ乗るの?」と女が尋ねた。春休みに帰省する札幌の
大学生を気取りながらハイと応えてはみたものの、すぐに「高校生でしょ」と
見破られ、私は飲みかけの酒にむせてしまった。空空空空空空空空空空空空空
「すぐ判ったよ。受験で北海道さきたの? じゃ今日は特別に許してあげるか
らさ、気にせずにお酒もタバコも飲みな」と女はいった。空空空空空空空空空
 一時間ほどたって、地元の客と思われる中年の男が入ってきたのを潮に、私
たちはその店を出た。ガラス戸の外まで見送って出てきた女は、別れ際に顔を
近づけ「実はアタシも十八歳なんだ」とこっそりいって笑った。空空空空空空
                                了

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第5話 海蛍


 東京湾をはさむ千葉県木更津市と神奈川県川崎市との間に、15・1キロの
横断道路『東京湾アクアライン』がある。2007年12月に開通10年を迎
えた。木更津側から4・4キロの長大橋を渡った人工島の部分で、道路は海底
トンネルへと入るが、パーキングエリアとなっているこの人工島は『海ほたる』
と名づけられている。ここは東京湾の千葉県側、特に館山の館山桟橋付近が、
日本でも数少ない海蛍の生息地であることにちなんで名づけられた。空空空空
 夜になると、海の中で中南米のモルフォ蝶を思わせる神秘的なメタリックブ
ルーの燐光を放つ海蛍は、しばしば夜光虫と間違われるが、夜光虫が単細胞の
プランクトンであるのに対し、体長3ミリほどの海蛍はエビやカニと同じ甲殻
類の一種で、まったく別の生き物である。空空空空空空空空空空空空空空空空

 陸上の蛍と同じ原理で発光するこの海蛍を採集するため、太平洋戦争中に木
更津周辺の小学生がおおぜい動員されたことはほとんど知られていない。当時
軍部の要請で子供たちが集めた海蛍には、コンニャクを利用した風船爆弾や松
の根から作った燃料『松根油』に通じる、追い詰められた当時の日本を象徴す
る何やら物悲しいエピソードがある。空空空空空空空空空空空空空空空空空空
 資源が枯渇していた戦時中、軍部はこの海蛍を乾燥させ、電池を使わない照
明に利用しようとした。事実、海蛍はいったん乾燥させても水をかければふた
たび発光する性質があった。大量に捕獲された海蛍は乾燥粉末に加工され、常
滑焼の壺に詰められて南方に送られた。しかし、今のように防湿技術が確立さ
れていなかったため、せっかくの海蛍の粉末も、前線につく頃には湿気を含ん
でいてまったく使いものにならなかったという。空空空空空空空空空空空空空

 暗い夜の海を舞う海蛍の光は、今から60年以上も前に、はるか南方の異郷
のジャングルの闇夜をさまよいながら倒れ、ついに生還できなかった無数の兵
士たちの道しるべとなったかも知れない光なのである。そんな過去の事実を秘
めたまま、海蛍は求愛のため、また天敵の目をくらますために、今でも神秘的
な光を放っている。空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空
                               了

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第6話 鮫


 海の恐怖の代名詞の一つに鮫がある。スピルバーグの『ジョーズ』は、この
鮫の恐怖をあますところなく描いたサスペンス映画だったが、実際に人食い鮫
を見たことがあるかと問われれば、ほとんどの人が水族館以外では見たことが
ないと答えるに違いない。空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空
 恐怖感ばかりが煽り立てられているが、日本近海での鮫の被害は思ったほど
多くはない。そのほとんどが沖縄県に集中していて、沖縄県公衆衛生学会の発
表によると、1935年以来15件の被害があり、そのうち死亡者は9人である。も
っとも最近の例は、サメの被害の一番多い宮古島で、2000年9月にサーファー
が襲われて死亡した例である。本土ではほとんど死亡事故はないが、1992年3
月に瀬戸内海の松山沖に潜水してタイラギ貝をとっていた漁師が、ホオジロザ
メに襲われて行方不明となった例がある。空空空空空空空空空空空空空空空空
 私も実際にこの目で鮫を見たのは、インドネシアに旅行をした時、ロンボク
海峡を釣り舟で航行中に、うねる大波の中に巨大な背中をかいま見た時だけで
ある。あまりの大きさに最初は鯨かと思ったが、船長は「シャーク!」と吐き
捨てるようにいったのが、今でも記憶に残っている。空空空空空空空空空空空

 鮫の被害が日本の文献に最初に登場したのは『出雲國風土記』といわれてい
る。その意宇郡の項に次のようなことが記されている。空空空空空空空空空空
《天武二年(六七四年)七月十三日、出雲氏に仕える役人猪麻呂の娘が海辺で
遊んでいる時、鮫……原文では和爾(ワニ)に襲われ足を噛み切られて死んで
しまった。娘の遺体を海岸に葬った父親は、天に叫び地に涙し、辺りをさまよ
いながら昼も夜も嘆き哀しんだ。空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空
 数日後、恨み骨髄に徹した父親はかたく復讐を誓ってホコを研ぎ、この願い
を聞き入れたまえと天と地と海の神に祈った。その時、突然近くにいた百匹あ
まりの鮫が静かに一匹の鮫を取り囲み、父親のいる海岸に近寄ってきて離れな
かった。彼はその鮫にホコを突き立てて殺した。浜辺にあげて腹を割いてみる
と、中から娘の片足が出てきた。父親はその鮫をくし刺しにして、道のほとり
にいつまでもさらした》空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空

出雲の猪麻呂の怒りと哀しみは、1300年を経た現代の我々の胸をも強くうつの
である。空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空

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第7話 一通の手紙


 ふだんつき合いのなかった同級生のMが、私たち親しい仲間が計画していた
海辺のキャンプへ一緒に連れていってくれと頼みこんできたのは、高校最後の
夏休みだった。出発の当日、仲間五人がキャンプにふさわしいラフな装いにリ
ュックを背負って集まったのに、Mは通学時と変わらない白い半袖開襟シャツ
と黒ズボン姿に、なんと風呂敷包みをかかえて現れた。空空空空空空空空空空
 山田線に乗って、船越湾にのぞむ吉里吉里についた私たちは、人けのない美
しい小湾を探して、海辺の砂浜につづく草むらにテントを張った。目の前の海
で昼は海水浴や釣りを楽しみ、夜はキャンプファイアーのまわりで、秘かに持
ってきたウイスキーを飲んで大騒ぎをした。空空空空空空空空空空空空空空空
 三日目の昼過ぎ、私はMと二人だけで、タコがいるという小湾に突き出た岬
突端の岩場へ出かけた。そこでタコを探しながら、Mが母親と早くに生き別れ
て継母によって育てられたことや、繁華街で商店を営む父親と合わずに家出を
考えていることなどを知った。二時間ばかり過ごした帰り、小湾が見下ろせる
岬のてっぺんにたどりついた私たちは、テントを張った場所からは死角になっ
て見えないすぐ近くの崖の陰で、若い女性四人が水着から洋服に着替えるため
に裸になっている光景を目撃した。あわてて身を伏せはしたものの、気になっ
てしかたがなかった私は岩かげから何度かのぞき見をした。しかし、Mは一度
のぞいたきりで、真っ赤になってずっとうつむいたままだった。空空空空空空
 後で判ったのだが、彼女たちは私たちと同じ市内の女子高校生で、吉里吉里
を訪ねてきたついでに、小湾を探して、居残り組の三人の仲間たちと打ちとけ
て、一緒に泳いでいったのだという。しかし彼女たちの裸を盗み見たことは私
とMだけの秘密だった。空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空
 それから半年後の受験を間近に控えたある週末の昼過ぎ、商店街を歩いてい
た私は、二階の窓のすき間から通りをぼんやりと見下ろしているMの姿を偶然
見つけた。しかし、目があった瞬間に窓辺の顔はすっと消えた。Mが自殺した
ことを知ったのはその二日後だった。私は夏休みの直後にもらった、彼からの
たった一通の手紙の中に書いてあった《生涯であんな楽しいことはありません
でした。特にあの秘密は一生の思い出です!》という文面を今でも忘れること
が出来ない。空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空
                                了


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第8話 八戸穴


 小学生最後の夏休みに、私は祖母の小旅行について、陸中海岸の宮古に遊び
に行った。母親の宮古の実家で夏休みを過ごしていた親友のU君と現地で合流
した私は、彼に案内されて初めて浄土ヶ浜に海水浴に行った。美しい入江で泳
ぐのにも飽きた私たちは、彼の先導で、登ることが禁止されていた入江の奥か
らそびえ立つ急斜面の崖を、秘かに登っていった。空空空空空空空空空空空空
 石英粗面岩が細かく砕けて土となったザラザラした崖を登って行くと、松の
 木立が突然切れて視界が開け、目もくらむような切り立った崖のてっぺんから、
蛸の浜やその先の断崖の連なりと砂子島や日出島、そして茫洋とした太平洋の
広がりが目に飛びこんできた。遠く近く波が白く砕け散る断崖下の磯には、と
ころどころに海蝕洞が黒々とした口を開けているのが見えた。その光景を見て
 いたU君が、浄土ヶ浜には「八戸穴」と呼ばれる不思議な洞穴があるといった。
「八戸穴」……その暗い洞穴は、遠く離れた青森県の八戸市の海岸に通じ、八
戸には「宮古穴」と呼ばれている洞穴の出口があるというのだ。ある時、穴が
通じているかどうかを試すために、ニワトリと山羊を乗せた舟が洞穴の奥へと
流されたという。結果は、という私の問いに……何ヵ月もたって、白骨化した
動物たちを乗せた舟が八戸の「宮古穴」から流れ出た、とU君は真顔になって
答えた。空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空
 宮古の伝説をつたえる『奥々風土記』によると、鍬ヶ崎の漁師が、ある時こ
の穴に自分の飼い犬を舟に乗せて流したとか。数年後にその漁師が南部領八戸
に行ったところ、その飼い犬が元気に生きているのを発見したという。現に八
戸には「閉伊穴(宮古穴ともいう)」があり、言い伝えでは「閉伊穴」に入っ
たウミネコが「八戸穴」から出てきたとか、箸を流したところ、その箸が三日
後に「八戸穴」から出てきたともいわれている。空空空空空空空空空空空空空
 現在、八戸の「閉伊穴」は崩壊して見られないが宮古の浄土ヶ浜にある「八
戸穴」は、波の静かな日に今でも中に入ることができる。暗い穴の奥から見る
ことができる洞穴の水の色は、外光を海底に反射して幻想的なターコイズブル
ーに透き通り、ちょっぴりあのナポリの「青の洞窟」を思わせる。空空空空空
                                了


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第9話 大鳥の群れ


 アウトリガーのついた『ミトラセガーラ』という名の船に乗ってサヌールの
船着場を出た時は、すでに昼近くになっていた。十時前には出る予定だったの
に、代理店の予約ミスで出発が大幅に遅れてしまった。船は貸切りで、私とつ
れのほかに乗客は誰もおらず、乗組員は四十代の船長と無口な少年の二人だけ
だった。空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空
 地図で見ればバリ島とつい目と鼻の先にあるペニタ島まで、船は一時間半以
上もかかってようやく近づいた。荒々しい岩だらけの磯に、大波のくだけ散る
ようすが見えるあたりまできて、船長と少年は船尾に大きな釣り竿を二本セッ
 トした。この時になって初めて、少年が運動と言語に障害のあることが判った。
珊瑚礁の静かな海での釣りを予想していた私たちには思いもかけぬトローリン
グで、二時間にもおよぶ悪戦苦闘のすえ、針にかかったのはバラクーダが二匹
だけだった。空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空
 釣りをあきらめた船長は、舳先をはるか東にかすむロンボク海峡に面したペ
ニタ島の東端へと向けた。小一時間もかかって海峡近くへさしかかり、前方に
高い絶壁に囲まれた小島が見え始めた頃、突然、船のエンジンが動かなくなっ
た。船長は床板をあげ、油まみれになってエンジンの修理を始めた。空空空空
 五時を回り、西に傾きかけた巨大な夕日の投げかける光が海上にまぶしく反
射して、眼前にたちはだかる小島の白い岩肌を目も覚めるようなオレンジ色に
染めた。船を流されるままにして船長が修理をしているあいだ、私たちのとこ
ろへやってきた少年は、一言もしゃべらずに両手を大きく広げたまま、鳥が羽
ばたくような恰好を何度も繰り返し見せた。私たちがその意味をはかりかねて
いると、突然、少年はすばしこく舳先に駆け上がり、島に向かって悲鳴にも似
た雄叫びを上げた。空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空
 その瞬間、島の上部をおおう熱帯樹林の茂みから、かぞえ切れぬほどの黒い
大鳥の群れがいっせいに舞い上がった。いや、鳥と見えたのは、翼長一メート
ルを超える大コウモリの群れだった。空空空空空空空空空空空空空空空空空空
                                  了


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第10話 鰺ヶ沢


 上野駅発の寝台特急がまだあった頃のことである。五能線というローカル線
に乗ってみたいという友人に誘われて、金曜の夜に上野駅から秋田行きの寝台
特急に乗ることになった。岩手と秋田は隣同士なのに、生まれてこの方、私は
 一度も秋田県を訪れたことがなかった。翌日午前中、秋田市内を見物したあと、
さらに列車を乗り継いで東能代駅に着いた私たちは、キオスクで地酒の四合瓶
を買って、五所川原行きの五能線に乗り換えた。空空空空空空空空空空空空空
 初めて乗る列車は日本海に沿って北上し、やがて青森との県境を越した。冷
や酒を酌み交わしながら見る紺青色の北の海は、まもなく始まるであろう長く
て陰鬱な冬を前に、つかの間の美しさに満ちていた。夕暮れが近づき、どこか
小さな駅前旅館で一夜の宿をとることにした私たちは、鰺ヶ沢という駅で途中
下車した。かつて津軽藩時代に港町として栄えた鰺ヶ沢も、今ではすっかりさ
びれてしまっていて、駅前には人通りもほとんどなかった。空空空空空空空空
 駅で紹介された旅館についてから、食事までのわずかな時間を利用して、宿
の裏庭づたいに下りられる浜辺へ出た。日没寸前の巨大な夕日を反射して、見
渡す限りの海が金色に輝いていた。荒々しく打ち寄せる波うち際のまぶしい逆
光の中を、農夫にひかれた大きな農耕馬がノロノロと歩いているのが見えた。
 その晩、宿に住みこみで働いているという七十近いお婆さんのお酌で、私た
ちはしたたかに酒を飲んだ。十六の歳から、働きながら北東北の温泉を転々と
渡り歩いてきたお婆さんにとって、生涯忘れられない思い出は、郷土の誇る演
歌歌手との若き日の出会いだった。酔いにまかせ「ホンニ背っこ低くてさ、一
緒に寝だ時は、頭がアダシの顎のどこまでしかながったもんナ」とつぶやいた
お婆さんは、あわてて口を手で覆った。空空空空空空空空空空空空空空空空空

  翌朝、割れるような頭痛と吐き気をこらえながら列車に飛び乗った私たちは、
リンゴの芳香が漂う津軽平野を通って、五能線終点の五所川原へ向かった。
                                了


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第11話 マゼランの帆船


 数十年の盲目生活のあと、手術で開眼した男性を取材したテレビ・ドキュメ
ンタリーを見たことがある。この男性は、目の前に置かれた象のぬいぐるみが
何であるかを尋ねられ、それがどうしても判らず「犬ですか?」と答えた。そ
の直後にぬいぐるみを手渡された彼は、手で触って「なんだ象か!」と初めて
納得した。同じ男性は、夜空に輝く星は、☆の形をしているものだと、ずっと
思い込んでいたため、実際の星を見たときはそれが星だとは理解出来なかった
という。このことは、視覚による物の認識が、長年のイメージの蓄積があって
初めて成り立っていることが判る。空空空空空空空空空空空空空空空空空空空
 一五二〇年、世界周航をめざすマゼランの艦隊は、南米大陸の最南端フェゴ
島に到着し、大西洋から太平洋に抜ける海峡を発見出来ぬまま、四隻の大型帆
船を湾内に停泊させて島に上陸した。激しい西風の吹きすさぶ極寒の地で、わ
ずか革衣一枚をまとっただけの裸の原住民たちは、初めて接した異境の男たち
を驚異の目で見つめた。空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空
 驚いたことに、彼らはマゼラン一行がどのようにして島にやってきたのかま
ったく理解していなかった。いくら指さして説明しても、島民には停泊する帆
船が見えず、その彼方に広がる水平線しか見えなかったのだという。この事実
は、その後に島を訪れた探検隊の聞き取り調査によって判明した。それまで小
型カヌーしか知らなかった島民の脳には、大型帆船を翻訳する神経回路が存在
せず、そのため視界の中には存在しない無にすぎなかったのである。空空空空

 ひるがえって、地球外生物の乗ったUFO……未確認飛行物体の形を、現代
人は、円盤型だ葉巻型だといろいろ想像して絵や映像に創り出している。しか
し、異次元空間から飛来した彼等の乗り物が、地球上のすべての人がイメージ
として認識出来ないような、見たこともない形をしている物だとするなら、そ
の飛行物体は、我々には見えないかもしれない。空空空空空空空空空空空空空
                                了空空
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第12話 羽二重の布団


 事務所の後輩のSが、もうだいぶ前の学生時代の思い出として話してくれた
ことである。彼は大学生の時、横須賀市内で運送屋のアルバイトをしていた。
その日、現場に向かう途中、いつもは饒舌な運送屋の親方が、珍しく一言もし
ゃべらずに軽トラックを運転した。仕事は、生活保護を受けていた身寄りのな
い七十五歳のお婆さんが亡くなり、残された家財道具一式を処分する仕事を委
託されていた。霧雨の煙る坂道を上がった高台に、モルタルの黒くひび割れた
みすぼらしいアパートがあった。道路に一番近いドアが開いていて、その前に
度の強い眼鏡をかけた太った初老の女……アパートの管理人が待っていた。女
は欠けた前歯を見せながら「ご苦労さんです」と挨拶した。空空空空空空空空

 玄関から続く狭い台所を抜けると日焼けした畳の六帖一間があり、突き当た
りの窓から、家並みに切り取られた港と海が見えた。処分しなければならない
 家財道具は少なかったが、持ち主の性格を表すようにきちんと整頓されていた。
折り畳み式の食卓、座椅子、旧式の小型テレビ、姫鏡台、小ダンスと食器棚、
そして一間の押入れに入っている粗末な布団、衣類の詰まった茶箱が二箱、そ
れに押入れの上四分の一を占領している唐草模様の大きな包みだった。中から
目も鮮やかなピンクの花柄模様の布団一組が出てきた。「結婚後まもなく、横
須賀から船出した海軍の水兵だった旦那さんの戦死公報を絶対に信じないで、
お婆ちゃん、捨てないで五十年近くも大事に持ってたんですよ。港に帰ってく
るのをずっと待ち続けて……」。空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空
 「行くぞ」、黙々と働いていた親方にうながされ、Sは最後の荷物である布
団包みを持ってアパートを出ようとした。その時、管理人が「どうせ処分する
んだったら、その羽二重の布団もらえんかね……全然、使ってないんだもの」
と親方にいった。その申し出を、親方は「駄目だ」とにべもなく突っぱねた。

 霧雨の煙る坂道を下りていく途中、前方にふたたび鈍い灰色の港の海が見え
た。「誰にも使わせるわけにいかねえじゃねえか、大事な布団をよ……燃やす
 のが一番いいんだ」親方はそういってくわえていたタバコを窓から投げ捨てた。
                                了空空
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