岩手県立盛岡第一高等学校1960年卒在京同期会
在京白堊三五会・エッセイ『海の音、海の色』(波多野忠夫)
海に関係したエッセイのシリーズです。
読後感を是非「掲示板」へお寄せください。
広尾の画廊発行の内輪の会報に2年にわたって連載されたエッセイを、見直し、書き直して本サイトに提供して
戴きました。凡そ半分の第12話をもって完結とし、次は短編小説で登場願い、半年ほどしたらまた新たなシリー
ズで再開を期待しております。読後感などを「掲示板」にお寄せいただけば、著者の励みにもなりますし、編集の
参考にもなります。宜しくお願いします。空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空
―管理人―
第1話:『海の俳句』空空空空 第7話:『一通の手紙』空空空
第2話:『水没した島』空空空 第8話:『八戸穴』空空空空空
第3話:『氷の涯』空空空空空 第9話:『大鳥の群れ』空空空
第4話:『海峡』空空空空空空 第10話:『鯵ヶ沢』空空空空空
第5話:『海蛍』空空空空空空 第11話:『マゼランの帆船』空
第6話:『鮫』空空空空空空 第12話:『羽二重の布団』[完]
第1話 海の俳句
《木枯の果てはありけり海の音》
真冬だというのに、コートを脱いでもじっとりと汗ばむような昼下がり、混
み合った満員電車の中吊り広告にこの一句をみつけた。木枯の音を耳にしなが
らまんじりともせずに過ごした長い夜が、遠い昔にあったことをぼんやりと思
い出しながら目を閉じると、回転する電車の車輪やモーターの音、人の話し声
や携帯電話のベルなど、猥雑な音が耳に飛びこんできた。この騒音を木枯に聞
きなし、その果てに海を求めようと努力をしたが、所詮、無駄だった。空空空
冷たく吹き荒ぶ木枯の果てに、作者が聞いたのは海の音の幻聴だったのか、
はたまた浜に打ち寄せる本当の波の音だったのか・・・。句を作ったのは、今
から二百七十年ほど前の江戸享保年間の俳人、言水(ごんすい)である。奈良
に生まれ若い頃は江戸で過ごしたが、後年京に移り住み、京に没した。生前数
多くの発句をものにしたが、特に冒頭の一句が世にあまねく知られ、「木枯の
言水」の異名をとったという。空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空
句の前書きに「湖上眺望」とあるところから、言水は琵琶湖のほとりでこの
句の想を得たと思われるが、一般には「海」の意で鑑賞されている。目を閉じ
た私には、粉雪の舞う漆黒の闇夜の浜に、激しく打ち寄せる日本海の荒海が見
える。空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空
木枯に始まる句は他にもいくつかあるが、芥川龍之介のつぎの一句もまた私
は好きだ。空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空
《木がらしや目刺にのこる海のいろ》
こちらは聴覚よりも視覚に強く訴える句である。芥川の句の特色の一つは季
語に対する関心と的確な把握にあるといわれるが、取れたての銀青色に光るイ
ワシの肌に、清冽な冬の海が凝縮されている・・・そんな思いをさせる秀句だ。
了
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