常陸国風土記(ひたちのくにふどき) 奈良時代初期、和銅6(713)年に編纂され、養老5(721)年に成立した常陸国の地誌で、 常陸国の国司が古老から聴取したことを郡ごとにまとめたもの。8世紀初頭の人々の生活や認識などが記述されている。 泉ヶ森については次のように記されている。 「此より東北のかた二里に密筑の里あり。村の中の清き泉を、俗(くにひと)大井(おおい)と謂う。夏は冷やかにして、遠迩(おちこち)の郷里(むらさと)より、酒と肴(さかな)をもちきて、男も女も会集(つど)ひ、休(いこ)ひ、遊び、飲(さけの)み楽しめり。」 密筑の里とはいまの水木の呼称で、浄泉・大井とは神社の北側にある泉のことである。泉の中央からは今も青白い砂を吹き上げながら、絶え間なく清水が湧き出ている。
泉の中央にはインドの河の精を神格した弁財天を祀る。弁財天は七福神のひとつでもある。 延喜式神名帳(えんぎしきしんめいちょう) 平安中期の律令の施行細則50巻で後の律令政治の基本法となった。 延喜5(905)年醍醐天皇の命により、藤原時平らが編纂をはじめ、時平の死後、藤原忠平らにより927年完成した。 『延喜式神名帳』は『延喜式』の巻9,10のことで、当時官社に指定された全国の神社一覧である。泉神社は常陸国28座(久慈郡は7座)のひとつである。 『日本三代実録』(にほんさんだいじつろく) 平安時代に編纂された歴史書である。 清和天皇、陽成天皇、光孝天皇の3代である、天安2(901)年8月から仁和3(887)年8月までの30年間を扱っている。延喜元(901)年に成立した。 編者は藤原時平、菅原道真など。この中で貞観16(874)年の条に祭神、天速玉姫命が従五位下から従五位上に神階を進められたむねの記述がある。 |