2012(平成24)年度8本、2013(平成25)年度12本、2014(平成26)年度32本と 急増している。 那珂湊おさかな市場へは歩いて行ける。新鮮な魚介類、海鮮料理やご当地グルメ那珂湊焼きそばなどを楽しめる 店も数多くある。また那珂湊地区は水戸藩ゆかりの名所旧跡が多く、みなとまちなか漫遊による歴史探訪も楽しめる。
 那珂湊は歴史のある町であるが、駅頭に立ってもすべてが懐古調で昭和の初めごろにタイムスリップしたような 錯覚を覚える。昔の駅は何処もこのような雰囲気を持っていたとつい記憶をたどってしまった。名所案内板などは その粋のように見受けた。

 

おさかな市場
 那珂湊漁港の目の前におさかな市場がある。新鮮な海産物を扱う3つの店が覇を競うようにリーズナブルの 価格で小売りを行っており常に活気がある。おさかな市場の中には海鮮処、回転寿司、レストランなど多く の食事処があり、休日や昼時には行列ができる。
 観光バスの団体客が到着すると周辺は客足であふれ、店内は芋をあらうようなごった返しとなり、時間まで にバスに戻れなくなる人も出たり、迷子になってしまう人もいるとか。見て楽しみ、買って楽しみ、食べて楽 しめる場所である。

山上門(さんじょうもん)
 あづまが丘公園内にある。かっての吾妻台である。水戸藩上屋敷である小石川邸正門右側の門で、江戸時代後期 に勅使奉迎のために特に設けられた門である。形態的には薬医門(やくいもん)で本柱と控柱を結ぶ梁の中間 に束を置き切妻屋根をのせた様式で典型的な屋敷門である。
 幕末には佐久間象山(兵学者)横井小楠(政治家)西郷隆盛(政治家)江川太郎左衛門英龍(韮山代官、兵 学者)橋本左内(思想家)など幕末維新の志士たちがこの門をくぐり小石川邸に出入りしたといわれている。 小石川邸の建物はこの門のほかはすべて失われており、現存する唯一の建造物である。名前の由来は後に邸内 山上に移築されたことによるという。
 1936(昭和11)年9月22日那珂湊出身の弁護士、深作貞治(1887 明治20〜1968 昭和43) が当時の陸軍省から払い下げを受け当地に移築して保存した。現在はひたちなか市指定建造物である。 小石川邸は明治維新後陸軍省の管轄となり、砲兵本廠を経て大正時代には陸軍省造兵廠東京工廠として小銃、 砲具、精機を製造したが1933(昭和8)年小倉市に移転している。1923(大正12)年関東大震災に より東京工廠の建物の大半を失ったが、幸いにも山上門は災いを逃れていた。
 尚江戸上屋敷の庭園として造った回遊式築山泉水庭園は、現在、東京都立公園「小石川後楽園」(東京都文京区) となり一般公開されている。

反射炉(はんしゃろ)
 山上門をくぐったあづま丘公園内(吾妻台)にある。幕末に水戸藩領沖に異国船が出没するようになり9代 藩主徳川斉昭(なりあき)が海岸線上に砲台を築く緊迫性を感じた。直ちに大砲製造を目的とした大型金属 溶解炉である反射炉建設に着手し1855(安政2)年、1号炉(西炉)、1857(安政4)年、2号炉 (東炉)が完成した。建設にあたっては竹下矩方(薩摩藩士)、熊田宗弘(三春藩士)、大島高任(南部藩士)の 協力を得て那珂港の大工や瓦職人が尽力した。使用したレンガは約4万枚といわれている。
 1864(元治元)年元治甲子の乱で破壊されたが、1937(昭和12)年8月、那珂湊出身の弁護士 深作貞治が烈公の偉績を永く後世に伝えるため、現在の模型がほぼ原型どおりに復元された。
 静岡県伊豆の国市にある韮山反射炉は1857(安政4)年、韮山代官、江川太郎佐衛門英龍の進言で築造した もので、稼働したものとしては国内唯一現存する施設である。

レンガ焼成炉(れんがしょうせいろ)
 反射炉建設には高熱に耐えるレンガ製造が必須である。藩内の陶土や粘土、ヒウチ石の原料を用い、瓦職人、 製陶、建築関係者の苦心の末約1200℃〜1600℃に耐えられるレンガを作ることができた。
 レンガ焼成の模型が反射炉の側にある斜面に復元されている。

い賓閣跡(いひんかくあと)
 い賓閣は1968(元禄11)年2代藩主徳川光圀(みつくに)が建てた別荘で湊御殿、湊別館、お浜御殿と も呼ばれ水戸藩の応接所として用いられた。建坪は約3000坪(1000u )を有する。建物は一部分が 2階建ての豪華な造りであったと推定されている。歴代の藩主らによって酒宴や詩歌の会が催されたという。 1864(元治元)年元治甲子の乱で焼失した。1897(明治30)年湊御殿の松を中心に湊公園として整備 された。
 現在は樹齢300年以上のクロマツ12株が生息している。これらの松は光圀がい賓閣を築造する時、須磨より 苗木を取り寄せ植えられたものである。湊公園は高台に位置しているため、那珂川に架かる湊大橋、海門 橋、涸沼川との合流点、河口、更には太平洋の眺望が素晴らしい。対岸の大洗も良く見える。園内を散策していると川 風と海風が心地よい。

華蔵院(けぞういん)
 真言宗智山派、戒珠山(かいじゅさん)密厳寺(みつごんじ)と号し、本尊は大日如来、前立に弘法太師 を安置している。本山は京都の智績院(ちしゃくいん)。境内の梵鐘は1339(暦応2)年に製作された という銘が刻まれ、鎌倉時代以降室町時代以前の典型的な形式を示している。この梵鐘は幾つかの寺院を経て 江戸時代末期に大砲鋳造のため那珂湊に運ばれたが、大砲鋳造の原料とはならず明治時代に華蔵院の所有とな った。
 華蔵院は佐竹藩時代からの名刹で七堂伽藍が完備された大寺院だったが、1864(元治元)年元治甲子の 乱で灰燼と化した。現在の建物は明治に入ってから昭和に至るまでに再建、造築されたものである。

天満宮
 鎌倉時代海上に奇異なる現象が起こったので菅原道真公を祀ったと伝えられている。毎年8月この神社の祭礼 である「みなと八朔祭り」が4日間に渡って盛大に繰り広げられる。祭は年番制で年番に当たった町内が取り仕 切る。祭神が海から出現したという伝説に基づいて、神輿を海に担ぎいれる浜降りの儀式がある。水戸地方最大 のお祭りで華やかな屋台が10〜12台巡行する。屋台には三味線、太鼓、笛、鉦で音頭と共にお囃子が奏でられる。 那珂川の河口に開かれた港町で船運と漁業の基地としても発展した有様を今に伝えている。

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