駅の山側には水産加工団地があり、多くの水産物加工業者が創業している。ここで造られた商品は那珂湊海産 物としておさかな市場でも非常に人気が高い。 付近の名所は水戸八景のひとつ「水門帰帆」、駅から海側に約1km、海を望める高台にある。
水門帰帆(みなとのきはん)
水戸藩9代藩主徳川斉昭(なりあき)が1823(天保4)年に撰んだ水戸八景のひとつ。水戸領内の景勝地
8ヵ所を選定し、藩内子弟の風月鑑賞と八景めぐりによる心身の鍛錬を考えて石碑を建てた所である。
八景の選定にあたっては中国の洞庭湖南部の山水の風景を撰んだ瀟相(しょうそう)八景や琵琶湖ほとりを撰ん
だ近江八景を模してつくられたとされている。夜雨、晩鐘、落雁、晴嵐、帰帆、夕照、秋月、暮雪という語句が
いずれにも使われている。水戸の城下から水戸八景をめぐると約90km、当時の里程でいえば約22〜23里、
この距離を水戸藩の青年武士達は1日で踏破し、健脚を競いあったといわれている。
水門帰帆は「水門の帰帆、高楼に映ず」水門をみなとと読み那珂湊の湊を2字で表したもので、日暮れ近くに帆
を降ろしながら那珂湊に帰って来る船を眼下に見下ろす、崖の高所での眺望を薦めたものである。
現在は海岸の埋め立てが進み大きな建物が林立し、海上保安庁茨城海上保安部や海洋高校他の建物群の先に那珂
湊漁港の出入口がやっと見える程度である。