ホームに立つと西側はすべて畑で、集落や住宅地と比べてもその面積が群を抜いて壮大で圧倒される。 駅の近くには新しい住宅が見受けられるが、とにかく道が狭い。少し離れると畑の中という感じなのでこれといった目 標物もない。遠くに線路が見えるのにはて駅は何処にあるのだろうかと思案する。近くの名所旧跡を訪ねるのも楽 しい。
酒列磯前神社(さかつらいそざきじんじゃ)
『日本文徳天皇実録』によると斉衡3(856)年常陸国鹿島郡大洗磯前に祭神大己貴命(おおなむちの
みこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)が降臨し酒列磯崎神社が創建された。同時に大洗町には
大洗磯前神社が創建された。翌天安元(857)年「酒列磯前薬師菩薩明神」の神号を賜り、『延喜式』
では名神大社に列せられ、古くから大洗磯前神社と共に広く多くの人々に信仰された。
社殿は現在の1の鳥居付近から1720(元禄15)年に水戸藩3代藩主徳川綱条(つなえだ)が現在
地に遷座再興した。
神社が面する海岸の岩礁は南に約45度傾いて並んでいるが、その一部に北に傾いた部分、すなわち
逆列(さかつら)の地名が由来で酒列(さかつら)となったとされている。
参道の両側にある境内林は樹齢300年を超えるヤブツバキやタブノキの古木が点在し、オオバ
イボタ、スダジイ、ヒサカキなどの常緑広葉樹が生育している。ユズリハ、モチノキ、ヤブツバキ、シロダモ
など亜高木層から低木層で構成されている。このような規模で保存されている例は極めて希であり、
この地域における自然植生の姿をとどめた自然林として貴重で、茨城県指定天然記念物である。
比観亭跡(ひかんていあと)
酒列磯前神社1の鳥居の横、小高い崖の上に比観亭跡がある。1790(寛成2)年水戸藩6代藩主
徳川治保(はるもり)が酒列磯前神社を訪ねた際、見晴らしの良い小高い海丘から太平洋を一望し、北に白砂
青い松の海辺、その先にある阿武隈の山地を見ることができる景色に感動し、後にこの高台に草葺きの
「お日除け」(あづまや)を建て比観亭と命名した。
現在この地に立ち同じ方角を見ても茨城港(常陸那珂港区)、常陸那珂火力発電所、東海村の原子力
施設などで当時の面影はない。眼下に磯崎漁港が箱庭のように見えるだけである。
磯崎灯台と白亜紀の岩礁
磯崎灯台は酒列磯前神社の南側、磯崎小学校に近い岬のような高台にあり太平洋を望む。
茨城港(常陸那珂港区)磯崎漁港、那珂湊漁港など周辺海路の安全に供している。
平磯から磯崎に至る海岸には北東へ35〜50度傾斜した岩礁が連続して続いている。柔らかい
部分が波に浸食され硬い部分が残って、鋸の歯のように海面につき出している異様な光景である。
この地層からアンモナイトの化石が発見されているため、中生代白亜紀末期、今から7500万年前の地層
と考えらている。那珂群層と称される貴重な岩礁である。