駅舎は観光の街大洗につり合いが取れた立派な建物で鹿島臨海鉄道の中枢を担い、本社機
構もこの中にある。駅前広場にはバス、タクシーの発着所もあり、一般の駐車場、駐輪場も備え
ている。観光にも多くの配慮があることが駅内からも感じられる。
名所旧蹟案内板にアクワワールド茨城県水族館、巌船の夕照、大洗磯前神社、大洗海岸、
大洗サンビーチ、幕末と明治の博物館、大洗フェリーターミナル、願入寺がある。
アクアワールド 茨城県水族館
大洗町の北端、那珂川の河口と太平洋を目の前にした眺望抜群の地にある。施設は旧大洗水族館を
大規模にリニューアルして平成14(2002)年3月オープンした、日本でもトップクラスの大型
水族館で財団法人いばらき文化振興財団が運営する。 館内は9つのゾーンに分かれており60の
水槽に約580種、68,000点の魚介類や海の生物を展示している。
見所はイルカ・アシカのオーシャンライブ、日本最大のマンボウ専用水槽、可愛らしい仕草や パフォーマンスで人気の海獣たち、50種以上のサメの飼育、ウニやヒトデなど様々な生き物に直接 触れることができるコーナー、幻想的な暗黒の世界に生きるクラゲやサメなど博物館や科学館の展示 手法を取り入れながら、子供たちが楽しめるように工夫されている。
また正面広場に「出逢いの鐘が」設置されている。大洗の沖は親潮と黒潮が出合い寒流系、暖流系 に棲む多くの魚が出合う海であることから、水族館を訪れた人々が「それぞれの出逢いを喜び、幸せを 願い、愛を込めて」と、誰でも自由に鳴らすことができる。
巖船の夕照
涸沼川と那珂川の合流点、かんぽの宿大洗の西隣りで樹林に囲まれた断崖の上にある。水戸藩9代
藩主徳川斉昭が天保4(1833)年に撰んだ水戸八景の一つ。水戸領内の景勝の地8ヵ所を選定し、
藩内子弟の風月鑑賞と八景めぐりによる心身の鍛練を考えて碑を建てた所である。
巖船の夕照は「霞光欄漫たり岩船の夕べ」で、ここは左手からの涸沼川が右手前方からの那珂川と 合流する地点にあたり、水は深淵にして青く両方を眺めれば豊かな水田が広がり、夕日が沈む辺りに 筑波山と加波山の秀峰が浮かぶ。「巖船」は岩船の意で大洗台地の北端にある願入寺は岩船山 願入寺といい、岩船の夕照とは岩船山の名によるものである。
現在石碑が立つ小さな広場の前面は樹木の背丈が伸び視界をかなり妨げていて、葉の間から辛うじて 対岸の那珂湊市街地の一部は見えるが、那珂川の河口方向はほとんど見えない。西側は那珂川の上流方向 の眺望が開いていて、手前から那珂湊マリーナ、湊大橋の赤い橋桁、東水戸道路斜張橋の2本の主柱 方向の見晴らしは良いが、筑波山方向は一寸厳しい。
大洗磯崎神社(おおあらい いそざきじんじゃ)
大洗海岸を臨む高台にあり、海岸の県道173号線から石段を約100段上ることになる。
石段を上り終えると随神門、拝殿、本殿などがある。
祭神;大己尊命(おおなむちのみこと)(大国主命) 少彦名命(すくなひこなのみこと)
国造りの大神と称えられ難病治療の法を定めて、医薬の祖神と尊崇される大国主大神と少彦名大神
は「昔この国を造り常世の国に去ったが、人々の苦難を救うため再びこの地に帰ってきた」と神宣
され大洗の神磯に降臨された。
平安時代の初め斉衡3(856)年のことで、直ちに二柱の大神を祭神として大洗磯崎神社を
創祀した。祭神は昔から大黒様、恵比寿様として親しまれ、家内安全、商売繁盛、福徳円満、
良縁成就、開運厄除、難病治療の祖神として厚く信仰されている。
大洗海岸
大洗岬から県営大洗駐車場周辺までの岩礁水域で、砂浜青松に恵まれ海藻の種類が多い海岸で
海水浴場もある。大洗磯崎神社に祀られている大己尊命、少彦名命が降臨した地と伝えられ、
その岩場に鳥居が建てられており、絵画、写真、初日の出などで芸術面でも常に注目を
集めている。
♪「磯で名所は大洗様よ 松が見えます ほのぼのと 見えます イソ ほのぼのと」♪
大洗サンビーチ
茨城港(大洗港区)大洗マリーナの南側、1.5kmに広がる澄んだ水と広い砂浜、遠浅が特徴の
海岸で、海水浴の他に潮干狩、サーフィンなどのマリーンスポーツも楽しめる。
全国初のバリアフリービーチとしても知られている。障害者やシニア層でも快適に過ごせるように、
車イス用の更衣室、シャワー、トイレを完備し、水陸両用の車イスの貸し出しも行っている。
駐車場7500台(ハイシーズン中は有料)、温水シャワー4か所、更衣室4か所はいずれも
無料で利用できる。ビーチの西側は大洗海浜公園、他にビーチの南側1.5kmの所に
サンビーチキャンプ場がある。
幕末と明治の博物館
県道2号線、信号「東光台前」と「東光台南」間の細い道を北に入った松林に囲まれた中にある。
奥の松林の中に大洗ゴルフ倶楽部のコースが広がる。
明治4(1871)年4月田中光顕が明治天皇像を奉安した聖像殿を開館したのが始まりで、 同6年財団法人常陽明治記念会が創設され、常陽明治記念館となり同7年陳列館を建設した。 田中は四国土佐出身で宮内大臣として明治天皇に12年間仕えられ、御下賜品を はじめ明治の元勲の書面、美術工芸品を寄贈、寄託されたため館の展示品が充実していった。
平成9(1997)年9月新館を増設して展示内容を見直し「幕末と明治の博物館」に リニューアルオープンした。平成22(2010)年6月常陽明治記念会は文化財の離散を避ける ため、その財産のすべてを大洗町に寄贈し町営の「大洗町幕末と明治の博物館」として開館した。 施設には総合展示室、映像ホール、常設及び企画展示室、聖像殿がある。
松林に囲まれた8000坪の敷地の中にはキャンプ場が併設されていて、200台の車が場内に 入ることが可能で容易に緑の林間を満喫できる。フリーサイトは予約なしで当日利用することが できる。
大洗フェリーターミナル
大洗ー北海道(室蘭・苫小牧)フェリーは大洗鹿島線と同じ昭和60(1985)年就航した。
現在は大洗ー苫小牧間を1日に2便、夕方便と深夜便が商船三井により運航されている。
夕方便
大洗 18:45⇒翌日13:30 苫小牧 苫小牧 18:45⇒翌日14:00 大洗
深夜便
大洗 0:45⇒翌日19:45 苫小牧 苫小牧 01:30⇒翌日19:45 大洗
夕方便使用のフェリー
さんふらわあ さっぽろ
13.654トン 24ノット 全長 192m 全幅 27m 定員 632名
車両積載量 乗用車 77台 大型トラック 154台
さんふらわあ ふらの
13.539トン 24ノット 全長 192m 全幅 27m 定員 705名
車両積載量 乗用車 77台 大型トラック 154台
(2015年10月現在)
願入寺(がんにゅうじ)
那珂川の海門橋を渡ってすぐ「祝町」の信号がある。左に曲がると海岸に出るが、その信号を
直進して100mを右折して300m先の突き当りが願入寺である。親鸞聖人の血脈、法脈相承の聖跡
として、また水戸黄門(水戸藩2代藩主 徳川光圀)ゆかりの寺院として知られている。
岩船山 願入寺 宗派;原始真宗
浄土真宗の開祖親鸞聖人の嫡孫、如信上人が開祖した。如信は京都で誕生し親鸞の膝下で20数年
訓育を受け念仏を相承して、弘長2(1262)年奥州白河郡大網村東山(現、福島県白河郡古殿町)
に草庵を開き後に奥の御坊と呼ばれた。
如信は親鸞が高弟を定めた二十四牒の筆頭に挙げられ、後に本願寺(京都)の2代目になっている。
特に本願寺3代目の覚如は親鸞に直接まみえていないため親鸞→如信→覚如へ教えが口伝されていった
といわれている。
文安3(1446)年8世如慶のとき兵火に遭い堂宇を焼失したため、常陸の大根田(現、大子町川山)
に移転し、12世如正のとき久慈群久米村(現、常陸太田市久米町)へ、延宝2(1674)年15世
如高のとき光圀の命により現在地に移転した。
光圀は15世如高の一人娘の鶴子を養女とし、京都東本願寺14世琢如の二男如清を願入寺の16世
として迎え入れ、延宝5(1677)年寺領300石と七堂伽藍を建立して寄進した。つづいて養女
鶴子姫を16世如清に嫁入りさせた。
幕末元治元(1864)年水戸藩内における天狗諸生の抗争である元治甲子の乱で焼失した本堂は
昭和37(1962)年再建した。時に親鸞聖人700年大遠忌の年であった。
光圀の信任が篤く東本願寺の永代順連枝として関東屈指の名刹としてその名を轟かせたが、現在は初期
真宗の源流としての由緒により真宗各派に属さない原始真宗を名乗っている。
県指定文化財
本尊;阿弥陀如来立像(鎌倉期)、開山;親鸞聖人御影(室町期)、開基;如信上人尊像(光圀作)
町指定文化財
山門
法物史料館である開基堂は震災の影響により閉鎖中。(2015年10月現在)
府中松平家の菩提寺である照光寺の本堂で文化財保護の一助として移築復元
したものである。また境内の「やすらぎの鐘」重さ12、5トン、口径2、1m、高さ3.45mは、
東日本最大の梵鐘で全国でも5番目である。1撞300円で誰でも撞くことができる。