鹿島大野     

 鹿島市には鹿島大野駅を中心にした地区整備計画があり、住みよい質の高い居住空間の形成を 図ることになっているが、計画通り実現していないのかも知れない。立派な駅舎が泣いているようだ。 名所旧蹟案内板に大福寺、慈眼寺、天長井戸がある。

大福寺(だいふくじ)
 位置的には長者ヶ浜潮騒はまなす公園前駅の方が近い。長者ヶ浜潮騒はまなす公園前駅の西方 約1.8kmの棚木地区にある。
 補陀洛山 庫蔵院 大福寺(ふだらくさん こぞういん だいふくじ)
  宗派:真言宗豊山派 本尊:十一面観世音菩薩

 源平合戦の後、平景清の娘人丸(ひとまる)が父景清の守り本尊である観世音菩薩を背負ってこの 地に下向し、観世音菩薩を安置して日夜戦死者の霊を弔った。その後剃髪して妙庫比丘尼 (みょうこびくに)となり、文治5(1189)年堂宇を建てた。

 本尊の十一面観音菩薩坐像は坐高90cm、室町時代の作風を如実に現わしたもので県指定文化財 である。記録によると永亨年間(1429〜1411)と元禄年間(1688〜1704)の2回 補修されている。  境内は樹林に囲まれた静寂な所で、幹回り2.9m、樹高18m、樹齢450年の高野槇は鹿島市の 天然記念物である。落雷の傷跡が生々しいが樹勢は旺盛である。

慈眼寺(じげんじ)
 鹿島大野駅の北東約2km、浜都賀地区の北端に位置する。国道51号線の道沿いで、道路脇の 案内板に従い鋭角に曲がるT字路のやや奥まった所にある。国道51号線から寺院の存在を確認 することが困難な、少し低い地形となっている。
 神戸山慈眼寺(ごうどさん じげんじ)
   宗派:真言宗智山派 本尊:十一面観世音菩薩

 室町足利時代(1392〜1573)の中葉、応仁2(1468)年祐悟法印が開山した。その後 京都御室大本山仁和寺より直末のお墨付きを受けた。古くは七堂伽藍を擁した名刹だったが、 大正15(1926)年野火による災害を受け本堂を焼失した。
 昭和59(1984)年宗祖弘法大師1550年の御遺忌を記念し本堂と書院を造築した。 東国花の寺100ヵ寺、関東八十八ヵ所霊場の一つでもある。

天朝井戸(てんちょういど)
 鹿島大野駅から南へ約800m 、大洗鹿島線と県道242号線の間を通る旧道の、天朝井戸集落センターに入るT字路の角地にある。 現在使われていない井戸のため蓋がかぶされているが、井戸の前には「天朝井戸」の説明板がある。 井戸のある場所は昔の神戸原(ごうどはら)の中で、鹿島神宮から水戸に通じる 鹿島街道沿いにあたり、多くの人々が往来をしていた。

 明治の初期に茨城県県令(現在の知事に相当)人見寧(ひとみやすし)が鹿島神宮参拝の折りこの 道を通ったが、人家もない広野で通る人々が難儀している様子を思い浮かべ、地元の郷士に金一封を託し 井戸掘りを依頼した。掘った井戸は日照りが続いても干上がることがなく冷水が湧き出て、街道の オアシスとして通行人を喜ばせた。土地の人々は天朝様のお陰だと敬い「天朝井戸」と名付けたと 伝えられている。

 井戸の周りには年毎に移住者が増えやがて集落となったが、「天朝」の名をはばかり「天長」の 名称を使ったので、その後は天朝井戸又は天長井戸ともいう。
 尚人見寧の県令在任期間は明治13(1880)年3月8日〜明治18(1885)年7月8日 であるから、この間ので出来事であろう。

T字路の手前角に天朝井戸があり、反対側の角に天朝井戸集落センターの案内標識が立つ。

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