『死を視点にいれた生』を考える〜『死』までの時間をどの様に生きるか
真志田 稔(脳腫瘍患者/介護福祉士)
今日私は、『死を視点に入れた生』を考えるという事で、脳腫瘍患者として(そして介護職として)お話する機会を与えて頂きました。『死』に関する事を話そうとすると、日常の生活と切り離して非日常の世界で話をしたり、極限の状態を想定したり、昇華された観念論ばかり話してみたり、どうも話が抽象的になってしまいます。そこで今回、私が病気を頂いて介護の世界で働いてきた間に、自分の死をどの様に考え、どの様な死生観・人間観を持つ様になり、『死を視点に入れた生』を考える方が人生の厚みをより増してくれると考える様になったか、その経緯についてお話させて頂く事で、皆さんが『死を視点に入れた生』を考えるきっかけになればと思います。今回お話させて頂く中で、私が申し上げたい事は
@問題は、私達の『生老病死』を含めた物事に対する見方・考え方である
A『死を視点に入れた生=何時来るか分からない死までの時間をどの様に生きるか』を考える事 は、人生の厚みをより増してくれる
B『生老病死』という問題は、全ての人にとっての課題である
C『生老病死』は人間の持つ自然であり、当たり前の出来事である
D『生老病死』と向き合っている人と関わる側には、その人なりの死生観・人間観が必要である
E人間にとって当たり前の出来事である『生老病死』ときちんと向き合わないという事は、当たり前 の事を当たり前として受け止めない・考えない事になってしまい、これでは人生の質の向上 (QOLの向上)は難しい
F『生老病死』と向き合っている人に関わる時には、相手の置かれている状況に応じて関わる側の 価値基準を変えるべきである
G『諦める・受け入れる勇気』を持つ
H良心についてもう一度考えてみて下さい
という事です。これらがほんの少しでもみなさんの中に伝わればいいなと思っています。
@ 私が自分の『生老病死』を考える様になるまで
広島の自動車会社でエンジニアとして働いていた時、今から13年前に脳腫瘍の1種である脊索腫(コルドーマ、頭蓋底腫瘍)が見つかりました。沢山の人達の助けによって今の主治医と巡り会い、幸か不幸か良性の腫瘍であった事もあって、手術は成功し腫瘍もほぼ100%取り除けたとの事で、生まれた時を1回目とすると2回目の命を拾う事が出来ました。その後は、半年に一度定期的にMRIを撮り、経過観察を行っています。ただ、この時はまだ自分の『生老病死』を真剣に考えるには至りませんでした。明日は当たり前の様にやってくると信じていました。
しかし、その2年後に腫瘍が再発し、2度目の手術を宣告されました。再手術を受けたくなかった私は、現代医学では自分の腫瘍は治せない事が分かり、この病気以外にもアトピーを持っていた為、病気を治したい一心で、色々考えた末、平成13年11月に広島の会社を2年間休職し、大阪で民間療法(食事療法)を始めました。この民間療法を行う中で、ようやく自分の病気・死と向き合う様になりました。この時、初めて病気・死が私にとって『現実』となったのです。
食事療法を行いながら、初めはこんな身体になった事を嘆き、恨み、怒りを持ちました。そして、周囲の人達が私の事を思って助言してくれる事に対しても、『僕の気持ちなんて分からないだろう』と被害者意識に囚われ、周囲に不平不満をぶつけながら渋々やっている状態でした。しかし、どんなに自分が病気になった事を嘆き、恨み、怒ってみても、何の解決にもなりませんでした。自分の身体、自分自身の事であり、誰の仕業でもないからです。また、自分の死について考えてみても、まだ一度も死んだ経験をした事がありませんし、周りにも過去に死んだ経験のある人は見当たりませんでしたので、経験者に話を聞く訳にもいきません。ですから、自分の死について色々な本を読み漁ってあれこれ思い悩んだのですが、いくら考えても自分の力ではどうする事も出来ないし答えが出てこない。その内に死を考える事に疲れてしまいました。要するに、死について考えるといっても、自分の死について延々と考えても仕方のない事で、そんなのは考えても答えがあるものではないという事に思い至ったのです。私達が実際に見る事が出来る死とは何かと考えた時、それは常に自分以外の『誰かの死』、つまり『二人称の死(親しい者の死)』・『三人称の死(赤の他人の死)』であって、『自分の死(一人称の死)』を本人が見る事は出来ません。『一人称の死(自分の死)』というのは、実は理屈の上だけで発生した問題、悩みと言えるかも知れません。『一人称の死(自分の死)』に関しては、観察する主体である自分が消えてしまうからです。科学的に言えば、『自分の死』を観察している人が他に必要です。でも、その時点でそれは『自分の死』ではなく『誰かの死』なってしまい、客観的な『一人称の死(自分の死)』というのは存在しないのです。
それなら今自分が置かれている状況の中で、自分の力でどうにか出来る事は何かと考えた時、それは、それ迄の自分の物事に対する見方・考え方を変える事でした。その結果、『何時来るか分からない死までの時間をどう生きるか』を考える様になったのです。何故なら、『死』を考えるという事は、『それ迄の時間をどの様に生きるか』を考える事と同じだからです。また、この時に、人間の死亡率は100%であり、病気になるのも死ぬのも仕方のない事であり当たり前な事、大切なのはどれだけ生きたかという『人生の長さ』ではなく、どの様に生きたかという『人生の質』であり、何をするか何をしたかよりも兎に角1日1日を精一杯生きる事が大切なのだという自分なりの死生観が形作られました。実は、私達が本当に考えるべきは『二人称の死(親しい者の死)』、『三人称の死(赤の他人の死)』についてであり、『一人称の死(自分の死)』について延々と考えても仕方のない事だと思います。そして、『死』について考えるといっても、過去に死んだ経験をした事のない現在を生きている私達に出来るのは、結局のところ『何時来るか分からない死までの時間をどう生きるか』について考える事だけなのです。『死の瞬間』や『死んだ後の事』がどうなるかは、実際にその時になってみなければければ分からないのですから。
この過程で、自分はモノ(自動車)と向き合う仕事よりも人と関わる仕事がしたいと思う様になり、もともと料理が嫌いでなかった私は、民間療法に取り組む傍ら夜学で調理師の専門学校に通って調理師の資格を取り、卒業と同時に広島の会社を辞め、ある自然食のレストランに就職しました。自分の作った料理を美味しそうに食べてくれる人達と関わる自分という明るい未来を想像しながら仕事を始めました。
しかし、仕事を始めて2週間もしない内に、持病のアトピーが原因で両手の皮膚が洗剤等でただれてしまい、仕事が続けられなくなってしまいました。自分のやりたい事を自分の身体が拒絶するのです。明るいはずの未来はなくなってしまいました。泣く泣く仕事を辞めた私は、『自分は何の為に生きているのだろう/生きている価値がないんじゃないか』という様な事を考え、かなり落ち込みました。
そんな時、東京の実家で在宅死を望む祖母の介護をしていた母から、自分を手伝って貰えると有難いという助け舟を出して貰い、東京に行ってヘルパーの資格を取り、介護職として再出発する事になりました。祖母は、初めの内は大阪で叔父夫婦と同じ敷地内に暮らしていました。しかし、阪神大震災がきっかけでうつ病になり、叔父夫婦とはもともと折り合いが悪かった為に病状が悪化してしまい、11年前に東京に越してきた(避難してきた)のです。そんな祖母と実家で一緒の時間を過ごす中で、『老い』にまつわる苦しみや悲しみを見させて貰い、関わり方を学ばせて貰いました。
A 介護の現場で働くようになってから
私は、東京に来て実家で祖母と暮す様になってからヘルパーの資格を取り、これ迄グループホームで3年半、有料老人ホームで約1年、特養で半年働かせて頂きました。ここでは、それぞれの場所で働いていた時に、私が見てきた介護現場の現状、そこで感じた事をお話させて頂きたいと思います。
A-1:グループホーム
東京に来て実家で祖母と暮しながら、グループホームで平成16年3月から約3年半働かせて貰いました。私は、人間は自分が体験した範囲内でしか物事を理解する事が出来ない存在だと思っているので、『生老病死』を自分なりに理解するには、現実に『生老病死』と向き合っている人に関わらせて貰う事が一番だと思っています。その様な考えと、お金を稼がなくては生活出来ないという現実的な問題から、グループホームがどういう所であるかも分からず、兎に角経験を積む為に、まずはグループホームで働き始めたのです。
グループホームで、祖母以外の様々な形の『老い』と関わらせて頂いたのですが、現場で働いている間は、私の『生老病死』に対する見方・考え方、入居者との関わり方に対する考え方と、他の職員のそれとがかなり懸け離れていて、常に悶々とした時間を過ごして来ました。因みに、私の『生老病死』に対する考え方は、『生老病死』は人間の持つ自然であり日常の出来事、本来は『生老病死』が人生の中では当たり前の出来事 であり、入居者との関わり方に対する考え方は、自分がされて嫌な事は他人に対して行わない事 です。
グループホームという施設は、認知症と診断された高齢者に対し、共同生活住居の中で9人程の小さな集団を1つの生活単位(ユニット)として、入浴、排泄、食事(調理・買出しも含む)、その他日常生活上の世話や機能訓練を行う施設です。職員体制は、1ユニット5〜6名で、夜勤や休みを考慮してシフトを組むと日中2〜3名、夜勤1名の体制となります。夜勤は入居者9名を職員1名で介護します。
ここで働き始めて暫くの間は、入居者と一緒に食事の献立を決めたり調理をしたりしてそれなりに楽しく過ごしていましたが、暫くして自立支援の名の下に、認知症と診断された入居者に入居者主体で調理をさせる、介護職は黒子だからとなるべく一緒には作業を行わず遠目で見守りをし、職員同士はヒソヒソ話で情報交換を行い、介助は入居者が出来ない所だけを見極めてそこしか行わない。一緒に調理をしようとする職員に対しては『手を出し過ぎる』、或いは『それでは自立支援にならない』という様な事をいう職場に変わってしまいました。そして、その事に対し『これが認知症の人に対する自立支援の関わり方だ』と何の疑問も持たない職員が殆どだったのです。その職員の中には料理が出来ない職員もいれば、洗濯物の干し方も知らない職員もいます。更には、『自分がここに入る様な事があっても、絶対に料理なんかしない』という男性職員もいました。この様な職員の言動や関わり方に、私は違和感を持っていました。このグループホームに限った話ではなく、介護の現場では、自分は『生老病死』と関係ない所に立って、『生老病死』やそれと向き合っている人達を自分とは切り離された世界みたいにして考えている職員が多いと思います。自分が出来ない事、されたら嫌な事も、認知症と診断された人達には自立支援と称して調理などをさせる。大体、私達の目の前にいる高齢者は、80歳、90歳の心と身体をこの人生で初めて経験しているのです。つまり全てが初体験です。どの様な事であれ、誰だって初体験は戸惑い、困惑するのが当たり前です。分からない事だらけです。その自分にとって初めての『老い』と向き合っている人に、まだ『老い』を自覚していない、『死を視点に入れた生』を考えた事のない人が、『老い』を分かった様な顔をして自立支援と称して高齢者と関わる事は如何なものかと私は思うのです。『あんたもこの歳になったら分かるよ』というのは祖母の口癖でした。
先程も申しましたが、相手が認知症であろうとなかろうと、私は人間関係の基本は『自分がされて嫌な事は他人に対して行わない』事だと思っています。どんな大義名分があったとしても、基本的にこの事は優先されるべきです。また、私は調理にしても洗濯や掃除にしても、出来る限り入居者と一緒にやりたいタイプの職員で、本人がやりたい時には一緒に行い、本人がやりたくなければ職員が代わって行っても構わない、何も無理やりやらせる事はないと考える職員でした。そもそも出来る/出来ないが大事ではなくて、『老い』と向き合っている人と一緒に何かをする中で、私達がその人を通して『老い』を学ばせて貰う、どの様に関われば『死』までの時間を『こんな兄ちゃんがこうやって関わってくれるなら、まあ悪くない人生やったな』と思って貰えるかを考える事の方が大事だと私は考えているので、仕事中は日本に居るのに日本語が通じない様な思いに囚われ、職場の中では浮いた存在でした。私は、認知症の介護とは?とか認知症ケア専門士などの資格を作る事を議論する前に、まず根本的な問題として『認知症』というのも自然な『老い』の形の一つであると理解する事、問題は認知症の人にあるのではなく、その人に関わる周囲の人間の『生老病死』、特に『老病死』に対する見方・考え方(つまり死生観・人間観)だと思っているので、職場の中で話の合う職員はいませんでした。
その様な中、私の腫瘍は成長を続け、これ以上様子見が難しくなってきました。大阪で食事療法を始めて半年位してから、主治医から『君の腫瘍に効果のありそうな放射線治療が確立されたので、2度目の手術は放射線治療とセットで考えている』と告げられ、主治医の勧めもあって千葉の稲毛にある放医研(放射線医学総合研究所)で現時点での私の状態を診察して頂きました。結果は、『今の腫瘍を出来る限り摘出してからでないと放射線は当てられない』との事で、最悪は『失明+左半身麻痺』の状態となるとの事でした。その為、手術を受ける迄には様々な葛藤がありましたが、結局はグループホームで働き始めて3年になる頃、平成19年1月に2度目の手術を受けました。結果的には外科手術のみで放射線治療はデメリットが大きかった為に行いませんでした。こうして2度目の手術は無事に終わり、生まれてから3回目の命を拾う事が出来ました。
しかし、2度目の手術を終えて自宅療養が始まると直ぐに、13年前もそうでしたが予想以上に気力・体力が衰えている事に対してとてもショックを受けました。それに加え、今後5年後なのか10年後なのか分からないけれど3度目の手術をする事はほぼ確定しており、手術の度に視力を失う、手足に麻痺が残る等の障害を新たに抱えて生きていかねばならないという事実も自分を落ち込ませました。
この病気に感謝しているのは本当です。色々な事を気付かせてくれた事に感謝しています。それなのに、現実問題落ち込んでいる自分がいる・・・、その事がとてもショックでした。何故、これ程までに落ち込み、不安になるのか、自分の心と向き合う時間は病気から沢山与えて貰っているので向き合う事にしました。
自分の心と向き合ってみると、世間で当たり前として使われている価値基準(物差し)、例えば
○ 健康はプラス、病気になる・障害があるはマイナス
○ 出来る事はプラス、出来ない事・出来なくなる事はマイナス
○ 性格が楽天的(or明るい)な事はプラス、悲観的(or暗い)な事はマイナス
○ 病気になる事・障害を持つ事は不幸な事、可哀相な事
等、自分の中では既に書き換える事が出来たと思っていた価値基準が、きちんと書き換えられていなかったという事が改めて分かりました。そして、何故ここまでショックを受けているのかを私なりに突き詰めて考えた結果見えてきたのは、病気になる・障害を持つという事は『普通じゃなくなる』という事で、それは世間というメンバーズクラブの会員として認めて貰えなくなる事を意味しており、この事に対する不安を肌で感じていた為にショックを受けていたという事なのです。これは、理屈ではなく世間で暮らす(社会的動物といわれる)私達の根源的な不安だと思います。この不安は、実は私達が暮らす世間の価値基準に関わる問題なのです。世間の価値基準については後でお話します。
『死ぬ』という視点から見れば、健常者、病人、障害者、老人に違いは無くみんな同じであり、人生の幸・不幸を決めるのは人生の中で次々に起こってくる出来事そのものではなく、その出来事を自分がどう受け止めるか、その出来事から何を学びどんな気付きやメッセージを得ていくか、という事が人生の真実であると自分なりに消化・吸収出来ていると思っていただけに、今回の出来事はショックでした。今も日々揺れ動く心と向き合っていますが、今自分が人生から問われている事は、世間で当たり前と思われている価値基準や自分の良心というものを、もう一度疑ってみる必要がある事だと感じています。
グループホームでは、施設を運営する事業者の方針にもよりますが基本的にターミナルケアは行いませんし、看護職もいません。介護度が重くなる(身体介護が必要になる/他入居者との共同生活に支障が出る等)と退所しなければならず、入居者、入居者の家族は心身の状態が悪くなってから放り出され、新たな受け入れ先を探さなければならないのです。
3ヶ月程休職した後、仕事復帰をした私は、グループホームではターミナルケアは行わない事と、『生老病死』に対する見方・考え方や関わり方に対する考え方も折り合わなかった為、ターミナルケアを行っている場所で『生老病死』を学びたいと考える様になりました。丁度、祖母の状態もターミナルに近づいてきていた事もあって、祖母の看取りの介護の練習の為にも身体介護も出来てターミナルケアも行っている有料老人ホームへ新たな希望を胸に平成19年9月に転職しました。
A-2:有料老人ホーム
祖母の看取りの介護を学ぶ為にもターミナルケアを行っている場所で『生老病死』を学びたいと新たな希望を胸に転職したのですが、思っていたよりも早く、有料老人ホームに転職した月の終わり、平成19年9月末に、家族全員で祖母を自宅で看取る事が出来ました。祖母はうつ病以外に大病を患う事はなかったので、死にゆく過程は樹木が枯れていく様な自然な老衰でした。しかし、自宅で亡くなる、しかも自然な老衰で亡くなるという事が、現代では非常に難しい事なのだという現実にも直面しました。祖母も含め私達家族は、自宅で最後の脈を取って貰いたいが為に、自宅から徒歩5分程の所にある内科医に祖母が東京に越してきた頃から掛かり始め、ビタミン剤等を処方して貰っていました。しかし、祖母が亡くなる3年程前に、この主治医に『祖母が在宅死を望んでおり、私達家族も祖母の望みを叶えてやりたいので、最後の脈を取って貰えますか』と私の母が相談に行った時に返ってきた答えは、『その時は救急車を呼んで病院へ行って下さい。Tさん(祖母の名)が糖尿病なり何らかの疾患をお持ちで、私がずっと治療を行っていたのならご希望に沿う事も可能ですが、そういった事がないので対応出来ません』というものでした。そうすると、このまま祖母が自宅で亡くなった場合、主治医がいないので警察に連絡する必要があります。そして、警察が現場検証を終えるまでの間は家族といえども祖母に指一本触れる事は出来ません。つまり、不審死扱いとなって警察で監察医が遺体を調べ、事件性がければ死体検案書(死亡診断書ではない)を書いて貰えます。こうなって初めて次の行動が起こせるのです。これは、死亡診断書というのは亡くなった人を継続して診療していた医師が書く事を法律で義務付けている為です。これでは祖母が望んだ自宅での看取りを行えません。当てにしていた主治医からこの様に突き放され、私達家族は『現代は、自宅で死ぬ事は限られた人(末期がん患者)にしか出来ない事で、老衰で亡くなるのはとても難しい事なのだ』と途方に暮れてしまいました。
ここで、ちょっと皆さんに聞いてみたいのですが、皆さんは病院で死にたいですか、それとも自宅で死にたいですか。自宅で死にたいという方に伺いますが、例えば自分の住んでいる地域の中に往診をしてくれる医療者を、つまり自宅での看取りを支えてくれる医療者を見つけておく、自宅で家族を看取る、自分を看取って貰う為に『死までの時間の過ごし方』について普段から家族の中で話し合っておく等、自宅で死ぬ為の準備をしていますか。そして、よく聞く話ですが、いざその場になった時に遠くの親類が出てきてあれこれ言ってきたとしても死に行く家族の思いを守り通せる位、皆さんの腹は括れていますか。例えば、皆さんが在宅死を望む老親と同居しているとして、『まだ自分で身の回りの事は出来るし元気だから、往診が必要になってから医者を探そう/医者に連絡しよう』と考えてはいませんか。それでは対応が遅すぎるという事があるのです。私達には『死』が自分に何時訪れるのか分かりません。それは明日来るかも知れないし、今日この後来るかも知れないのです。自分の場合は、あれこれ考えて延命拒否など事前指示書の準備をしていても実際はその時の状況に身を任せるしかありません。でも、家族の場合は違います。きちんと準備をしていれば自宅での看取りが出来るのです。しかし、その時になってから慌てて往診してくれる医者を探しても、皆さんが思っている以上に見つからないのです。医者なら誰でも在宅死を支えてくれる訳ではありません。家族の容態が急変した時に初めて連絡を貰った医者にしてみれば、どの様な経緯でその様な状態になった患者さんなのか家族の話を聞いただけでは状況が飲み込めませんから、『救急車を呼んで病院へ行って下さい』としか言えないのです。この事は是非覚えておいて欲しいと思います。
しかし、探していると道は開けるもので、母の知人からの情報と朝日新聞のコラムで、『病院で死ぬという事』という本の著者でホスピス医でもあった山崎章郎先生が、私達の自宅から車で30分位の場所で末期がん患者や祖母の様な高齢者の在宅死を支える往診専門のクリニックを開業している事をしり、祈る思いでまだ元気であった祖母と共に平成18年4月に相談に伺いました。その結果、晴れて山崎先生の患者の一人に加えて貰えたのです。その後は、祖母が亡くなる1週間前位迄は月1回血圧や脈を計り、少しおしゃべりをして帰るという形の往診で医療面のサポートをして頂きました。山崎先生という主治医に出会えた事で、祖母は勿論私達家族も、いざという時に助けて貰える医療者がいるという安心感を得る事が出来たのです。最も心強かったのは、山崎先生が私達の思いを尊重し、常に優先してくれた事です。死にゆく過程で、山崎先生は@提携先には総合病院もあり、本人が望めば救急搬送も可能である事 A口からの飲食が難しくなった時には、自宅での点滴による療養も可能である事 Bしかし、これらは容態を回復させる訳ではなく単なる延命であり、本人にとって苦痛を長引かせる結果になる という事を説明して下さり、祖母も私達家族もそれらは望んでおらず、自然な形で死なせてやりたいと告げると、この思いを最後まで支えてくれたのです。そのお陰で、祖母を自宅で看取る事が出来たのです。
祖母が亡くなる迄の間、『老い』にまつわる苦しみや悲しみを沢山教えて貰いました。それだけではなく、『亡くなる際の生の完成』というのはこうするのだという、とても貴重な『死に際の姿』を見せて貰いました。祖母は、亡くなる2日前に私達家族を枕元へ呼び、一人一人に面倒を見てくれた事に対するお礼を述べてから旅立ったのです。祖母の隣で寝ていた母が気付かない位、静かで穏やかな最後でした。祖母の姿を見て、願わくは私もこの様に死にたいと思いました。祖母の『生老病死』に関わらせて貰い、祖母を自宅で看取る事が出来たという経験は私達家族にとって、何より私にとってとても貴重なかけがえのない経験となりました。
祖母を看取った後も、ターミナルケアを行っている場所で『生老病死』を学びたいとの思いから約1年有料老人ホームで働き、グループホームとはまた違う様々な『老い』の形に関わらせて貰いました。しかし、入居者一人一人とじっくり関わる事が出来ませんでしたし、容態が急変した時には病院へ救急搬送してしまう事が殆どでした。家族が希望するのであれば、ホームでの看取りを行うのですが、私が有料老人ホームに在籍していた間でホーム内での看取りを経験する事はありませんでした。殆どが病院でお亡くなりになっていました。介護職はホームでの看取りに不安を抱いていましたので、職員同士で『死』に関する話は出来ませんでしたし、入居者やそのご家族とも『死』に関する話などは全く出来ず、『生老病死』の学びを深める事はなかなか出来ませんでした。
私の居たホームは、入居一時金1000万、月30万の費用がかかり、入居者34名のそれ程大きくはありませんが比較的高級な部類の老人ホームでした。全職員数は看護・介護合わせて11〜12名で、入居者3人に対し大体職員1.5名と介護保険上では比較的手厚いといわれる体制を確保していました。それでも、夜勤や休み等を考慮してシフトを組むと、日中の職員数は4名、夜勤は2名の体制です。夜勤は、時間帯によっては入居者34名を職員1名で介護します。各シフトにはそれぞれ役割が決まっていた為、日中自由に動ける職員は入居者34名に対し実質2名で、しかもナースコール対応に忙しく、食事、排泄介助や誘導の時を除けば基本的に入居者はほったらかしの状態でした。思ったよりも早く祖母を看取り終えた為、その後は介護技術の習得の為と『自分が変わらなければ何処へ行っても同じ』と自分に言い聞かせ、入浴介助や排泄介助、食堂への誘導の際の限られた時間の中で、何とか入居者と関わる事が出来る様に色々工夫して働いていましたが、こなさなければならない業務を気にして入居者と向き合う時間が取れない事と、『生老病死』に関する話し合いを職員や入居者と出来ず、『生老病死』への学びを深める事が出来ない事に悩んでいました。そんな時、グループホームで一緒に働いていた人に、身体介護・ターミナルケアを行っていて、尚且つグループホームの規模で入居者と関わる事が出来ると期待していたユニットケアを行う新設の特養に誘われました。今度こそ、少人数で、しかもターミナルケアを行っている場所で『生老病死』を学べると思い、平成20年8月に転職を決心しました。ユニットケアを行う特養とは、簡単に言えば、グループホームと従来の多床の特養を足して2で割った様な所だと聞いていたからです。
A-3:ユニット型特別養護老人ホーム
ユニットケアとは入居者を10人程度のグループに分けてそれぞれを一つの生活単位(ユニット)とし、少人数の家庭的な雰囲気の中でケアを行うものと定義されています。ここでなら介護技術を磨きながらターミナルケアを行い、入居者と関わる時間もあり、今度こそ『生老病死』の学びを深める事が出来ると期待して転職したのですが、現実は甘くありませんでした。
私のいた特養の職員体制は、各ユニット5〜6名で、この中から夜勤や休みを考慮してシフトを組みます。確かに有料の時に比べて、日中は10人の入居者に対し職員2〜3名で関わる為、入居者一人一人と関わる時間は持てました。しかし、基本的に身体介護の必要がない入居者は、やはりほったらかしになりがちでした。そして、夜勤はグループホームの様に各ユニットに夜勤が1名いる訳ではなく、40名の入居者を2名の職員で介護をする(時間帯によっては40名を職員1名で介護します)体制であり、有料よりも身体介護の必要な入居者の数は多かったので、結果として負担増です。しかし、これは介護保険法で定められたごく普通のユニット型特養の職員体勢なのです。私は4ユニット(入居者40名)あるフロアに配属されました。そして、私の配属されたユニットは入居者10名中8名に排泄、更衣等の身体介護が必要であり、その中の6名には食事介助も必要でした。この施設の職員体勢では、日によってはユニットに夜勤・夜勤明けのいない日があり、職員1人で6名の夕食・朝食の食事介助、8名の就寝・起床介助を行わなければならず、結局は時間に追われて身体的・精神的に余裕はありませんでした。また、一緒に働く職員はグループホーム、有料老人ホームの時と同じで、自分は『生老病死』と関係ない所に立って、『生老病死』やそれと向き合っている人達を自分とは切り離された世界みたいにして考えている職員が殆どでした。食事量の減った98歳の入居者に対して、無理やり食事を口に入れようとする介護職や、『このまま何も食べないのなら、胃に穴を開けて貰うしかないよ?それは嫌でしょ、だから食べなさいよ』と声掛けする様な看護職もいました。そして、特養なのですが、私のいた特養では基本的に容態が急変したら病院へ救急搬送され、ターミナルケアは行わないという施設でした。結局、此処でも介護・看護職、入居者の人達と『生老病死』に関する話し合いをする事で『生老病死』への学びを深めていく事は出来ませんでした。
その為、『自分が変わらなければ何処へ行っても同じ』と自分に言い聞かせ、これまでの施設と同様に閉塞感に包まれながらも、自分一人でも『生老病死』を考えていこうと思いながら仕事をしていました。しかし、アトピー持ちの身体には有料ホーム、特養での時間に追われて数をこなす身体介護はかなりの負担になっていたのでしょう、特養に転職して半年でアトピーが原因で今度は両手両足の皮膚がただれて、気が狂いそうになる程のひどい痒みに悩まされる状態になってしまい、仕事を辞めざるを得なくなってしまいました。今度も自分がやりたい事を自分の身体に拒絶されたのです。今は自宅療養の身で、今出来る事を1日1日するだけです。
B 介護の現場で働いて感じた事〜関わる側にその人なりの死生観・人間観が必要である
これ迄お話させて頂いた事は、介護の世界で働いてきた中で私が見た現状と、働いてきた中で感じた私個人の考えです。私の経験で得た考えが唯一正しいとか一般化するつもりはありません。しかし、恐らく殆どの施設で先程お話した様な事は大なり小なり現実に起こっていると思います。何故この様なことが起こるのでしょうか。原因は何処にあるのでしょうか。
私は、自分の事は棚に上げて自立支援の名の元に入居者に調理等をさせる事をよしとする、容態が急変したら病院搬送、食事を口から摂れなくなれば胃に穴を開ける等が起こってしまう原因は、本人やご家族は勿論ですが、特に医療・介護の立場の人間がその人なりの死生観・人間観を持っていない事に原因があるのではないかと思っています。
私がこれまで介護の現場で働き続けてきて痛切に感じている事は、場所は勿論大切であるけれども、場所だけではなくそこで働いている人がどの様な死生観・人間観を持って働いているかという事の方がもっと大切であるという事、そして自分が変わらなければ何処へ行っても同じだという事です。これまで介護の現場で関わった人達の中で、『生老病死』、特に『老病死』というものを自分自身の問題として受け止めて考えている人に出会う事は殆どありませんでした。勿論、『知識』として人は年老いて病気になり死んでいく事は『知っている』けれども、実体験が伴っていない為に表面的にしか理解出来ていない、或いは自分から切り離された問題の様に思っているのではないかと感じてしまうのです。自立支援・その人らしい生活等と称して、その人の生活の質を高める為にはどうすればいいかといった『生』の話はケアプラン等を通じて話題に上りますが、残念ながら、それは『死を視点に入れた生』についての話し合いにはなっていません。私達がしなければならないのは、高齢者との関わりを通して『どの様に関われば、上手にあの世に行く為の橋渡しが出来るか』を考える事ではないでしょうか。それには、関わる側に、特に医療・介護の側にその人なりの死生観・人間観が必要だと思います。
C 自分は死なないと考えている人へ〜『死』に対する実感が持てない現代人
『生老病死』は人間が生まれつき持つ自然であり、当たり前の出来事です。ここでいう自然とは、人間が意識的に作ったものではないという事です。生まれてくるのは自分の意思ではありませんし、歳をとるのもひとりでにとります。自分がどんな病気になるのか、何時死ぬのか、それは何故なのか、それもいっさい不明です。そしてそれが、人間が持つ自然としての人生です。この全ての人にとって当たり前の出来事である『生老病死』ときちんと向き合わないというのは、当たり前の事を当たり前として受け止めない・考えない事になってしまいます。レストランに行って自分の食べたい料理をウェイトレスさんに決めて貰う人は殆どいません。『生老病死』を考える事はそれ以上に大切な問題ですから、他人任せには出来ない筈です。介護・看護の世界では、『QOL(クオリティ・オブ・ライフ)=人生/生活の質』が声高に叫ばれていますが、現代の様に『生老病死』という当たり前の事を当たり前として受け止めない・考えない状況の中では、『死までの時間をどの様に生きるか』という『人生の質の向上』は難しいと思います。
私は、現代人は何時の間にか自分は死なないと考える様になっていると思うのです。死に対する実感が持てなくなっているのです。病気になって初めて健康の有難さを痛感するけれども、治療をして病状が落ち着いた状態が何年も続くと、その状態が当たり前の事になってしまいます。また、家庭を持ち仕事をされている男性陣に多いのですが、自分が奥さんの半介助で、介護保険流に言えば生活支援を受けて暮しているとは思ってもいないでしょう。自分は自立している(自分の世話は自分でしている)と思っているでしょうし、奥さんが家事をする事は当たり前、奥さんが自分より先に死ぬ事はない、自分は死ぬまで奥さんに面倒見て貰えると根拠のない自信をお持ちだと思います。例えば仕事が休みの日にお昼頃まで寝ていても、洗濯物は干してあって、ご飯の支度は整っている等、これらは日常の出来事として当たり前だと思っているでしょう、『養ってやっている』のだから。仕事に関しても、様々なシフトを組んで交代で仕事をされている方も多いと思いますが、このシフトにしても、当たり前の様にそこで働く人やその家族は病気や怪我をしない前提の下で、最低限の人数で組まれています。勿論、この様にしないと仕事が回っていかない事は分かっています。でも、本当に当たり前なのでしょうか。
癌の告知を受けた方は、日本人の3人に1人が癌で亡くなるご時勢であっても青天の霹靂だったと感じる事が多いと聴きます。人は病気になって初めてその病気が持つ痛みや苦しみ、悩み、そして健康の有り難さを知ります。これを難しくいうと、病気になって、つまり自分が体験して初めてその人にとってその病気が『現実になる』という事です。この事から分かるのは、何らかの形で癌という病気を自分が体験した事のない人にとっては、癌という病気は『知識』としては知っているけれども『現実ではない』、つまり、その人とって癌という病気は『ない』のと同じだという事なのです。この『現実』という事については後でお話します。
世の中には当たり前な事、確実な事は殆どありません。自分の思い通りにならない事だらけですが、実はこれが当たり前です。でも、この様な不確実な世の中で、確実な事が一つだけあります。それは『死』なんです。これだけ不確実な世の中にあって唯一確実な事は『死ぬ事』なんです。しかし、現代ではその唯一確実な事である『死』に対する実感が持てなくなっています。
『生老病死』の中でも特に『死』という問題は、人がなかなか直視したがらない問題です。しかし、人間である以上、病気であろうとなかろうとリミットは必ず来ます。生きとし生けるものは全て、いずれの日か必ず死にますし、これは自然な事・当たり前な事・仕方のない事です。これだけは間違いありません。過去に死ななかった人は一人もいませんし、人間の死亡率は100%です。『死』の前では、健常者も病人も障害者も老人もありません。どの様な立場の人でも同じなのです。つまり、これは全ての人にとっての課題なのです。
『生老病死』は人間の持つ自然であり、当たり前の出来事です。本来は『生老病死』が人生の中では当たり前の事なのに、現在はこれが全て問題とされています。その中でも特に『老病死』が問題とされています。生まれる所は現在では殆どが病院、そして、核家族化・社会の高齢化が進み、老いれば事情は様々ですが施設へ入所、死ぬ所も東京では90%以上は病院です。この様な形で、私達は『生老病死』を意識の中から排除しよう(見ない様にしよう/考えない様にしよう)としてしまいます。つまり、私達は日常生活をする自宅の中から『生老病死』を『ないもの』にしているのです。その為、『知識』として人は年老いて病気になり死んでいく事は知っているけれども、実体験が伴わない為に表面的にしか理解出来ていない、或いは自分から切り離された問題の様に思っているのではないかと感じてしまうのです。というより、理解のしようがないのです。いわゆる『普通』の人にとっては日常生活の中に『生老病死』が『ない』のですから。
この『ある』とか『ない』という言葉は面白い言葉です。仏教の考え方ですが、何か物があっても、それを見なければ/見る者がいなければ『ない』と同じ、たとえ見えていてもそれを『認める心』がなければ『ない』と同じです。『認める心』がないというのは、要するに『気がない/関心がない/興味がない』という事です。
認める心がなければ、たとえ物があっても『ない』と同じ。誰かに言われて、或いは病気になって(癌になって)という様に自分が体験して初めて、心がそれを認めて『ある』事に気付く。その時、初めてそれが/病気が自分にとって『実在』となる、つまり『現実』となるのです。先程もお話しましたが、ここでいう『現実』とは何かというと、私達一人一人の『行動に影響を与えるもの』という事です。ですから、『現実は人によって違う』のです。この為、何か物があっても、癌という病気の存在を知っていても、その『知識』が私達の行動に影響を与えないのであればそれらは私達にとって『現実』ではない、つまり『ない』のと同じなのです。例えば、普段私達にとって健康というのは『ない』のと同じです。何故なら、健康の有り難さは病気になって初めて痛感するからです。残念ながら、病気なり身体的な障害でもない限り、日常生活の中で私達が健康の有り難さを意識する事は殆どありません。また、在宅死を望む老親と同居している家族が『まだ自分で身の回りの事は出来るし元気だから、往診が必要になってから医者を探そう/医者に連絡しよう』と考えているとしたら、その家族にとって親の死というのは『現実ではない』という事です。
兎に角、ここで申し上げたい事は、現代の様に『生老病死』という当たり前の事を当たり前として受け止めない・考えない状況の中では、日常生活の中に『生老病死』が『ない』のですから『死までの時間をどの様に生きるか』という『人生の質の向上』について考える事は難しい、というより考えようがないという事です。
D 『死を視点に入れた生』を考える
私は、『死を視点に入れた生』を考える方が人生の厚みをより増してくれると思っています。ある意味で、病気を頂いている私は恵まれているとも言えます。肉体の有限という事を視点に入れて自分の人生を考えざるを得なくなり、病気のお陰で、どれだけ生きたかという『人生の長さ』ではなく、どの様に生きたかという『人生の質(笑顔で死にたい)』が大切である事に気付く事が出来たからです。そして、それ迄は人生を現在から未来へ向かって見ていましたが、病気を頂いてからは後ろ側から現在を見る様になりました。『あと○○年生きられるかな』といった具合です。お陰で、『今日を大切に生きよう/1日1日を丁寧に生きよう』という事を心掛けて過ごせる様になったからです。
繰り返しますが、『生老病死』の中でも特に『死』という問題は、人がなかなか直視したがらない問題です。しかし、人間である以上、病気であろうとなかろうとリミットは必ず来ます。ですから、これは全ての人にとっての課題なのです。この全ての人にとっての課題である『生老病死』ときちんと向き合わないというのは、当たり前の事を当たり前として受け止めない・考えない事になってしまいます。介護・看護の世界では、『QOL(クオリティ・オブ・ライフ)=人生・生活の質』が声高に叫ばれていますが、現代の様に『生老病死』という当たり前の事を当たり前として受け止めない・考えない状況の中では、どう頑張っても『死までの時間をどの様に生きるか』という『人生の質の向上』は難しいと思います。『人生の質の向上』を考える上で大切な事は、『生老病死』に対する私達の見方・考え方(つまり死生観・人間観)であって、『死を視点に入れた生』をどの様に考え、どの様に生きるかだと思うのです。
E 私の死生観・人間観
私は、自分の目の前にいる『生老病死』と向き合っている人達は『明日の自分』の姿であるから、これらの人達と関わらせて貰う事で、やがて自分や親に訪れる『死』に対する準備・心構えを学ばせて貰いたいと思っています。ここでは、これまでの自分自身の実体験の中から形になってきた、今の時点の私の死生観・人間観についてお話させて頂きたいと思います。
E-1:死生観
『死』について考えてきた中で出会った本の中で述べられていた考え方が、今の私の死生観になっています。ご参考までに、その本とは、飯田史彦氏が書かれた『生きがいの創造』という本と、朝日俊彦氏が書かれた『笑って死ぬために』という本です。その考え方を少しご紹介します。
・ 人生というのは、自分が生まれる前に『今回の人生ではこういう事を学ぶ』と自分自身で作り上げた問題集のようなもの。そして、『死』を迎えた後で答え合わせをするという考え方。
・ 人生の中で起こる様々な出来事は、事前に自分が用意しておいた学びのプログラムであり、全て順調な事である。そして、問題を解決出来る/出来ないも大切であるが、それよりもその問題を避けずに取り組み、そこから様々な学び・メッセージを得ていく事。
・ 私達は日々の生活の中で諦める練習をさせて貰っている。晴れて欲しい時に雨が降った、好きな人に振られた、受験に失敗した等など。そして、最期にもう少し生きたかったけどお迎えが来たという事で諦めの仕上げをするのです。病気になろうが障害を持とうが、自分の人生においてはそれが順調な事。病気になったから、そこから学べる事が沢山あり、今この時に自分は病気になる必要があって、病気になる事にも価値がある
E-2:人間観〜人生は循環のサイクルにあるのが人間本来の姿
私の人間観は、『幼児期、子供期を経て老年期になるにつれてもう一度子供期、幼児期へと戻っていく循環のサイクルにあるのが、人間本来の姿である』というものです。これは、『老人介護とエロス』という本の中で芹沢俊介氏が述べておられる考え方が参考になっています。しかし、この人間観は、単なる論理ではなく、祖母や祖母以外の『老い』と直接触れ合う経験を通して得られた、私にとっての真実です。ここで申し上げたいのは、『人生は循環のサイクルにあるのが人間本来の姿である』という人間観を持って、『生活の場では、関わる相手の置かれている状況に応じて関わる側が普段使っている価値基準を変えるべきではないか』という事です。
介護の世界に入って、また実家で祖母と一緒に暮すようになって、初めて高齢者と同じ時間を一緒に過ごすという経験をしました。私にとって良かった事は、介護の世界に入ったお陰で祖母以外の『老い』の形と直接触れ合う経験を持てた事です。そして、様々な『老い』の形と関わらせて頂く中で、人間は、胎児期、幼児期、子供期、青年期、壮年期、向老期、老年期と一直線に進んでいく・生涯発達していくのではなくて、老年期になるにつれてもう一度子供期、幼児期へと戻っていく循環のサイクルにあるのが、人間本来の姿ではないかと実体験を通して思える様になりました。
私達は普段、出来た事、出来る事、してきた事、しうる事を人生の判断基準・価値基準にして生活しています。この基準を『する』という言葉で表してみます。学校的な場所は、全て『する』という価値基準で動いていますし、学校的な場所より一段上の社会的な場所では、『あなたは私に対して何が出来ますか』『あなたは社会に対して何が出来ますか』という事が問われます。この出来るという能力、出来たという事の実績を基準に評価がなされ、評価に基づいていくらかの報酬を得て、大人になった私達は生活をしています。やった事・起こった事に対する報酬で成り立つ世界、つまり今の私達は経済中心の世界で生活しているのです。
当然、世間は『する』を価値基準にして成り立っています。なお、世間における『する』は、ただ何かが『出来る』だけでは価値がなく、基本的に『目に見える形でお金になるかならないか』が重要視されます。男性陣の使う『養ってやっている』という言葉からも分かる様に、世間における『する』は家事や育児よりも、トヨタで働く、日立で働くという様に『きちんと頭で考えて、きちんと結果が出る仕事(シミュレーションが効く仕事)』=『目に見える形でお金になる仕事』の方に価値があると考える事が暗黙の了解となっています。要するに、今では『それをやったらいくらになるか』だけの話なのです。目に見える形でお金にならなければ価値がないという事は、それ自体には価値がないという事です。ですから、今の世間では基本的にシミュレーションの効かない育児を含めた家事労働や介護には価値を認めていません。『自分が関わった事で老人に笑顔が戻りました』ではお金にならないのです。この様な『する』という価値基準で私達の日常は成り立っています。世間とは、言ってみればメンバーズクラブの様なものだと考える事が出来ます。つまり、『する』を行える事が、世間というメンバーズクラブの会員である事の証となるのです。
この『する』という言葉に対して、『ある』という言葉を使ってみたいと思います。ここでの『ある』とは、『存在そのもの』だと考えて下さい。例えば、赤ちゃんは『存在そのもの』としてここにいます。私達が赤ちゃんと向き合う時には、普段私達が使っている『する』という価値基準ではなく、『ある』という価値基準で向き合っている筈です。言葉を理解出来る/出来ない、うんこ/しっこを自分で処理出来る/出来ない、お金を稼げるかどうか、という基準で向き合ってはいない筈です。つまり、存在そのものという『ある』が人間の出発点であり、自分の名前も家族の顔や名前も分からない、いわゆる全介助の状態が人間の出発点なのです。
人間は、成長するにつれて親や世間の期待・要求によって、『ある』の段階から『する』の段階へ移っていきます。これは成長の過程での自然な流れです。しかし、何時までも『する』を基準にしている限り、『老いる』や『病む(特に障害を持つ)』という事は、ひたすら『する』の世界が縮小していく過程を辿る事だという認識から出る事は不可能です。何故なら、『老いる』や『病む(特に障害を持つ)』という事は『出来なくなる事』だからです。そして、『する』という基準で自分や他人を判断している限り、『老い』や『病む(特に障害を持つ)』と向き合っている人は、存在価値がないという事になってしまいます。現在、『老い』や『病む(特に障害を持つ)』に自立が求められているのは、この為かも知れません。何故なら、『出来なくなる事』は世間というメンバーズクラブの会員として認めて貰えなくなるという事だからです。
『生老病死』の中でも『老い』や『病む(特に障害を持つ)』というのは、この『する』の段階から脱し、もう一度『ある』という段階に戻れる状態に入った事を意味しているのではないでしょうか。しかし、私達はこの『する』から『ある』に戻っていく事をなかなか受け止める事が出来ません。『老い』や『病む(特に障害を持つ)』を見る価値基準が、『する』という所に押し込められたままになっているからです。ところが、次第に『これなら自分だと認めても良い』と思っていた諸条件が、一つ一つ剥がれ落ちていく事を自覚せざるを得ない様な現実にぶつかる様になります。『する』という価値基準の中で生きようとしても、いかんせん身体はついていかない。どんどん『ある』の状態へ近づくのです。そして、『ある』へ近づく『現実の自分』と、『する』に留まりたい『理想の自分』との間に大きなずれが生じてくるのです。何故か大人になった私達は、この『ある』へ安心して戻る事が出来ません。これは、仕事をしていた女性が結婚・出産を期に仕事を辞め、育児に専念している時に『社会から取り残されていく』という苛立ちや不安を抱き、『育児に専念している自分』という今の自分を肯定出来ない状況と似ているかも知れません。何故なら、育児は目に見える形でお金にならないからです。先程もお話しましたが、今の世間は『する』を基準に成り立っており、ただ『出来る』だけでなく『目に見える形でお金になるかならないか』が重要視されます。そして、目に見える形でお金にならなければそれ自体には価値を認めません。今の世間では基本的に『ある』という価値基準は何処にも見当たらないのです。これに対し、育児は子供の『ある』を支える為に日常的に払われる努力ですから、当然『ある』が価値基準となります。しかし、育児に専念している自分の価値基準や自分の周囲の価値基準は依然として『する』のままです。その為、『世間の価値基準である『する』を行っていない自分に、生きている価値があるのか/私は何をしているのだろう』と、今の自分を肯定する精神的な拠り所(生きる意味)が見出せず、『社会から取り残されていく』と感じるのだと思います。この様に考えると、育児も含めた家事労働、保育の仕事、介護の仕事に対する世間の評価が低い理由も分かる様な気がします。何故なら、家事労働は家族の『ある』を支える為に日常的に払われる努力であり、この努力は目に見える形でお金にならないからです。保育の仕事は子供の『ある』を支える為に日常的に払われる努力であり、介護の仕事は高齢者の『ある』を支える為に日常的に払われる努力です。保育・介護には一応お金は出ますが、その金額の少なさをみれば保育、介護の仕事に対する世間の評価がお分かり頂けると思います。介護の仕事をしているというと、世間的には『偉いですね』とか『大変な或いは立派な仕事をしていますね』などといった概ね良い評価をして頂けます。しかし、給与面など実際の世間の評価から読み取れる事は、介護の様な仕事をするよりも、もっと自分にも社会にも役立つ事があるんじゃないか、もっと自分にも社会にもお金になる事があるんじゃないかと考えているのがいわゆる世間の本音、つまりは皆さんの本音でしょうという事です。今の介護職の給与では、家庭を持って生活をしていく事はかなり厳しいのが現実です。随分前から介護現場の人手不足が問題視されていますが、この様な状況にあっても日本人が介護職になろうという動きにはなっていません。それどころか現実は、タイやインドネシアなど海外から労働力をかき集めて対処しようとしています。でも、これも上手くいってはいません。一方で、私達は相変わらずひとりでに歳をとって病気になり死んでいきます。最後は誰かに下の世話をして貰わなければ、私達は死ぬ事が出来ません。他の国の話ではなく日本人自身、つまり皆さん自身の問題なのですが、どこかで皆さんは自分とは切り離された問題の様に考えているのではないですか。
『ある』を支える為に日常的に払われる努力とは、別の見方をすれば『何かが起こらない様にする事』、『大病に罹らず、事故に巻き込まれる事もなく、普段と変わらない毎日を当たり前の様に暮らす事』の為に日常的に払われる努力でもあります。この世間では基本的に『ある』を支える為に日常的に払われる努力には価値を認めていません。これは、新聞やドラマ、映画などを見ればすぐに分かります。新聞に載っているのは『起こった事』だけですし、ドラマや映画は物語を『起こった事』だけで描いています。そうしないと面白くないしお金にならないからです。人間の毎日の生活の集積が人生=歴史だとすれば、人生の大部分は『起こった事』の裏にある『何も起こらなかった事』で埋め尽くされている事に気が付きます。私達の日常生活を考えれば、事件などは滅多に起こりません。起こったら大変です。つまり、何かが起こらない様にする為に日常的に払われている努力そのものが私達の毎日の生活なのです。しかし、この努力は普段、皆さんに意識される事は殆どありません。何故なら、何かが起こらない様にする為の努力が大切だと気付くのは、常に何かが起こってしまった後だからです。先程もお話しましたが、健康の有り難さを痛感するのは常に病気になってからです。病気になっても、手術や投薬で病気が治れば医者は感謝をされ、治療費も貰います。でも、病気にならない為に(何も起こらない様にする為に)毎日の生活の中で日常的に払われる努力は、感謝されないどころか無視されてしまいます。何故なら、『起こらなかった』病気に治療費を払う人はいませんから。この様に、『ある』を支える為に日常的に払われる努力や『ある』という価値基準は普段私達にとっては『ない』のと同じだという事がお分かり頂けると思います。『ない』のですから価値を認めようがありません。
『する』の世界から追放されても、自分を追放したその価値基準を簡単に捨て去ることが出来ないので、『老い』や『病む(特に障害を持つ)』と向き合っている人は戸惑い、あがきます。しかも初体験ですから、この戸惑いやあがきは尋常ではありません。その為、この行為が『老い』や『病む(特に障害を持つ)』と向き合っていない私達には奇異に映ってしまい、場合によっては『認知症』等といわれてしまうのではないでしょうか。この様な戸惑いやあがきは、『死』に関しても同じだと思います。
つまり、私達が『する』という価値基準のままで『生老病死』と向き合っている人に関わる限り、『生老病死』と向き合っている人は安心して『ある』という人間の出発点へは戻れないと思います。本来、『目に見える形でお金になる仕事』と『生老病死』・家事・育児を含めた『生活の場』というのは、全く次元の違う話だと思うのですが、この『する』という価値基準は、本当に生活の場でも適切な基準なのでしょうか。身長や体重を測る時にそれぞれ基準が違う様に、生活の場では関わる相手の置かれている状況に応じて、関わる側の価値基準を変えるべきではないでしょうか。つまり、人間の価値基準のベースは『ある』であり、『する』はその上に付加される補助的な基準であるという認識を持つ必要があると思うのです。健常者といわれる私達の物事に対する見方・考え方が『する』に偏っているだけであって、人間の原点は『ある』なのです。この辺りに、私達が抱えている『生老病死』という問題の根っこがある様に思います。つまり、私達の物事に対する見方・考え方(死生観・人間観)が問題なのです。
F 諦める・受け入れる勇気を持つ
『生老病死』と向き合う人達と関わらせて貰う中で、私は『生老病死』に伴う様々な悲しみや苦しみを一つ一つ『自分のもの』とする為には、それらを『諦める・受け入れる勇気』というものが必要であり、それらの人と関わる時には、自分の価値基準を変える必要がある事を教わりました。ちょっと見方を変えると、私達は日々の生活の中で諦める練習をさせて貰っていると考える事が出来ます。晴れて欲しい時に雨が降った、好きな人に振られた、受験に失敗した等など。そして、最期にもう少し生きたかったけどお迎えが来たという事で諦めの仕上げをします。先程も少しお話しましたが、『生老病死』は人間が生まれつき持つ自然であり、当たり前の出来事です。ここでいう自然とは、人間の考えの範囲に入らない、つまりシミュレーションが効かないという事です。生まれてくるのは自分の意思ではありませんし、歳をとるのもひとりでにとります。自分がどんな病気になるのか、何時死ぬのか、それは何故なのか、それもいっさい不明です。それが、人間の持つ自然としての人生です。そういった意味で、『生老病死』は『仕方のない』事です。例えば癌に罹ったとして、癌になった事は変えられませんから『仕方のない』事であり、『諦める・受け入れる』必要があります。勿論、この癌は体中に広がって手術をしても仕方がないのか、それともまだ切除可能なのか、情報を集めてこの両者を見分ける事は必要ですが、どこかのタイミングではやはり『仕方のない』事として諦める・受け入れなければなりません。実は、それには勇気が必要です。『生老病死』は人間が生まれつき持っている『仕方のない』事です。頭で考えてどうにか出来る代物ではありません。『仕方がない』と諦める・受け入れる事が出来て初めて、次の一歩が踏み出せると思うのです。でも、皆さんはどこかで『生老病死』は『仕方のない』事だと考えていないのではないでしょうか。
『諦める』という言葉は世間では消極的な意味合いで捕らえていますが、決して世間一般に思われている様な消極的な意味ではありません。『諦める』という言葉は『明らかになる』という言葉が語源です。物事が明らかになるから、次の一歩が踏み出せるのです。何度も申しますが、『生老病死』は人間の持つ自然であり、当たり前の出来事です。全ての人にとっての課題です。大切な事は、『生老病死』に対する私達の見方・考え方(つまり死生観・人間観)であり、『生老病死』に伴う様々な悲しみや苦しみを『自分のもの』として諦め・受け止める勇気を持つ事であると思うのです。
少し前に、世間で樋口了一さんの『手紙』というCDが密かなブームになっていました。その歌詞に描かれている人間像は、私が考えている様な老年期になるにつれてもう一度子供期、幼児期に戻っていく循環のサイクルにある人間の姿です。この歌は、『生老病死』と向き合っている人と、その人に関わる人達に対して、
@『生老病死』は人間の持つ自然であり、当たり前の出来事ですよ
A『生老病死』に伴う様々な悲しみや苦しみを一つ一つ『自分のもの』とする為には、向き合っている当人もその人に関わる側にもそれらを『諦める・受け入れる勇気』を持つ事が必要ですよ
B『生老病死』と向き合う人に関わる側は、関わる側の価値基準を変える必要がありますよ
という事を伝えたいのではないかと私は思います。しかし、現実問題として介護保険では『出来る事支援』『生涯発達』といって、出来る事・残存能力を少しでも残す事がその人の尊厳、QOLを支える事だと言わんばかりの関わり方を介護職に求めています。これは、介護保険、自立支援を考えている人の人間観が、私の様な循環のサイクルではない為でしょう。
この事は、ある意味で仕方のない事だと思います。何故なら、今の私達の日常生活がやった事・起こった事に対する報酬で成り立つ世界、つまり『する』を価値基準にして成り立っているからです。今の介護保険、自立支援を考えている、『老い』や『病む(特に障害を持つ)』を自覚していない健常者にとっては、自分の未来の姿がこれでは困るし目も当てられないので、言い換えると自分がその様な情けない姿になる事に対して絶望感・恐怖感を抱いているので、今自分の目の前にいる高齢者に対して『出来る事』を求めてしまうというのが本音でしょう。
自立支援、出来る事・残存能力を少しでも生かすというのは良い事の様に思えます。確かに悪い事ではありません。でも、考えてみて下さい。男性陣に当てはまる事ですが、『する』という価値基準の中で生きていた時、つまり仕事をバリバリこなしていた『普通』であった時には生活の場における事は奥さんに依存しています。五体満足で出来る能力があるのに、家事全般に関しては奥さんの半介助の状態です。しかも、その状況で問題なしなのです。しかし、『老い』や『病む(障害を持つ)』によって身体が『ある』の状態へ近付いていくと、つまり『普通じゃなくなる』と途端に『出来る事/残存能力を生かす事』を求められてしまうのが、今の介護保険、自立支援なのです。『普通』であった時には奥さんの半介助で暮していても、誰からも文句は言われず、何の問題もなかったのに。順序が逆の様な気がしますが。知人の在宅介護をしていたヘルパーさんから聞いた話ですが、90歳の一人暮らしのおじいさんがいます。一人暮らしになるまでの家事全般(生活の場における諸々の事)は、全て奥さんにして貰っていました。ですから、台所に立って包丁を握った事もありません。この様な高齢者に対して、自立支援では包丁を握って貰い、調理をさせようとします。90歳になるまで一度も調理をした事のない人に対してです。そして、そのおじいさんが調理をしないと、『声掛けが悪い』とヘルパーが会社からお叱りを受けます。おかしいと思いませんか。私は何も、全部こちらがしてあげる事がいいと言っているのではありません。ただ、生活の場にそこまで『出来る事』を求める必要があるのでしょうか。生活とはその様なものなのでしょうか。既に、現役の頃から奥さんの半介助で生きている、つまり自分が『自立』していないという事に気付かず、何をもって『自立』と言っているのでしょうか。ただ単に、依存の程度が異なるだけだと思うのですが。何だか悲しい話です。
G 良心についてもう一度考えてみて下さい
初めに少しお話しましたが、私は『良心』というものについて一度じっくり考えてみて頂きたい、そして出来ればそれを一度疑ってみて頂きたいと思っています。
胃ろう、人工呼吸器という医療行為があります。これらの医療行為は、自分や両親、配偶者などの死に行く過程で今後皆さんがほぼ確実に直面すると思われる問題です。これらの医療行為を受ける本人は勿論ですが、殆どの場合で家族である皆さんにこれらの医療行為を行うか否かの意思決定が求められるのです。
私は、胃ろうや人工呼吸器という医療行為そのものに問題があるとは思っていません。問題なのは、これらの医療行為がどの様な状況下で行われるのかという事です。つまり、年齢や身体の状態(病状等)等、本人が現在置かれている状況下で、これらの医療行為を本人が希望して受けたか否かという事です。しかしながら現実は、医療現場で働いていらっしゃる方はご存知だと思いますが、私が経験してきた介護の現場では、殆どのケースで胃ろうを行うか否かの意思決定は、医療行為を受ける本人ではなくご家族が行っています。本人の意思は未確認/不明です。飲み込みの悪くなってきた入居者が体調を崩して病院搬送された場合、ほぼ確実に胃ろうの処置を受けてホームへ帰ってきます。
胃ろうや人工呼吸器を着けると、かなりの延命効果が期待できます。しかし、胃ろうや人工呼吸器は、一旦装着してしまうと簡単に外せなくなります。一度始めてしまった医療行為は、簡単に中止する事が出来ません。つまり、表現は悪いですが一旦装着してしまうと簡単に死ねなくなるのです。年齢や置かれている状況によって個人差はあるでしょうが、これらの医療行為を現在必要としてない人達が、将来『自分が胃ろうや人工呼吸器を着けなければならない状況になった時はどうするか』と聞かれれば、そこまでして生きたくはないといってこれらの医療行為を断るだろうと思います。但し、実際にその様な状況に直面した時にも同じ考えでいられるか否かは、その時になってみなければ分かりません。しかし、これらの医療行為を受ける対象が自分の配偶者や両親であった場合はどうでしょうか。本人の意思を確認する事が出来ればまだ救いがありますが、本人の意思が確認出来ず(大抵はこのケースだと思います)、医療者や介護施設から意思決定を求められたらどうするでしょうか。ここまで来ると、ある方は『家族なのだから、どの様な状態でも生きていて欲しいと思うのが当たり前じゃないか、それが良心というものでしょう』と言って、これらの医療行為をお受けになると思います。私が先程、良心というものをじっくりと考え、一度疑ってみて下さいと申し上げたのは、この様な状況においてなのです。私の死生観・人間観を押し付けるつもりは全くありません。ただ、この時の『良心』が、配偶者や両親の死を自分が決定するのは怖い、向き合いたくないという理由から生じており、大切な家族の『死』を自分が決めたくないから、『死』を先延ばしにする為にこれらの医療行為を行うというのであれば、その後の時間は本人にとってもご家族にとっても辛い『生の完成』になるのではないでしょうか。
物理的に生の時間を延ばす事、つまり『死』のポイントを一番遠くまで持っていく事が最大の価値であるとは必ずしも言えないと思います。問題なのは、どれだけ生きたかという『人生の長さ』ではなく、どの様に生きたかという『人生の質』だと思います。そして、大切な事は私達が『生老病死』と向き合っている人から何を学び、自分の今後の人生にどう生かしていくかという事です。『QOLの向上』と言われている様に、私達にとって人生は一つの質を持ったものです。管に繋がれてベットに縛り付けられたままの2年が、胃ろうにしても人工呼吸器にしても抗がん剤治療にしても、自分の意思で行わないと決めて主体的に過ごした2日或いは2週間、2ヶ月に勝るとは必ずしも言えないのです。それを決めるのは、関わる側の私達ではありません。『生老病死』に向き合っている本人なのです。苦しいかも知れませんし辛いかも知れませんが、たとえ家族といえども、『生老病死』と向き合っている人の人生を本人の了解なしに決める事は出来ないと思います。
これらの医療行為を行うか否かという問題を突きつけられるのはとても辛い事です。しかし、何度も申しますが、『生老病死』は人間が持つ自然であり、当たり前の事です。この当たり前の事から目を背けてしまう事の方が問題なのです。そして、自分は『生老病死』と関係ない所に立って、『生老病死』やそれと向き合っている人達を自分とは切り離された世界みたいにして考えていては、何時まで経っても『人生の質の向上』は難しいと思います。そうならない為にも、普段から『死を視点にいれた生』を考え、家族で話し合って欲しいと思うのです。何しろ、本来、胃ろうや人工呼吸器、抗がん剤等、当該治療に一番熱心で真剣なのは、それらの医療行為を受ける本人なのですから。
H 最後に
この様な介護の世界に閉塞感を感じながらも、自分の病気や『生老病死』と向き合う人達と関わらせて貰った経験から、私は『死を視点に入れた生』を考える方が、人生の厚みをより増してくれるという事を教わりました。病気を頂く前は、人生を現在から未来へ向かって見ていましたが、病気を頂いてからは後ろ側から現在を見る様になり、そのお陰で、『今日を大切に生きよう/1日1日を丁寧に生きよう』という事を心掛けて過ごせる様になりました。
私は、自分の目の前にいる『生老病死』と向き合っている人達は『明日の自分』の姿であるから、これらの人達と関わらせて貰う事で、やがて自分や親に訪れる『死』に対する準備・心構えを学ばせて貰いたいと思っています。私は、私が見てきた介護現場で行われている様な関わり方をされるのは嫌だと考えているので、自分に介護が必要になった時に少しでも今より良くなっている様にと願って、今の自分に出来る事をしたいですし、しているだけです。それで実際に自分に介護が必要になった時に何かが変わっているかどうかは分かりません。何故ならこれは皆さん一人一人の『現実』に関わる問題でもあり、その『現実は人それぞれ』だからです。ただ、私にとって『生老病死』は『現実の問題』なので、この様にあれこれ考えながら介護の仕事をしているだけの話です。ですから、これからも自分の身体と相談しながら介護の仕事を続けていきたいと思っています。
本日は長い時間御静聴頂き、有り難う御座いました。
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