岩手県立盛岡第一高等学校1960年卒在京同期会
在京白堊三五会『きららさんのページ――その3』
“他の話題”



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  1. 『70歳になって―2度目の高校生気分』   Click    ..
  2. 『中学時代の思い出』            Click    ..
  3. 『蛙は冬眠中!』              Click    ..
  4. 『雪国の冬』                Click    ..
  5. 『クリスマスと我が思い出』         Click    ..
  6. 『私の「クリスマスプレゼント」余談』    Click    ..
  7. 『小学校時代の遊び―お手玉とりの歌から』  Click    ..
  8. 『お手玉の歌ほか』             Click    ..
  9. 『「ずうっとずっと大好きだよ」そして「らら、本当にごめんね」』Click..

『70歳になって―2度目の高校生気分』

 1週間ほど前、ついに70歳台に突入した。70といえば昔なら「おうな」といわ
れた歳かなあ?「おうな」=辞典でひくと、「としとった女、老女」とある。「とし
とった女」はともかくとして、「老女」とはまたあんまりな・・・。今思えば、孫に
「おばあちゃん」と言われたくなくて「あ〜ちゃん」と呼ばせているなんて、とんで
もない戯言だったなあと思わずにはいられない。               ..

 前置きが長くなったが、人生70年、来し方を振り返ってみると、まず、学齢前の
幼少期のことは、ほとんど記憶なし。次に小学生をも含めた学生時代。これは、卒業
 後も時々クラス会があったりするので、我が人生の1ページにはちゃんと入っている。
ところが、高校時代は、当時の人と会うことも話すこともなく、私の人生では、スト
ンと抜け落ちた状態であった。学生時代を過ぎて、人生は、就職、結婚、子育てへ。
子育ては仕事との両立であった。両立とはいっても、自分の子育ては人頼みが多くい
いかげんあったかもしれない。仕事は・・・といえば、自分がなりたくてなったもの
だから、私なりに充実して過ごせたと思っている。しかしこれは今だからいえるので
あって、勤めているときは結構忙しくつらいときもあったのは当然である。早く職を
退き、好きなように過ごせたらナンボかいいだろう!と思ったのも事実である。 ..
 ところが、今現在、自分が待ち望んだその暮らしになり、読書をしたり、花を植え
 たり、かつての同僚とおしゃべり会をしたり・・・とまあまあ楽しんではいるのだが、
まだまだ時間があまって退屈でならない。(いささか、題名からはずれましたね)..

 そんな気持ちで暮らしている60台半ば、友達のMさんに「在京三五会」を紹介さ
れた。その時点では、パソコンはほとんどやらなかったが、何とか教えられながら、
ホームページをのぞいて見た。すると、なんと前述したストンと抜け落ちていた高校
時代の、同期生の名前が・・・、また、忘年会、ゴルフコンペのアルバムなどでは、
 なぞ解きのようではあったけれど、それでも、何人かは見覚えのある、かつての少年、
 少女の面影を目にした。本当に高校時代にタイムスリップしたような気持ちであった。
 その後、私も恥ずかしながら駄文を投稿したりして仲間に入れてもらい、気分は全
く高校生・・・。おまけに、そのホームページを縁に高校時代には一言も言葉を交わ
したこともない方々とメールを交換したりして、今では退職後の楽しみの一つになっ
ている。                                 ..
 昨年はまた、50年ぶりの同期会では多数の懐かしい方々との出会い、そして、乙
女の頃の仲間であり、せめて気持ちだけはいつまでも、乙女でありたいと願ってつけ
た「乙女の会」、そこでは、それまでお会いすることもなくきた多くの乙女と接する
機会をもてて、現在では人生から抜け落ちていた高校時代がもどってきたような気分
でいるのである。                             ..

 ところで、今ではほとんどの方が職を辞しておられると思うので、日常生活のエピ
ソードやら、ご自分の考え、高校時代の思い出話など、ホームページ上でもっと聞か
せていただけたら・・・もっと楽しい高校時代が戻ってくるのではないかな思ってい
るのだが・・・。                             ..

 長くなったが、半年ほど前の掲示板に載ったエピソードから・・・。     ..
(同じクラスになったことはないが)高校時代には、とてもまじめでスラッとした体
格のNさん、白亜名簿によれば大学の法学部の教授をされていたとか・・・。きっと
今では白髪のダンディな紳士であろうNさんが、いまや人なかで「じさま」とお孫さ
んに言われたというエピソードを読んで、やんちゃぼうずのお孫さんとそれを苦笑し
ながらみているNさんの姿が目に浮かび、今でもほのぼのとした気持ちにさせられて
いる。なんだか高校時代のNさんの姿にマッチしないなあと思いつつ・・・。  ..




『中学時代の思い出』

 つい先日、中学校(盛岡市立下橋中学校)時代のクラスメート4人でランチ&おし
ゃべり会をしてきた。いろいろ懐かしい話が出たが、その後、私が思い出したことも
含めて箇条書きにしてみました。村野井さんも、下橋中学校出身(註)だということ
ですし、まだまだ共通の思い出がある方がいらっしゃるかも知れません。    ..

1、下橋中学校は、当時大規模校、学年10クラスあり、1クラス55人以上だっ
た。音楽コンクールでは、いつも入賞していたし、朝会で(校庭でだった)歌う、
全校生徒1500名以上による校歌も圧巻だった。私は、2年のとき転校してきた
ので、初めてそれを聞いたときは、ただただ素晴らしいと思った。      ..

2、フォークダンス 運動会ではフォークダンスがあった。練習のとき、あまり好
きでない?男子とは、指先ばかりちょんとあわせて踊った。今思えば「いじめ」か
も・・・。なおこれは私だけではない。本当に申し訳ないことをした。    ..

3、修学旅行 北海道に行ったのだが、洞爺丸の事故が1,2年前に起こったばか
りで親はずいぶん心配したが、私は学ぶより最高楽しんできた。2クラスずつ5日
間で行ったと思う。お土産には缶に入った「津軽の水あめ」、お酒の好きな父のた
めにチョコレートにウイスキーの入った「ウイスキーボンボン?」を買ってきた。
父には「川徳でも売ってるよ」と笑われたが、私は初めて目にした物だった。ちょ
っと純情?                               ..

4、薪隠し事件? その頃は、薪ストーブだった。クラスに1日分いくらと、制限
があったかどうか定かではないが、昼休みにそれ以上を教壇の下に隠した。欲張り
すぎて教壇が上がってしまい、平らにならないので、5時間目のベルは鳴るしであ
せった。なお、これをしたのは、女子数名。私も(向井田さんはどうかな?)加担
したが、怒られた記憶がないので、隠しおおせたのかも・・・。男子はまじめだっ
たのか、昼休みなので体育館で遊んでいたのか混じってはいなかった。    ..

5、校内マラソン大会 私は持久力なく先生がいないときは歩いてばっかりだった
が、向井田さんはまじめに走ってかなりいい線をいったそうだ。私は「短距離は速
い」と見栄をはったが、向井田さんには、「60年近く経って初めて知った」と言
われてしまった。                            ..

 6、ボランティアで(当時は奉仕活動といった)掃除? 岩手公園が近いので、秋、
落ち葉の頃に掃除に行った。・・・というか、私はあまり真剣に掃除した記憶がな
い。きれいな落ち葉で遊んでいたかも知れない。「ほうきを投げて遊んでいた」と
いう友人が4人の中にいたけれど。                    ..

7、ほうきにする竹取り? 岩山に庭ぼうきを作る竹を取りに、みんなで行った。
竹を取りに行ったことは覚えているが、針金でしばって、ほうきを作った記憶はな
い。誰が作ったのだろう。用務員さん?それにしては、多過ぎますよね。各自で作
るのだっただろうか?                          ..

  8、担任の先生のあだ名は「ナフタリン」といった。「ムシも好かない」からなそ
うだ。(・・・そうだ)というのは、私がつけたのではないから・・・。我々のク
ラス全部ではなく女子だけが言っていた。受験のめんどうもよくみてくれた謹厳実
直な男の先生で、本当は好きだったが、私はどうも付和雷同してしまういい加減な
女子だった。                              ..

9、男子とは、ほとんど話しをすることがなかった。高校のときと同じである。け
んかをしていたわけではないが・・・。総じて男子はまじめだった。大人になって
からのクラス会で、ある男の人が「あの時、女子はこわかった!」と言っていた。

  10、私はいくらなんでもここまではしないが、他のクラスの男子が映画館で胡椒
をまいて怒られた。担任の先生が我々のクラスにも「人に迷惑をかけることはする
な」と注意した。そのとおり!                      ..

  *4人で4時間もしゃべって、まだまだあるんだけれど、この辺で・・・    ..
*管理人さん、掲示板に長々書いてすみません!「ここじゃない」と言われてまし
 たけど。                               ..
                       ――投稿日:2012/03/20――

(註):筆者の勘違いで、実際は上田中学校出身。               ..


『蛙は冬眠中!』

 裏庭の木々の葉がいっぱい落ちて始末に困りました。歌の如く「落ち葉焚き」もし
たのですが、その後、雨が降ったりしてぬれ落ち葉になってしまい、なかなか燃えま
せん。それで、庭の隅の比較的やわらかい土のところに4,50センチくらいの穴を
掘り埋めることにしました。                        ..
 ・・・で、土を掘ったら、何とその穴で蛙が冬眠しているではありませんか! 幸
い、スコップにはあたらず、蛙は掘った穴の壁面のところで眠ったまま・・・。冬眠
中の蛙を見るなんて初めての経験です。                   ..
 ビックリ仰天の私は、そこに埋めようとしていた落ち葉を入れてすぐ土をかぶせま
した。多分、蛙は無事このまま、春まで眠ってくれることでしょう!(驚かしてごめ
んね!)                                 ..
 管理人さんの住んでおられる所は、ここ岩手と違って暖かいので蛙はまだ冬眠せず
起きていたんですね。                           ..

 ちなみに、確かに私も子供のころ、蛙を「びっき」といいました。懐かしい! 近
頃の子どもはいわないみたいだけどね・・・。                ..
                       ――投稿日:2012/11/29――


『雪国の冬』

 向井田さんしばらくです。岩手山のアルバムありがとう。          ..
   ♪大寒小寒、山から小僧がないてきた                 ..
    何といってないてきた                       ..
    寒いといってないてきた♪♪                    ..
 お山はもちろん、里もずいぶん、寒くなりました。大きい道路こそ除雪車がくるも
ののあまり歩かないところは、この写真の右側の状態ですね。         ..
                 (歩けばぐちゃぐちゃ、凍ればすべる・・・)
 我が家の裏庭に柿の木があります。昨年から柿の実を取って「干し柿」作りを始め
ました。今、その木にカラスが飛んできて取り残した柿の実をついばんでいます。..
 ♪カラス鳴きて木に高く・・・♪♪ 窓から、冬景色のそれを眺めているのはなか
なか風情があるものですが、さらに厳しい寒さがやってくると思うと、気持ちが重く
なります。                                ..
 日本海側のように、屋根からの雪下ろしがないだけ楽かも知れませんが・・・。..

  以上、「蛙の冬眠」につづき、ローカル話、第2話でした。        ..
                       ――投稿日:2012/12/15――

 

『クリスマスと我が思い出』

 今朝(12月25日)私がまだ布団の中でぐずぐずしていると、枕元に置いた携帯
がブーブーと鳴った。(誰から?)と取り上げてみると、孫の○○から・・・。 ..
「あ〜ちゃん!○○にサンタさんがきたよ!!おまけも3こついてるよ!」と興奮し
た声。「え〜っ、すごいね!何が来たの?」「なんとかかんとかのゲームとあとなん
だかのおまけ・・・」(残念ながらあ〜ちゃんはプレゼントの名前が横文字でよく分
からない)                                ..
それから5分位上ずった声の話が続き「じゃあ、保育園に遅れるからバイバ〜イ」..

 ついでに、わが子の話。                         ..
 幼稚園から小学校低学年のころまでは、息子、娘はしっかりサンタクロースの存在
を信じ、クリスマスには、起きるとすぐプレゼントを見つけ、「お母さんっ、○○に
サンタクロースが来たぁっ!」と大興奮!台所でご飯支度をしている私の元へプレゼ
ントを胸に駆け込んで来る・・・。                     ..
 私も、クリスマス翌朝のこの子ども達の反応が面白くて、今でも幼いわが子のほほ
えましい思い出として残っている。                     ..

 さて、最後は私自身のこと。                       ..
 小学校の頃しか覚えていないが、当時はおもちゃなどほとんど買ってもらえなかっ
た。唯一の楽しみは、小学館の月刊雑誌「小学○年生」を買ってもらうこと。そして、
 それにも12月号にはサンタクロースの記事やクリスマスに関する付録がついてい
た。                                   ..
 また、学校でも音楽の時間に                       ..
     ♪♪サンタクロースのおじいさん、                ..
       ぼくのうちにも来ておくれ、                 ..
       くつした下げて待ってるよぅ♪♪               ..
という歌を習った。家に帰ってきてからも何度も歌ったのでいまだにそのメロディも
はっきり覚えている。それで、私は半信半疑ながらも、(イブにはくつしたを枕元に
おいておくと何かプレゼントがくるかもしれない)と思って寝たのである。そして..
翌朝・・・、当然かも知れないが枕元においたくつしたには何も入っていなかった。
(せめて鉛筆ぐらい入れておけばよかったのに 我が家にはその余裕もなかったのか
な?) 私もがっかりだったが、ほんとはこんなにプレゼントを心待ちにしている我
が子を見て、親も心の中では不憫に思っていたかもしれないけど。       ..
                       ――投稿日:2012/12/15――

 

『私の「クリスマスプレゼント」余談』

 鈴木さん、内藤さん、クリスマスについてのコメント、興味深く拝見しました。我
々の子ども時代はクリスマスプレゼントなんてなかったという話に(我が家だけかも
・・・)と思ったりしていたのでやや安心した次第。また、管理人さん、投稿欄にア
ップ感謝。                                ..

 ついでに、30年以上も前の子供たちに対する私のクリスマスプレゼント余談を一
つ・・・。(娘には今でも「あれにはがっかりだった」と言われている)    ..

 息子、娘が小学校4、5年生のころであろうか?(今年のクリスマスプレゼントは
何にしようかなあ・・・)としばらく考えた末(そうだ!子ども達は2、3年前まで
ジグゾーパズルがすごく好きだった!)その頃はやったキャラクターもののパズルを
何種類かもっていてよくそれで遊んでいたのを思い出したのである。      ..
 当時、私には「子ども達の要望を聞き、それをサンタに頼んであげる」という発想
はなかったので、彼らの様子を見て欲しそうなものを考えたり、また、プレゼントに
は予算ということもあるわけで・・、一方的に(今年はこれにしよう)と決めていた
のである。                                ..
 そんなこんなで、その年は、息子には「世界地図」、娘には「日本地図」のパズル
をクリスマスのプレゼントとしてやることにした。これこそ、私の好きな?「一石二
鳥」というものだ!と思ったりして・・・。                 ..
 さて、翌朝の彼らの反応。                        ..
見つけたときの「やったあ!」に続き、それを開けたとたんの「ええっ!」(あとは
絶句・・・)即ち落胆のあまり言葉も出なかったらしいのである。       ..
 せっかくいい考えだと悦に入っていたサンタクロース母ちゃんも、その反応にはガ
ッカリするばかりだったのは言うまでもない。「一石二鳥」どころか「一石ゼロ鳥」
に終わったこの年の教育サンタは、子ども達には全くお呼びでなかったというわけで
ある。                                  ..
                       ――投稿日:2012/12/31――


『小学校時代の遊び―お手玉とりの歌から』

 我々の子どもの頃はおもちゃなど買ってもらうことはほとんどなかったが、では..
「どんなことをして遊んでいたのだろう?」とお正月の暇人は考えてみた。   ..

 お正月には、女の子の場合「福笑い・すごろく・かるた・羽つき」など・・・。で
も、普段は「お手玉・おはじき」外では「缶けり・陣取り・ゴム跳び・縄跳び」など
が多かった。                               ..

 その中の「お手玉とり」で思い出したのだが、このときは、わけも分からず楽しく
歌った歌であるが、今思えばなんとも驚きの内容ではある。鈴木さんが書いておられ
たが、「玄関の屋根に穴が空いても青空が見えて楽しかった」てな感覚である。 ..
 当時は戦争の影響大、戦後の生活は苦しくとも、子ども達は(少なくとも私は)そ
れを全然困ったとも嫌だとも思ってもいなかった。(それは、今の、物質的には「便
利で豊かな生活」を知らないからではあるけれど・・・)           ..

 さて、お手玉とりの歌に戻るが、今思うとギョッとするような内容、その歌詞は?
といえば・・・。                             ..
  ♪♪いちれつ談判破裂して 日露の戦争はじまった            ..
    さっさと帰るはロシアの兵 死んでも尽くすは日本の兵        ..
    5万の兵を引き連れて 6人残して皆殺し              ..
    7月8日の戦いに ハルピンまでも攻めていく            ..
    クロバトキンの首をとる 東郷大将万々歳♪♪            ..

 こうして、最後までお手玉を落とさずに繰り続けるとその勝負は勝ちとなる。5・
6年になると大体4個のお手玉を使って競っていたが、この日本軍崇拝みたいな歌詞
は誰が作ったんだろう?                          ..

 *おまけ 高校時代には次のようなことで、日露戦争勃発の年を覚えたたけど、皆
さんも同じかな?「一発くれよう、露にゲンコ」即ち1904年と。      ..
                       ――投稿日:2013/01/03――


『お手玉の歌ほか』

 気になって、「お手玉の歌」を検索してみました。すると、出てくるは、出てくる
は・・・「いちれつ談判・・・」のほかにもたくさんの懐かしいお手玉遊びの歌が。
また、「いちれつ談判・・・・」の歌の解説もありました。意味が初めて分かったも
のもありました。                             ..
 お手玉は、遊び方によって歌も異なりましたが、私が遊ばない方のやり方は、単純
な遊び方で技も簡単、5・6年になると、4つ(あるいは上手な人は5つ)を駆使し
て操る一人お手玉で競争した方が面白かったです。              ..
 小学校に勤めていたとき、「昔の遊び」というところで、お手玉を子ども達の前で
演じてみせたが、3つはできたが4つはすぐ落としてしまった。子どもたちは、それ
でも「すご〜いすご〜い」の連発。思いやりがありますねえ。昔は3つでやるなんて
程度が低い方だったのに・・・。                      ..

 ついでに、まりつき歌も検索してみたら、これもたくさんありました。「いちれつ
は・・・」は、まりつき歌でも使ったとみえ、ここには楽譜もついてましたよ。 ..

     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・             ..

 お正月も終わりです。淋しいことに今年は我が家には誰もやって来ません。「ホー
ムページの掲示板」だけが友達でした。                   ..
ちょっとうるさかったかも知れませんね。陳謝!               ..
                       ――投稿日:2013/01/04――


『「ずうっとずっと大好きだよ」そして「らら、本当にごめんね」』

 ららは、私の愛犬でした。娘の入院で三歳の孫を預かった時も相手をしてくれた穏
やかな気質のマルチーズの小犬です。                    ..

 そのららが、おとといの朝八時ちょっと前に亡くなりました。心臓病の薬を一年ば
かり飲んでいましたが、この秋ごろまでは元気でした。ところが、一か月くらい前か
ら、日中もベッドに入ってあごをそのふちに乗せ、じっと私の顔を見ていることが多
くなりました。親のききが亡くなるときもじっと見つめてばかりだったので、私は少
し不安な気持ちになりました。                       ..

 ところが、死ぬ前の日、いつにでもなくベッドから出て、部屋のあちこちを歩いた
り、私の前に来て「おすわり」をしてじっと私を見上げたりします。少しですが餌も
食べ水も飲み、おしっこもします。「らら、良かったね、元気になったね!」私は喜
びました。                                ..

 そして、その日の夜も九時半頃、お気に入りのソファーの上におすわりをして、ま
たパチッとした目で私をじっと見つめます。私は可愛くなってしばらくぶりに写真を
撮りました。夜十時になったので、「らら、ねんねだよ」とベッドに寝せて、毛布を
かけてやりました。そして、私も寝室に行きました。ところが、間もなくベッドを出
て、か細い声で鳴き、首につけている鈴を鳴らしながらその辺を歩き回っている様子
です。夫がトイレに起きたのでまた毛布をかけて寝せていました。       ..

 夜中一時半(なぜか時計をみた)、また、ららの鳴き声と鈴の音が聞こえました。私
は起きて、ららを毛布にくるみ抱っこして、居間のソファーに座っていました。二十
分もするとららが鳴きやんだので、「らら、まだねんねだよ」いつものようにそう言
って、寝かせました。私もまた寝ましたが、ららはそれからもベッドを出て、歩き回
 っていました。か細い声と鈴の音を聴きながら(起きようかな?)とも思ったのですが、
(そのうち寝るだろう、または夫がトイレに起きて寝せるだろう)と思って、起きませ
んでした。つまり、ららが必死で鳴いて訴えていたのに無視をしたのです。ららは、
それからも私を待っていたのでしょう。または、探していたのでしょう。    ..
 翌朝起きると、なぜかららは洗面所にいておすわりをしていました。きちんとした
おすわりです。(寒いとこで〜)と思いながら、毛布にくるんで抱っこしてやると、
首がガクンとなりました。(え〜っ、まさかぁ)と思いましたが、まさかではありませ
んでした。ららは、私の腕の中で可愛い目をあけたまま、動かなくなりました。ほん
の数分の間にです。                            ..

  夜中から朝まで、私を探して歩き回っていたらら、ららは、私が起きるまで待って、
抱っこされて、ついに力尽きて亡くなったのです。私は、ららを抱っこしたまま一時
間は泣きました。(どんなに苦しかっただろう?どんなに淋しかっただろう?どんな
に寒かっただろう?)ベッドに寝せて毛布をかけて、顔をいつまでも見つめていまし
た。                                   ..

 生前いくら可愛がったって、私は、肝心な時にららをほったらかしにしてしまった
たのです。今は、どんなに後悔してもららはもどりません。          ..

 私はこれからも生きている限り、心の中でららに言います。「らら、ずうっとずっ
と大好きだよ。それから本当にごめんね」と。                ..
                        2014年12月24日 (水) 12時29分

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<<補遺>>                               ..


 掲示板にまた長々と私事を書いてしまいました。              ..

  あれに書いているように愛犬ららが亡くなりました。亡くなる明け方ですが、私は、
ららに、謝っても謝ってもし足りないことをしてしまいました。か細い声も、歩くと
鳴る鈴の音もまだ聞こえるような気がします。(何で起きて相手をしてやらなかった
のか?ららはお別れをしたかったのだろうか?)未だに後悔の涙が流れます。  ..
だけど、ららには何ももう分かりません〓                  ..

 そこで、以前、ららのことをちょっと書いたことがある皆さんの前で謝ったら、少
しは気がおさまるだろうか?と思って、贖罪のつもりで長々書いてしまいました。亡
くなる前夜の写真を向井田さんがきれいな写真にしてくれました。本当につぶらな瞳
で私を見つめ、その時は、間もなく亡くなるとは思いもしませんでした。いつものこ
とですが、掲示板に書く内容でないのにすみませんでした。          ..

































在京白堊三五会 エッセイ(きらら)

岩手県立盛岡第一高等学校1960年卒在京同期会
在京白堊三五会『きららさんのページ――その4』
“やっぱり孫”



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  1. 『1年生になった孫の様子』         Click    ..
  2. 『1年坊主の宿題から思ったこと』      Click    ..
  3. 『啄木カルタ検定10級余談』        Click    ..
  4. 『孫の「ねぶか読み」』           Click    ..
  5. New『老馬(または老婆)の奮闘』       Click    ..

『1年生になった孫の様子』

―カブトムシ―

 8月6日から9日、しばらくぶりに○○に会ってきた。           ..
 何で男の子はこんなにカブトムシが好きなんだろう? うちの息子も好きで好きで
夏になるとよく捕まえてきては飼っていたが・・・。ところが、孫○○が住んでいる
のは盛岡とはいっても玉山のそれも田舎の方なのに今はなかなか自然には捕まえるこ
とができないという。(ホントカイナ?)                   ..

  それで、ホームセンターからオスとメスを1匹ずつ買ってもらって可愛がっていた。
それも「くさいから玄関に置いて」と言われてみるときはいつもわざわざ玄関へ行か
なきゃない始末なのに・・・。                       ..

 ある時「あ〜ちゃん、見て見て」と言うので見に行った。カブトムシは組んずほぐ
れつの大げんか! あ〜ちゃん即座に「あ、けんかしてるね!」と言ったら、彼は一
刀両断「あ〜ちゃん、違うよ、ラブラブなんだよ!!」と言われてしまった。孫かで
したあのオムツ小僧にである。あ〜ちゃん、もう立つ瀬なし!!        ..

 そういうわけで あ〜ちゃんの名誉挽回(↓)                ..

―掛け算九九―

 先月、孫宅に行く時、百均で「お風呂で覚える掛け算九九」というぬれても大丈夫
な掛け算九九の表を買って行った。                     ..
2が0こでニレイが0、2が1っこでニイチが2、2が2こでニニンが4、2が3こ
でニサンが6・・・・以下2が9こでニク18                ..
「こう言って、あ〜ちゃんが今度来るまでに覚えててね」と言ってきた。    ..

 さて、今回行ったときは「覚えた覚えた」と言うので、テストをした。そのまま言
うのは覚えていたのでまずは合格!                     ..
次は応用問題である。2+2+2+2+2+2= なかなか出てこない。    ..
「あ〜ちゃんなら1秒でわかるよ!」「えっ、何で?」「だって2が6こだからニロ
ク12でしょ」あっ、そうかとえらく感心。おかげで2を9回たすまでは掛け算九九
を応用できるようになった。これで、ようやくあ〜ちゃんの面目躍如!というわけで
ある。                                  ..

 3日いる間に5の段を覚え、これは時計の見方にも応用出来て良かった!   ..
ちなみに9の段は答えの一の位と十の位をたすと9になることを教えたらえらく面白
がって、今度は9の段を覚えると意気込んでいたがはたしてどうかな?     ..

*掛け算九九は一応2年生の学習内容のはずであるが、ま、今やってもいいだろう!

                   ―投稿:2014年08/09 16時04分―  ..


『1年坊主の宿題から思ったこと』

 9月3日、孫の所に行ってきた。                     ..

 孫の○○、学校から帰って来て普通のドリル的な宿題が終わった後、プリントを取
り出し、何やらレロレロと唱えだした。音読ならもう少しきちんとした読み方をすれ
ばいいのに・・・と思ってプリントを覗いて見たら、そこには思いがけず「石川啄木
かるた検定10級」とあり、よく耳にする啄木の歌10首書かれていた。    ..

 「かにかくに渋民村は・・・」「不来方のお城の草に…」「ふるさとの山に向かひ
て・・・」「やわらかに柳あをめる・・・」他6首である。          ..
(そうか、孫が通っている学校は、啄木の母校である渋民小学校、だから、このよう
な取り組みをしているんだな・・・)と合点した。              ..

 翌日、渋民小学校に行って図々しくもこの検定のことを詳しく聞いてきた。  ..

 これは、啄木の歌100首を各10首ずつ1級から10級に分けて暗記させ、覚え
たら検定を受けて、進級するのなそうである。                ..
 やり方は、「験者が上の句を言ったら、下の句を答える」ただそれだけである。こ
れを児童会の委員会活動の一環として、5・6年生の児童が験者になって行っている
 そうである。帰りに1級から10級までの歌をプリントしたものをいただいてきたが、
さすがに1級はほとんど知らない歌ばかりであった。             ..

でも、1級の中にかつて、なるほどと思った歌が1首あって、それは覚えていたが、
三五会の方々にはこんな思いをした方があるだろうか?            ..
 「気の変る人に仕へてつくづくと わが世がいやになりにけるかな」     ..

あと1首面白いのがあった。これは、全然実感したこともさせたこともないものだけ
ど・・・。                                ..
 「その頃は気もつかざりし 仮名ちがひの多きことかな、昔の恋文」     ..
 初恋の堀合節子に宛てたものであるかどうかはさだかではないがたぶん違うだろう
と私は思っている。                            ..

* 後段の訂正                               ..
 今、啄木の本を読んでいたら、啄木は、盛岡中学時代から節子と婚約するまで、百
数十通も手紙のやり取りをしたことが書いてありました。するとこの仮名違いの恋文
はやっぱり節子に宛てたものと考えるのが妥当ですね。私の妄想でした。(≧▽≦)..
啄木殿に謹んで陳謝!です                         ..

                   ―2014年09月06日 (土) 12時38分―  ..

『啄木カルタ検定10級余談』

 今月も孫の所に行ってきた。                       ..
 No.2178に書いた啄木カルタ検定10級は合格したそうである。およそ2週
間で暗記できたそうだが、流石に若い脳みそである。だけど、意味は分からないみた
いではある。                               ..

 孫の好きな歌は                             ..
「たんたらたらたんたらたらと 雨だれが痛む頭にひびくかなしさ」大人には切なく
なるような歌だが1年生には単にリズムが面白いのだろう、しょっちゅう声に出して
喜んでいた。                               ..

 ところで、孫の検定には関係ないが、10級の歌で私が歳とともに浮かんでくるの
は昔の記憶である。                            ..

その1「その昔 小学校の柾屋根に 我が投げし鞠いかになりけん」      ..
  私も小学校のころ羽根つきをして、羽をよく屋根にあげてしまいそのままにして
 いたことがあった。それで、啄木の気持ちがよくわかる。私にうた心がありさえし
 たら・・・ナンテネ。                          ..
  あと、鞠で思い出したのだが、当時、男の子たちは、今のような野球ボールがな
 くて、ぼろ布を幾重にも固く丸めて外側をたこ糸できつく巻きボールにしていた。
 「つぎまり」と言っていたような気がする。啄木が鞠と言っているものもこんなも
 のなのだったのだろうか?                        ..

その2「ふるさとの訛りなつかし 停車場の人込みのなかにそを聴きにゆく」  ..

 中3の時の実力テストで「なまり」のところが空欄になっていて、そこを埋める問
 題が出た。初めて目にした歌だったので分からない! 前後から推量して何とか..
 「ことば」と書いて出した。勿論×。やはりここは「なまり」でなければ味も素っ
 気もないと今は思うけど、当時の頭ではそこまで思いが及ばなかったのは残念!..

* こんなことばかりで、私は、歳とともに新しいことはとんと頭に入らず、昔の詰ま
らぬ記憶ばかりが思い浮かぶのですが、これがよく言われる病気の前兆でなければい
いと念じています。そのためにも、駄文を書くことで、いくらかでも頭の活性化に役
立てばいいと考えているのですが、さて?                  ..
(こんなことで掲示板を利用していいのかな(≧▽≦))            ..
                    投稿:2014年10月05日 (日) 11時12分..

『孫の「ねぶか読み」』

 この間入学したばかりだと思っていた孫の○○も、早や二学期を終えようとしてい
ます。ひらがなの読み書きから始まった一年の国語の学習だが、拾い読みも卒業し、
もう文章として読めるようになってきました。                ..

 娘の家に行った時、暇だったので、孫に国語の教科書を借りて読んでみた。、三学
期教材に、物語文「ずうっとずっと大すきだよ」というのがあった。題名にひかれて
読んでみると、可愛がっていた愛犬との別れ(死)を扱っている教材だった。いいお話
なので孫に「読んできかせて」と言って読ませたところ、案外すらすらとは読むもの
の一本調子で抑揚もなく、間のとりかたも十分でない。「ねぶか節」ならぬ「ねぶか
読み」であった。(なお、{ねぶか}とはねぎのこと。ねぎには節がない。そこで「ね
ぶか節」とは節がない一本調子の下手な歌い方だと子供の頃に聞いた記憶がある)..

 孫の読みも一応ほめたが、「こうするともっと上手だよ」と、人生、約七十年のキ
ャリア婆ちゃん思い入れたっぷりに読んで聞かせた。ところが、読み進めていくうち
に、三年前に亡くなった我が愛犬の死と重なり、心ならずも涙声に・・・。聞いてい
た孫、すかさず「あ〜ちゃん、泣いてんの?」(ゲッ!とこれは私の心の中!) ..

 近頃、聞きっぱなし英語で、自然に「生きた英語が身につく」というコマーシャル
が流れているが、私もこの物語文を読み、テープにふき込み置いてきた。孫がテープ
と一緒に音読しているうちに、前よりは感情豊かに読めるようになるのでは・・・と
いう期待からである。(岩手なまりは極力抑えて読んだが、あったとしたら御愛嬌!)

*「ずうっとずっと大すきだよ」はネットで検索すれば文章も出てきますので、興味
 のある方は是非読んでみてください。                   ..
                    投稿:2014年11月30日 (日) 15時43分..

『 老馬(または老婆)の奮闘』

 孫の所に2泊で行ってきた。そこで、2学期の通知表を見せてもらったが、それか
らの私の奮闘記である。                          ..

 いっぱい項目はあるが、その中で、体育の「跳び箱、マット運動が」がBだった。
「よし!」と婆ちゃんは、早速馬になって、跳び箱の代わりになり馬跳びをさせた。
老馬は、初めは両手をついて、膝を少し曲げて低くなっていたが、だんだん高くなっ
て、最後は足首を握り深くお辞儀をした姿勢でも跳べるようになり、まずは合格!..
(馬跳びはもう止めよう)と思ったけど、○○は、冬休みで、体を持て余し気味、何
度も何度も「あと10回、5回、3回・・・」と果てがない。老馬はそんなことをし
ているうちに3回ほど横に倒れこんで、痛めている膝が少々痛かった。(だけど、可
愛い孫のためと頑張ったよ!)                       ..

 続いてマット運動の前回り,毛布を細くたたんでマット代わりにして練習。しゃが
んで腕はわきにつけ、手は膝のすぐ前につく。頭はおへそを見るようにし、体を丸く
 する。回り初めはお尻を高くするが、回るときはボールのようになってくるっと回り、
最後は両手を伸ばして立つ。ところが彼は立つ時どうしても片手をついてしまう。不
合格!!次回までに私の指導法の改善は宿題とすることにした。(この時の婆さんの
指導法が間違っているかもしれません)                   ..

 孫に聞いたら跳び箱は3段までは跳べるそうだから、1年生では十分! Bになっ
たのは(マットだマットだ!)と納得した。口先ばかりでなくやってみせればいいの
だが、昔はできた前回り、やって見せようとしても、年寄り病の「正座ができない、
 ちゃんとしゃがめない」の膝関節症になっている今の私には何か怖くてやれなかった。

  でも、しかし・・・あの森光子、かなり高齢まででんぐり返しをしていたんだよね。
(テレビ情報だけど・・・、ところで福田さん、話は急に変わるけど、ここが「田舎
のネズミ」の悲しさ!これを現実に見る機会が田舎にはなかったからね)私はこの歳
 になってみて、森光子のでんぐり返し、改めてすごいことだったんだと感心している。

 あと、村野井さん曰くの教育グランマは、国語の「字を丁寧に書く」もBだったの
 で、止め、はね、はらい、簡単な字のバランスのとりかたも教えてきた。○○の字は、
らんぼうで、例えば「3」が「ろ」、「6」が「0」、「い」が「り」に見えるんだ
もの・・・娘が「丁寧に書け」と言ったところで、1年生にはどこをどう直せばいい
か具体的ではないからよく分からないみたい。ほめたりすかしたりで練習させて、少
しは良くなったように見えたけど、これがずっと続けばいいんだけどな・・・。 ..

 家にいれば老人2人で会話もほとんどなく、先日の愛犬の死で、ぼんやりばかりし
ていたが、孫からかなりのエネルギーをもらい、おまけに、家に帰ってきた翌日、..
「あ〜ちゃん、帰ってさびしいよう・・・」と喜ばせるような電話があり、かなり気
をよくしたのである。ペットロス状態にあった私の精神安定剤として、孫は最高だっ
たなぁと心から思っている。…と言っても、愛犬ららは、ららとして「ずうっとずう
っと忘れないけど!                            ..
                       2015年01月09日 (金) 22時48分..