岩手県立盛岡第一高等学校1960年卒在京同期会
在京白堊三五会『きららさんのページ』
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『孫は可愛いけれど』
暑い暑い夏も終わり過ごしやすい季節になりました。我が家ではコスモスが
咲き乱れ、菊もちらほら咲き始めました。 *
さて、私は、この夏以来、娘が、体調をくずして入院していますので、3歳
の男の子を預かって世話をしています。この3才児、まことに行動が活発で、
一日中目を離せません。いつも私のあとをくっついてきてお手伝い(正直にい
えばありがた迷惑のお邪魔虫!)をし、また、ことばもどんどん覚えてきて、
うるさいほどの質問攻め。当然、食事の世話、遊びの相手、トイレの世話、お
風呂等等ふりまわされて、猛暑の頃は少々ばて気味でした。わが子を育てると
きはそれほど疲れを感じませんでしたので、やっぱり歳には勝てないのかも知
れませんね。 *
お陰でこのところ、三五会の素晴らしい投稿や美しいアルバムも見せていた
だきながら、パソコンをいじろうとすると、すぐ手を出して、「○○も○○も
・・・」と言うので、感想もままならず・・・という残念な状態でいます。*
何だか孫のこと、愚痴ばかりみたいになりましたが、本当は、いろいろ身体
の不調、とくに腰の痛いのを忘れさせてくれ、また、日頃のストレス解消にも
なって、プラス効果の方が高い可愛い孫なのですけれど・・・。(鬼みたいな
婆ちゃんと思われては何ですので念のため付け加えました!)(2010/10/06)*
『孫が帰ってしまった』
娘の体調が良くなり退院したので、しばらく我が家で預かっていた3歳の孫
を娘のところに返した。私は、近頃それが淋しくてならない。 *
今日は、年末にもなったので汚れていたガラスふきを始めた。と、そこには
可愛い孫の手形が・・・。「あ〜ここに○○がさわったんだ・・・」ふきとっ
てしまうのが惜しいようなそんな気持ちになる。 *
ガラスふきが終わって庭に出た。今までそのままになっていたあさがおのつ
るを片付けようとしたら、また、孫の思い出が・・・。ついこの間まで、孫は
ここで、きゃっきゃっと騒ぎながら「ここにも種がある!ここにも!」と喜ん
でお皿に種を入れていたなあ・・・。 *
これらは、ついこの間のことなのに、久しく会っていないような気がするし、
孫がこの場に一緒にいないことが不思議なようで、また淋しくなってしまう。
両親から離され、全く違う環境の所につれて来られたのに泣きもせず、「あ
〜ちゃん、あ〜ちゃん」と慕って私の後をついて回った孫。それなのに、私は
「おじゃまむし」なんて言って、以前掲示板に載せた!(NO.1109)*
「可愛い○○よ、あれは、あ〜ちゃんが悪かった!」 (2010/12/01)*
*1:「あ〜ちゃん」は古希を迎えたホンモノのお婆ちゃんなのに、まだそう
呼ばれたくない故の私の儚い抵抗。 *
*2:「孫かてエピソード」書こうと思っていくつか書いたんですが読み返し
てみると、どこにでもあるであろうたわいのない話ばかりなので、管理
人さんのご好意に感謝しつつ取り止めました。 *
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| 『構える必要はありません』 |
| |
| 自分ちの孫が一番可愛いと思うのは当然のこと。どこにでもあるありふ|
|れたことでも積み重ねればお孫さんとオバアチャンとの触れ合いが浮かび|
|上がって、他の人が読んでも微笑ましく、それを読むひとをも幸福な気分|
|にするものです。 |
| ここに書き込まれたものを集めて「きららさんのページ」にしようと思|
|うのですが如何でしょう? そこに「孫かでエピソード」を付け加えてい|
|くというように。他の人もまだ見ぬ○○ちゃんの成長が楽しみです。 |
| 2010/12/02―管理人―|
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『孫かでエピソード 1』・・ご好意に甘えて
―おじゃまむしのうた―
孫と過ごし始めた夏のころ、二人で一緒に寝ていたが、寝る前は、しばし絵
本を読んだり童謡を歌ったりしていた。(後半、歌はテープになったけれど)
この子は、割合歌が好きらしく、別れるまでに、かなりの歌を覚えた。なか
でもお気に入りは「カエルの合唱」「トンボのめがね」「おつかいアリさん」
など生き物に関するもの。その頃、カエル、トンボ、アリを見たときなどは、
それを大きな声で歌っていた。 また、スーパーにいったときなども、 *
♪♪カエルのうたが〜きこえてくるよ〜 *
ぐわっぐわっぐわっぐわっ *
ケロケロケロケロぐわっぐわっぐわっ〜♪ *
とやっていたが、これはまずほほえましいこととして聞いていたけれど、ある
日、レジに並んでいたら、突然 *
♪♪おじゃまむしは○○だ〜 *
かおあらうとき〜じゃまをする〜♪ *
と歌いだした。並んでいる人はにこにこして聞いていたけれど、私は恥ずかし
いやらおかしいやら・・・。もちろん、これは、以前、私が、 *
♪♪コガネムシはかねもちだ〜♪ *
のメロデーで、○○をからかって歌っていたのであるが、まさか、こんな大勢
の前で、それを歌いだすとは思ってもいなかった! *
3才児の記憶力さすがぁ! 変な替え歌はつくるものじゃないな! と思っ
た次第である。 *
後日談 *
我が家での生活にも慣れ、顔を洗うときまでついてきて、バシャバシャする
ことはなくなった。その代わりに終わって孫のところにもどってくると必ず*
「おじゃまむし、こなかった?」と聞くようになった。自分は「おじゃまむし
である」と認識してしまったのかな? (2010/12/03)*
『孫かでエピソード 2』
―我が家のタイホ劇―
孫にパトカーのおもちゃがある。車の屋根の部分にボタンがついていて、それ
を押すと「ウ〜ウ〜ウ〜」とサイレンがなり響き、と同時にいささかヒステリッ
クな女の人の声が叫ぶ。「前の車、止まりなさい!タイホするぞ!」と・・・。
車を運転する者にはぎょっとするこわい言葉なのであるが、それはさておいて。
夜、孫と寝るとき、遊んでばかりいてなかなか布団に入らないので、 *
「○○、さわいでばかりいると、タイホするぞ!」 *
と言って、手足を動かないようぐっと抱きしめた。孫は、きゃっきゃっと声を上
げて足をばたつかせていたが、それがこちらの意図に反して楽しかったのか、そ
れ以後毎晩のように *
「あ〜ちゃん、またタイホして!」 *
と頼まれるようになってしまったのである。これ、偏に愛情不足の故か、それと
も単に面白いからなのか? *
そして、今、母親のもとに帰ってからも、○○は、相変わらず *
「タイホして!」 *
を繰り返しているそうである。 (2010/12/05)*
『孫かでエピソード 3』
―孫と我が家の小犬たち―
我が家には、「きき、らら」という二匹の小犬がいる。これらの犬は、私が退
職した時、老人夫婦二人だけの暮らしでは何の面白みもないだろうなぁと思って
買い求めたマルチーズの小犬たちである。そして実際これらは、今までどんなに、
私を慰め、癒してくれたことか・・・。その小犬たちが、今回の孫かて生活で大
活躍したのである。 *
マルチーズは、毛が真っ白で、体は小さく、体重は3キロ弱、目は真っ黒で大
きくくりっとしてややたれ目、飼い主が言うのも何だが、生きたぬいぐるみのよ
うで、まことに可愛い室内犬である。その上、性格は穏やかで人によくなつきす
こぶる甘えん坊でもある。 *
・・・というわけで、この犬たちは、孫の友だち代わりとしてはほんとに最適
だった。孫も「ききちゃん」「ららちゃん」と呼んで、自分の手からえさをやっ
たり、庭を抱っこして歩いたりとすごく可愛がっていた。それから、たいしてし
つけをしていたわけではないが、「おすわり!」「待て!」「よし!」くらいの
ことはよくきくので、孫も面白がって、えさやごほうびをやる時は、よくその言
葉を言って遊んでいた。あと、きき、ららは、孫の前でもすぐゴロンとあおむけ
になって甘えるので、その時も「おなかかぁ?」などと言いながら、なでなでし
てやったりしていたが、その様子を見ていると、(自分も小さいくせに)一丁前
なことをするなぁ・・・とつい、私もふきだしてしまっていた。 *
(今回はイヌバカ日記に終始してしまいました!!) (2010/12/06) *
『孫かでエピソード 4』
―孫とともにノロウイルス性胃腸炎になる!―
これはつい最近のことであるが、孫恋しさに(?)私の用事も兼ねて娘宅に行
ってきた。私、ちょっと鼻水と涙がひどく、通常の花粉症にははやいけれど、こ
の夏の異常気象もあるしこれも異常に早くきたのかな、あるいは単なる鼻かぜな
のかな?と思ったりして過ごしていた。 *
そして、孫に会って2日目、夜10時頃まで元気にしていた孫が、夜中から明
け方にかけて5、6回も嘔吐したのである。孫は私の隣に寝ていたので「あらぁ、
風邪うつしたか?」と娘たちには内緒ながら、内心びくびくものであった。 *
朝、娘とともに近所の病院へ行く。すると、「急性胃腸炎かも知れません。紹
介状を書くので、こども病院に行ってみてください」との診断があり、そのまま
こども病院に行って検査を受けた。すると「ノロウイルスが検出されました。別
室で点滴しますので・・・。入院になるかも知れません。」と言われてしまった
のである。ノロなんて全然予想もしていなかったのだが、覚悟を決めて娘はその
用意をしに家にもどった。私は眠っている孫に付き添って、点滴2本分が終わる
まで、病院の固いまる椅子に腰掛けぼんやり見ていた。約4時間後点滴が終わっ
た孫は、吐きもせず元気になったようにみえた。「やれやれ、一安心・・・」幸
い、お医者さんは、「通院でもいい」と言ってくれたので、薬をもらい家にもど
ることができた。その晩と翌日はさっぱり食べないでごろごろしてばかりいたが、
その次の日には元気を取り戻し、下痢便もなくなった。4日目には通常にもどっ
て「お外に行きたい、三輪車にのりたい」と連発するほどに回復したのである。
ほんとにほんとに良かった(私がうつしたのでない)と安心したのであるが・・。
さて、今度はこの私、孫より遅れること2日目、やっぱり夜中に突然のむかつ
きと嘔吐。急性とはいうもののほんとに突然やってくる悪魔である! 夕ご飯も
しっかり食べられたのに・・・。 *
ノロウイルスはワクチンがなく対症療法だけだと言われたし、病院で2時間近
くも待つ気力もなかった私は、経口保水液を飲み飲み4、5日くらいで回復した
のである。体重は、約3キロ落ちたかな? *
それにしても、「両親よりマメに世話をしているからだ」と自負している。*
季節柄、みなさんも風邪やノロウイルスには用心してくださいね。 *
(2010/12/19)
『孫かでエピソード 5』(これは孫の世話話ではないけれど)
― 宝 の 子 ―
後先も考えず、思いつくままに書いているので順序が後先になってしまったが、
孫の誕生は平成19年4月8日、花祭りの日である。予定より1ヶ月近く早く生
まれたこの子は、誕生までに非常な苦労があった。 *
というのは、娘は初めての子を6ヶ月までもちこたえたのだが、不幸にもそこ
で流産してしまい、それがトラウマになってしまったのか、妊娠による不安障害
を発症してしまったのである。前のときもそうだったが、○○が生まれるときも、
入院しながら、毎日毎日強い嘔吐の繰り返し、ついには胃液までも吐く苦しみ様
で、お医者さんにも「このままでは、生むのは無理」と言われたほどである。*
私も毎日のように病院に通って、背中をさすったり力づけたりしていたが、そ
んなことでは到底治まるはずもなかった。そして、私もまた再び流産するかもし
れない、子どもに精神安定剤の副作用が出るのではないかと、娘にはいえないけ
れど心配で心配で心の休まることがなかった。自分の歳はさておいて、おなかを
貸せるものなら貸してやれたらどんなに楽かと思ったほどである。(実際に母親
が娘の受精卵を自分の子宮で育て,生んだ話ありましたよね? 私の思い違いで
なければ・・・) *
さて、そんなこんなで、娘が頑張って生んだ○○は、現在、身長、体重平均よ
りわずかに少ないが、すこぶる丈夫に育ち、今では両親、爺、婆ともども「可愛
い、可愛い!」と喜んでいる宝の子なのである。 *
これみな、医療機関の皆さんのおかげ、子どもの生命力、娘や孫を取り巻くす
べての人々のおかげと心から感謝している。 (2010/12/19)
『孫かでエピソード 6』
―おむつ外し失敗の巻―
4月生まれの3歳の孫「この夏は絶対おむつを外して娘を喜ばせてやるぞ!」。
私は孫を預かった当初は相当意気込んでいた。しかしながら、娘が退院して孫を
返すことになった11月現在、おむつを外すこと相成らず残念ながらおむつをし
たまま返すことになってしまったのである。 *
初めの頃は「さあ始めるぞ!」とばかり、おむつをしないままでいた。そして、
ころあいをみて、「シーッ」とやっていたのだが、何せこのあ〜ちゃんそのころ
あいを忘れてしまうのである。ある日、外遊びに夢中になっていた○○、だらだ
らだらっとやってしまったのである。「あ〜ちゃん、おしっこしたあ・・・」と
言っても後の祭り、彼は、パンツはもちろん、足、そしてズックの中もベタベた
になり不快感だけが残ってしまったのである。そういうわけで、今度はあ〜ちゃ
ん、ごほうび作戦にでた。「クマさんトイレ(ベビー用トレーニングトイレ)に
したら、「めばえ」を買ってあげるよ」と。始めは、それ欲しさにおしっこをし
たといっては、意気揚々と便器を外し、得意満面で私に見せていたのだが、ごほ
うびをゲットするともう元の木阿弥!またまた、おむつにもどってしまうのであ
る。 *
近頃のおむつは、おしっこをしてもサラサラで不快感なし(多分・・・)、そ
して、安心して遊ぶためにはおむつをしていたほうが便利?だとばかり、彼は未
だおむつ人間でいるのである。 (2010/12/20)
『孫かでエピソード 7』
―3歳児の脳は吸い取り紙?―
おしめをしていながら、50音を読めるようになったというのも変な話だが、と
にかく○○は、9〜10月ごろ文字を読めるようになった。 *
○○は、2歳の頃、あんまり言葉を知らないし、また、言わないので、私は、絵
と字がついた積み木ブロックを買ってやった。初めはただ積むだけだったが、だん
だん階段やトンネル、家みたいなのを造る様になってきた。次は目的のいろいろな
言葉を覚えることである。にんじん、トマト、つくし、ライオン・・・etcであ
る。それらを大体覚えたら、絵のかるたとりのようなことをして遊んだりした。そ
のときにでも覚えたのだろうか、とくに「この字はなに」と教えたりはしなかった
が、ある日、散歩をしていたら、車のナンバープレートに書いてあるひらがなをに
んじんの「に」だとか、けむしの「け」だとかと読んだのである。スーパーに行っ
ても「つゆ」だとか「なし」だとか読むので、「へえ〜っ」と思って家に帰ってか
ら積み木で調べてみたら、けっこう読めるのである。 *
それからが、あ〜ちゃんの出番!間違えやすい、「わ、れ、ね」「め、ぬ」「さ、
き」「は、け」などをとりたて指導したのである。そして、3、4日してまた調べ
てみたら、めでたく50音を完読できたというわけである。 *
私が、高校時、朝な夕なの登下校時に単語カードを握り締め覚えたつもりの英単
語は、3日もすれば忘却のかなた、雲散霧消と消え去っていたが、若い脳はやっぱ
り吸い取り紙!、絶対吸い込まない私のコンクリート脳みそとは違うなあと今は感
心しているのである。 *
でも私は知っている。3、4歳で字を読めても書けても将来にはほとんど関係な
いことを・・・・。それは、今は昔、私も若い母親だったころ、息子、娘が割合早
く字を読んだり書いたりしたので、喜んでしまって、「これはすごい!」とばかり、
実家の両親に毎日のように、はがきを書かせ満足していたことがあった。(もちろ
ん彼らも返事が来るので喜んで書いていたけれど)しかし、この力が生かされるの
はせいぜい小学校低学年まで。あとは、残念ながらその後の成績や人生にはな〜ん
の影響もなかった。まさしく「うりのつるになすびはならなかった」のである。*
また、孫の話にもどるが、今は、若い両親「字を読めた、絵本も拾い読みできた」
と喜んでいるけれど、結局は私みたいにがっかりする日がくるんだろうな・・・と
意地悪婆さん心密かに思っている。(もちろん「とんびが鷹を生む」になるのを期
待する気持ちもちょっぴりあるけれど、まあ無理だろうなあ・・・)(2010/12/23)
『孫かでエピソード 8』
孫を預かったのは8月〜11月、今は、孫から「○○んとこにもサンタクロース
がきたよ!」と電話がかかってくるころになった。このように、季節が冬になって、
私の孫かでエピソードは季節はずれ、何か古ぼけたニュースを聞くような感じにな
ってしまったのではないでしょうか?ちょっと気になっています。 *
―どうしてわかるのかなあ?―
孫をあずかってから、ちょこちょこした買い物や用事が増え、足代わりとして私
用に小さな車、ダイハツミラを買った。 *
男の子は、小さい頃から車好きの遺伝子をもっているのだろうか?その時もらっ
てきたカタログを絵本よりも好んでみている。そして、カタログを見ながら、「こ
れ、なんていうの?」私、答えて曰く「ハンドル」「ワイパー」「ブレーキ」「ア
クセル」「ウインカー」等々。そのほかにも○○は、非常に車用語を覚えたがった。
また、車に乗って町を走っていると、「あ、ダイハツミラだ。あ〜ちゃんの車と
おなじだ!」と叫ぶ。最初、私は「分るのお、すごいねえ」などと言いながらも、
内心、(まさか・・・うそだろう)と思っていた。ところが、駐車場などでも遠く
から「あ〜ちゃんと同じダイハツミラだ」とすぐ見つけるのである。近づいてみる
と、確かに色違いのダイハツミラ。数多くある軽自動車、形も大して変わらないの
によく分るもんだと私は感心するばかりである。こんな小さな子がどうしてこんな
に、すぐ「それ」と見分けられるんだろう? *
私はといえば、車種や形など全然興味も関心もないし、隣に駐車していても、別
に何とも思わないけれど、男の子って、3歳になったばかりでもこんなに車に興味、
関心ををもつものなのだろうか?ばあちゃんには今でもその気持ちが分らない!*
(2010/12/26)
『孫かでエピソード 9』
―花のリレー―
秋になって、孫と一緒に、庭に咲いたいろいろな花の種とりをした。 *
ヒマワリ、黄花コスモス、ケイトウ、マリーゴールド、コスモス、アサガオなど
こぼれ種でも生えるかんたんな草花ばかりであるけれど、○○は、毎日のように、
お皿をもち、種をとるのを楽しみにしていた。そして、採ったとった種は、私が封
筒に入れてやり、表書きに、例えば「ぷれぜんと きばなこすもす *きいろいは
ながさくよ。 おとうさん、おかあさんへ ○○より」と書いてやった。「○○が
4歳になったら、このたねをまいてもらって。また花がさくよ」と教えながら・・。
このような小さな種が、大きなきれいな花になるなんて、どこまで理解できたか分
からないけれど、それらの種を入れた封筒をあきばこにしまってやった。○○は、
毎日、それを箱から出したり引っ込めたり、字を一つ一つ指でなぞりながら読んだ
りして喜んでいた。 *
そして、11月末、いよいよ娘が退院して孫も帰ることになったのだが、孫が、
種入り箱を大事に持ち帰ったのはもちろんである。 *
私は、これらの花が、来年いや、ずっといつまでも、○○の家で咲くことを今か
ら楽しみにしている。また、それらを見て、(○○が3歳のころ、あ〜ちゃんの家
で過ごしたことを忘れない記念の花になってくれればいいな)とも思ってもいるの
である。 (2010/12/27)
『孫かでエピソード 10』
―最高のお礼のことば?―
前にも書いたが、我が家にはとても可愛い(と飼い主は思っている)2匹のマル
チーズ犬がいる。マルチーズ、これは昔から、抱き犬とも言われていたそうで、人
にすりよってくる非常に甘えん坊な犬である。 *
私がソファーに座っていると、必ずといっていいほど犬たちが膝にあがってくる
のだが、それを見ると、すかさず○○は、「だめ〜っ、○○のあ〜ちゃんなんだか
ら・・・。」と小犬たちを追い払い自分が座る。(これ、可愛いこと限りなし)*
何かで読んだだ事があるけど、人間には必ずモテ期が1度はあるそうな・・・。
69歳にして私にもようやくその時がきたのかな?と思っているところである。*
(それにしても遅すぎるよ!)でも、この言葉は、私が世話したことに対する彼な
りの最高のお礼の言葉なのかも知れませんね。 *
・・・ということで、私の孫かでエピソードはこれで一応終わりとします。つま
らない話を取り上げてくださった管理人さんや、読んでくださった方々、どうもあ
りがとうございました。 *
暮れもおしつまりました。今年はお会いする機会もあったりしてとても楽しい三
五会でした。皆様、来年も元気でご活躍くださることを祈っています。 *
(2010/12/27)
岩手県立盛岡第一高等学校1960年卒在京同期会
在京白堊三五会『きららさんのページ――その2』
“孫かでエピソード その後”
その1へ 戻る
@― 一石四鳥 ― クリック ・
A― 巨大地震が来た日の孫の様子 ― クリック・
B―“おいらはドラマー 元気なドラマー”― クリック・
C― 保育園に入った孫 ― クリック・
D― 保育園の先生はさすがプロ ― クリック・
E― 運動会 ― クリック・
F― 生まれて初めてのお迎えだったのに何てこと! ― クリック・
G― 「あ〜ちゃん」はダメか? ― クリック・
H― 孫のその後 ― クリック・
I― 孫かでは私にはもうお手上げ ― クリック・
J― 近頃、孫に軽くあしらわれているあ〜ちゃん ― クリック・
K― 人 気 回 復 ― クリック・
『孫かでエピソード その後@』
― 一石四鳥? ―
娘のところに行き、しばらくぶりに孫(3歳9ヶ月)と遊んできた。孫は小さく
生まれたせいもあるし、また小食でもあるので、かなりやせっぽちである。 *
ところが、体力は満々。この冬は雪が多く、寒さも厳しいので外遊びができず、
家の中ではエネルギーをもてあまし気味だった。ソファーから飛び降りたり、その
上でトランポリンのように飛び跳ねたり、足でけって乗る自動車であちこち走り回
ったり・・・と元気いっぱい、うるさいほどである。また、彼は、台所のテーブル
の周りを全速力で走り回るのもことのほか好きである。「○○、はしるのだ〜いす
き」と言っては走る走る・・・。時には、父親、母親、遊びに行ったば〜ちゃんま
でかりだされて走る走る・・・。さすがに膝痛のば〜ちゃんは5,6周もすれば、
目が回るし疲れるしで、その辺でどっとはらいと願いたいところであるが、彼は*
「もっともっと」となかなか放してくれない。それならば・・・とば〜ちゃんは、
そばにあったおもちゃの新幹線のプラレールをつなげて長くし、いすにどっかと腰
掛けて「カンカンカンカン」と踏み切り番役、それを上げたり下げたりすることに
した。そうすると、父ちゃん、母ちゃんも走るのをちょこっと休めるし、孫もただ
走るよりは変化があるせいか喜ぶしで、この踏み切り番つきぐるぐる走りは結構人
気がある遊びになった。ということで、この遊びは、まさしく一石四鳥かも知れな
いというわけである。 *
それにしても、一人っ子で、近所に遊ぶ子もいないと、いい大人が小さい子と一
緒になってぐるぐるとテーブル周りを走らなきゃならないなんて大変だなぁ・・・。
(2011/03/01)
『孫かでエピソード その後A』
― 巨大地震がきた日の孫の様子―
こんな国家の非常時にどうかと思う気持ちもありますが、一応そのときの孫の様
子、その他を書いてみました。 *
掲示板NO1274の「地震被害」にも書きましたが、3月11日午後3時少し
前に地震が起きたとき、私は盛岡の娘宅で孫と二人で留守番をしていました。ぐら
ぐらゆれが始まったとき、昼寝をさせようとそばにおいていた毛布を持ってテーブ
ルの下にもぐりました。ゆれている最中、私は(さて、毛布は頭からかぶせたらよ
いものかどうか・・・頭は怪我しなくても毛布で窒息したら困るなあ)と大いに迷
いました。馬鹿なことを考えると思われるかも知れませんが、毛布がずれて口をふ
さいだら大変だと思ったわけです。 *
さて、いったんゆれがおさまって玄関の戸を開け逃げ口を確保。ほどなくして、
娘も帰って来ました。余震はその後もまだまだ続きます。「あっ、来たっ!テーブ
ルの下!」叫ぶと、孫もだんだん自らもぐるようになり、娘ともどもテーブルの下
にもぐります。 *
ゆれがおさまってテーブルの下から出た時、○○に「地震恐かったねえ!」と言
うと、孫は「ガタガタとなってうるさかったねえ!」と予想外の返事。当然かも知
れませんが、彼は地震で物が落ちたり家が倒れたりすることなど念頭になく、恐い
というよりただただガラス戸ほかの物音だけが印象に残ったようです。 *
夜7時頃、父親が帰って来ました。また余震。それっ!と、孫と私はすぐテーブ
ルの下へ、娘ものそのそと・・・。ところが、父親はもぐらない。「お父さんもお
母さんも学校のとき、地震がきたらまず机の下に入れ!と言われたでしょっ」姑が
叫んでも、婿は、ニヤニヤしているばかり(姑、ムッ・・・)そうこうしているう
ちに、娘ももぐらなくなり、孫もそのまま・・・。(ああ、ばあちゃんの権威は、
失墜してしまった!そんなふうになっても、ばあちゃんは、孫の手前もあるし、意
地もあるし?余震が来るたび一人でテーブルの下にもぐっていたよ!ちょっと空し
い感じ・・・。もっとも、孫が寝てからは私ももぐらなかったけどね。) *
これに限らず何でも、物事を教える時は、同じような対応をしないと、子どもは
安易な方に流れてしまうという症例だと思いました。(もっとも私が正しかったか
どうかは、異論があるかも知れませんけど・・・。) *
夜は、停電。懐中電灯とろうそくで明かりとりです。電池だけは、孫のおもちゃ
の電車の動力として買いおいていたのでやや安心。ゆれに気をつけながら、ろうそ
くを点したら、孫は「ハッピバースディツーユー、ハッピバースディツーユー」と
歌い出し、これには、苦笑するばかりで、唱和する者は誰もいなかった。孫???
かも・・・。 *
停電中は寒く、脊柱管狭窄症の私は、下半身が冷えて痛くなりました。ガス、水
道は出ていたのでペットボトルにお湯を入れて、とくに冷たい足を暖めました。湯
たんぽ、ホッカイロなどがなかったのでこれは役にたちました。停電時の暖房のた
めには、是非反射式のストーブがあればいいと思いました。(村野井さんの言われ
るとおり)それに、普段はあまり使わなかったラジカセに電池を入れて、地震ニュ
ースをずっと聞くことができとても助かりました。 *
余震は夜中じゅうも頻繁におき、この夜は娘夫婦、孫、私と一緒の部屋に、全員
服を着たまま床につきましたが、本当に恐い1日でした。 (2011/03/18)
『孫かでエピソード その後B』
― “おいらはドラマー 元気なドラマー”―
娘の夫、即ち、孫の父親は、娘と結婚する前から趣味でバンドに入りギターを弾
いている。今でも週に1,2度練習に出かけ、また、家でも練習しているみたいで、
家での練習は、ベンチャーズや他のバンドのDVDをみたりしながら、それに合わ
せてやっているようである。 ・
ところで、娘がこのお正月に、○○に「アンパンマンのドラムセット」を買って
やった。このセットは、ドラムが3個とそれにシンバルまでついている本格物?で
ある。(3000円位だが) ・
近頃、孫はそれにすっかりはまってしまったようで、父親のギターと息子のドラ
ム、毎夜のようにテケテケテケテケ、バンバンジャーン・・・と親子競演である。
毎日隣の部屋で聞いている娘は勿論、たまに行く私も、少々うるさいなあと思って
いるが、夕ご飯が済むと彼は「お父さん、演奏しよう!」と矢の催促。これを聞く
と、たまに行く婆ちゃんも「エーッ!またあっ?」ってなもんである。 ・
婆ちゃん、娘のそんな思いも露知らず、父親は、親ばかチャンリンよろしく「○
○は、リズム感もいいし、シンバルをたたくタイミングも合ってきたなあ・・・」
と目じりを下げっぱなしで喜んでいるのはご愛嬌である。 ・
そしてそれからまたしばらくたって、1ヶ月ぶり位に娘宅に行ったところ、もう、
初めに買ってやったドラムの一つに穴があき、彼は2台目を買ってもらっていた。
「ええっ、もうこわしたの?」と婆ちゃんあきれると「うん、○○、演奏しすぎち
ゃった!」悪びれる様子もなく答えるのを聞くと、注意するどころか婆ちゃん口あ
んぐりという具合であった。 ・
さて、やかましい?のばかりではなく情操教育を・・・と、婆ちゃん、昨夏、3
ヶ月ばかり預かったときに教えた「あかとんぼ」や「夕焼けこやけ」を歌ってやっ
た。すると、彼は、全く興味なさげに「あ〜ちゃん、なつかしいねえ!」。これに
はまたまた婆ちゃん口あんぐり、がっくりきてしまったのである。(あの時は喜ん
で歌っていたくせに・・・) (23年3月初め記 3歳11ヶ月)
『孫かでエピソード その後C』
―保育園に入った孫―
4月から孫は保育園に行っている。十数名いる3才児クラスでただ一人の新入り。
さすがに元気な○○も、今までと違って思いのままにいくはずもなくとまどってい
るようである。 ・
入園式のときのDVDを見せてもらったが、初めっからあたりをきょろきょろ不
安そうな様子、呼名のときは4月8日生まれなので真っ先に名前を呼ばれ、家で練
習したとおり、手をあげて「はいっ」と返事をしたのは良かったけれど、全員の呼
名が終わるまでずっと立ったままでいなきゃならないのは親も教えていなかった。
それで、彼は、座ったまま・・・。○○以外は、園で事前に練習をしていたらしく、
みんなちゃんと立っていたけれど、彼だけは一人椅子に座って(変だなぁ)という
顔をして親の方を見ていたのはおかしかった。(もっとも、後で、気がついた先生
が立たせてくれたけど) ・
次のショックは、数日後に、女の子に、「○○ちゃん、そこにすわらないでよ!
どいてよ!」と強く言われ大泣きしたこと・・・(連絡帳に書かれてあった)そこ
は、女の子の席だったらしいが、そんなことを言われたことのない彼には相当こた
えたらしい。 ・
また、好き嫌いの多い○○、苦手なきゅうりやレタスを先生に「食べなさい」と
言われ、口には入れたものの最後まで飲み込めず(飲み込まず?)べそをかき、つ
いに先生も根負けしてティッシュに・・・。この日、○○は「先生はやさしいから
好きだけど、でもきらいっ!」と家に帰ってから訳の分らぬことをしきりに訴えて
いたそうな・・・。家でのわがままな食生活に、先生とんだとばっちりを受けてし
まったらしくお気の毒! ・
疲れや慣れない環境での緊張、そんなこんなで、○○は、4月後半、熱を出して
1週間近く休んでしまった。そして、2,3日行ったら今度は連休で休み。連休明
けに、「もう保育園に行きたくない!」と言い出さなければいいなぁと・・・と婆
ちゃん本気で心配している。 一人っ子でわがままいっぱいに育った孫も、こうし
て徐々に逞しく成長していくのであろうと思いつつ・・・。 ・
『孫かでエピソード その後D』
―保育園の先生はさすがプロ―
以前、孫かでエピソードに、「孫を3ヶ月ばかり預かったとき、最初の意気込み
とは裏腹におむつを外すことままならず娘に返してしまった」ということを書いた。
そして、その後も○○は、4歳になんなんとする3月まで自分からおしっこを教え
ること、ほとんどなく過ごしてきたのである。 ・
仕方なし、娘は、今年4月、保育園に○○を入所させるとき、「おしっこをまだ
教えれないこと」を先生に伝えて、おむつ持参で通わせることにした。ところが、
先生は、「おむつはさせないで登園させてください。大丈夫ですから・・・」と言
ったという。娘は、内心(大丈夫かなあ?)と思いつつもおむつなしで通わせるこ
とにした。 ・
さてその結果であるが、何と孫は、入園2週間後には、保育園ではちゃんとおし
っこを教え、やがて、5月には、家でもおむつなしで過ごせるようになり、自らズ
ボンを脱いでくまさんトイレで用をたすようになったのである。 ・
おむつ外しが成功したのは、先生のおしっこタイムの声がけが良かったせいか、
それとも保育園の友だちの手前、自分でもおむつは恥ずかしいと思ったからか定か
ではないが、いずれおむつをしなくてもよくなったことは、保育園の先生のおかげ
でだと娘ともども感謝している。 ・
要するに、なかなか家ではとれなかったのは、今のおむつは汚れても本人は何の
不快感もないし、加えてズボンを脱いだりはいたり面倒なこともなく安心して遊べ
るし、親は親でその辺に粗相されることもなし・・・という双方の怠け心でこうな
ってしまっていたのかも知れない。昔は、おしめ洗いという仕事があったから、・
(早く外さないと・・・)と躍起になったものだが、今は、紙おむつ代が少々はか
かることさえ目をつぶれば、汚れたらポイすればいいものだから、こんなことにな
ったのかもしれないなあと思っている。 ・
『孫かでエピソード その後E』
―運 動 会―
これは、6月半ば、娘宅に行ったとき聞いた孫の話である。 ・
6月25日は○○にとって初めての運動会。保育園では、先日からかけっこの練習
も始まった。かけっこ大好きの○○は、毎日大喜びで登園、休みの日も行きたいとい
うほどである。 ・
そのときに、保育園の連絡帳から仕入れた話であるが、かけっこ練習初日のことで
ある。園庭に出て整列、いよいよ練習開始。○○は背が小さいので、最初の組。「よ
ういドン!」先生の合図で、○○は走った、走った、トップをきって・・・。だが、
円の内側を、突っ切って走る。後続然り・・・。何ということ!まあ、でもこれは先
生もよくあることと思ったらしいが、○○の人と違うところは次である。家でテーブ
ル周りを何度も何度もしている彼にはかけっこが1周で終わりとは思いもよらず、ゴ
ールラインもなんのその、当然のごとく2周目へと突入!またまた後続然り・・・。
これは先生も想定外だったとみえて、止めるのも忘れて大笑いだったとか・・・。で
も私には一心不乱に走る孫の姿が目に浮かぶ! ・
さて当日、私は事情があって、残念ながら運動会には行けなかったが、かけっこ、
玉いれ、綱引き、お遊戯・・・と大いに楽しんできたそうである。問題のかけっこ終
わって、娘から携帯へメール。「○○、ぶっちぎりの1等だったよ!」私もテンショ
ン上げて「すご〜い!、じゃあ紅白リレーの選手だね!!」と調子づいてメールした
ら、「保育園にはそんなのないよ」と冷静な返事。(いやホントにノリが悪いねえ)
綱引き、玉いれもそれなりにがんばりまずは楽しい運動会終了。 ・
後日、孫から「○○かけっこで1等とったから、あ〜ちゃん何買ってくれるの?」
と電話攻撃!。う〜ん、娘の教育なってないな・・・。いや、その娘を教育したあ〜
ちゃんの教育なってなかったのか? ・
『孫かでエピソード その後F』
―生まれて初めてのお迎えだったのに何てこと!―
これも6月に娘の所に行ったときの話である。 ・
娘に急用ができたので、私が代わりに保育園に○○を迎えに行ってきた。園では子
供たちが、多数ホールで遊んでいた。私は、息子、娘の小さかった頃を思い出しなが
ら子供たちの遊ぶのを見ていた。しばらくして、遊んでいた子の中の一人が近づいて
きて、「おばあさん、だれのおばあさん?」(えっ、おばあさん?おばあちゃんなら
まだしも、おばあさんとは!、園児相手に私はちょっとだけムカッ)私の頭では、・
おばあさんとは、 ・
「むかしむかし、ある所におじいさんとおばあさんが住んでいました。
おじいさんは山へしばかりに、おばあさんは川にせんたくに行きました。
・・・」のイメージが浮かぶんだもんね。 ・
でも、ここではそのことはおくびにも出さず、(顔で笑って心でむかついて・・・)
「ありがとう、○○くんのムニャムニャムニャ・・・」 彼はそれを聞いて親切にも
○○を捜して、「○○くん、おばあさんが迎えに来てるよ!」(えっまたあ!3回目
だ!)○○はちょっと変な顔をしたが、「あっ、あ〜ちゃんだ!」と私の元へ走って
きた。 ・
せっかく親切に声をかけてくれた園児は(今テレビで盛んに放送している、目にみ
える思いやりを示してくれた園児は)、「おばあさん」といったばかりに、たとえ心
の中とは言え、むかつかれて気の毒だったかもしれないね。でも、「おばあさん」そ
のとおりで間違いないんだけれど、私は、やっぱり「おばあさん」と呼ばれるのは嫌
なんだよなあ。 ・
(なんとも器の小さいきららでした) ・
『孫かでエピソード その後G』
ちょっと厚かましいきららですが、このところ続けて投稿して申し訳ありません。
何しろ年ですから書くことを忘れてしまわないうちに・・・と思って! ・
―「あ〜ちゃん」はダメか?―
昨日、スーパーに行ったときのこと。お母さんらしき人に幼児用の車に乗せられた
3歳くらいの子がいた。その子が「あ〜ちゃん!」とちょっと離れている人に呼びか
けた。(あれっ)と思って私もその人を見た。第三者からはまさしくおばあちゃんら
しき年配の人とみた。つい、私はニヤッとしてしまった。 ・
そういえば、こんなこともあった。昨年○○を3歳児検診につれて行ったときの事
3歳児としての語彙能力を調べる一環か、「誰と来たの?」と調査員は聞いた。○○
は緊張もしていたせいもあり無言。また、そのときは、会場まで父親が車に乗せてき
たし、その後、私が会場で検診を受けさせたので、もしかすれば、彼はどっちを答え
たらいいか迷ったのかもしれない・・・。すると、その人は「おばあちゃんでしょ?」
○○、またしても無言。彼は困ったんだろうな・・・。おばあちゃんじゃないよ!あ
〜ちゃんだよと。かくして○○は、調査員に、(この子はおばあちゃんなる言葉を知
らないな)と認識されたのである。 ・
2,3ヶ月前、婿が娘に向かって「そろそろあ〜ちゃんは変なんじゃないの?」と
言ったそうな・・・。(あ〜ちゃんと言わせてるのは私だったので、婿は、姑には直
接言えなかったらしい。相当私を恐れているとみえる) ・
保育園に限らずどこでも、この先「おばあちゃん、もしくは、おばあさんと言わず
して、あ〜ちゃんと呼ばせるのは、孫を混乱させるばかりかなあ?。私もいささかそ
の決断を急がねばならない時期にきているかもしれないと、近頃そう思っているので
ある。 ・
白堊の面々も、(正真正銘おばあさんのくせして何を見栄はっているんだ?)と心
中笑っていたかもしれないね。 ・
『孫かでエピソード その後H』
― 孫 の そ の 後 ―
管理人さんの言葉にあまえて・・・ ・
孫は、保育園に入園して1年半、友達も増えて、良きにつけ悪しきにつけいろいろ
な言葉も覚え、また、たくましく成長している。 ・
2年ほど前になるか、娘の入院で3ヶ月ほど預かった孫が、娘が退院してからもし
ばらくは「あ〜ちゃんとねる!」と、言い張ってきかなかったのだが、(そしてそれ
は内心私を喜ばせていたかも・・・)ところがつい先だって、私と孫との間でこんな
会話があったのである。 ・
「○○、あ〜ちゃんのうちに遊びに行かない?」 ・
「えっ、だれと?」 ・
「あ〜ちゃんと・・・」 ・
「おかあさんは?」 ・
「お母さんは忙しいから、あ〜ちゃんとだけ」 ・
「ええっ、それはきついな!」 ・
(なにっ! きつい?!)何ということを・・・・。けれど、これが婆ちゃんの宿
命か? 私は苦笑するしかなかったのである。 ・
ちなみに、孫かでエピソードで書いた「花のリレー」の花、ひまわり、黄花コスモ
ス、あさがお、マリーゴールド、けいとうなどは○○の家の庭で今を盛りと咲いてい
る。 ・
(2012/08/28)
『孫かでエピソード その後I』
― 孫かでは私にはもうお手あげ ―
この間、孫の所に行って3日ばかり泊まってきた。平日の月〜水までだったので、
孫は、日中は保育園に行って留守。だから、5時半頃帰ってきてからのわずかな時間
に私が感じたことである。 ・
イッチオン。さかなつり、ボーリングその他のゲームをし、また、アニメを見たり・
・・。ひたすら画面に没頭し、一人で一喜一憂、時には大笑いも・・・。 ・
娘が「シャワーするからおいで!」と叫んでも、なかなか腰をあげない。たまりか
ねて、私が怒るとしぶしぶ浴室へ・・・。ところが、シャワーが終わって出てくると、
今度はテレビをつけ、DVDプレーヤーに「ゴカイジャー」だか「フォーゼ」だかい
ろんな怪獣ものを出したり入れたりしてみている。そしてそれは情緒も何もなし!と
私には思え、内容も面白くない。(これがきっと年寄りの固い頭だね!) ・
一人っ子で、家では遊ぶ相手もいないから、これら機械の操作の方法は娘が教えた
のだろうが、絵本を読んだり、積み木をしたり、歌を歌ったり、お絵かきをしたり・
・・などという私の孫かでの方法は、もうすっかりカビがはえ、全然お呼びはかから
ないようだ。 ・
機械音痴の私は、悔しさも入り混じった頭で、「これでいいのかいな?」と思って
いるのであるがさて?・・・。悔し紛れにもう一つ、○○はきっと「舌きりすずめ」
も「桃太郎」も「花咲かじいさん」も知らないに違いない! ・
(2012/09/08)
『孫かでエピソード その後J』
― 近頃、孫に軽くあしらわれているあ〜ちゃん ―
この間、孫に、(母親が一緒じゃないと)私のところに泊まりに行くのは ・
「き・つ・い・なあ!!」と言われ、がっかりしたことを書いたが、その後、娘から
電話で聞いた話。 ・
○○が「お母さん、だれがいちばん好き?」と聞いたので、「あ〜ちゃん」と答え
たら、○○曰く「あ〜ちゃんかあ、う〜ん、まあまあだな・・・」と言ったんだって。
これどういう意味?(全く生意気な言葉!) ・
それからこの間私が行ったときも、娘、孫、私と3人で寝ていたら、何かの話のき
っかけで、○○が「おかあさん、だぁい好き!」と娘にくっついていった。すかさず
私が「あ〜ちゃんは?」と聞いたら、○○は「すき!」と。私(良し良し・・・)と
思ったのもつかの間、「きらい!」私(えっ)。その後、孫、続けて「すき」「きら
い」の繰り返し。これが数回・・・。「え〜っ、どっちなのよ〜」と、私少々けしき
ばむと、「だからぁ、すき、きらい、っていうことはぁ、ふつうっていうこと!」・
(ギャフン!)またまた孫は生意気な言葉をはいたんだ!。 ・
2年前、娘の入院で、孫をあずかっていた頃、我が愛犬が膝の上に上がると、 ・
「だめ!○○のあ〜ちゃんなんだからぁ」と、犬を追い払ってまで私の膝に座った可
愛い孫だったのに、この変わりようは何たること!。 ・
こんな具合で、近頃の私の株は下がりっぱなし・・・。(これは、「婆離れ」でき
ても「孫離れ」出きない婆ちゃんの姿か?)また、私はこうも考えた。(今は一緒に
住んでいないし、泊まりに行ってもあまり遊ぶこともない、甘やかし気味の両親に代
わって注意することも多い口うるさいばあさんだからか?)と。そして、こう思うこ
とで、私から離れていく孫の気持ちを、一人寂しく納得させているのである。 ・
(2012/09/10)
『孫かでエピソード その後K』
― 人 気 回 復 ―
前回、孫のパソコンゲーム遊びなどについていけない超メカ音痴の古希婆ちゃんの
ことを書いたが、人気失墜のままでは気持ちおさまらず・・・と、この10月、3日
ばかり孫宅に泊まった時、昔、息子や娘とやった遊びをして人気をとり戻してきた。
その1 ベッタでカーリング ・
まず、百均でベッタを買ってきた。大、中、小と3種類入っていたが、それを二人
で分けて、今風で言えばカーリングのような遊びをした。こういえば何やらハイカラ
だが、単にテーブル上の片側から(ベッタを1センチほどはみださせて)手の平でた
たき、飛距離を競うだけである。ただし、勢いつけ過ぎテーブルの向こう側に落ちれ
ば負け。また、相手のベッタにあてて落とせばそれは勝ちである(これは高度な技)。
これを。先攻・後攻に分けて戦い、野球の得点版みたいな表に○×と記入。各10回
ずつやって集計、勝ち負けを決めた。これだけだが、この遊びは競争心もはたらくし、
また、思いがけないことも起こるので、結構面白かったらしい。これは、私の発想だ
が、簡単な表の書き方、見方も覚えるし、教育的にも一石二鳥だと勝手に満足してい
る。小学校に入ったら、点数の的を書いてそこに入れるようにし、後で足し算をすれ
ば、それも勉強になって良いかも・・・なんてますます教育ママ的発想をした。 ・
その2 すもう ・
娘は恥ずかしいのか、すもうで遊んでやることはしない。また、婿殿は、ただ今、
四十肩だか五十肩だかで痛がっているので、これまたすもうはしない。そこで、恥ず
かしいことも忘れてしまった私の出番となる。 ・
まず、3畳か4畳のカーペットが敷いてある所を土俵代わりにした。しこなは○○、
5歳児でも15キロと標準より2キロも軽いので「やせ錦」。私はベテランの「古希
丸」(臥牙丸みたいで強そうでしょう?)古希丸は48手とはいわないがいろいろな
技をもっているが、5歳児相手に怪我でもさせたら大変、つり出し、押し出し、抱え
あげて体をカーペットにつくのだけにした。 ・
初め、「こんなのやっつけるのは簡単簡単」と思っていたが、やせ錦、少しすると、
こつを覚えて両手、両足を古希丸の胴体に「たこ」みたいにからみつけ、なかなか足
をつかない。まさしく土俵際で「のこったのこった」である。古希丸は、これを振り
落とそうと頑張るのだが、いかんせん、勝負が長引くと、足、腰が痛くなるので適当
なところで負けることにする。組まなければ古希丸は勝つにきまっているのだが○○
は、一瞬の隙をねらってからみつけ戦法でくる。適当に勝ったり負けたり・・・調整
してやったので、これまた彼の喜ぶ遊びになった。 ・
こういうわけで、私が、日曜日に帰ってくるときは「あ〜ちゃん、もっと泊まって
いってよ。帰るの早すぎるよ〜」と完全に人気をとりもどしたのであった。策戦成功、
めでたし、めでたし・・・。どっとはれ。 ・
(2012/10/09)