4月6日(水) ローマ (自由散策)

元気で歩くにはまず、よく眠ること。しかし何だか眠れそうになかったので、医者からもらっていた睡眠導入剤を飲んで、11時半頃からぐっすり寝た。朝起きるとすっきりして気持ちがいい。

6時起床。夏時間のせいか、外はまだ薄暗い。日本だったら、4月中旬の今頃はお日様が高く上がってカーテンを開けたら痛いような日差しが飛び込んでくる時刻なのだが。

今日は1日自由時間なので、コロッセオ、フォロ・ロマーノ、トレビの泉、スペイン広場、できたらメトロでヴァティカン市国にも行ってみるつもり。

朝食を済ませ一息ついて、さぁ出発。

暑いときは薄着になれるようにと、半そでのセーター、カーデーガン、そしてトラブルに遭遇しないようにと、ナナメ掛けできるショルダーバック、そしてその上に一枚薄手のコートを着た。日差しが強いので、サングラスも忘れられない。

私たちのホテルは、中央駅であるテルミニ駅から2・3分のところにある。ここから歩いてコロッセオへ向かった。

まっすぐ歩くと15分で着く距離のようだが、途中インターネットの店で日本にメールを送ったりしたので、小一時間ほどかかった。


午前中は コロッセオ → フォロ・ロマーノ → ヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂 へ

コロッセオかコロッセウムか

観光ではイタリア語のコロッセオ、歴史の授業まどではラテン語のコロッセウムを使う。百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』参照

コロッセオは古代ローマでは闘技場。市民の娯楽施設として猛獣と人間を戦わせたり、剣闘士の戦いを催していたという。

現在は床が落ちて、その内部が見える。これらはいくつもの部屋のように仕切られていて案外狭いように感じる。ここに猛獣などが入れられていたということだ。

たぶん古代ローマの皇帝がここから見ていたのだろうと思われる場所から全体を見渡すと、当時の大観衆の歓声が聞こえてくるような気がする。

コロッセオから出て、コンスタンティヌスの凱旋門付近で古代ローマ兵の衣装を着た人が、観光客に撮影を誘っていた。ボラれると旅行案内にも出ていたので、少し躊躇したが、写真を2枚撮ってもらった。20ユーロ出せというのを値切って10ユーロを奮発した。

少し離れたところでいきさつを見ていたイタリアの女性が、日本語で注意してくれた。「10ユーロハオオイデス。ゴチュウイクダサイ。」・・・2ユーロくらいでよかったのだ。

フォロ・ロマーノ

コロッセオよりずっと古いフォロ・ロマーノの遺跡群に歩いていった。フォロとはフォーラムのことだそうで、ローマの広場ということかと思う。

今から2000年以上前の古代ローマの遺跡が、未だにこんなに残っていることに驚いた。
ここがシーザーのお墓という場所には花が添えられていた。現実ににこの付近を走り回っていた人だったのだなと思ったり、古代のローマ市民の当時の賑わいが想像できて、2000年前がぐっと近く感じた。

また、全てレンガや石造りなので2000年以上経っても未だに腐らずに残ったのだろう。これらの遺跡にはところどころ野生の藤の花が絡んでいたが、昔の栄華を偲んでいるようだった。


フォロ・ロマーノの端から少し階段を上がり、その途中で左上の写真を撮った。坂を登りつめるとそこはカンピドリオの丘。
ここはローマの最初の集落が造られたところだそうだ。右手に市庁舎をみて広場に入るとカピトリーニ美術館がある。

カピトリーニ美術館では

ここには白い大理石で作った人物像や胸像があること、あること・・・。いくつかの胸像には白い大理石と赤いメノウを組み合わせて作られているものもあった。写真を撮ればよかったのだが、あまりにも多すぎて結局一枚も撮っていなかった。

でも、ローマを造ったといわれるロムルスとレムスの兄弟が狼の乳で育ったという伝説に登場する カピトリーノの雌狼 の前で写真を撮った。これは、塩野七生さんの「ローマ人の物語」でも見ていたので、「おお!本物を見た!」とカンゲキ。

ヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂からの眺望

この建物の前の広場がヴェネツィア広場である。ここはムッソリーニがバルコニーから広場の群集に演説をした場所だそうだ。

ここの階段では腰をおろして休んでいたりしてはゼッタイ駄目のようだ。ちょっと腰を下ろしただけで、ピピッと笛を鳴らして警備員が注意をしていた。

記念堂のバルコニーからはローマの街が一望できる。気持ちよく晴れて、イタリアの大きな旗がたなびき、「ローマの休日」を思い出していた。
4/5
ローマへ
4/6
自由行動
  午前


午後
4/7
JALバスでアッシジへ
その後フィレンツェ
4/8
自由行動
4/9
JALバスでラヴェンナへ
 その後、ベニス
4/10
自由行動